十七品目 イチジクのタルトと魔法―前編
カーテンの隙間から差し込む朝日に照らされて、レオナは目を覚ました。
すぐ目の前、息がかかるほどのところに、エルフリーデの額が見える。同じベッドで寝ているのだから、当然と言えば当然だが。
夏が過ぎ、気温の下がりはじめるこの秋の朝は、冷え性のレオナには例年少し辛い季節だった。
しかし、今年からは違う
(……本当に、また一緒に暮らせてるんだなぁ)
掛け布団の中で触れあう腕から、エルフリーデのぬくもりを感じる。
幸せだったが、それがかえって、こんなに幸せで良いのかとも思ってしまう。
(わたしは、全てから逃げたのに)
エルフリーデの隣にいるべき人間では、ないのだろうに……と。
エルフリーデはレオナに半ば抱え込まれるような格好で、まだ安らかな寝息を立てている。
起きているときは、まるで森に生きる狼のように常に周囲に意識を張り巡らせているのに、二人で居るときはこんなにも無防備な姿を見せる。
それがあまりにも嬉しくて、愛おしくて仕方がない。
レオナは堪らずエルフリーデの額にそっと口付けをして、彼女を起こさぬよう静かにベッドから滑り降りた。
今日は、朝から少し用事がある。民族の今後を左右するかもしれない、大事な仕事だ。
手早く支度や朝食を済ませ、家を出る準備を終えたレオナは、最後に再び寝室を覗いた。
エルフリーデは、まだ眠っている。
「行ってきます、エリー」
レオナは彼女の耳元で静かにそう言って、頬にまたキスをして、音も立てずに家を出た。
涼しげな秋風が吹いている。
麦酒でも、グイッと飲みたい気分だった。
*
その日、エルフリーデは軍の所有するグラウンドの内一つを貸し切り、スポーツウェアに身を包んだリヒテンベルクと向かい合っていた。
エルフリーデは結局、彼の頼みを聞いてやることにしたのだ。
もっとも、リヒテンベルクは激しい運動を医者から止められているので、あまり体を動かさない、静かな方法で特訓を行うつもりだった。
「まずは、今どこまで魔法を使えるのかを見せて下さい。話はそれからです」
「それもそうだな。分かった」
リヒテンベルクは頷くと、すっと右手のひらを差し出した。
その射線から外れるように、エルフリーデは数歩横へと移動し、手を挙げて合図を送る。
「では、行くぞ」
言って、リヒテンベルクはぐっと右手を押し出した――瞬間、バチバチッと、何かが弾けるような音と共に、彼の指先に青い稲妻が、クモの巣状にほとばしった。
それは、あまりにも弱々しい稲妻だった。
“稲妻”や“雷魔法”などと表現することすら憚られるような、微弱でか細い、スタンガンとすら比べられないような電流。
(……軍が嘘八百並べて事実を隠したがった理由が良くわかる)
エルフリーデは心の中で頭を抱えて嘆息すると、また手を挙げて「やめ」の合図を送り、そばまで駆け寄った。
リヒテンベルクは、額に汗を浮かべている。
これしきのことで疲労するようでは、実戦ではとても使い物にならない。
「どうだった? 案外マシか?」
「まるでダメですね。ゴミカスです。とても他人に見せられたもんじゃないです」
「そんなにか……」
目に見えて落ち込み、リヒテンベルクはうなだれた。案外打たれ弱い性格なのかもしれない。
(さて、どうしたもんかな)
そんな彼をよそに、エルフリーデは顎に手をやって、今後のことを思案した。
体調のこともあるから、短期集中の特訓は無理だ。
かといって時間を掛けすぎれば、いまだにガルノードへの復讐に燃える同胞達の目につく可能性が高まり、心象を悪くする恐れがある。
レオナもエルフリーデも、対話による問題解決を目指していることについて、他のエルフ達には一言も打ち明けていない。
ガルノード人に血の報いを受けさせたくて堪らない彼らに下手に打ち明ければ、どうなるかは火を見るより明らかだからだ。
各地に点在するエルフ族の武装勢力は、弱体化傾向にあるとは言え、依然としてまだまだ力を持っている。
ゲッツの一派も、解散宣言からかなり日が経っているが、まだ完全解散には至っていない。
打ち明けるなら、彼らの勢力が今よりもっと弱まり、誰の目にも最早武力ではどうにもならないと明らかになってからでなければならないのだ。
(……よし、これで行こう)
エルフリーデは決断すると、いまだに落ち込んでいるリヒテンベルクの肩を叩いて、顔を上げさせた。
「大佐殿。それでは次に、私の魔法をお見せします。そこに立っていて下さい。出来るだけまっすぐ」
「あ、あぁ。分かった」
言われて、リヒテンベルクは素直に指示に従って、ピンと背筋を伸ばして気をつけの姿勢をとる。
エルフリーデは頷くと、おもむろにポケットから手のひらサイズの小さなリンゴを取り出した。
(本当はオヤツのつもりで持ってきたんだが……まぁ良いか)
エルフリーデは服の裾でリンゴの赤い皮を少し磨くと、リヒテンベルクの頭の上に置いた。
「しょ、少佐? 何をするつもりだ?」
「見ていれば分かります。じっとしていれば、怪我はしませんので」
そう言い残して、エルフリーデは十数歩距離を取り、リヒテンベルクに向かい合う。
「それでは」
緊張した面持ちのリヒテンベルクに声を掛け、エルフリーデは右手を出す。
直後、風を切る鋭い音と共に、リンゴの中央に小さな丸い穴が空いた。
何が起きたか分からず、呆然と立ち尽くしたままのリヒテンベルクに歩み寄り、エルフリーデは頭の上のリンゴを摑んで、それを眺める。
「お見受けしたところ、大佐殿は体内の魔力が少ないように思われます。ですので……」
エルフリーデはニッと不敵に笑ってみせ、続けた。
「魔力の集中と、瞬発的な解放。これを、目指して頂きます」
「わ……分かった。よろしく、頼む」
リヒテンベルクは引きつった笑みを浮かべて、頷いた。




