3 お茶会に参加する
チェシャと別れてからしばらく森を歩いてアリスは呟いた。
「おかしいわ」
この先にアリスと同じ人がいるというのだ。
果たしてそれは本当かわからない。
他に行く宛てもなかったのだから行ってみるしかない。
それにしてもこの森は変わってる。
今まで見たことのない植物が見られる。
途中の道の脇に絨毯のように密集して咲く青紫色の花を見た。
「今は秋よ。ブルーベルがこんな風に咲くのは春なのに」
他にも秋には見られない雑草が目に留まる。
先ほどの道では変な色と柄のきのこが生えており、それを椅子にしてくつろぐ虫がいたりもした。
いも虫のようにみえてはじめはびびったが話してみると意外に人間らしい一面をみせてくる。
アリスがこの世界の人間じゃないと知ると興味津々にいろいろ聞いてきた。
「ということは君は………」
虫はじぃっとアリスを見つめた。
「な、なに?」
「いや、多分ただの巻き込まれかな。あの白うさぎも困ったものだ」
そう言っていも虫は「今日は良い天気だね」とか「白の魔女とハートの女王には気をつけるんだよ」とかどうでも良いことや意味深ことを言ってお昼寝を始めてしまった。
いも虫に放置されたアリスは仕方ないとチェシャが言っていた場所へ急ぐことにした。
森を歩き続け、目の前に人影が見えた気がした。
あの猫の言う通り本当にアリスと同じ人がいるのだろう。
アリスは急いでその方向へと走った。
その先にあったものは森の中に長いテーブルと椅子。
そして、お茶のセット。
森の中なのに大きな古時計がおかれ、時間を示している。
今は四時前数分を示していた。
アリスはあたりを見回すが、ここに人の姿はないのに肩を落とす。
「おかしいわね。誰かいたような気がしたのに」
「そこのお前」
アリスは驚いて後ろへ振り向こうとしたができなかった。
背中に棒のようなものをつきつけられ、アリスはびくりと跳ねた。
「お前は何だ?」
「な……何と言われても」
後ろからかけられる声は随分冷たいもので内心怯えてしまう。
声からして若い男の声である。
後ろを振り向こうとすれば背中を杖で強く押し付けられる。
「何故ここに来れた」
「お、教えてくれたのよっ。人がここにいるって」
男は怪訝そうにアリスへの尋問を続けた。
「誰に?」
「ね、猫よ。喋る猫」
「チェシャか」
あの気まぐれ猫めと男は杖を戻した。アリスはくるりと男の方へ振り向いた。
紳士服をぴちと着込み、青い薔薇のついたシルクハットを身に着けた男であった。
見たところ歳は二十代くらいの男、漆黒の髪に燃えるような紅い瞳を持つアリスと同じ人の姿である。
不愛想であるが、顔立ちが整っていて「良い男」とつい心の中で呟いてしまう。
だが、初対面の淑女を杖で牽制するような男であるとアリスはすぐに首を横に振った。
名を聞くにはまず自分から名乗ろうとアリスは自分の名を伝えた。
「私はアリスよ」
「アリス」
男は少し驚いた表情でアリスを見つめた。
「あなたは誰?」
「俺を知らないのか?」
男は意外そうに言う。
何故、初対面の男を知っているのだと思われたのだろうか。
そんなに有名な人なのだろうか。
「ええ、知らないわ。私は見ての通りただの普通の学生よ。登校中、変なうさぎにこんな変なところに連れて来られて大変な目に遭ってるの」
アリスははぁとため息をついてここまでの道のりを思い出した。
「喋る猫に喋る虫、この森は何なの。そ、そういえばあなたはちゃんと人、なのよね?」
男は紅い瞳でアリスを上から下まで見つめる。
「見たところ、普通の娘のようだな」
男は質問に答えず、アリスの第一印象を述べた。
「そ、そうよ。ちゃんと見なくても普通の学生よ」
「もっとでかかったような」
男はぼそっと言う。
その言葉に首を傾げたアリスははっとして胸を隠してどこみてんのと叫んだ。
男はアリスの言動に少しむっとしたように眉を吊り上げた。
「私はちゃんと名乗ったわ。あなたは誰?」
「俺は………」
ふと男が時計を見ると今は四時ちょうどを示しているのに反応した。
「いけない。時間だ」
何の時間だとアリスが聞く間もなく男はテーブルの上のティーポットを取り出し、お茶の準備を始めた。
非常に手際のよい無駄のない仕草である。
「準備はできたぞ。マリオン」
男がお茶の準備を終わらせると名を呼ぶが何も帰ってこなかった。
男はやれやれと椅子に座る。
「まったくお茶の時間には遅れるなと言ってるのに」
「あの?」
のんきにお茶を飲む男にアリスはおそるおそる声をかけた。
「なんだ?」
「私の質問に答えて。あなたはなんて名前なの」
そういえば名乗っていなかったといわんばかりの男の表情であった。
「ああ、俺の名はレイモンド」
「レイモンド」
思った以上に普通の名前である。
「ところで何をしているの?」
「見て分からないか? お茶だ。この時間は何よりも大事なお茶の時間だからな」
確かにお茶の時間は大事だけど、会話中に突然アリスを放っといてお茶の準備に没頭する程なのだろうか。
「そ、そう。こちらの椅子に座っても良いかしら?」
ずっと歩いていて疲れてしまった。いい加減座りたい。
「ああ、その椅子は………」
「何か?」
よくなかっただろうかとアリスは遠慮しようとした。
「いや、どうせ遅刻した奴の椅子だ。好きにするがいい」
そう言うとレイモンドはティーポットを手にアリスの前にある茶器にお茶を注いだ。
「ありがとう」
アリスは礼を述べお茶を飲む。
ほのかな甘い香りに先までの騒動での疲れが癒える心地がした。
姉のお茶も美味しいが、レイモンドの淹れるお茶も美味しい。
こんなにゆっくりとお茶を味わう時間は久々である。
「俺のお茶を躊躇わずに飲むとはな。ハートの女王に何も聞いていないのか」
「ハートの女王?」
そういえば先ほどの道すがらに出会った虫が言っていたような気がする。
ハートの女王には気をつけるんだよ、と。
しかし何故「ハートの女王に聞いていないのか」とか言うのだろうか。
アリスはハートの女王に会ったことがないのに。
「お前は別の世界から白うさぎに連れて来られたということだが、詳しく教えてもらおうか」
レイモンドのその言葉にアリスは少し嬉しいと思った。
ひょっとしたら協力してくれるかもと甘い考えを持ち事の経緯を伝えた。
「成程、お前はブランに裁判へ連行されるところでここへ迷い込んで来たのか。そしてここに来たのはチェシャに言われて」
「ええ、ここは本当不思議な世界ね。もう何が何だか」
「アリス、この世界ではお前の常識は通用しないと考えて良い」
レイモンドの言う通り確かにここはアリスの常識は通用しない世界のようである。
いちいち突っ込みを入れるのも疲れるというもの。
「あの、元の世界に戻る方法というのはないの? 門限までに家に帰らなきゃ」
時計を見ればすでに今日の学校は終わってしまう。
姉のメアリーに怒られてしまうなとアリスは内心思った。
「残念ながら俺は知らない。ただ、女王なら何か知ってるかもな。お前をこの世界に連れて来たのは女王の臣下・ブランなんだろ」
「女王? ハートの女王のことかしら」
「そうだ」
レイモンドはゆっくりと頷いた。
「女王はどういう人なの?」
ガサガサと草木に踏み入れる足音が聞こえた。
レイモンドの表情が険しいものに変わる。
無数の足音が響き兵隊たちがわんさか現れてアリスたちを取り囲んだ。