急変
「残念、ハッタリよ。こんなこと本当にナノマシンの治療を受けた者だったらすぐに嘘だと気づくわ。少しでも疑問に感じた貴方はつまり――――」
「こいつはやられた、カマにかけるのもうまいわけか」
少しの沈黙の後、ジンは話を始めた。
「あの大事故の後、しばらくして政府はナノマシンをこの地に届けた。だが、問題はその後だ」
「何かあったのね」
「ああ、簡単に言うと略奪が起こった」
「略奪ですって……?」
「政府の目を盗んでの略奪。もとより力の弱い者から奪い取るという外道の行いだ。奪い取ったら口封じのために殺され証拠隠滅のために燃やされた」
「何よそれ……」
キョウコは信じられないといった様子で口を手で押さえた。
「ナノマシンは高価だ。それを売れば大金になる。だけど、普通の倫理観ではそこまではやらない。でも、この街ではどうもたがが外れてしまっているように思えるんだ」
その後に胸を撫で下ろすようにユイが話した。
「あの時、ジンさんに助けてもらえなければ、私はきっと――――」
ジンが助けていなければ、ユイはこの場にいない。
彼が助けてくれたことに心のなかで感謝しつつ、キョウコはある事に気付いた。
「待って、つまり――――」
そう、もしかすると、ユイもナノマシンによる治療を受けていないのではないか。
だとするなら、一刻でも早く治療を受けさせなければならない。
「ユイはまだ、治療を受けていない?」
「それは大丈夫です。ジンさんがくれましたから……」
治療を受けていないジンと、ナノマシンを奪われたにも関わらず治療を終えたユイ。
それはつまり、ジンがナノマシンをユイに分け与えたという事実に他ならない。
その自己犠牲の精神にキョウコは目を瞠った。
「貴方、自分のことを犠牲にして……」
「いや、いいんだ、俺のことは」
「だったら、私の屋敷に来なさい。ナノマシンぐらいすぐに用意して……」
一般市民からすれば高価なナノマシンもキョウコからすれば気軽に買える代物であった。
つまるところ、キョウコは上流階級の生まれであった。
だが、ジンはその善意にかぶりを振った。
「すまないが、俺はこの街から出ることが出来ない」
「でもさっき、貴方、新天地を見つけるって――――」
キョウコの追求の傍らで、車が止まる音が聞こえた。
音からしてこの家の前だろう。
「……まずいな、外部の人間と少し喋りすぎたかもしれない」
「え?」
「ここなら大丈夫だと思っていたんだが、やはり、この街はやはり信用ならないな、どこに耳があるか分からん」
「何を言って――――」
「ここから逃げろ、連中は俺がなんとかする」
「状況が掴めないわ、何が起こっているの? 説明するべきよ」と事情を話すように求めるキョウコを尻目に、ジンはせっせと空の本棚をどかすと、奥にもう一つ部屋があるのが分かった。
「隠し部屋……」とキョウコはぽつりと零した。
「一言だけ言うと、この街は危険なんだ。とても大きな力が働いている。だからこそ、アンタには感謝している……。ユイをこんな街から連れ出してくれることにな」
キョウコは理解した。
自分たちは今、大きな陰謀に巻き込まれようとしていると。
彼の思い、ユイを守るためには――――
「……分かったわ。貴方のことは忘れない……。そして、重ねてお礼を言います。ユイを今まで守ってくれてありがとう」
「ああ、あと、ここにはもう二度と来てはダメだ」
ジンは釘をさした。
「ジンさん、死なないでね……?」と心配で消え入りそうな声で言ったユイ。
この声に「ああ、大丈夫だ。死ぬつもりはない、絶対にな」と安心させるように満面の笑みで答えた。
荒々しい複数の足音がキョウコ達のいる部屋にさし迫る。
「急げ、もう、すぐ側まで来ている」
ジンは玄関に通じる入り口のドアの前に立ち、聞き耳を立てている。
「こっちです」
そう言って、奥の部屋へと入っていくユイ。
キョウコが中に入るやいなや、ジンが再び、入り口を本棚で塞ぎカモフラージュがなされた。
途端に真っ暗になるが、すぐさま、明かりが灯る。
ユイは、電池が切れかかっているのだろうか、淡い光を放つ懐中電灯を手にしていた。
「この先が外に繋がっているのです」と言って照らす先には、地下へと続く石造りの階段が伸びていた。
「踏み外さないように気を付けて……」
ユイが階段を降り始めると、背後から懐中電灯よりももっと強い光が。
「私が後ろから照らすわ」
その光は、キョウコが所持していた携帯型端末から発せられていた。
辺りが一段と明るくなる。
「懐中電灯いりませんでしたね……」
ユイはその光の強さに、自嘲気味に言った。
表情は伺えないが、その口調からして落ち込んでいることは間違いない。
キョウコは後ろから声を掛ける。
「そんなことはないわ。私がたまたま持ってきていただけの話だから。もし、忘れていたら真っ暗闇の中を歩くことになっていたもの」
そう言って彼女を励ました。
「そうです、ね……」と若干むず痒くなる思いを抑えてユイは答えた。
やがて、2人は階段を降りると、そこにはひたすらにまっすぐな一直線の道があった。