2 悪役令嬢と狼従者の主従契約
「ティアベル。まずは彼がお前の従僕となる証として、名を与えてやりなさい。そうしなければ、彼は言葉を発することすらできない」
「お父様、それは一体どういう意味でしょうか? まさか、そんな。名前がないから喋れないだなんて……」
「数百年に一度、魔力に愛されすぎた獣人が稀に生まれる。そのような者は魔物と呼ばれ蔑まれ、親兄弟から『封印の楔』を施されて言葉や魔力を封じられるのだ。――彼のようにな」
親兄弟から……言葉や魔力を封じられる?
「彼の肉親は彼の名を奪い『封印の楔』の対価とした。魔物と呼ばれた者の末路は、血族からの追放だ」
私はようやく彼の置かれている状況の一端を知り、ハッと息をのむ。
「だが我が一族は、いつの世も彼らのような『楔の追放者』を受け入れてきた。生涯『封印の楔』を外してやることは誰にもできないが、彼に声と、僅かな魔力を返してやれるのは『主人』であるお前だけだ」
お父様が憐れみを携えた視線で美少年の首を見やる。……本当だ。鎖の首輪が付いている。
複雑に絡み合った複数人の魔力が感じられるところからして、ややこしい契約に縛られた魔道具なのかもしれない。
見るからに痛そうだし、邪魔そうだ。
声を奪っているだけでも極悪人の所業なのに、ご飯も絶対に食べにくいし、きっとお風呂も入り辛いに違いない。というか、就寝時にふかふかの羽根枕の弾力と安心感を完璧に阻害してきそうだ。
ひどい、ひどすぎる! 魔力が強すぎるからって、子供の成長に大切な時間をたやすく奪わないで!
僭越ながら、私が彼に名前を贈ることで少しでも助けになるのなら、今すぐ考えなければ。彼の置かれている状況の改善は、きっとそれからでも遅くない。
美しい彼に似合う、素敵な名前を贈りたい。なにがいいだろう。
うーん、と考えながら冬の湖の色をした双眸をじっと見つめる。
年齢は同じか……少し上くらいだろうか?
今日のために誂えられたらしい衣服は、我がディートグリム家の伝統ある護衛騎士団のお仕着せだ。遊び心の無い格式張ったお仕着せだが、この賢そうな美少年にはよく似合っている。
伏せられた長い睫毛から覗く瞳は、満月に照らされた菫青石のように高貴な艶やかさがあり美しい。
間近に見つめると、透き通った菫青石の瞳の中に、宝石を砕いたかのような金の光彩が散っているのが見えた。
「……綺麗」
ため息が出るほどの美しさだ。
驚いたように僅かに見開かれた瞳と、私の視線が絡む。
その瞬間、どくんと心臓がひときわ大きく脈を打ち、身体の奥が熱くなった。
言葉に表現しがたい、温かな魔力が胸の内に広がる。そして……。
「あなたの名前は……――〝アルトバロン〟」
私は脳裏に天啓のように降ってきた名前を自然と口にする。それは不思議な感覚だった。
彼を私の従僕にすることになった経緯は、まだ全然飲み込めていない。
けれど、前世の分を含めれば彼の倍は生きている私に命を託されたからには、主人として彼を全力で大切にしたいし、公爵令嬢という立場を使ってでも守ってあげたいと思う。
それにせっかく我が家に来たからには、子どもらしく美味しいものをゆっくり味わってもらいたいし、お風呂で心ゆくまでぽっかぽかになってほしい。そうして夜にはふかふかの羽枕に包まれて、ぐっすり熟睡してほしい。……そう思った。
――その時。
がしゃん、と大きな音を立てて、彼の首にあった『封印の楔』が崩れ落ちた。
…………えっ? あれ?
お父様の話によると、この楔は一生取れないみたいな感じじゃなかった?
普通に外れたみたいだけど……。
もしかして言葉のあやだったのだろうか。
周囲を見渡すと、使用人たちが「そんなまさか!」「お嬢様の詠唱破棄でしょうか!?」「前代未聞では」などとざわめいている。
はて? やっぱり外れないやつだったのか?
「これはこれは。流石、我が娘」
お父様が悪役顔で微笑んでいるから、外れても問題はなかったのだろう。それならば、生活に邪魔な首輪なんて絶対に無いほうがいい。
なにはともあれ良かった、良かった! と、私は鷹揚に美少年へ微笑む。
「私はティアベル・ディートグリム。今日からどうぞよろしくね、アルト」
彼は長い睫毛を震わせてから、『ありえない』とばかりに驚きに丸くした目を見開くと、そっと心臓のあたりをぎゅっと手で押さえた。
そうして、ゆっくりと私の前に跪く。
「ありがたき幸せ。我が主、ティアベル様に心からの親愛と忠誠を」
彼は黒革の手袋に包まれた手で私の手を取ると、落ち着きのある静かな声でそう告げた。
凍てつく美貌には親愛の情や忠誠心などカケラも浮かんでいない。濃紺がかった黒い前髪の隙間から私を睨むように射抜く眼差しは、悪魔のように仄暗い懐疑心を爛々とたたえている。
その姿は、まさに美しい獣だった。
……それにしてもこのシーン、どこかで…………?
「って、ああああ――――っ!!!!」
転生して七年目の今日、この時。今さらながら私は、自分が前世でプレイしていた乙女ゲーム、【白雪姫とシュトラールの警鐘】の世界に転生していたことに気がついた。
しかも最悪なことに、私こそが、異世界から来る聖女様をいじめ抜く悪役令嬢で……聖女様を愛する攻略対象者によって無残に暗殺される、ティアベル・ディートグリム本人では????
悪役令嬢ティアベルは、聖女様を虐めて恋路を邪魔するだけには飽き足らず、最終章では禁忌の毒林檎を聖女様に食べさせて仮死状態にし、こっそりお互いの魂を入れ替えようと画策する。
しかし成り代わろうとした瞬間に攻略対象者たちにバレ、第二王子によって手酷く断罪されたあと国外追放に。
最終的には、監視役として国境付近まで付き添っていたアルトバロンの手によって暗殺されるのだ。
アルトバロンの悪役令嬢暗殺方法はルートの数だけ存在する。メジャーな毒殺から、ひと気のない森に置き去りにして魔物の餌にしちゃうものまで多種多彩。暗殺の見本市だ。
もしかして、その断罪の鉄槌が寸分違わず自分の身に降りかかるの……?
「あ、ああっ」
少し想像しただけで、私の顔からはさあっと音を立てるように血の気が引く。
まだ見ぬ恐怖で手足がぷるぷると震えるのを抑えられない。
毒林檎令嬢などと勝手に危険人物扱いを受けている間は、笑って済ませられていたけれど。まさか、まさか……っ。
「ほ、悪役令嬢だったなんてぇぇええ……うぐぅっ!」
「ティアベルお嬢様!?」
「お嬢様! お嬢様しっかりしてください!」
「……ダメだ、失神なさっている!」
「まさか先ほどの詠唱破棄の反動で……!?」
ありえないと頭を抱えていた私は、そのまま息を詰めて一瞬で気絶してしまったのだった。




