4 お忍び衣装でお出掛けです
秋も深まり始めた十月上旬。
本日も朝からアルトバロンの特別授業を受けたあとは、昼食をとってひと休みをしてから、王都の中心部へ向かうことにした。
転移魔法はまだ勉強中なので、移動は我が家の紋章付きではない馬車で行う。
四大公爵家のひとつ、しかも闇の貴族と悪名高きディートグリム家の〝三つ尾のフェンリルとピエリスの花〟が描かれた紋章は、社交界だけでなく市井の人々にも少なからず圧迫感や畏怖の念を与えてしまう。
そのため個人的に、公的な訪問以外で紋章付きの馬車を使うのを控えていた。
「我が家の紋章付きの馬車があるだけで、お店の迷惑にもなりかねないものね。親切にしてもらっているのに、悪評が広まったりしたら申し訳ないもの」
私は窓から見える景色から目を離して、進行方向とは逆側に座ってくれているアルトバロンに話しかける。
今日の彼の出で立ちは、ディートグリム公爵家の伝統的なお仕着せではなく、お忍び用の私服だ。
白いシャツに黒いベストとズボンという普段とは違った衣服は、シンプルながらも上品さがあって、彼の絶世の美青年感を引き立てている。
私の方はといえば、首元から手首まできっちり隠れるタイプの庶民風のワンピースを着ていた。
白銀の長い髪はエリーに編み込みで結い上げてもらってから、つばの広い帽子の中に押し込んだので、パッと見ただけでは誰も『ディートグリム公爵家の毒林檎令嬢』だとは気づけないだろう。
「お嬢様はそう仰いますが、僕としてはお嬢様の安全を考慮した上での判断に過ぎません。ディートグリム公爵家は闇の貴族ではない。民意を得るためには、主張するべきところで主張するのも大事です」
そう言いながら両腕を組んだアルトバロンの黒いもふもふの狼耳が、苛立ちを含んだ様子で少しだけ後ろへ動いた。
頬に掛かった黒髪をさらりと払う彼の美貌は若干、いや、かなり不機嫌そうである。
その仕草に、私の胸はドキドキと高鳴った。
「ありがとう、アルト。そんな風に大切に思ってくれて」
感極まってしまう。というか、感激も通り越して少し照れてしまう。
だって、だって、アルトがこんなにも我が家のことを考えてくれて、ディートグリム公爵家過激派になるだなんて……思ってもみなかったわ!
ふっふっふっ! これはもう我が家での生活が楽しすぎるからに決まってるわね。アルトとの主従関係はすこぶる健全だし、向かう所敵なしとはまさにこのこと!
だけど――乙女ゲームの舞台の幕は、必ず上がる。学院に入学する前までには、主従契約を破棄する話をしないといけない。
こうやってお互いを大切に思い合う主従関係を結べているからこそ、『暗殺しなくていい&されなくていい完璧な運命を選択しなくちゃ!』と、近頃の私はますます強く願うようになった。
アルトとのお別れは寂しいけれど……。絶対に幸せになってほしいから。
しんみりしてる暇なんかないわ。今のうちに、たくさん思い出を作らなくっちゃね!
私は「うふふ」と目の前の従僕を見遣った。彼は不機嫌そうだった表情をフッと緩めて、目元をやわらかく細める。
そんなやりとりだけで幸せに満たされる。ああ、平和だ。
「それにしても。お忍びって、何度やってもワクワクしちゃうのはどうしてかしら?」
穏やかな日常の中にある、普段とは違った服装での非日常的な状況に、ついつい開放的な気分になってきて、心が弾む。
「さあ、どうしてでしょう。ですが僕も、お忍びでお嬢様とお出掛けするのは楽しいですよ」
「アルトはどうしてなの?」
「そうですね……。こうやって、可愛らしく浮かれているお嬢様を間近で見られるからでしょうか」
可愛らしく、だなんて明らかにからかわれているのを感じて、私は浮かれているのを取り繕うように、ツンと澄ました表情を作る。
「もう。淑女らしくないって言いたいんでしょう」
「ふふっ、いいえ?」
「いいのよ。ここはアルトしかいない馬車の中なんだから」
「はい、その通りです。どんなお嬢様の姿も、僕だけが独り占めすることを許されている……。大変光栄です」
アルトバロンは自分の胸に手を当てると、うっとりとした微笑みを浮かべた。
私は頬が熱くなるのを感じて、持ってきていた扇子で口元を隠す。
「ですから、目的地に到着するまでお昼寝をしてもいいですよ。お嬢様の無防備な唇が紡ぐ寝言も、僕だけしか聞いていませんから」
「ね、寝言……っ!? 私、そんなに寝言を!?」
「大抵は」
「ええええっ、恥ずかしすぎる……っ」
軽口を言い合える仲になったのを喜ぶべきなのはわかるわ。でも、それにしたって、それにしたって〜〜〜っ!!
我が家はお父様を筆頭に、使用人のみんなも私に甘くて過保護だけれど、アルトバロンから同じように扱われると、胸がきゅうっとなって、恥ずかしくなってしまうのはなぜなのか。
……昔はただひたすらに『可愛いぃぃ』と思えたのにっ。
扇子に隠れて目の前の黒髪美青年を見上げながら、月日の流れは時に残酷! と心の中だけで叫んだ。




