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9話


「彼女を助けないと」

ハンスは自力で動けるようになるとベッドから這い出でようと身を捩った。


ハンスが壁伝いに部屋を出ようとすると、ちょうど様子見に訪れたリーリャと居合わせた。

リーリャは這う這うの体で扉まで辿り着いたハンスをぐぃとベッドに押し戻す。


「傷口が開きますよ」

「寝ちゃいられない」

ハンスが再び起きようとするのをリーリャは人差し指一つで押し返した。


「こんな状態で何が出来るというの。それに動くにも情報が必要でしょう。そこは抜かりないわ」

リーリャはハンスの横たわるベッドへと腰掛けると一つの図面を取り出した。


「先輩は今、王都中心部にあるオラクル聖騎士団本部の監獄で囚われているわ。トーマス枢機卿がこれまでの不可解な事件の嫌疑を全て先輩にかけていて、ひと月後に裁判が執り行われる事になっているの」

「枢機卿が今回の黒幕なら事実の是非は関係なしに処刑台送りだぞ」

ハンスが焦燥感を露わにするとリーリャはハンスを宥めて図面を指す。


「そうよ。猶予はない。先輩をこの監獄から救い出すわ。監獄は本部の中心にある。正直数多の監視を掻い潜って抜け出すのは厳しいけど、聖騎士団の私なら内部に侵入するのは難しくないわ」

「仮に逃げられたとして、そこから先どうするつもりだ。一生逃亡生活だぞ?」

「何もせず死んでしまうよりマシよ!逃げて、逃げて誰も追いかけられないところまで逃げるの。あなたが協力しなくてもあたし一人でもやるわ!」

リーリャは今にも泣き出しそうな顔で言った。


時間的猶予が無く、誰にも相談する事の出来ない状況でリーリャの精神は張り詰めていた。

状況を言語化する事で、これまで抑えていた不安や緊張が溢れ出した。


「落ち着け。何もしないとは言っていない。お前はトーマス枢機卿に協力者として顔や名前を知られているのか?」

「念のために書簡でやり取りしていたから、知られていないと思うけれど……」

「それならまだ手はある。俺は商人だからな。商人には商人の攻め方がある。何も真正面から殴り合いの喧嘩を買って出る必要はない」

リーリャが想像以上に取り乱していたので、ハンスはかえって落ち着きを取り戻したようだった。


「作戦はこうだ……」



聖オラクル騎士団本部の中心に築かれているアバキヲ監獄は王都で最も厳重かつ過酷な監獄である。

騎士団本部に位置しているため精鋭部隊が監獄を警備している。

監獄は外から守るためでは無く、外へ出さないための堀で囲われており、出入りする者がいれば容易に分かるようになっている。


フレイアはその監獄の中でも、問題を起こした者が入れられる独房で勾留されていた。


「元隊長さんには忍びねぇが、あんたのした事を考えりゃ、ここがお似合いってモンだぜ。オラ飯だ。裁判までに死んじゃあいけねぇからな。ちゃんと食えよ」

看守が持って来た食事を床へとばら撒く。


冷え切った食事は、びちゃびちゃと音を立てながら床に飛び散った。

フレイアはボロを身に纏い、後ろ手に拘束された状態で床に滴ったスープを口にした。


「ふむ。味はまぁまぁだが盛り付けがイマイチだな」

「ははは!緋色の聖母(ハイプリエステス)にゃ誇りのカケラもねぇのかよ!イイザマだぜぇ。殺された俺の同僚にも見せてやりたかった、なっ!」

看守はフレイアの髪を掴んで壁へ向かって叩きつけた。


「ぐッ…」

衝撃でフレイアの肺から空気が押し出され、フレイアはその場に蹲る。


「俺はお前が死ぬ寸前まで痛めつけねぇと気が済まねぇよ……裁判だかなんだかが控えてて良かった、な!殺しはしねぇよ」

看守は蹲ったフレイアに何度か蹴りをいれた。


フレイアが監獄で勾留されてどれだけの時間が経過しただろうか。

フレイアの身体には内出血の跡が無数にある。太陽の光も無い監獄の中で勾留されていたためフレイアは時間感覚を失っていた。


「フン。次来るときは裁判所へ出頭する時だ。それまで大人しく転がっているんだな」

看守が去っていくのをフレイアは床から見上げる。


「このままでは、裁判まで、もたんかもしれんな……」

気丈に振る舞っていたが、過酷で終わりの見えない拘束でフレイアの限界は近かった。


苦痛や痛みから解放されるのであれば、その先が死だとしても、次に独房の扉が開く時が待ち遠しく思えさえした。



フレイアには、もはや自力で動く力は残されていなかった。

日に一度の食事の供給さえ止まり、空腹だというのにそれを感じることすら出来ないほどになっていた。

数日前に床に散らばされた食事には虫が這っている。

ーーーもう駄目か……


フレイアが重たい瞼を閉じようとした時、独房の固く閉ざされた扉の隙間から光が溢れた。

重厚な扉がゆっくりと開かれる。


「裁判の時間だ」

フレイアはまるで罪人かのような扱いをされながら裁判所へと連れて行かれた。


「この女はこの美貌と鈴のような声音を持ってして指揮官や騎士団員に近づき、その全てを死へと追いやったのです。まさに悪魔が取り憑いているとしか思われません。コギト村の所業だけではありません。この王都中に頭のおかしくなる薬品をばら撒き、さらにはその暴利を貪り、民草が互いに消耗し合う様を眺めて愉悦に浸っていたのも他でもないこの女の所業なのです。醜く哀れな魂がこれ以上罪を重ねぬようにと、一ヶ月前の宣託によりこの女を捕らえ、なんとか鉄槌によって罪を罰せしむ事が出来ましたが……その汚れ切った魂はもはや浄化する事が出来ません。元は孤児の出です。生まれより穢れた運命を背負ったこの者を救うためには、よもや処刑しかありますまい……」


トーマス枢機卿は壇上で悠然とフレイアの罪状を連ねた。

その神秘なる語り口に、民意は当然フレイアの処刑へと傾いた。傍聴していた民衆からフレイアの元へ野次や物が投げられる。

トーマス枢機卿の熱弁が佳境へと差し掛かったその時……


バンッ!


「お待ちください!」

裁判所の扉が勢いよく開かれた。


そしてハンスとリーリャを筆頭に、聖王国のあちらこちらで住んでいる住民達がぞろぞろと入室してきた。


「えらく長い自己紹介、お疲れ様でしたトーマス枢機卿。ここからは王国法三六条二項に基づいて、逆転審判を請求します!」

ハンスは裁判官に向かって申請書を突きつけた。


「この大罪人にあってはそんなもの、認めんぞ!衛兵この不徳者を捕らえよ!神の身許にて狼藉を働くものを許すな!」

トーマス枢機卿は声を荒げながら指図すると、住民達はハンスとリーリャを守るように取り囲んだ。


「喜んで神の身許に跪きましょう。フレイア先輩が本当に大罪人であれば、ですけどね!」

リーリャはトーマス枢機卿を睨みつける。


「よろしい。逆転審判を始めてください」

裁判官は片目でトーマス枢機卿を見やると人々に着席するよう窘めた。


「すみません。遅くなりました。もう大丈夫だ」

ハンスはフレイアに自分の上着をかけてやりながら言った。


フレイアは安堵のあまりその場に崩れ落ちた。

その眦にはほんの少し光が差していた。



「まずは事件について客観的に整理しましょう。事の始まりはコギト村での襲撃事件を示唆した宣託ですね……そして一ヶ月前に彼女が教会で勾留された事でこの裁判が設けられた。そうですね?」

裁判官が静かに肯定しようとするとトーマス枢機卿が割って入る。


「この女を救わねばなりません。今世の罪を死で洗い流し来世では正しくあれるように導く必要があるのです」

「トーマス枢機卿、今は逆転審判中ですよ。口を挟まないでいただきたい」

裁判官に指摘されるとトーマス枢機卿は鼻息を荒くして沈黙した。


「では一つ一つ確認していきましょう。まず宣託ですが、これは本当に彼女の事を示唆したものだったのでしょうか?俺は商人ですからね。ついつい損得で物事を考えてしまうのですが、彼女があの日あの場所でコギト村およびオラクル聖騎士団を襲撃する事で得られる物は一体何でしょうかね?」

「その女には後ろ暗い不審な噂が付き纏っていたではないか。報復でもなんでも考えられよう。何せ悪魔の手先なのだからな」

「その不審な噂ですが、これは王都中心部でしか広まっていないのをご存知ですか?ねぇ皆さん?」

ハンスが連れてきた各地の村長や族長達に問いかけると皆はこぞって頷いた。


「そうだ!フレイアさんは金にもならねぇ、騎士団本部がやりたがらねぇ仕事をな、あちこち飛び回ってはやってくれてんだ!俺達の村ではな、緋色の聖母(ハイプリエステス)として尊敬されてんだ!そんな変な噂する奴なんて、この国に住んでる奴なら一人もいねぇよ!」

「……だそうですよ?ではなぜ王都中心では悪評が吹聴されていたのでしょうね。それもこの噂が囁かれ出したのはちょうど襲撃が起きる前後でしたよね。まるで誰かが彼女を罠に嵌めたがっているみたいだ、ねぇトーマス枢機卿」

ハンスがトーマス枢機卿へと挑発するような笑みを向けるとトーマス枢機卿はひどく憤った。


「噂だか何だかそんな不確定なもので宣託を否定されては敵いませんなぁ!」

「その通りですね。では次の議題に移りましょうか。リーリャ、書類をお願いします」

ハンスの指示でリーリャは書類を配布する。


「これはオラクル聖騎士団に所属しているリーリャに騎士団内の備品台帳と現金の出納帳を写して貰った資料になります。三頁目をご覧下さい。騎士団では驚くほどの麻酔薬が買い付けされているのが分かりますね。この支出の最終承認者はあなたです、トーマス枢機卿。何かご存知ですか?」

「今市井では麻酔薬が手に入り辛くなっている。有事の際に備えて備蓄しておいたのだ。何ら不思議ではない!何がおかしいと言うのだ!」

「左様でしたか。しかし、現在の備品台帳にはこの薬が載っていないようですね?大量に発注したはずの薬はどこへ?」

ハンスは畳み掛けるようにこう続けた。


「この麻酔薬は少量ですと治療の際の麻酔薬として利用できますが、用法容量を誤るとおかしな言動をするようになり、そしてまたこの薬品を求めるようになる。おや?この話は裁判でトーマス枢機卿の口から出てきた話にそっくりですね」

「そこのイカれた女がこの薬を持ち出して市場にばら撒いたのだ!」

枢機卿は勝ち誇った顔で反論した。


「では彼女が逃走してからも入り続けているこの多額かつ内容不明の仮受金は何でしょうか?」

「……」

トーマス枢機卿は押し黙った。


「まぁ人間誰しも魔が差してしまう事はありますよね。俺も商人だ。金に目が眩みそうになることは何回だってあった。一度は目を瞑りましょう」

ハンスはケレン味のある身振り手振りで観衆へと語りかける。


「さて、リーリャよ。お次の資料を配布してください」

リーリャは慣れた手つきで書類を配布する。


「こちらは王国から隣国アーセラルへの輸出品を記載した帳簿になります。さて、ここ一年で最も輸出されている品は何でしょう。枢機卿なら帳簿も見ずともご存知ですよね」

枢機卿は未だ押し黙ったままハンスを睨みつけていた。


「武具です。何故商人達は隣国へせっせと武具を運んでいるのでしょう?師匠教えて頂けませんか?」

ハンスが群衆の中へと問いかけると師匠と呼ばれた人物が前へと繰り出る。


「俺はこの国で行商を営んでいるヴォルフ=ガングだ。俺が隣国アーセラルへ武具を運んだのは、目も眩むほどの大金をやると言われたからだ」

「誰に?」

「そこに突っ立ってる枢機卿だ。まるで戦争でもするみてぇに大量に武具を運んださ。セイルンの連中は金を積まれて秘密裏に武具や文書をアーセラルへ何度も運んでいた。お陰でたんまり稼がせてもらったよ」

師匠と謳われた人物はニカっと隙間だらけの歯を見せて笑った。


「この穢れた血が……」

枢機卿は小さく舌打ちをした。


「師、ヴォルフよりアーセラルからトーマス枢機卿宛の文書も預かっておりますよ。さて、薬物で国内の混乱を誘い、有能な指揮官を消し、隣国へ武具を輸出……。これらの罪を全て彼女へと着せて得をするのは誰か。これは商人で無くても勘定できるというものです。そうですねトーマス枢機卿」

群衆の敵意は一斉にトーマス枢機卿へと集まった。


「結果は明白ですな、トーマス枢機卿。衛兵、フレイア殿の枷を外しておやりなさい。そしてトーマス枢機卿を牢へ」

裁判官の指示でトーマス枢機卿は瞬く間に拘束された。


「ククク……はっはっは!今更気がついてももう遅い。戦いの火蓋は既に切られています!雪解けの春には浄化の炎でこの王都が焼き尽くされる事でしょう。救いです。救わねばなりません。自分が守られる事しか考える脳がない、どんなに尽力しても与えられる事ばかりを望む愚かな民を、死をもってこの世から解放せねばならないのです。そして選ばれし者の正しき国を創るのです」

トーマス枢機卿は拘束されながらも狂ったように笑っていた。



「俺が遅くなったばっかりに、こんな……すみません」

ハンスはフレイアを抱き抱えて騎士本部の宿直室へと向かった。


「そんな事よりも傷は、大丈夫なのか」

フレイアはハンスが矢でいられたであろう箇所を指でなぞった。


「こんなになっても人の心配ですか?とんだお人好しだ。こんな人に悪さが出来るわけがないというのに」

ハンスは目を細めてフレイアを見つめた。


「あんたのお守りが俺を守ってくれた。それに、あんたが適切な止血をしてくれた事と、リーリャが後から合流してくれた事で、生きてあんたを守れた」

「そぉですよ!この人地味な癖に虫の息で暗がりに縮こまっていたものだから、危うく見逃すところだったんですから!」

リーリャはハンスの顔を押しのけてフレイアに話しかける。


「フッ……。やっぱり仲が良いではないか」

フレイアは二人のいつものやり取りに安心してハンスの腕の中で眠りに落ちた。


「まぁ、今回のことは助かった……」

ハンスはフレイアを起こさないように小さな声で礼を言った。


「あたしも、あなたがいなかったら先輩を助けられなかった。ありがと……」

ハンスはフレイアをベッドへ寝かせると軽く握った拳をリーリャへと向けた。


「貸し借りなし、だな」

二人はニカっと笑って拳を合わせた。

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