見慣れない部屋
その日は休日だった。
学校が休みということ以外は、いつも通りの普通の日で、なんということのない朝を迎えた。
お母さんが朝ごはんを用意して、「ご飯よ―」という声だけが聞こえてくる朝。
私はまだまだ眠っていたくて、「はーい」と返事だけをして再び眠りに就こうとしたら、窓からあまりにも強い光を感じたものだから、布団から抜け出し、目を擦りながら何だろう……と思って、カーテンを開けた次の瞬間―――――
◯
「キャアアアアアア!!」
絶叫と共にユイが飛び起きたのは翌朝のことだった。
ひどい夢を見た。
呼吸が乱れる。
乱れた呼吸を整えようとする中で、不可解な事実に気付いた。
「どこ、ここ……?」
ユイは辺りを見回す。
誰かの部屋のようだが、床から天井に至るまで、白と黒のモノトーンで統一されており、置かれている物は少なめで、例えるのなら、高級ホテルのような内装をしていた。
「あ、ふかふか……」
自身が寝ていたベッドを手で押し込むユイ。
こんなベッドで寝たのは人生で初めてかも知れない。
寝心地はきっと良かったに違いないが、最悪の悪夢を見てしまったために打ち消されてしまった。
「いやいや、それどころじゃない……ここが何なのかを確かめないと……」とベッドから降りようとしたその直後、部屋のドアが勢いよく開かれる。
「ユイ、大丈夫!?」と駆け込んできた女性。
その女性の姿を見て、瞬時に昨日のことが脳内を目まぐるしく駆け巡る。
「キョウコさん!!」
ユイはそう言って、気付いたときにはもう飛びついていた。
キョウコはそんなユイを優しく抱きしめる。
「あ、ごめんなさい……。これ、2回目ですね……」と自嘲しながらキョウコから離れるが、キョウコは満更でもない様子で返答する。
「いいのよ、気にしないで。……だけど、何があったの?」
「ひどい夢を見てしまったので……」
「そういうことね……」
キョウコはユイの暗い表情を見てそれ以上は追求しなかった。
悪夢を思い出させるような真似はしたくなかったのだ。
その代わりに、彼女をある場所に連れて行こうと考えていた。
本当なら、昨日の時点で連れて行くつもりだったのだが、生憎、スヤスヤと気持ちよさそうに眠っていたためそのまま寝かせていたのだ。
「だけど、ちょうど良かったわ。私に付いてきて」と廊下を歩き出すキョウコ。
そして、「あ、はい」とその後に続くユイ。
後に続いて屋敷を歩いていくと、キョウコは、とある部屋の中に入っていった。
そこには金の蛇口に柔らかなカーブを描いた白い陶磁器の洗面台が。
そこは脱衣所であり、つまるところ、彼女が連れて行こうとしていた場所、それは――――
キョウコは上着を脱ぎながら言った。
「さあ、お風呂の時間よ」
「お、お風呂ー!?」
ユイにとっては、久方ぶりになる入浴だった。
○
バスタオルを身体に巻いたキョウコが、風呂場の椅子に座るユイの頭を優しく洗っていた。
「大丈夫? 痛くない?」
泡まみれのユイが答える。
「加減がちょうど良くて気持ち良いです……」
「そう、それなら良かったわ」
その後、シャワーをかけて泡を落とすと、ユイが本来持っていた綺麗な黒髪が姿を表した。
「やっぱり、綺麗な髪ね……」
どことなく物憂げな表情でキョウコは言った。
「そんなとんでもないです……」
「私の妹も綺麗な髪をしていてね、よく三つ編みにしていたわ」
「え、妹さんがいたのですか?」
その事実に思わず聞き返すユイ。
「ええ、昔ね……」と返答したが、その悲しげな表情からユイは察してしまった。
そして、次いで出た言葉。
「ごめんなさい……」
「謝る必要はないのよ……? あなたも1年前のあの事故で辛い経験をしたでしょうから」
「あの事故……」
ユイは確信した。
あの日にキョウコも同じように大切な人を亡くしてしまっていることを。
「……」
2人の間に、沈黙が流れる。
シャワーから流れ出る水の音が鮮明に聞こえた。
その最中、突然、ユイの顔にシャワーがかけられる。
「あばぶぶぶぶ!?」と一瞬、何が起こったのか理解できずに慌てて顔を左右に振るユイ。
そんなユイを上から見ながら、
「あ、大変ダー。ユイの顔にシャワーをかけずにはいられない呪いにかかってしまったワー」などと言って、なおもシャワーを浴びせ続けるキョウコ。
「そんなことあるわけないでしょ!」とユイは立ち上がるとシャワーを奪い取って、お返しと言わんばかりにキョウコの顔面目がけてそれを浴びせかける。
「ごめん、ごめん、やりすぎた!」と言いつつ、円形のバスタブに向かって逃げ始めた。
「待て―! 逃がすかー!」と言いながらもシャワーの栓をしっかり締めて、キョウコを追う。
ユイの目に映るのは人一人飛び込んだところでなんてことなさそうな大きさのバスタブ。
そして、その中で一足先にお湯に浸かってすっかりリラックスモードのキョウコの姿。
今のところ、水面には僅かな波が立っているのみであった。
ユイの中にある考えが浮かんだ。
ユイは迷わずに助走をつけて勢いよく飛び込むと大きな波が立ち上がり、案の定、それはキョウコに降り掛かった。
濡れた顔を拭きながらキョウコはどことなく楽しげに言った。
「やったわね!」
「始めたのはキョウコさんの方ですよ!」とユイも乗り気であった。
嵐の前の静けさか。
2人の間に、しばらく、沈黙が流れると――――
風呂場であるから、濡れても問題はないというのも原因の一つなのだろうが、その後、二人によるお湯の掛け合いが始まったのは語るまでもない。