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軍人エルフと喫茶店  作者: さと かんひこ
第一章 春、出逢い
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一品目 メロンソーダと望郷

 己の人生は復讐を果たすためにあると、エルフリーデは常々思っていた。少なくとも今日この日、ある一軒の喫茶店に迷い込むまでは。


 エルフリーデは今年二十六歳。

 ガルノード連邦陸軍の若き女性将校であり、この度少佐への昇進と共に、東部の田舎からはるばる首都へと栄転してきた。

 低い身長と整った顔立ちから一見可憐そうに思えるが、一度目を合わせたものは誰もがその鋭く冷たい氷柱(つらら)の様な眼光に縮み上がる。

 不慣れな高層ビルの樹海にあってもその眼差しは変わることなく、故に誰に声をかけられるでもなく、彼女は目的の場所へと向かって路地を歩いていた


(街は嫌いだ……ガルノードのクソどもがいかに繁栄してるかを否応なしに認識させられる)


 上空を行く旅客機の、やけに大きく耳障りなジェットの音が聞こえる。

 通行人で溢れかえる大通りの隅の方を歩きながら、エルフリーデは一層不機嫌そうな顔をして眉間にしわを寄せ、小さく舌打ちをした。


 エルフリーデは、二十年前に連邦軍による大虐殺によって壊滅させられたエルフ族の、数少ない生き残りの一人だった。

 燃え盛る炎と飛び交う鉛玉の嵐の中、大勢の同胞達が殺されていったあの光景は、今でも脳裏に深く刻み込まれている。

 そんな彼女が白金色の髪を金に染め、耳先を魔法で丸く見えるよう装い、身分証を偽造しガルノード人になりすましてまで仇である筈の軍に入ったのは、(ひとえ)に復讐の為に他ならない。


(いずれはこんなクソったれた街、憎き連邦とガルノード人もろとも焼き滅ぼしてやる)


 そして、故郷を追われて各地へ散り、今なお抑圧されている全てのエルフ族を、ガルノード人のくびきから解き放つのだ。

 大通りからそれ、細く薄暗い脇道に入ったエルフリーデは数歩歩いて立ち止まると、背後の往来を振り返り、力強く拳を握りしめて、また前を向いて歩き出した。


 目指すは、首都郊外の小さなファミリーレストラン。

 エルフリーデは今日そこで、意思を同じくする同志達と共に、これからのことについての会議をすることになっている。

 店の名前や外観までは分からないが、住所の書かれたメモを事前に渡されているので、そこまで労せず店の前までたどり着くことが出来た。

 のだが、


(どう見てもこれ、喫茶店だよな?)


 メモ書きと目の前に現れた店を見比べて、エルフリーデは小首をかしげた。

 細道の先に現れた小さな広場のような空間に建つ石レンガ造りの古風で小さなその店の看板には、でかでかと『喫茶黒い森(シュヴァルツヴァルト)』の文字と共に主だったメニューが書かれてある。

 コーヒー各種や、ホットケーキ、パフェ等のスイーツ類、卵やハムのサンドウィッチを始めとする軽食――この店がファミレスでないことは明らかだった。


(でも、住所は間違ってないみたいだしな……)


 仲間達も当然エルフだ。

 都市部から離れた森の中に集落を作り、狩猟採集や工芸をして細々と暮らすのが、本来の営み故に、街の暮らしには慣れぬところも多いのだろうことは、想像に難くない。

 ファミレスと喫茶店を間違えるぐらいなことは往々にしてあり得るように、エルフリーデには思えた。


(まぁ、取り敢えず入ってみるか)


 エルフリーデはそう納得して、店のドアを押し開けた。


「……ごめんください」


 リンリンと軽やかな音を立てるドアベルと共に、エルフリーデは店に足を踏み入れた。


 店内は思いのほか広かったが、席数の割に客は少なくまばらで、何より静かだった。

 照明はそれほど明るくなく、床材に使われている木は暗い色で、店内には観葉植物が多く飾られ、開け放たれた窓やテラスの方からそよ風が吹き込む。

 ギラついたところのない、落ち着いた、雰囲気の良い店だった。


「いらっしゃいませ。お一人様でしょうか?」


 エルフリーデの来客に気づき、店の奥から出てきてそう尋ねたのは、ガルノード人の老店主だった。

 他に店員は見当たらない。どうやら一人で切り盛りしているらしい。

 白髪交じりの黒髪を後ろに撫で付け、綺麗に髭を剃った、清潔感のある穏やかそうな老人だ。背筋も、しゃんと伸びている。

 この店の内装は彼の好みだろうか。もしそうならば、ガルノード人にしてはいい趣味をしている。


「いえ、四人です。三人はあとから」

「かしこまりました。では、こちらへ」


 老店主の案内で、エルフリーデは店の隅の方にある、窓際のソファー席に腰掛けた。

 窓から差し込む日の光が心地良い。


「メニューを持ってまいりますので、少々お待ち下さい」


 と言ってカウンターの方へ引っ込んでいった店主を見送って、エルフリーデは束の間背もたれに身を委ねてまぶたを閉じた。

 柔らかなソファー、日光のぬくもり、板材や観葉植物の香り、静けさ……その全てが、心を落ち着かせる。

 何故だろう。始めて訪れた、ガルノード人の街の、ガルノード人の店なのに、これほど心が安らぐのは。

 不可解だった。不可解だが、悪くはない。

 そう思ってしまっている自分に気づいて、エルフリーデは己を恥じ、パッと見を起こした。


(仇の店で、こんな気持ちになるなんて。私も、随分薄情者だな)


 丁度そこへ、店主がやって来た。

 メニューを小脇に抱え、盆の上に、何やら飲み物の入ったグラスを乗せている。

 注文した覚えはもちろん無い。他の客が注文した物を、ついでに持ってきているだけなのだろうかと思ったとき、店主が静かに口を開いた。


「こちらメニューと、初来店の方にサービスでお出ししているメロンソーダです。どうぞお召し上がりながら、ごゆっくり注文をお決め下さい」


 言って、彼はコースターと共にそのグラスをエルフリーデの目の前に置くと、また店の奥へと消えて行った。

 なんともサービスの良い店だ。余程経営に困っているのか、それともガルノード人にしては珍しいお人好しなのか。ともかくも、


(そういうことなら、まぁ……丁度喉も乾いてたしな)


 自分一人贅沢をしている気がして少し後ろめたさを感じたが、エルフリーデはそう自分を納得させて、グラスをまじまじと見た。

 グラスの中にはメロンの果皮を思わせる澄んだ翡翠(ヒスイ)色のソーダが満ち、ピンクと白のストライプ柄のストローが一本、液面に浮かぶ四角い氷の隙間を縫って突き立っている。


(メロンソーダ。噂には聞いたことがあったが、まさか自分が飲むことになるとは、な)


 こういう甘味(かんみ)は、もう長いこと口にしていない。

 無意識のうちに胸が高鳴っているのに気づいて、苦笑する。


(それじゃあ、頂こうか)


 エルフリーデは一つ誰へともなく咳払いをすると、気を取り直してストローに口をつけ、吸い上げた。


 瞬間、爽やかな香りと控えめな甘さが、口いっぱいに広がった。

 強すぎない炭酸がシュワシュワと小気味よい音を立てながら弾け、香りをさらに引き立てながら渇いた喉を潤していく。

 束の間、エルフリーデは息をすることすら忘れ、身動(みじろ)ぎさえ出来ずにその衝撃と、過ぎ去った後のさっぱりとした余韻を感じていた。


「なんだ、これは……」


 エルフリーデはストローから口を離すや、目を白黒させて呟いた。

 まるで、目の前で閃光弾がさく裂したのかと錯覚するような、あるいは迫撃砲の至近弾を食らった時のような、あまりに強い衝撃。

 否、これをそんな言葉で言い表しても良いのだろうか? だが、他にどんな表現の仕方があるだろう。

 彫刻のように固まったまま、頭の中でしばらくの間ぐるぐると考え続けた挙げ句エルフリーデの口から漏れ出たのは、至極単純で、あまりに簡潔なものだった。


「美味しい――!!」


 抑えようもなく頬が緩み、口の端が釣り上がる。

 端から見ればなんと間抜けな面をしているのかと思われるだろうが、もはや自分ではどうしようも出来ない。

 胸の奥底から突き上げてくる衝動を、抑えきることが出来ない。


 エルフリーデは夢中になってストローに吸い付いた。

 広がる高揚、弾ける感動、すっきりとした爽やかな喜び。そして、薄っすらと脳裏を掠める、一抹の懐かしさ。

 これは、もしや……


(トウヒの、香り?)


 刹那、頭の中に閃いたのは、故郷の森で過ごしたあの懐かしい日々の記憶。

 友達と日が暮れるまで駆け回り、転げ回ったあの森の木々は、トウヒだった。

 当たり前すぎて気づかなかった、それでもしっかりと心には刻まれていたあの香り。それが、炭酸が弾ける度にほのかに、でも確かに漂う。

 その微かな香りが、エルフリーデの記憶の奥底に眠っていたもう一つの、小さな、でも大切な思い出を掻き起こした。


(お母さんが言ってた、トウヒの葉から作るサイダーって、もしかして……)


 そのとき、不意に声を掛けられた。


「お気に召されたようで、何よりです」


 偶然そばを通り掛かった店主が、暖かな眼差しと共にそう微笑み、ちょんちょん、と人差し指で耳を指した。

 ハッと物思いから覚めたエルフリーデは、その言わんとしているところを察して赤面し、両耳を手で覆った。

 感動のあまり魔法が解けてしまうだなんて、エルフの術者にあるまじき失態だ。

 だが、それほどまでにこのサイダーは、素晴らしかった。


(……落ち着け、冷静さを失うな)


 慌てて魔法をかけ直し、深呼吸してエルフリーデは居住まいを正す。

 そこで、ふと気になった。


(この店主、私がエルフだと気付いたのに、何故嫌な顔一つしない?)


 大概のガルノード人は、エルフのことを虫けらか、それ以下ぐらいに思っているはずだ。少なくとも、自分達と同列とは思っていまい。

 それなのに、何故?

 エルフリーデは、思わず聞いた。


「親父さん、何故貴方は私の耳を見てもそんなに落ち着いていられるんです?」


 店主はまた、微笑みを浮かべると、さも当然かのように答えた。


「エルフでもガルノード人でも他のどなたでも、来店された方は皆等しくお客様ですので」


 思いもよらぬ返答、思いもよらぬ言葉に、エルフリーデは言葉を失った。

 まさかガルノード人に、こんな事を言う人間がいるとは思わなかったのだ。


 ――彼らは、エルフを人とは思っていない


 頭によぎったのは、まだ幼かったエルフリーデを引き取り育ててくれた養母の言葉。

 優しく、気高く、生きる希望を失っていたエルフリーデに今の生き方を指した養母のその一言は、今の彼女の精神的な支柱となっている。


(でも、もしかしたらガルノード人にも……)


 その支柱が、今、揺らいでいる。


「……ご注文は、お決まりですか?」


 優しげな店主の声に、エルフリーデは顔を上げた。

 

「メロンソーダを、一つ」


 故郷が燃えて二十年。以来、もっとも良い笑顔で、エルフリーデはそう言った。



 エルフリーデが同胞との集合場所を間違えたことに気付くのは、もう少し後になってからのことだった。

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