二十七品目 ホットミルクセーキと抵抗者たち―前編
「……それで、これがそのクーデター計画の中心人物達の名簿なんだね」
リヒテンベルクと同盟を組んだ日の夜、エルフリーデはゆらゆらと家に帰るなり、彼から手渡された資料をレオナに見せた。
「そう。近衛師団長を筆頭に、陸海空合わせて八人の将軍と六人の佐官が中核になって計画を練っているらしい。
西部軍管区に至っては、長官を中心に司令本部の九割がクーデター側についているんだと」
エルフリーデは脱いだコートをラックに掛けながら、そう言って肩をすくめて見せる。
その顔には、明らかに疲労の色がうかがえた。
「あの大統領、そこまで嫌われてたんだねぇ……あんなに優しそうな顔して、羽振りだって良いのに」
「身内に甘いのはどこの誰でも同じだからな。もっとも、その身内が元々少ないんじゃ話にならんのだが」
手を洗い、お帰りのハグを済ませてリビングに向かい、エルフリーデはソファーにぐったりと腰を下ろして、質素な白い天井を見上げた。
今になって思えば、リヒテンベルクとその話をしたのは僅かに三十分程度のことだったのだが、内容が内容なだけに随分長いこと会話していたように感じられる。
お陰で、どっと疲れた。
「頭が茹で上がってるみたいだ。今日はもう何も考えたくない……」
クーデター計画に参加している人物の中には、軍の中枢に深く入り込んでいるような人間が何人もいる。
皆、海千山千の強者ばかりだ。そんな彼らと、これから暗闘していかなくてはならない。
本当なら、その闘い方や仲間との連携などを今からしっかりと考えるべきなのだろうが、それを想像するだけでも胃が締まるような心地がした。
明日が休みなのが、せめてもの救いだ。
「ありゃりゃ、こりゃあ限界ギリギリみたいですなぁ。ぎゅってしてあげよっか?」
「もう勝手にしてくれ……」
力無くそう声を発したエルフリーデを、レオナは「じぁあお言葉に甘えて」と言って覆いかぶさるように抱き締めた。
柔らかなぬくもりとレオナの匂いに包まれているうちに、不思議と疲れが和らいでいくような気がしてくる。
ほっと、心が落ち着いてきた。
「明日、とりあえずこの話を穏健派の将校さん達に伝えてくるね」
耳元でそうささやくように言ったレオナに、エルフリーデは頷いた。
「分かった。私は何をすればいい?」
その言葉に、レオナはゆっくりと首を横に振って、返事する。
「ありがとね……でも、エリーは今は何もしないほうが良いと思う。
ただでさえ出世頭の若い将校として目立ってるのに、今の状況でこれ以上穏健派寄りの動きをするのは危険だよ」
「でも、自分だけ危ない橋を渡らないってのは、なんだか――」
「――エリー、それは違うよ」
レオナはエルフリーデの言葉を遮ると、顔を上げ、両肩をつかみ、諭すように言った。
「聞いて。エルフでありながら、高位の軍人でもある貴女は、水面下で動く私達にとって最後の切り札みたいなものなんだよ。
そんな大事なものを、ここで失う訳にはいかない。貴女の立つ舞台は、まだここじゃないんだよ。
だからエリー、貴女は今、自分の身の安全を第一に考えて……貴女自身のためにも、みんなのためにも。お願い」
瞳に、強い光が宿っていた。両肩をつかむ手にも、ぐっと力が入って震えている。
その異様な雰囲気に気圧されるままに、エルフリーデは顎を引き、
「わ、わかったよ……そこまで言うのなら、何もしない」
言って、顔をそらした。
このまま目を合わせたままでいるのが、なぜだかとても恐ろしかったのだ。
そんなエルフリーデの心の内を知ってか知らずか、レオナは「うん。ありがとう」と言って微笑むと、また先程までと変わらぬ様子でぎゅっと抱きついてきた。
窓の外では、雪が振り始めているらしい。
カーテン越しに見える暗い夜空に、白い綿のような雪粒が舞っていた。
*
「とは言え、本当に何もしないでいるっていうのもなぁ……」
翌朝、喫茶店のいつもの席に着いたエルフリーデは、テーブルを挟んで向かい合うルートヴィヒにそう言ってため息をついた。
「ええ、ええ。そのお気持ち、よーく分かりますよ――でも、その話絶対このタイミングでするもんじゃないですよね!?」
その話と言うのは当然、件のクーデター計画にまつわる話のことだ。
流石にレオナも一枚噛んでいる事実は伏せたものの、それ以外のことについて、エルフリーデは流れのままにあらかた打ち明けてしまった。
「しかもここ、全然密室とかそういうんじゃないんですよ? もし万が一聞かれてたら、どうするんですか?」
辺りを落ち着き無くきょろきょろ警戒しながら声を潜め、身を乗り出してそう言うルートヴィヒに、エルフリーデは「まぁ、落ち着けよ」と冷静に返して、お冷やを口にした。
「今は店内には誰もいないだろう。それに、さっき来るときに確認したが、店の外にも人の気配は一切無かった。
小型の盗聴器がどこかに取り付けられているにしても、直接貼り付けでもしない限りは店の隅にあるここの声は拾えない。魔法で盗聴しようものなら、すぐに私が感知する」
だから大丈夫だ、と窓の方へ目をやるエルフリーデに、ルートヴィヒはそれでも心配そうな顔でおずおずと口を開いた。
「……でも、ここのマスターや、そもそも論としてオレが内通していたら?」
その言葉に、一瞬虚を突かれたようにルートヴィヒの方を振り返り、目を見開いたエルフリーデは、途端にニッと口の端を吊り上げてみせた。
「そのときは、私も腹をくくるさ」
もっとも、この発言でルートヴィヒが“向こう側”でないことは証明されたようなものなのだが。
それに、ここの店主に関しては、
(どうしてだかな、敵側だと疑いたくない気持ちがある)
初めて出会ったあの日、迂闊にも魔法が解け、エルフであることを晒してしまった自分を受け入れてくれた彼が内通者をやっているとは、思いたくもなかった。
(……私も、急所が増えたな)
人一人が守れる人の数には、それぞれ限度があるものだ。
その数が少なければ少ないほど守り切れる確率は上がるし、余剰分を己の為に割り振れる。
そう、頭では分かっていたはずだった。だというのに、今の自分を見てみれば、明らかに自分の許容範囲ギリギリのように思えてならない。
(レオナ、ルートヴィヒ、リヒテンベルク大佐、エルフ族の同胞たち――喫茶店と、店主)
この先、もしこの街が、この国が災禍に巻き込まれるとして、自分はそれらを守り切ることが出来るのだろうか。
守り切った末に、自分はまたこの喫茶店を訪れることが、出来るのだろうか。
思考の淵に滑り込もうとしていたそのとき、お盆に注文の品を乗せた店主がやってきた。




