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第1話 十年目の殺し合い

 アルヴィアが十三歳にしてたった一人、「迅雷の台地」にて鷲獅子王へ立ち向かって十年。

 メリア王国第一王女、アルヴィア・シンドラ・メリアは先日ついに、二十三歳を迎えた。


 ◇◇◇


 アルヴィアはしばらく、呼吸を止めていた。正しくは、呼吸する隙さえ、与えられていなかった。

 眼前には、夜闇の如く黒い影が瞬く間もなく猛烈な連撃を繰り出して迫ってくる。アルヴィアは十年来愛用している戦鎚〝天鎚(てんつい)ミョルニル〟で黒い影の重い攻撃を全て受け流し、続けざまに大地へとミョルニルを打ち付けた。

 すると、ミョルニルによって大地が大きく割れるのと同時に、いくつもの(いかずち)がドオン! と轟音を立ててアルヴィアを襲う黒い影に直撃したかと思われた。しかし、黒い影はいつの間にかアルヴィアから距離をとって飛び退いており、アルヴィアの周りには大地を焼いた黒焦げが点々と残されているだけであった。


 だが、微かに肉の焼ける匂いが鼻を突く。どうやらアルヴィアが操った(いかずち)が、少しは彼──「鷲獅子王」の肉体を掠めてはいたらしい。

 アルヴィアから距離をとった鷲獅子王が動く気配はない。そこでようやくアルヴィアは、止められていた呼吸を「シィ」と口の端から零し、一瞬で息を整えた。

 アルヴィアはミョルニルを構えたまま、片時も目を離さず鷲獅子王をじっと見据える。

 アルヴィアと同じように鷲獅子王も、鷲の鉤爪を持つ両腕をだらりと垂らし、腰を僅かに落とした一切の隙も見せない構えのまま、こちらを恐ろしいほど静かに見つめてきた。鷲獅子王の黒髪から覗く、琥珀色をした猛禽の眼は相も変わらず凪いでいる。


 凪いでいようとも、あの絶対的捕食者を彷彿させる猛禽の眼に睨み据えられて、正気を保てる者などそういないだろう。実際、今現在のアルヴィア自身も正気ではない。

 全身の血が沸騰し、全身の肉が踊りくるってしまいそうなほどに、ひどく興奮している。

 鷲の鉤爪に抉られた額から、頬と顎を伝って止めどなく熱い血と汗が流れ落ちる。得物を長時間振るい続けた両手は既に痺れて、感覚が無い。血を流したことと、疲労も相まって、視界は焦点が合いにくくなって、霞んできた。

 アルヴィアは手にしている天鎚ミョルニルの柄を、感覚がなくなって久しい手で強く握りしめる。


(彼の内臓には、昨日からのダメージが蓄積している……だが今日は、ミョルニルの調子が良くない。彼と殺し合い続けて、十年。とうとう()()()()()()())


 アルヴィアは本能で確信した。今日で、十年にも及んだ鷲獅子王との殺し合いの決着がつくのだと。

 ついて、しまうのだと。


「ああ……」


 そんな予感が頭を過った瞬間、反射的に決して誰にも聞かせてはならない言葉が口をついて出そうになったので、アルヴィアは言葉にならない声を漏らして何とか堪えた。

 ふと、鷲獅子王が微かに片足を引いたのが見えた。おそらく、次の一撃で全てを終わらせるつもりなのだろう。それを察したアルヴィアも無意識のうちに下半身を落として、大地を強く踏みしめると、鷲獅子王へ突撃する準備を瞬時に済ませた。


(メリアを守るには……私に残された選択肢は、二つ)


 アルヴィアは口の端から深く、細く息を吸い込む。


(私が生き残り、彼を殺す。もしくは、私が死のうとも、彼も殺す。必ず、殺す)


 刹那。アルヴィアと鷲獅子王の立っていた場所から、大地が爆発したような轟音が炸裂し、目にも留まらぬ速さで、真紅の影と漆黒の影が激突する。

 迅雷の台地一帯が、二人が激突した衝撃によって生じた凄まじい突風と土煙で荒れくるった。それから間もなく、バサリ! という途轍もなく大きな羽音が響いたかと思えば、たちまち迅雷の台地を覆っていた土煙が晴れ渡る。

 土煙を晴らしたのは、鷲獅子王の大翼だった。


 アルヴィアは右手に天鎚ミョルニルを握ったまま、仰向けに倒れ込んでいる。そして、対する鷲獅子王はアルヴィアを跨いで屈みこみ、その巨大な鷲の鉤爪の形をした片手を、アルヴィアの細い首に喰い込ませていた。

 このまま鷲獅子王が思い切りその手に力を込めれば、アルヴィアの首は容易く飛ぶ。

 アルヴィアはまさに絶体絶命の、死の淵にあった。


「ふふ……今日は、完敗かな」


 アルヴィアは仄かに笑みを浮かべて、小さく呟く。


(でも、ただで殺されるわけにはいかない)


 アルヴィアは鷲獅子王を前にして、どれだけすぐそこに避けようがない己の死が迫っていようとも、絶望することはない。

 何故なら、絶望よりも遥かに勝る、熱くて、今にも全身が爆ぜてしまいそうな激情が、アルヴィアの魂と肉体を、いっぱいに占めているからだ。

 アルヴィアは未だに鷲獅子王から片時も目を離すことなく、右手にある天鎚ミョルニルを強く握り直す。


「きみを、殺したい」


 思わずアルヴィアは、この十年抱いてきたどうしようもない激情を、反射的に口から零していた。

 長年抱き続けたこの激情を、想いを──()()()()()()()を、彼に知られようが知られまいが、とにかく言葉として形にして、確実に生きている内にどうしても伝えたかったのかもしれない。


 それを耳にしたのであろう鷲獅子王が一瞬、鋭い猛禽の眼を微かに見開いた。彫刻のように微動だにしないはずの鷲獅子王の表情が微かに動いたのを見逃さなかったアルヴィアも、釣られて目を丸くする。すると、不意に上から声が降ってきた。


「そうか」


 恐ろしいほど抑揚の無い、無機質で低い声だった。

 アルヴィアは己の目と耳を疑わずにはいられない。その無機質な男の声は、紛れもなく、アルヴィアを見下ろしている鷲獅子王の口から発せられたものだったからだ。

 目の前にいるのは、この十年間、数え切れないほどアルヴィアが話しかけてみても、一度たりとも反応などしなかった鷲獅子王であるはずだというのに。

 出逢って十年目にして、初めて聴いた鷲獅子王の声に啞然としているアルヴィアに、鷲獅子王は相変わらずの無表情のまま、続けて淡々と話しかけてきた。


「この十年。おまえとの殺し合いは、存外悪くなかった。故に、おまえに選択する機会をやる」


 夜闇よりも濃い色の黒髪から覗く、生気を感じない琥珀の瞳と目が合った。


「おれと婚約しろ。アルヴィア・シンドラ・メリア」


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