苦悩
キョウコが制止を振り切って、奥の方へと姿を消してしまった時、女執事は苦悩していた。
(キョウコお嬢様に万が一のことがあれば、旦那様になんと言えば……、かといってこのまま付いて行ってしまってはキョウコ様直々にお叱りを受けてしまうことになる……嗚呼、自分はどうすれば……!)
そう悩みながら洋服店周辺をウロウロしていると、キョウコが向かった先から銃声が。
女執事の脳内に広がる真っ赤な光景、みるみるうちに血の気は引いていく。
「いやいや、ただの気のせいだろう」
そう言って、自分を持ち直す。
この街は治安が悪い。
銃声の1つや2つ、聞こえたって何らおかしくはないはず。
たまたま、同じ方向というだけでキョウコ様とは何ら無関係のはずだ。
そうだ、そうだ、そうに違いないと自分に言い聞かせるが、やっぱり大変なことになってしまったのではという不安が急加速して追い抜いていく。
でも、そうだとして自分が行って何になるというのか……むしろ、命からがら逃げてきたキョウコ様の足手まといになるのでは……?
逃げる時には誰かと一緒にいるよりも1人の方が逃げやすいはずだ。
だったら、そうだ、車だ。
逃げてきたキョウコ様を拾っていけるように、すぐ近くに停車しておこう、そうしようと意気揚々と車の方へと向かおうとしたその矢先。
誰もいないはずの洋服店から物音が。
不審に思い、恐る恐るその正体を見定めようとする女執事の想像の中で生まれた仮説。
(まさか、たった今、殺されてしまったお嬢様の亡霊なんじゃ……)
ないない、さすがにそれはないと笑い飛ばしながら、洋服店の表へと向かうと、いるはずのないキョウコの姿。
"いるはずのないお嬢様が何故か目の前にいる"
目の前に起こった現実に、一瞬でパニックになる女執事。
仮説が真説となった瞬間でもあった。
○
執事の反応に面食らうキョウコとユイ。
「何を許せば良いのかさっぱり、分からないけれど、とにかく車に向かうわよ」
「死んだんじゃ……?」
キョウコは呆れて言う。
「どうして、死んだことになっているのよ……」
「ああ、良かった……。あれ、でも、どうやって、ここに?」
「その話は後でするから、今はとにかくこの場から逃げないと――――」
キョウコが言い終わる前に、別の何者かの足音が耳に入った。
まだ、距離は近くはない。
おそらく、これは正真正銘、追手によるものだ。
「急いで! 車に向かうのよ!」と言いながら、キョウコはユイの手を取りながら、少し離れた位置に見える車の元へと駆け出していた。
その緊迫した様子に、「死んでいなくてよかった……」と安堵していた執事も慌てて車の方へと走り出した。
一番最初に車に到着したのはキョウコだった。
だが、車には乗れない。
キョウコは車の鍵を持ってはいなかった。
「ミスったわ……。鍵を先にもらっておくべきだったわね……」と苦い表情をするキョウコだったが、ユイがおもむろにドアに手をかけると、なんとドアが開いてしまった。
「なんで開いているの……?」
「どうしてでしょう……?」
顔を見合わせる二人の間に一瞬、ハテナマークが上がるが、開いたのなら乗り込むべきだ。
キョウコはユイを後部座席に乗せると、自身は運転席に乗り込んだ。
そこで、何故、鍵が掛かっていなかったのかを理解した。
挿しっぱのエンジンキーがそこに見えた。
「……鍵差しっぱなしだったのね……まあ、そのおかげで――――」
執事の不用心さに呆れつつも、状況的にはむしろ好都合。
挿しっぱなしの鍵を回し、エンジンを点火。
力強い動作音が鳴り響く。
いつでも車は発進出来る状態にあるが、執事がえっちらおっちら走って来ているのを確認。
キョウコは"待つ"よりも"迎え"に行くほうが早いと考え、車を急速発進させ、慣れたハンドル捌きで執事の前に車を停車した。
「あ、キョウコお嬢様、運転は私が……」と窓越しに訴える執事。
運転席のパワーウインドウを開けながら、「そんな暇はない! 早く助手席に乗って!」と一蹴した。
その迫力に大慌てで乗り込む。
そして、すぐさま、車を発進させた――――
その刹那、後方からマシンガンの音が。
あとコンマ1秒でも遅れていたら、車もろとも蜂の巣となっていたことであろう。
「わぁー!! 撃ってきてますよぉー!!」とどことなく楽しげな執事。
「危機一髪とはこの事ね……。あと、ベロニカ、あなたうっさい」と助手席に座る執事に対して苦言を呈するキョウコ。
その間、ユイは追っ手が来ないか、自主的に後ろを警戒していたのだが、案の定、高速で近づく黒塗りの車の存在が。
「キョウコさん……、もしかすると、アレ、追ってきていますね……」
「しつこいわね……」
そう言いながら、キョウコがバックミラーを一瞥すると、まだ距離はあるがたしかに黒塗りの車が近付いて来るのを確認した。
今はまだ距離はあるが、あのスピードだといずれ追いつかれるのは自明の理であった。
こっちも速度を上げるべきか否か、どっちにしたってどこかで巻かないと……とキョウコが考えを巡らせている最中――――
後方から数発の銃声が。
そして『バリッ』という鋭い音が車内に響き渡った。