落とし物
入学して2週間が経った。阿部君とは下の名前で呼ぶようになり、仲のいいクラスメイトとして接することができている。それに、周りからは特に悪い印象も良い印象ももたれてはいないようで、平穏な日々が続いている。素晴らしい。俺は祖母の影響で寝る前に日記を書くのが習慣になっているのだが、その日記の内容が日々薄くなっていっている。マジで書くことがなくなって「きょうはなんにもないすばらしい一日だった」で日記が染まっていく日も近いかもしれない。顔を隠して地味に生きるのは正しかったようだ。因みに、体育の時も本気で動かず、それなり、平均くらいの動きをしている。
今日もなんにもない素晴らしい学校生活だった。有輝は今日は部活に行くとのことなので最初から一人での下校となった。まあ、まだ仮入部だからよく一緒に帰っていたけど、本入部したら週1でしか休みがないらしいので、これからはこれが普通になるんだろう。
のんびりと歩いて学校を出ようとしたときに、グラウンドの奥でこそこそと何かを探しているような素振りをしている女子生徒を見つけた。別にいいかとも思ったのだが、祖父の言葉が頭の中で聞こえてくる。
(『できるだけ優しい人でありなさい。優しさは必ず自分に返ってくるからね』)
祖父が口癖のように俺に言い聞かせてきていた言葉。最期に話した時もこう言っていた。確かに今までも優しさは帰ってきた。中学に上がってからは悪意として帰ってきていたけれど。それでも、人にはやさしくしなければと思うのは、もう呪いに近いんじゃないだろうか。
そんな祖父に失礼なことを考えながら俺はその探し物をしているのであろう女子のもとに向かった。
「探し物ですか?手伝いましょうか?」
「えっ……」
まあ、驚くのが普通だろう。そこそこ広いグラウンドの奥の方で探し物をしていたら突然声をかけられるのだ。驚かないほうがおかしい。しかも話しかけてくるのが、明らかに人づきあい苦手そうなボサ髪眼鏡の地味男君だし。流石にマスクもしていると不審者っぽいのでマスクは外した。
驚いた表情でこちらを見てくる女子は、リボンの色を見るに同じ学年の生徒のようだ。
「あ、俺は1年の石川翔太。よろしく。ところで何を探してるの?」
「あ、えっと、ヘアピンを……その、月の形の飾りがついてるやつなんですけど……」
「わかった」
秘技!状況が呑み込めていない状態で話を進める!一人のほうがいいなら探し物の特徴なんて言わないはずだし、まあ手伝っていいということだろう。というかヘアピンか……。砂とか被っちゃったらマジで見つからないな……
「あ、あの……悪いですし、良いですよ。一人で大丈夫です」
「良いよ、この後暇だったし。それに、同学年みたいだし敬語なしでいいよ?俺もそうするし」
「え、あ、うん」
秘技!論点ずらし!もう、手伝うと決めたのだし、断る理由が悪いからなのだったら特にやめる必要はないだろう。
「なんの時に落としたの?」
「体育で鉄棒やってた時だと思うんだけど……」
(ああ、随分端っこの方で探していると思ったら、ここ鉄棒の近くなのか)
「じゃあ、頑張って探しますか」
「あの、……石川君?」
「何?」
「ありがとう」
「いやいや、勝手に手伝うだけだから気にしないで」
その後、10分くらいしたら、グラウンドを使う部がやってくる。あれは……サッカー部だろうか?……なんかサッカー部ってだけでイケメンが多い気がするな。とりあえず、グラウンドの端で探し物をする許可をもらいに行く。顧問の先生が来たらまたその時にも行こう。
「すみません。あそこでちょっと探し物をしてるんですけど、大丈夫ですか?」
多分上級生の、大きい人に声をかける。
「うん?探し物?うーん、まあいいけど、ボールに気を付けてね」
「はい、ありがとうございます」
まあ、流石にこっちにボールが来ないように気を付けてくれるだろうし、大丈夫だろう。
「探してていいってさ」
「よかった……。ありがとね」
「大したことじゃないよ」
そんなこんなで1時間半ほど探しただろうか。全然見つからない。ちらっとみると落とし主は少し泣きそうな顔になっている。うーん、もう少し探す範囲を広げたほうがいいだろうか。1時間半も探しているのでそこそこの範囲を探しているのだが。
もし、誰かがヘアピンを拾ったらどうするだろうか。落ちているヘアピンを持って帰る可能性は低いと思う。もし俺が拾ったら見やすい場所に置いておくのだが、適当にその辺に投げてしまってもおかしくはないと思う。その場合、どこに投げるだろうか。うーん……なんか拾ったら多分だけど端のほうに投げると思う。じゃあ、防球ネットの外側も探したほうがいいだろうか……
「危ないっ」
聞こえてきた声に反応して後ろを見ると隣で落とし物を探している女子にボールが飛んできている。まあ、間に合いそうなので良かった。ボールをキャッチして蹴った人に対して蹴って返す。……ピンポイントでボールが飛んでくるなんて運悪いなこの人。
「あ、ありがとう」
「うん、大丈夫だった?」
「うん、平気」
「危なそうだし、ネットの外の方探さない?もしかしたら、誰かが拾って投げたりしちゃったのかもしれないし」
「あっ、確かに……」
ネットの外を10分ほど探すとそれらしいものが見つかった。
「うん?……これかな?」
「あ、それ!そのヘアピン!」
「見つかって良かったね」
「うん!本当にありがとう!」
うん、一件落着だ。よし帰ろう。
「じゃあ、俺は帰るね」
「えっ」
小走りでその場を後にする。人にはやさしくする、と言う教えに従うのはいいのだが、そのせいで人間関係が広がっていくのは嫌だ。そういう人に裏切られるのは辛いから。というわけでさようならだ。
その後は日記の内容が少し多くなった以外は特に何にもなく一日を終えた。
落とし物を探した次の日の昼休みに、俺はいつも通り有輝と弁当を食べていた。すると、ガラガラという音とともに教室の前のドアが開く。それだけなら特に気にすることもないのだが、明らかに教室がざわついている。何かあったのだろうか。