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軍人エルフと喫茶店  作者: かんひこ
第一章 春、出逢い
3/35

三品目 モーニングセットと親友

 その日、エルフリーデはひどい悪夢に見舞われ、ベッドから飛び起きた。

 ようやく東の空が明るくなり始めた早朝。部屋はまだ薄暗い。

 シーツまでぐっしょり濡れるほど汗をかき、目尻にはいつの間にかにじんでいた涙を浮かべ、エルフリーデは荒く息をつきながら両手で顔を覆った。


(あぁ、クソ。またか)


 首都に出てきて、早一ヶ月。ここ最近、こういったことがよくある。

 どんな夢だったかは、目がさめると全く覚えていないのに、途轍もない恐怖と悲しみと、ほんの僅かな切なさだけが、胸の奥底に重く渦巻く。


(せっかくの休日だというのに……クソ)


 もう一度、エルフリーデは心の中でそう吐き捨てると、手のひらで汗と涙を無茶苦茶にぬぐい、ベッドから降りてシャワールームに向かい、汗を流した。

 そうこうしている内に頭が冴え、二度寝する気はすっかり失せてしまった。


(しょうがない。あいつの顔でも、見に行くか)


 自分の意志ではないとはいえ、せっかく早起きしたのだ。このまま家の中にいるのも、なんだか勿体ない気がする。

 それに、今は無性に彼女――レオナの顔を見たかった。

 エルフリーデは素早く身支度を済ませると家を出、静かな街へと繰り出した。



 *



 春も中頃とはいえ、この時期のこの時間はまだ幾らか冷える。

 往来を行く人はまばらで、車通りも多くない。

 建ち並ぶアパートや家々の中の明かりも、ようやくちらほら付き始めたような具合だ。

 そんな、眠りから目覚めかかった街の様子を横目に見ながら、エルフリーデは人の少ない大通りを歩いた。

 このぐらいの時間帯が、エルフリーデは好きだった。

 静かだが、暗くない。一人でない、この時間が。


(これで魔法も解けたら、言うことはないんだがな)


 冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んで、ほのかに白んだ息を吐き、エルフリーデは一人苦笑した。

 耳の形を繕う程度なのでさほど魔力を消費する訳では無いのだが、それでもほとんど一日中この状態を維持し続けているのはやはり疲れる。

 他のエルフ達もそれは同様で、各地に散った同胞の中にはそれに加えて迫害や弾圧の危険から、耳先を丸く整形してしまった者も少なくない。

 だが、尖った耳はエルフの象徴。

 それを自ら永久に放棄するつもりは、エルフリーデにはさらさらなかった。


 次第に空が明るくなる。そろそろ表通りにも人が出てくる頃合いだ。

 エルフリーデはそれと鉢合わせぬようにするりと脇道に滑り込み、また歩き出し、やがて少し開けた場所に出た。

 路上生活者が廃材で作ったバラックが軒を連ねる、路地裏の空き地。地面には、タバコの吸殻やら空き缶やら空の注射器やらが転がっている。

 エルフリーデは()()達を起こさぬよう静かに、慎重にそこを進んでいく。

 そうしてその空き地の片隅に建てられた、一際小さなバラックの前までやって来て、思わずため息をついた。


(……また、か)


 トタン張りの外壁には大量の張り紙や、赤やら青やらのカラースプレーで、でかでかと落書きのようなものがされている。

 文言自体は千差万別だが、大体書いてある内容は「蛮族は出ていけ」だの、「連邦の寄生虫、エルフ」だの、「死に損ないのクソ野郎」だの、どれも似たようなものばかり。

 典型的なエルフ族差別。街中のこういう所では別段珍しくもないことだが、とは言え見ていて愉快なものでもない。


(クソ野郎はどっちだ。ガルノードのクズどもが)


 エルフリーデは吐き捨てるように舌打ちをして、バラックの中の様子をうかがうように、耳を澄ませた。

 何やら身支度をしているような音が聞こえる。どうやら()()は起きているらしい。

 声を掛けようとエルフリーデが口を開いた瞬間、扉代わりのボロ布が持ち上がり、中から見知った顔が現れた。

 レオナだ。


「やっぱり、エリーだったか」


 レオナは潜めた声でそう言って、ニヤッと笑った。

 酒の臭いはしない。今日はまだシラフらしい。目がとろんとしているのも、単に寝起きなだけのようだ。


「流石の地獄耳だな。養母(かあ)さんそっくりだ」

「その代わりに、相変わらず今でも魔法はド下手だけどねぇ。

 それで、こんな朝早くにどうしたの?」


 小屋から這い出し背伸びをしながらそう問うレオナに、エルフリーデは少し肩をすくめてみせた。


「別に。ただ、早くに目が覚めたから、散歩がてら顔を見に来ただけ」


 それ以上でも、それ以下でもない。そう言って、エルフリーデは自分より頭一つ背の高いこの四つ歳上の従姉兼親友を見上げた。

 目深に被ったフードの奥に隠れたレオナの顔を、朝日が淡く照らし出す。


(酔って腑抜けた面を晒してさえいなければ、こんなに良い顔をしているのに……)


 優しげな光をたたえる澄んだ蒼い瞳と精悍な顔立ちにすらりと高い身長は、可憐な“お姫様”と言うよりは凛々しい“王子様”に近い。

 だからこそ余計に、前髪とフードで隠している火傷の痕が際立って見える。

 エルフリーデは、胸の奥が微かに痛むのを感じて、一瞬眉をひそめた。


(レオナをこうしたのは、私だ)


 エルフリーデは二十年前の虐殺の最中、燃え盛る森の中に取り残され死にかけたところをレオナに助けられた。

 彼女の火傷は、その際に出来たものだった。


「……火傷、まだ痛むか?」


 エルフリーデは左手を伸ばし、そっと火傷痕の残るレオナの右頬に触れた。

 しっとりとした肌のほのかなぬくもりが、手のひら越しに伝わってくる。

 レオナは、柔らかに微笑みながら首を振った。


「もう、気にならないよ」

「……そう、か」


 エルフリーデは、静かに手を離した。


「レオナ。いい加減変な意地張ってないで、うちの家に移ってこいよ。こんなクソ共に囲まれながらの毎日じゃ、身が持たんだろう?」


 レオナはまた、ゆっくり首を振ると、エルフリーデの頭をくしゃくしゃっと撫でた。


「エリーが優しい子に育って、わたしは嬉しいよ。でもね、大丈夫。もう慣れちゃったし、エリーの邪魔、したくないからさ。

 それに……」


 レオナは、悪戯っぽく笑って言い添えた。


「エリー、わたしがお酒飲むの許してくれないでしょ?」

「当たり前だ!」


 エルフリーデはレオナの手を払って少し声を荒げると、ムスッとして顔を背けた。

 まぁまぁそんなに怒んないでよ、と、レオナが苦笑しながら宥めつつ、不意に問う。


「そういえばエリー、朝ごはん、食べた?」


 エルフリーデは、向き直って返事する。


「いや、まだ。レオナは?」

「わたしもまだ。

 ね、一緒に食べに行かない? 美味しいモーニングを出してくれるお店、知ってるんだ」

「おぉ、それは良いな。うん、行こう」


 エルフリーデは小さく頷いて、歩き始めたレオナの後ろをついて行った。



 薄暗い路地を、レオナはぐんぐん進んでいく。

 そのすぐ後ろに続くエルフリーデは、ふと思い立って聞いてみた。


「そういえばレオナ、今から行く店ってどんなところなんだ? 遠いのか?」

「いや、もうすぐだよ。どんな店かは……まぁ、着いたら分かるよ」


 ちらりと後ろを振り返ったレオナは、そう言っていたずらっぽく微笑した。

 それに首をかしげる間もなく、狭い路地が開け、二人は春の朝日に満ちる広場に出――エルフリーデは、言葉を失った。

 目の前に現れたのは、ここ最近休みの度に通っている例の喫茶店『黒い森』。

 エルフリーデはその目の前まで連れられてきて、ようやくレオナに謀られたことに気がついた。


「やってくれたな、レオナ」

「だって、こうでもしなくちゃ一緒に来てくれなかったでしょ?」

「当たり前だ! 第一、誰が好き好んでこんな店――」

「でも、今日も一人で来るつもりだったんでしょ?」


 遮るようにレオナの放ったその一言に、エルフリーデはぎくりと動きを止めるや、咄嗟に、


「何故、それを?」


 と、口にした直後、エルフリーデは自分がまんまとレオナの()にはまったことに気が付いて、頭を抱えてうずくまった。


「……ほんっと、エリーって嘘つけないよねぇ。よくそれで今の今までガルノード人のフリ出来たもんだよ。

 この前、幸せそうにここから出ていくところを見たんだよ。後でマスターに聞いたら、最近よく来てくれるんだって言ってたからさ」


 顔を真っ赤にして小さく縮こまったエルフリーデに、レオナはニヤニヤしながらそう告げる。

 開店準備の為に老店主が看板を持って店から出てきたのは、まさにそんな時だった。



 *



「お待たせしました、ご注文のモーニングセットです」


 テーブルに運ばれてきたのは、キャベツやレタス、トマトなどを小皿に盛ったシンプルなサラダと、白い湯気の立つブラックコーヒー。

 そして、コショウの振られた半熟の大きなハムエッグがどんと乗る、こんがり焼けたトーストだった。


「ごゆっくり、おくつろぎください」


 老店主が微笑を浮かべてカウンターの向こうへと下がっていく。

 それを横目に、レオナはテーブルを挟んで向かい合うエルフリーデの顔を見て、柔らく微笑んだ。

 先程まで不機嫌そうにムスッとしていたエルフリーデは、目の前にトーストがやってくるや、まるで嵐の後の青空のようにパッと表情を明るくさせた。


「それじゃあ、頂こっか」

「ああ……」


 開店早々の、誰もいない店内。

 二人はそう頷き合うと、トーストを持ち上げ、口に運んだ。

 瞬間、香ばしい小麦の香りが口いっぱいに広がった。

 香り高い粗挽きコショウのツンとした匂いが後から続き、ハムの塩気と共鳴し合う。

 そして、それらを柔らかく包み込む半熟卵のまろやかな黄身。

 トーストの立てるサクサクという小気味良い音が静かな店内に響くのを聴きながら、エルフリーデは声すら上げずに、無心になってかぶりついた。


 微笑ましげに見つめるレオナの視線に気が付いたのは、トーストを全て平らげてしまってからのことだった。


「エリー、ここ。ついてる」


 レオナはニコッと笑みを浮かべると、ちょんちょんと右頬を指差して言う。

 エルフリーデは頬についたパンくずを摘むと、恥ずかしげに目を伏せた。


「美味しいね」

「……うん」

「また、二人で来よっか」


 エルフリーデは顔を上げると、頷いた。


「うん……たまには二人も、悪くない」


 二人は静かに笑みを浮かべて、朝のひとときを楽しんだ。

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