二十九品目 パイシチューと旧友
夜半。連邦の西部と南部の境界線辺りの、人気の無い森の奥にひっそりと佇む廃屋に、大勢の若者達が集まっていた。
男の姿も幾らか見えるが、その大多数は女達だ。
二十年前の大虐殺によって、エルフ族は男の成員を多く失った。
その影響により、日銭を稼ぐにせよ反政府活動をするにせよ、はたまた連邦軍と西部で直接戦闘を行うにせよ、エルフの行うあらゆる活動の主力を、今は女達が担っている。
そう、ならざるを得なかった。
この夜、廃屋に集まった彼女らも、無論そんな者達ばかり。
片目をぼろ布で覆い、腰に拳銃を提げている女。
棒切れを義足の代わりに膝下に括り付け、ライフルを杖代わりにする若い娘。
まともな銃器が手に入らなかったのか、朽ちて変形した鉄パイプを持ち、服とも呼べぬほどに擦れてボロボロになった布をまとう少女。
中には、顔面に大きな火傷の痕を残し、亭主の遺灰の入った小瓶を首に提げ、まだ幼い子供をおぶっている母親の姿まであった。
彼女らも、それに混ざる数少ない男らも、ただの一言も発しない。
赤ん坊の寝息や、母親か姉かに連れてこられた小さな子供たちのそわそわとした囁き声が、やけに大きく響いていた。
そこへ一人の青年が、羽織ったコートやフードに白い雪をつけたまま転がり込んできたのは、夜も更けにふけた頃だった。
肩を上下させて荒く白い息を吐きながら奥へ奥へと入っていく青年に、人々は緊張した面持ちで道を開ける。
そうして、彼は廃屋最奥の壁に背を預ける、若い男の元へとたどり着いた。
左の頬から耳にかけて、傷跡が真一文字に走っている。華奢な体格だが、とてもやわには見えなかった。
「アルノーさん、西部で動きがありました」
青年の声に、瞑想するかの如く俯いていた男――アルノーは静かに顔を上げ、促すように彼を見た。
その燃えたぎるような紅蓮の瞳に見透かされ、青年は思わず居住まいを正して深呼吸すると、やがて口を開いた。
「予定通り、ゲッツさんの遺体が衆目のもとに晒されました。焼死体の中に残った“弾丸”も、既に発見されています」
「……いよいよ、だね」
ご苦労だったね、と言って青年の肩を叩き、アルノーは身体を起こして廃屋の中の人々を見渡した。
「僕達の悲願。憎きガルノード人どもへの復讐が果たされる日は近い。
さぁ、出立の準備だ。夜明けと共に行こう。首都、カールブルグへ。
彼女の、待つところへ」
静まり返っていた廃屋が、にわかに慌ただしい雰囲気に包まれていく。
それを眺めながら、アルノーは一人不敵な笑みを浮かべていた。
「エリー……もうすぐ会えるね」
*
レオナから、ゲッツの訃報を聞かされたのは、エルフリーデが家に帰ってからすぐのことだった。
半ば炭化し、持ち物から辛うじて身元が分かる程度の酷い有様となった遺体は西部の冷たい川に沈められ、偶然そこを漁場としていた現地の川漁師の投網に掛かって発見されたという。
死因は定かではないが、首や胸のあたりに十数発の弾痕と銃弾が見つかった。
銃弾は、ガルノード陸軍の制式採用拳銃に用いられるものだったらしい。
そう、西部に潜ませていた仲間から伝えられた話をレオナから聞かされている間、エルフリーデは一言も発することなくソファーに身を委ね、手に持ったマグカップの中のコーヒーに映る、険しい顔をした己の蒼い瞳を見つめていた。
(私にとって、あの人はもう一人の父親だった……)
あの大虐殺を生き残った数少ない壮年の男で、勇猛な戦士で、父の愛弟子だった。
幼い頃に死に別れ、もはやおぼろげにしか思い出せない父の在りし日の姿を、いかに偉大な男であったかを、昔から良く語って聞かせてくれたのを、よく覚えている。
ガルノード人への復讐に燃え、心に狂気を宿しながらも、理性を決して失わず、最後には武力行使を諦め、対話の道を選んでくれた……その背に、エルフリーデは亡き父の面影を重ねていた。
そんな男が、死んだ。
(私が、殺したようなものだな)
今の融和的な情勢や、あまりに雑な遺体の処理の仕方から見て、軍が直接手を下したとは考えにくい。
西部の同胞か、帝政派内部の強硬な連中の凶弾に倒れたと見るのが自然だろう。
ガルノードへの復讐を強硬に主張していた彼の転身を、よく思わなかったエルフが大勢いただろうことは想像に難くない。
特に、長きにわたって連邦軍と激しい戦闘を繰り広げている西部では、尚更その思いは強かっただろうし、故にゲッツは西部を後回しにして各地を回っていたのだろう。
(私が解散を迫らなければ、こうはならなかったのだろうか……)
涙は、不思議と出なかった。
ただ、そんなどうしようもない後悔と、青白く燃えるような怒りと、深い悲しみが、これからの日々への静かな不安とともに、エルフリーデの胸を内からじりじりと焦がしている。
(彼の死を、親エルフ派の将校や大佐に伝えるべきか。それとも、まだ隠しておくべきか)
様々な思いを抱いたまま、エルフリーデは遂に一度も口を開くことなく、ただぎゅっとレオナの細い身体を抱き締めると、逃げるように寝室に入り、ベッドに潜り、まぶたを閉じて……また、悪夢を見た。
相変わらずの、燃える故郷に佇み、炎の向こうの母と相対する夢。
ただ一つ、いつもと違うのは、その距離が僅かながら縮まっていることだった。
木々や家屋が嫌な音を立てながら燃え崩れ、人々の悲鳴が爆撃機の轟音にかき消されていく中、母の口から発せられた声は、いつもより少し聞き取りやすく感じられた。
「いき……あわ……に………」
途切れ途切れの声。普段より聞き取りやすいと言えど、まだなんと言っているかは定かではない。
ただ、必死の形相で、繰り返し繰り返し、何度も何度も同じ言葉を発していることだけが、確かだった。
そんな母の姿が、また炎の中へと消えていく。
夢は、いつもの如くそこで終わった。
結局、ゲッツの死は、しばらくの間伏せておくこととした。
軍部の人間が、それを察知している気配はない上に、この情勢下で無用な混乱を招きたくないと言うのが、その主な理由だった。
*
ここ数日で、首都は一気に冷え込みが厳しくなった。
絶えず重たい雪雲が空を覆い、乾いた冷気が風となって吹きすさび、時折それは吹雪のようになる。
寒がりのルートヴィヒはもとより、高地生まれで寒さに強いエルフリーデも、流石にこの寒さは堪えた。
仕事中も常に官品の厚いコートを羽織り、事務室には暖房を焚き、ホットコーヒーが絶えないように気を配り、仕事終わりにはダウンコートを着て帰る。
そんな寒さの中で、いつもの仕事や武闘派連中のクーデター計画への対処に加え、ゲッツの死による各地のエルフ族コミュニティに広がる波紋への対応も考えねばならないのだ。
当然、ストレスが溜まる。
溜まっていくと、猛然と腹が減る。
その日の仕事終わり、エルフリーデは気が付くといつもの喫茶店の中にいた。
レオナには、既に外で食べてから帰ることを連絡済みだ。
(流石にこの時間だと、誰もいないか)
閉店まであと一時間程度といった具合。
窓の外は暗く黒く雪さえちらつき、ぼんやりと照明がともされている店内に客はエルフリーデただ一人だけだ。
注文を取りに来た店主が厨房で料理する音と、冬風に揺れる窓枠の音だけが、店の中に響いていた。
やがて美味そうな匂いが漂い始め、厨房の音が止むと、店の奥から料理を手にした店主が現れ席までやって来た。
「それでは、どうぞごゆっくりおくつろぎ下さい」
注文の品を置き、いつもの常套句を言って老店主は去っていく。
それを、腹が鳴るのを堪えつつ見送った後、エルフリーデは生唾を飲み下して料理の方へと向き直った。
「いつか頼もうとは思ってたんだが、まさか今日がその日になるとはな……」
カップのような赤い陶器の入れ物に覆いかぶさるように乗った大きなパイ生地から、香ばしい匂いが漂い、空腹感を増していく。
このパイシチューという料理をエルフリーデが知ったのは、大人になり、ガルノード人社会に溶け込み生活するようになってからのことだった。
知った当時は、まさか後に自分が口にすることになるとは思ってもみなかった――それが今、目の前にある。
(御託はもういい。冷めない内に頂こう)
自分で自分に言い聞かせ、エルフリーデはスプーンを手に取ると、キノコのように膨らんだパイ生地にそっと突き立てた。
「うわぁ……!」
瞬間、思わず声が漏れた。
サクッと小気味の良い音とともに崩れたパイ生地から、真っ白な湯気と美味そうな香りと共に姿を現したのは、濃厚そうなクリームシチューだった。
ニンジンやジャガイモ、鶏肉などの具材がごろごろと浮かんでいるのが見える。
ぐうっと、堪えきれず腹が鳴るのも気にすることなく、エルフリーデは誰にするでもなく一人頷くと、スプーンに乗ったパイ生地ごとシチューをすくい上げ、頬張り……目を見開いた。
こってりとしたシチューの旨味と香りが、口いっぱいに広がっていく。
煮込まれ柔らかくなったニンジンやジャガイモがほろほろと甘くほぐれていき、パイ生地はシチューを吸ってくたくたになりながらも香ばしく、鶏肉は噛みしめる度にじゅわっと肉汁を溢れさせる。
そして、それらをミルクとチーズで作られた温かく濃厚なシチューがしっかりと包み込み、混ざり合い、複雑ながらホッとする味わいを醸し出していた。
隠し味に、ガーリックやブラックペッパーを軽く振っているのかも知れない。その香りが疲れた心身に活力と、さらなる食欲を与えてくれるようだった。
エルフリーデは、一心にスプーンを動かした。
温かなシチューが腹に収まっていくにつれて、身体が芯からぽかぽかと暖まっていく。
ガツガツと、パイシチューをかっ食らうその姿を、老店主が微笑みながら見つめているのにすら気が付かず、エルフリーデは頬張り続け、やがてぺろりと平らげてしまった。
「ふぅ……美味かった……」
綺麗になった皿を見て、エルフリーデは少し苦しげに腹をさすりながらため息をつき、お冷を口にした。
流石に少し食べ過ぎたかも知れないなとは思いつつも、胸は多幸感で一杯だ。
あまり遅くなるとレオナが心配する。
少し落ち着いたら店を出ようと思ったとき、不意にドアベルがリンリンと鳴り、冷たい外気が吹き込んだ。
「遅い時間に申し訳ない。まだ、やってるかい?」
応対の為に出てきた店主にそう言う声は、若い男のものだった。
どこか、懐かしいような響きのある不思議なその声に、エルフリーデは振り返り、その顔を見て、固まった。
目深にフードを被った、色白で華奢な青年。
その真紅の瞳と、左頬から後ろへ真一文字に伸びる古傷の痕が残る彼のことを、片時も忘れた日は無かった。
「……アルノー」
エルフリーデはゆらゆらと立ち上がると、信じられぬものを見た顔で、思わずそう口にした。
一つ年下の幼馴染、アルノー。
二十年前の大虐殺を共に生き延び、一時は同じ屋根の下で暮らしたこともある旧友との再会は、そんな、静かなものだった。




