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軍人エルフと喫茶店  作者: かんひこ
第四章 冬、戦い
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三十一品目 ハニートーストと苦境―前編

 その日の昼下がり。

 リヒテンベルクは『喫茶黒い森(シュヴァルツヴァルト)』に来店するや、いつもエルフリーデと共に座る席に一人深々と腰を下ろし、ほっと小さくため息をついた。

 疲労感が顔に張り付いている。

 表情も険しく、やつれ、その瞳には苦悩の色が浮かんでいた。


「今日は、お休みですか?」


 平日のこの時間にリヒテンベルクが姿を見せることは稀だ。

 老店主はお冷とメニューを差し出すと、そう、物珍しげに尋ねた。

 リヒテンベルクはゆっくりと頷くと、


「ええ、今日はたまたま非番でしてね……」


 と、力無く苦笑した。

 このところ、寝ても覚めても疲れが取れない。

 長く緊張状態に置かれると、人はかえって興奮していくものなのだが、その直前にはこのように地を這うような疲労に苛まれる――リヒテンベルクは、それを経験則から知っていた。

 懐かしき、地獄の戦場。そこでかつて自分の身に起きたのと同じことが起こっていると言うのは、何も偶然の出来事ではない。

 西部の戦場から離れたこの街が、今、人知れず戦火に巻き込まれようとしている。

 リヒテンベルクはそのただ中にあって、非常に難しい立場に立たされていた。


(やはり、そう易々と信頼を得られる訳はない、か)


 穏健派連中に請われ、また自らも望んで彼らと通じ、強硬派の内情を献身的に知らせるようになったリヒテンベルクだが、未だその中核メンバー全てから信頼を勝ち取れているわけでは無い。

 むしろ、幹部連中の中には疑念すら抱いているような者も幾人かおり、その為に提案が退けられるようなこともままあった。


 強硬派内部で密かに計画されている、現政権へのクーデター。

 その参加メンバーを記し、穏健派へと差し出したリストの内容が、スパイを疑われる要因になっているらしかった。


(疑われるのも、無理からぬことではある。大統領の姪婿までクーデター勢力に関与しているなど、そうそう信じられる話ではないのだから……)


 リヒテンベルクが提出したリストは、穏健派将校達に大きな衝撃を与えた。

 大統領近衛師団長の名を筆頭に、強硬派と目されている将校達でそのほとんどが埋められた、数枚のテキスト。

 中には数名の海軍・空軍将校や、警察・憲兵隊幹部の名も混じっていたが、何よりも穏健派を揺るがしたのは、大統領子飼いの者達や、穏健派として活動している者さえも幾ら列挙されていることだった。

 特に、大統領の姪婿であり、その筆頭秘書官をも務める男の名前がそこに記されていた事実は、穏健派将校達を例外無く動揺させた……彼は、穏健派派閥の創設メンバーでもあったからだ。


(見せる将校を選んだのは正解だった。まだ、リストの中身は外には漏れていないらしい)


 だが、ハッキリと疑いの目を向けられているというのもまた事実――それ故に、リストが提出されてしばらく経った今でも、穏健派はクーデター勢力へ目立った行動を出来ないでいた。

 今、幹部達はリストの正確性がどれほどであるのかを検証している。

 もっとも、それが済んだときにはもう手遅れの状況であってもおかしくはないのだが。


 強硬派は、水面下で着々とクーデターの準備を整えている。

 どれほど些細なものであれ、何か切っ掛けさえあれば、年内にも行動を起こすことだろう。


(きっと、その“切っ掛け”は……)


 かつての戦場で見たエルフ兵と、彼らの喚声(かんせい)を思い出し、リヒテンベルクは眉をひそめた。

 ここ数日、首都のスラムに大勢のエルフが流入しているという情報が、至るところから湧き上がっている。

 実際に幾つかの路地を巡り、それがどうやら事実らしい事はリヒテンベルクも確認した。

 人口の大多数を占める女性はもとより、内戦で数を減らし、希少となった男性の姿が異様に多く、既に先住の者達との間で小さいながらトラブルもいくらか起きているようだ。

 それが、昨今の情勢と全く無関係とはどうしても思えない。

 リヒテンベルクはお冷やを一口飲むと、深いため息をついた。


 カランコロン、と、店内に来客を知らせる音をドアベルが響かせたのは、その直後のことだった。

 リヒテンベルクはふと、顔を上げてそちらを見……思わず眉を上げた。


「少佐……」


 店内を見渡し、リヒテンベルクに気付いたその来客――エルフリーデは目を見合わせると、僅かに微笑みを見せて、頷いた。

 今日は出勤のはずの彼女は、しかし、私服らしいベージュのコートを羽織っていた。

 金色の髪と肩のところに、白い雪がついている。知らぬ間に、外では雪が降り出したらしい。



 *



「いつもなら非番の日は今頃、ウエイトルームにおられるのに、今日はお姿が見えなかったので心配しましたよ」


 席につくなりエルフリーデはそう言ってお冷やで唇を湿すと、


「また、病院送りにされたかと思いました」


 ニヤッと笑って、そう続けた。

 近頃のエルフリーデは、こうやって時折冗談を言う。

 冷静で常に落ち着きを払ってこそいれど、リヒテンベルクが出会った当初の冷徹で神経質そうな雰囲気は、もはや何処にもなかった。

 リヒテンベルクは苦笑しつつ返事する。


「流石に二度も遅れを取りはしないさ。ただ、今日ばかりは少し、落ち着いた雰囲気の場所に身を置きたかった。

 それだけさ」


 その言葉を聞いて、エルフリーデは背筋を伸ばすと、途端に真顔になって尋ねた。


「先日から思っていましたが、随分とお疲れのようですね」

「やはり、君には分かってしまうか」


 リヒテンベルクは耳の後ろを指で掻くと、諦めたように頷いた。


「ここ最近、ずっと疲れが取れなくてな。眠りも浅い」

「やはり、あの件ですか」


 リヒテンベルクは、また頷いた。


「外を見れば開戦前夜、内を見れば針の(むしろ)

 長い戦乱に終止符を打つ為に旧友達を裏切り、こちら側に通じたことに後悔などは微塵も感じてはいないが……やはり、辛いものだな。この国難の中にあって、事の成り行きを見守ることしか出来ないというのは」

「お偉方は、そこまで貴方を疑っておられるのですか?」

「ああ、そうらしい。

 まぁ無理もないさ。新参ポッと出のおれが持ってきたリストに書かれていたのが、自分達のリーダーの名前だったのだから」


 彼らを恨むことは出来ないさ、と、極めて気丈に振る舞いつつそう言って、リヒテンベルクはお冷やに口をつけた。

 強がってみてはいるものの、やはり相当な疲労とストレスに苛まれているようだ。


(今ここで倒れられでもしたら、それこそ大ごとだ)


 出来ることなら、安心できる場所で数日ゆっくり休んで貰いたいが、そういうことの出来る性分ではないだろう。


(なら……)


 エルフリーデは意を決すると、右手をそっと挙げ、カウンターの奥にいる老店主を呼んだ。

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