第13話 鷲獅子王と兄弟王子の謀
レーニエに背中を擦って貰ったおかげか、少し落ち着いてきた心音に、シヴは密かに息を吐きながら少し俯かせていた上体を上げる。ベルトランがほっとしたように鼻から息を漏らすと、どこか気まずそうな顔でシヴの肩をぽんと叩いた。
「通りで姉上があそこまで心配するわけだ……てめぇ、シヴ。難儀な身体してんな……あんまり辛いようだったら、薬を処方してやるから。いつでも言え?」
「すまない。助かる、ベルトラン」
「なんか俺も、謎の罪悪感湧いてきちゃったじゃん……あ、そうだ」
ふと、何故か曇り顔をしていたレーニエが打って変わって、何かを思いついたかのようにぽんと手を叩くと、シヴに人好きする笑みを向けてきた。
「シヴ。お前の病はおそらく、慣れで多少は症状が軽くなる。そのために、俺がアルヴィアの婚約者としての作法を教えてやるよ」
「!」
「婚約者としてアルヴィアともっと近い距離で接していけば、病の症状もちっとは軽くなるはずだと俺は見た!」
思ってもみないレーニエからの提案に、シヴは一つ瞬きをするが、すぐに首傾げて見せた。
「おれとしては有り難い申し出だが。おまえはそれでいいのか? レーニエ。おまえは、アルヴィアを好いているんだろう?」
「ああ、好きだぜ? だが、今はシヴがアルヴィアの婚約者だ。そうなれば、近いうちに他の王族やメリアの民、色んな人間にお前という婚約者の存在を公にしなくちゃいけなくなる。アルヴィアが、逃れられないそういう立場にあるからな。俺の大好きなアルヴィアがなめられないためにも、婚約者のシヴにはしっかりしてもらわねぇと。そのついでに病も多少改善できたら、お得だろ?」
レーニエが得意げな顔をして、にかりと明るく笑って見せる。
レーニエという男は、己が心の底から好いているアルヴィアという女のためなら、己の気持ちも何もかもを容易く後回しにして、彼女のために尽くすことができる男なのだと。しかもついでと言って、好いている女の婚約者であるシヴにまでお節介を焼ける、器の大きい男なのだと。シヴは、レーニエの人柄を思い知った。
(おれは婚約者でありながら、人間のアルヴィアに恋などしていないというのに。それどころか──殺し合いたいなどと。恋やら愛なんてものとは程遠い。むしろ正反対の激情に突き動かされて、アルヴィアと婚約したというのに。本当にこれは、笑えん話だ)
無意識のうちに、シヴは己の心臓あたりに片手を当てると、血が滲むほど強く爪を立てていた。
苦々しいような。えも言えぬ感情が湧き出てきて思いがけず固まっているシヴに、眉間に皺を寄せたままではあるが、ベルトランもレーニエに賛同して力強く頷いて見せる。
「そうだな。兄上の脳みそと口は品性の欠片も無ぇが、教養だけはしっかりしている。兄上のそこだけはギリギリ信頼できるから、俺も賛成だ。病の改善と共に、姉上の婚約者らしく振舞えるようになれ、シヴ」
「ちょっと~? 前半あまりにも酷い言い草過ぎねぇ? 兄上悲し~」
ベルトランとレーニエ。アルヴィアの兄弟であるからだろうか。この二人の男も、アルヴィアと同じく、共にいると不思議な感覚になる人間だと、シヴは密かに思った。
(いつか、ベルトランとレーニエも殺す時が来たならば──その時は、一思いに殺してしまおう。頸を刎ねるのがいいか)
こんな時でも魂の深奥でシヴは、人間への殺戮衝動に駆られて、婚約者の兄弟たちの殺し方などを考えている。それが酷く滑稽に思えて、さっきまで高鳴ってうるさかったはずの胸に、ぽっかりと洞が開いているような気がした。
「そんで、シヴ。どうする? 俺のメリア流婚約者講座、受けてみるか?」
不意に、物思いにふけっていたシヴの肩を、眩しい笑みを浮かべたレーニエが叩いた。シヴは咄嗟に我に返って、小さく息を呑む。
(だが、決めているんだ……おれは。何があろうと、何をしようと、傲慢な愚者に成り下がろうとも、アルヴィアの事だけは譲れないと──今更逃してやることなど、到底できないのだと。きっと、決まっていたんだ。十年前、彼女と出逢ってしまった瞬間から。何もかもが)
シヴはすっと静かに呼吸を整えて、隣にいるレーニエと、腕を組んでこちらを見下ろすベルトランを見回して、強く頷いた。
「受ける。よろしく頼む。レーニエ、ベルトラン」
「おう……って、俺も入ってんのか!?」
「ははは! いいじゃねぇの。ベルトランも兄上と一緒に先生やろうぜ」
こうして、アルヴィアの知らぬところで、兄弟と婚約者の男たちによる密やかな交流が始まったのだった。
シヴは、己のすぐそばで楽しげに談笑する婚約者の兄弟たちの姿を一瞥し、密かに目を伏せる。
(……同胞たちよ。いつか必ずおれは、おまえたちから罰を受ける。己の犯した罪の報いを全て受け入れる。ゆえに、もう一時だけ時間をくれ。おれは、この数百年の生で初めて出逢った──『致命的なまでに、おれと同じ形をした魂』をその身に宿す彼女と、どうしても殺し合いたいんだ。醜くて、憎らしくて堪らない、この最悪な世界で生き永らえてでも)
シヴの独り勝手な懺悔は、ぽっかりと洞が開いたような胸の内で、虚しくこだましていた。
(とっとと全人類殲滅を終わらせ、一刻も早くおまえたちへと報いて……地獄の底で死なねばならないというのに。クソったれな生であろうと、おれはまだ、もう少しだけ──アルヴィアという人間を、傍で見ていたい)