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あなたが住んでいる南青山のマンションに一晩泊めてください

作者: 富田鳩作

 ブランド店が並ぶ南青山の骨董通りは、東京でも有数のスポットだ。多くの日本人は特別な気分でここへ来るだろう。

 しかし俺は違う。

 俺にとって南青山を歩くことは日常のひとコマにすぎない。

 表参道駅から徒歩五分の所に、IT社長である俺のマンションはある。その事実がいつも俺の心を落ち着かせる。

 だが、その日は少し違った。 

 自宅マンションの敷地前だった。

「あの、ちょっとすみません」

 ふいに見知らぬ男から声をかけられた。

 俺は足を止めた。 

 セットされた髪に仕立てのよいジャケットを着た、二十代後半の男だった。

 ちらりと腕時計に目をやると、パネライだった。価格帯は百万円前後といったところか。

「このマンションはあなたの家ですよね」

 男はそう聞いた。

 俺は返事をしなかった。

「もしよろしければ一晩泊めてもらえませんか」

「え?」

 一瞬耳を疑う。

 男は作り笑顔で続けた。

「私、以前から南青山のマンションに憧れていたんですよ。この街の洗練された雰囲気が好きで。一泊だけでいいので。お願いします」

 こいつは一体何を言っているのだろうか。

 マンションの部屋で俺の帰りを待っている、妻と子供の顔が浮かんだ。

「お願いします。一晩あなたの家に泊めてください」

 男は今度は少し寂しげな表情で繰り返した。

「それ以上近づいたら警察を呼ぶよ」

 俺は毅然とそう告げた。

 そして懇願する男を振り払うように、オートロックの内部に逃げ込んだ。

 エレベーターで八階の部屋に上がった。

 ベランダから下を見ると、門の外にまだあの男がいた。

 彼は先程と同様、帰宅してくるこのマンションの住人に、次々に声をかけている。おそらく俺に言ったことと同じことを、他の住人にも頼んでいるのだろう。

 その様子をしばし眺めていた。

 あの若い男は金は持っているはずだ。そんなに南青山に泊まりたいのなら、近隣のホテルはいくらでもある。

 なぜわざわざ初対面の民間人に声をかけているのだろうか?


 一つの仮説が頭に浮かんだ。


 男に直接聞いて確かめたい。

 好奇心に勝てず、俺はエレベーターで再び地上に降りた。

「あ、先ほどの」

 男は俺に気付くと笑顔を浮かべた。

「泊めることはできません。ただ、どうしても聞きたいことがあって戻ってきました。あなたはなぜ、南青山のマンションに泊まりたいんですか?」

 俺はストレートに尋ねた。

 男は下を向いた。

「もしかして、あなたは、地方出身の方ですか? 例えば、自然豊かな農村とか」

 俺の言葉に、男ははっと顔を上げた。

 そして、ゆっくりとうなずいた。

 やはりそうだったのか。

「はい。おっしゃる通り、私は福島県の山間部の出身です」

 男は話し始めた。

「私が生まれ育った場所は、夏には蛍が舞い、冬は雪で閉ざされる、原生林に囲まれたのどかな村です。実家は農家で、家族五人で協力し慎ましやかに生活していました。まだ私が小学生の頃でした。ある夜、ご飯を食べていたら、玄関の扉を叩く音がしました。東京からアポなしでやってきたまったく知らない人でした。そのバックパックの男は言いました。『すみませんが一晩泊めてくれませんか。農作業や皿洗いを手伝いますから』明らかに、田舎に泊まろう、というテレビ番組に影響されたと思われる若者でした。対応した父は当然断りました。若者は、『田舎の人って、意外と冷たいんだなあ』という捨て台詞を残して去っていきました。私はその夜、怖くて眠れませんでした。もしかしたらさっきの男が、腹いせに火をつけるんじゃないかと思ったからです。全く知らない赤の他人が突然訪ねてきて、一晩あなたの家に泊めてくださいと言う恐怖。その恐怖に田舎も都会も関係あるでしょうか」

 男は語った。

「私は高校卒業後、東京の大学に進学しました。そして、都心で生まれ育った友人に聞いてみました。田舎に泊まろうというテレビの企画についてどう思うか、と。すると予想通り、『やっぱり田舎の人は優しいから旅人を泊めてくれる』とか『人と人とのぬくもりが地方には残っている。都会の人が失ってしまった心のふれあいを、大切にしていかなければならない』といった答えが返ってきたんです。私は、テレビ番組の影響力は予想以上に大きいことを痛感しました。そういった風潮に一石を投じるため、今回このような行動に出た次第であります」


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