1話
フレイア・バーンシュタインがコギト村襲撃の宣託を教会から受けたのは昨日のことだった。コギト村は王都の南に位置する小さな村だが、往来する行商人が羽を休める旅籠の役割を担っている。放っておく訳にはいかない。
そんなこんなでフレイアはオラクル聖騎士団の先遣隊としてコギト村へやってきたという訳だ。
「襲撃があるという割にはずいぶん穏やかじゃないか」
カチャカチャと鎧の音を立てながらフレイヤは村を見て周る。
とりあえず情報を集めぬ事には何も始まらない。部下数人に指示を出し、フレイアは商人の集まる宿屋に併設されている酒場へ足を運ぶ事にした。
「かぁ〜昼間から飲む酒はうめぇなぁ!」
酒場に入ると、殊更大きな声を出して一際騒いでいる軽薄そうな男が目に入る。中肉中背で端正な顔立ちをしているが、頭の中は軽そうだ。
「大将。この男に一杯酒を。私はこの店で一番強いものを」
フレイアが男の隣に座ると男は横目でチラとこちらを見る。
「オラクル聖騎士団のお方がこの薄汚い商人風情になんの御用で?何かきな臭い話でも嗅ぎつけましたか?」
男はひょうきんに手をふらふらと振りながら言った。
「話が早いな。襲撃があると宣託が下った。最近何か変わった事はあったか?」
「見慣れた顔ぶれにお馴染みの商品達。至って平穏ですね」
男は眉を下げながら答えた。
「そうか。宣託が下った以上襲撃はある筈だ。お前、名はなんと言う?」
「申し遅れました。俺は王都と帝国を拠点に行商をしておりますハンス・ローマイヤーと申します。以後お見知り置きを」
ハンスと名乗った男は仰々しく身振り手振りをつけて自己紹介をする。
「私はオラクル聖騎士団フレイア隊隊長のフレイア・バーンシュタインだ。これから数日はこの宿で滞在する。何か動きがあったら教えて欲しい。もちろん礼はする」
フレイアは会計を済ませながら返事をした。
「フレイア隊……?フレイア隊隊長の……」
ハンスが何やらブツブツと喋りながら思考の海に落ちていったので、フレイアは一足先に酒場を後にする事にした。
「隊長。ご報告が……」
酒場を出ると、情報収集に向かわせていた部下の一人が慌ただしくフレイアの元へと近付いてくる。
「ここ数日、コギト村の厩付近でフードを被った怪しげな男が徘徊していたという情報がありました」
部下の報告によると、その怪しげな男は夜な夜な決まった時間に厩に現れて、下見をしているような様子だったと。
「では今日の夜ソイツに会いに行くとするか。いつでも厩に行けるように準備をしておけ。日が沈んだら私も行く」
フレイアはいつの間にか薄紫に色付いてきた空を見ながら言った。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇
コギト村は小さな村だ。日が沈むと周辺は真っ暗になり見通しは悪い。都内と違って街灯も無いので襲撃者が身を隠すには格好の場所とも言える。
日没が早まってきた季節だと言うのに、生ぬるく湿った風がフレイアの顔を撫でる。
音を立てない様にと皮で揃えた装備を身にまとったフレイアは、村家から漏れる光を頼りに厩の方へと歩みを進めた。
ガサッ‼︎
生垣の暗がりから、ヌッと手が飛び出してフレイアの手首が掴まれる。
(ぬかった!)
空いた方の手で剣を引き抜こうとするものの、フレイアは力任せに生垣の向こうへと引き摺り込まれた。
体勢を崩しながら生垣の向う側へ転がり出て顔を上げると、そこには昼間みた軽薄そうな男の顔があった。
「しっ!あんた命狙われてますよ」
ハンスはフレイアの口元を抑えながら声を掛ける。
「村に襲撃があったのか?ならば私は村を守らなければならない。ハンス、と言ったか。そこを退け」
フレイアがハンスを押し返しながら言うと、彼は少し呆れた顔をした。
「話聞いてました?天下の隊長様。村じゃなくてあんたが狙われてるんだ。嵌められたんですよあんた」
フレイアは怪訝な顔をしてハンスを見た。
「部下が厩の方で怪しい男を見つけた。ソイツが襲撃犯の一味かもしれん。捕まえて話を聞く。離せ」
「厩の前にあんたの部下が転がってた。首と胴体が離れた状態で。今厩を包囲するようにオラクル聖騎士団の格好をした人物が隠れてる。今すぐここを離れた方がいい」
フレイアの言葉に被せる様にハンスが捲し立てる。昼間のおちゃらけた雰囲気は無い。
「私がオラクル聖騎士団に狙われる理由がない。部下が襲われたのならばすぐ増援に向かわなければ」
フレイアは草を払いながら立ち上がり装備を整える。
「俺は行商人だから色んな街に行くが、あんたのいい噂は良く聞くよ。部下思いで丁寧な仕事をするって」
「ここ、王都以外ではね」
「王都で聞くあんたの噂はロクでも無いもんばっかだった」
「ふむ」
「プロパガンダだよ。王都はあんたを始末する準備が出来ているようだけど?」
ハンスの言葉を聞いて、フレイアは少し考え込むように黙った。
「……なるほど。ここは退いた方が良さそうだ」
「ご理解いただけたようで光栄です」
ハンスは少しおどけてみせる。
「とりあえずこの村から出た方が良いでしょうが……今は張られているでしょうね。明朝に俺の積荷に紛れて脱出しましょう」
ハンスはチラリとフレイアがやって来た方向へ目を遣る。
「宿にも戻らない方が良いでしょうね。荷物は諦めて下さい。一度俺の宿へ移動しましょう」
「巻き込んでしまってすまない。そうさせてくれ」
フレイアは少し申し訳なさそうな顔をしながらそう言った。
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太陽が山際より顔を出し始めた頃、外はフレイアを探すオラクル聖騎士団によって慌ただしく賑わっていた。
当の本人はと言うと、ワイン樽の中に身を隠して荷馬車に揺られている。
乗り心地は最悪だ。しかし命には変えられない。
「俺が良いと言うまで絶対に出てこないで下さいね。俺の為にも」
ハンスが御者台からフレイアに声をかける。
フレイアは周りの状況が見えないので返事はしなかった。
ガタガタと揺られていると突然荷馬車が動きを止めた。
どうやら村の出口に着いたらしい。
「そこのお前!行商人か?この女を見てないか?」
オラクル聖騎士団の格好をした男が二名、横柄な態度で話しかけてきた。
「昨日村に来てたフレイア隊の隊長さんですよね?酒場で話しましたが、それ以降は知りませんね。何かあったんですか?」
ハンスは飄々と答えた。
「この女は部下を殺して逃亡中のお尋ね者だ。もう隊長ではない!この女と話したと言ったな?何を話した?積荷を見せろ」
ピリと緊張した空気が走る。
ワイン樽に隠れているとはいえ、積荷には件のお尋ね者が乗っている。
「宣託について聞かれただけですよ。どうぞ」
ハンスは何事もなかったかのように振舞った。
「ふん。チーズに衣類にこの大きな樽はなんだ?」
オラクル聖騎士団が高圧的にハンスに問う。
「王都産のワインです。西では高値で取引きされているんですよ。味もクセはありますが悪く無い。なんなら味見しますか?」
嘘は言っていない。二つある樽のうちの一つは王都産ワインだ。
「そんなに言うのなら飲んでやっても良いな。どっちの蓋も開けろ。人が入れるサイズだ。中を確かめさせてもらう」
オラクル聖騎士団の太った方の一人が、下卑た笑みでハンスに指示を出す。
抜け目の無い奴だ。どちらの蓋も開けられてはまずい。
「困りますよダンナ。大きく蓋を開けちゃワインが酸化しちまう。酸化したワインを売ったとあっては商人としての信用がなくなってしまいま……」
「うるせぇ!つべこべ言わず開けろ!女の仲間として斬られてぇのか!」
ハンスが言い切るより先に細目のオラクル聖騎士団員が声を荒げた。
「失礼しました。どうぞご賞味ください」
ハンスは観念して樽の蓋を開けた。
細目の騎士が樽の中を覗き込む。
「何だ。二つともちゃんとワインじゃねぇか。とっとと開けろってんだ」
樽の中には赤の色調を帯びた紫のワインが、日の光を帯びてキラキラと揺れていた。
「一杯どうぞ」
ハンスは木尺でワインを掬って太った男に手渡す。
「確かに味は悪く無いな。もう行っていいぞ、行商人」
ワインを飲んでご機嫌になった騎士様から許可が出たので、ハンスはそそくさと荷馬車を走らせた。
「……心臓が止まるかと思いましたよ。もう出てきていいですよ」
ハンスが声を掛けると、フレイアは二重底にしてあったワイン樽の蓋を押し除けて這い出てきた。
ダバダバとワインが溢れる音がする。勿体無いが人の命には変えられない。
「巻き込んでしまった事も、ワインもすまなかった」
「別にいいですよ。あの酒場で奢ってもらった分くらいは働かないと。それに商人の勘があんたを放って置かない方がいいって告げてた。結構勘はいい方なんです」
「フッあんなに飄々と嘘を吐く奴だ。商人としても優秀だろう。その勘もあながち間違ってないのかもな」
フレイアは溢れたワインを拭き取りながら言った。
「人聞きの悪い。これでも誠実さで勝負してるんですよ。俺に嘘を吐かせた事こそ詫びて欲しいくらいです」
二人は軽口を叩きながら森の中へ入っていった。