十三品目 テイクアウトコーヒーと落とし前
首都カールブルグの市街地北側は海に面しており、連邦の海上交易の要として機能している。
中でも、西にあるヴァール・ハーフェンと呼ばれる港は世界有数の国際貿易港であり、深夜でも明るい光に包まれていた。
エルフリーデはそこから東へ数キロ離れたところにある、さびれた船着場で一人、光を背に、夜陰に黒く染まった水面を、眉をひそめながら見つめていた。
(何度来ても、慣れないな……)
生まれも育ちも内陸部だったエルフリーデは、海がそれほど得意ではない。
潮騒や磯の香りに対してはそれほど嫌悪感を抱くわけではないのだが、どこまでも果てなく続く水平線と底なしの水面を見ていると、どうしても芯から怖気を感じてしまう。
視界の利かぬが故の恐ろしさが森にあるのなら、海上は見通しが利き過ぎるが故に恐ろしいのかもしれない。
なにはともあれ、あまり長居はしたくなかったのだが、迎えがこないことにはどうすることも出来なかった。
エルフリーデは深い溜息をつくと、船を繋いでおく為の係柱と呼ばれる金属製の杭の一つに腰掛ける。
そしてバッグの中から大きな水筒とカップを取り出すと、中身を注いだ。
出てきたのは、まだ白い湯気の立つコーヒーだった。
夏とは言え、この時間の海辺は冷える。そう思い、ここに来る前に喫茶店の老店主にコーヒーのテイクアウトをお願いしたのだ。
香り豊かでほろ苦いコーヒーの暖かみが、夜風に冷えた身体にしみる。
ホッとするような安心感に包まれると、不意に家に置いてきたレオナのことが心配になってきた。
(オートロックのマンションだし、フロントには管理人も常駐してるから、大丈夫だとは思うが……)
今まで娯楽らしい娯楽など何もしてこなかった上に質素な生活を続けていた為、エルフリーデはこの歳の人間にしてはかなりの額の貯金がある。
そのお陰で、引っ越しの際にはそれほど金額を気にすることなく、セキュリティや周囲の治安を第一に考えることが出来た。
万全は期してきた。後は、信じるより他にない。
そうしてエルフリーデがコーヒーを飲みつつ待っていると、背後から足音が聞こえてきた。
数は一人。ようやく、迎えが来たらしい。
エルフリーデは荷物を片付け立ち上がると、その足音のする方へ振り返り、向かっていく。
そこにいたのは、夏なのに大きなコートを身にまとい、モスグリーンのニット帽を目深に被った、少年のような男だった。
見覚えのない顔だ。
帽子の端からちらりと覗く白金色の髪が、彼がエルフ族であることを控えめに主張している。
目と目が合うと、少年はうろたえたように立ち止まり、落ち着かなげに目を動かした後、おずおずと頭を垂れた。
「副長の使いで来ました。今から、基地へと案内させて頂きます」
副長と言うのは、ゲッツのことだ。
“副”である理由は単に、彼がエルフリーデの父ヴィルヘルムを信奉するあまり、自分の組織の長を今は亡き彼と定めてしまったがためだった。
「ああ。よろしく頼む」
そう言って頷いて、エルフリーデは歩き始めた彼の後ろについて行った。
*
少年が基地と呼ぶ場所は、今はもう誰にも使われることなく廃墟と化した港湾倉庫の、狭い地下収納庫にあった。
光が外に漏れぬように、照明はほのかに手元が見える程度に灯されているのみで、中にいる者達の顔もおぼろげにしか分からなかったが、ゲッツが居ないことは確かだった。
部屋全体に、どこか落ち着かなげな空気が漂っている。
全員が手元に鉄パイプやらバールやらの武器になりそうなものを置いているのを見て、エルフリーデは眉をひそめた。
「ゲッツ副長は今何処へ? 私は彼に会いに来たのだが」
言うと、案内役の少年は明らかに動揺したように目を泳がせたまま、「えーと、えーと」とモゴモゴ何か言おうと慌てている。
それを見かねた仲間の一人が立ち上がり、微笑みながらこちらに歩み寄ってきて、会釈した。
「夜分遅くにご足労いただき、ありがとうございます。エルフリーデさん」
以前の会合にも出ていた、ゲッツの息子だった。名前は確か、エアハルトだったか。
あまり話しているところを見たことがないので、彼が饒舌に話しているのが、少しばかり新鮮だった。
エアハルトは続ける。
「どうやら、行き違いになってしまったようですね。
もうすぐ帰って来ると思いますので、どうぞおかけになって、コーヒーでも飲みながらお待ち下さい」
そう言って、彼はさっきまで自分が座っていた場所を譲るような仕草を見せた。
エルフリーデは、静かに首を振って言葉を返す。
「ありがたい申し出だが、生憎喉は渇いていなくてね。
じきに帰ってくると言うことなら、ここで立ったまま待たせてもらうよ」
エルフリーデは横目で、先程の少年が出入り口を塞いでいるのを確認して、そろそろと壁際に寄って、背をつけた。
(……やはり、な)
ここで自分を始末するつもりなのだろうと悟って、エルフリーデは心の内で苦笑する。
レオナを取り逃がした段階で、エルフリーデが事件について知ることになるのは彼らも予想していただろう。
こちらから出向かなければ、向こうから誘い出すなり何なりしていたに違いない。
(さて、どうしたもんかな)
思っていると、エアハルトが不敵な笑みを浮かべて口を開いた。
「……エルフリーデさん、もう気づいておられるでしょう?
我々が事をなすまでの間、ここで大人しくしていて下さい。そうすれば、我々も手荒な真似はしません」
気が付くと、若者たちは各々武器を手に取り、エルフリーデを囲うように立っていた。
数は五人。そして、扉のところにもう一人。
エルフリーデは思わずフッと笑みをこぼし、問いかける。
「もし、断れば?」
「……言うまでもないでしょう」
「十五かそこらのガキ共が、私に勝てると?」
エアハルトは、狂暴な笑みを浮かべて、言った。
「試してみますか」
エアハルトは右手のひらを突き出し、口元で何かを唱えた。
瞬間、部屋全体がカッと明るくなるほどに燃えたぎった火球があらわれ、エルフリーデに向かって一直線に放たれた。
エルフリーデは動じることなく同様に右手を出すと、一歩、前へと踏み出す。
その白い指先が火球に触れる――直後、部屋が真っ白な水蒸気に包まれた。
「ぐわっ……!?」
そんな声を上げ、顔を覆った若者たちのみぞおちに、エルフリーデは素早く、的確に拳をねじ込んでいく。
まさに、一瞬の出来事。
煙が晴れる頃には、その部屋に立って意識を保っていたのは、エルフリーデと、扉の前で立ち竦んだまま動けなくなっていた少年一人だけだった。
「氷魔法の使い手には火で勝てる、と言うのは安直な考えだったな。認識を改め、次回に生かせ」
地面に這いつくばりながらも、まだ辛うじて意識を保っていたエアハルトにそう言い放つと、エルフリーデは耳の後ろを思い切り手刀で打ち、昏倒させた。
「おい」
「は、はいっ……!」
エルフリーデに声をかけられ、少年はビクッと肩を震わせる。
倒れ伏した全員の気絶を確認した後、エルフリーデはそんな彼の目の前まで歩み寄り、肩を摑んで、尋ねた。
「ゲッツさんは何処にいる?」
少年は目尻に涙を浮かべてガタガタ震えながら、部屋の奥にある扉をそっと指差した。
エルフリーデは、にっこり笑って頷くと、その扉の方へと向かっていった。
その日、エルフ族自治領を治めていた武装組織“エルクの角”の後継組織の一つが、誰にも知られることなく、ひっそりと滅びの道を歩み始めた。
その報が西部に届いたのは、それから一週間程度経った後のことだった。




