出会い
とある街の一角に、大きな屋敷がある。
庭の木々は綺麗に手入れをされ、その中央には水瓶を抱えるニンフを模した噴水があった。
その屋敷の中、書斎にて、一人の女が椅子に腰かけている。
女は物憂げな表情で視線の先にあるショーケースに飾られた赤いハイヒールを見つめていた。
その赤いハイヒールは2足あり、若干、色味が異なっている。
そんな折、ノックが鳴る。
「失礼致します。キョウコお嬢様、新しい使用人が到着されました。お通ししてもよろしいでしょうか?」
「ええ、構わないわ」
キョウコはふとカレンダーに視線を移した。
10月6日。
「早いものね――――」
キョウコは過去を回想し始めていた。
それは今から3年前の出来事であった。
◯
廃墟と化した街の沿道を一台の車が走っている。
黒いスーツを来た女執事が運転する車の後部座席にて、つば広の帽子をかぶった長髪の女、水鏡キョウコがぼんやりと廃墟となった街を眺めていた。
「……いるはずがないのに、ね――――」
キョウコは自嘲気味に嘆いた。
彼女の世界は白黒であった。
そう、妹を亡くしたあの日から。
1年前、キョウコには妹がいた。
素直で頑張り屋で助けを求める人には手を差し伸べる事の出来る心優しい人柄であった。
妹は"その日"、街へ買い物に行く予定だと言っていた。
「何を買いに行くの?」とキョウコが聞くが、妹は「ひーみつ!」とだけ言って家を飛び出していった。
だが、女には何を買いに行ったのか粗方、予想がついていた。
まず、妹は隠し事をするような人間ではない。
数日前に本を借りようと妹の部屋に入った時にカレンダーの10月6日の欄に『お姉ちゃんの誕生日!!』とこれでもかというほど強調されていたのだ。
今日は1週間前だから、そのプレゼントを買いに行ったのだと予想が付いた。
だから、問い返そうとせずに、そのまま送り出した。
だが、贈り物はおろか、妹さえ帰ってくることはなかったのだ。
ある街で大規模な爆発事故が起こった。
原因は街の電力を支えるエネルギーの暴走。
街は一日にして廃墟と化した。
その街は妹が買い物に向かった場所でもあった。
その日から、妹の姿を見てはいない。
そして、今に至る。
キョウコは分かっていた。
妹はもう死んでいるのだと。
帰ってこないのだと。
それでも、この廃墟となった街を通り過ぎる時、目を向けずにはいられなかった。
それがどんなに愚かな行為であるとしても――――
一瞬、彼女の世界の一角に色が付いた。
「――――止めてっ!」
その途端、キョウコはけたたましく叫ぶ。
驚きのあまり、運転手はその場に車を止めた。
車が停まると、ヒールであることも厭わずキョウコは全力で駆け出していた。
息を切らしながら向かった先はとある洋服店。
あの事故がなければ、今でも、さぞ綺羅びやかな衣服や装飾品を売っていたのであろう。
今では砕け散ったショーウインドウと古ぼけた衣服が辺りに散在しているのみだ。
――――ただ一点を除いて。
少女がいた。
14歳ほどの少女だ。
服は煤けており、髪もボサボサである。
その少女が立ち尽くす前にはくすんだ色合いの赤いハイヒールが置かれていた。
爆発の衝撃をものともせず、略奪に遇うこともなく、いつか誰かに履かれるその日を待ちわびているかのようにそこにあった。
その少女は辺りを見渡し、おもむろにそのヒールに足を入れた。
少女にとってそれは些細な喜びであったのだろう。
その顔には笑みが浮かんでいる。
そんな少女の耳に、カツカツカツ……カツカツカツ……とヒールの足音が。
少女は何者かが近づいて来るのを察知して、「逃げなきゃ……」と急いで元の靴に履き直して、その場を後にしようとした。
だが、少し逃げるのが遅かった。
自身に何者かの陰が差していく。
恐る恐る顔を上げると、そこには綺麗な女性が佇んでいた。
目があったかと思うと、少女は抱きしめられてしまった。
突然の出来事に状況を理解できずに困惑する少女。
少女を抱きしめた女。
それはキョウコだった。
キョウコは思った。
――――ユイに似ている……と。
ユイとは彼女の妹だ。
その少女の姿は、あの日亡くした妹を彷彿とさせた。
砕けた鏡のガラス片が2人の姿を映し出す。
そして、そこに入り込むもうひとりの姿。
「……キョウコお嬢様、その娘は灰被りでございますよ!」
遅れて追いかけて来た執事が青ざめた顔をしながら言った。
"灰被り"とは差別用語だ。
あの大事故から、程無くしてこの街一帯に"灰のようなもの"が降り注いだ。
それは生き残った者に降りかかり、程なくして一人また一人と倒れていった。
政府から配布されたナノマシンカプセル剤が投与されるまでの間に多くの者が何の予兆もなく倒れていった。
この出来事が原因となり、誰かが言った。
――――灰被りは死を伝染させると。
後の調査により、伝染するようなものではないことは判明していた。
だが、人の恐怖心や猜疑心は留まるところを知らない。
一度、広がってしまえば簡単には収まらない。
これはある種の社会問題と化していた。
今では心ある人々の活動によってその誤解は氷解しつつあるが、一方で、未だに灰被りと罵る者も多数存在した。