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弁当を食べる

 もやもやする気持ちを景色で癒そうとあちこち視線を移していた咲良の目に、大樹の姿が映る。山の上の方から小走りにだんだんと近づいて来る様子に咲良は、荷物を持って立ち上がった。ゆっくりと大樹を迎え入れるように歩を進め近づいていく。咲良の行動に気付いた大樹が急に立ち止まり、肩で息をしながらから咲良に向かって声を上げた。


「まって!俺今、汗くさいかも!!」

 精一杯腕を伸ばして手をバイバイするみたいにして振る大樹。その張り上げた声には焦りがにじんでいる。


「走る前に気付こうよ」

 リュックからとりだした制汗剤を大樹に見せながら咲良が笑い、大樹との距離を一歩詰めた。


「え、めっちゃ準備いいね。そのリュックから、どんなものでも出てきそうだ」

 大樹はジェスチャーで制汗剤をパスして欲しいと体を動かしながら言う。大樹が制汗剤を使ってから近づくつもりなのを察した咲良は少し意地悪をしたくなった。大樹のジェスチャーの意味に気付いてないふりで制汗剤を手にしたままもう一歩足を踏みだし、大樹の反応を面白がりながら返事をした。

「残念。必要なものしか入ってないよ。敷物とか財布とかね」


「え、じゃあ、俺が走って汗かくのも見越してたってことなの?」

 咲良の返答に驚いた顔をしながら大樹が一歩後ずさった。手の平を上に向け制汗剤だけを投げるようにとジェスチャーを続けている。

「……さあ、どうでしょうね?」

 咲良はおどけて返事を濁しながら、大樹との距離を詰めていく。制汗剤は、咲良自身が使うつもりで持ってきたのだった。頂上に付く頃には汗だくになるのを見越して。今、大樹が焦っているように好きな人に汗くさいと思われたくないのは咲良だって同じだ。否乙女である分、咲良の方が強いかもしれない。咲良はそこまで考えると、じりじりと詰めていた距離を一気に縮めるように走り込み、ジャンプした。咲良は大樹の目の前に立ち、制汗剤を手渡す。


「……すごく嬉しそうな顔してるね……参りました」

 結局手渡しになった制汗剤を受け取り、大樹が仕方ないなぁと笑った。大樹に言われて咲良は自分が満面の笑顔だったことに気づいた。一人で考え込んでいた時の差に驚き、大樹の隣にいる心地よさを改めて感じた。


「走ったら五分ぐらいで山の頂上に着いたよ。あと二十分ぐらいかけてゆっくり登ろうか?」

 制汗剤を体に吹き付け終わった大樹が咲良に問い掛ける。お礼とともに制汗剤が咲良の元に帰ってきた。大樹からふわりと甘い香りがして、咲良はクスクスと笑った。


「逆にさ、三分ぐらいで行っちゃうのは?」

 咲良はいたずらっぽく提案し終わるなり、走り出した。ぐんと体が後ろに強く引っ張られて思うように速度がでない。だけど言った手前すぐにギブアップするのも悔しくてなんとか足を前に出した。

「おいおい、無茶するなよ」

 まるで平地をジョギングしていますといいたげな涼しい顔で大樹が言った。先に一往復余分に走っている大樹が疲れた顔をしていない。その光景が咲良の心に火を付けた。


「無茶なんてしてませんよー」

 口調だけ軽く言い返す咲良。早くも口の中で鉄っぽい味がひろがるのを感じながら、咲良はスピードを上げようと試みる。

「なに張り合ってるんだよ」

 大樹が面白がるように言いながら咲良の前に出、挑発するように人差し指をクイクイと動かした。咲良は追い越してやろうとさらに足に力を込め、スピードを乗せる。二人は張り合いつづけたままで頂上に到達した。一度も大樹の前に出られなかった咲良がペットボトルのお茶を一気に飲んで悔しがる。

「体力つけとくんだった」


「体力はどこでも必要だからなぁ。簡単なストレッチを教えてやろうか?」

 咲良に答える大樹も少しだけ息が乱れている。

「えー……」

 運動習慣のない咲良は渋った。今まで運動と名のつくもののどれも長続きしたことがないのを、大樹も知っている。

「うん、でも、そうだね、教えてくれる?」

 咲良は、ある考えが頭を過ぎり、普段なら選ばない選択をした。


「あれ?てっきり断ると思ってたのに」

 大樹が片方の眉毛をあげて意外だと顔で表現する。

「……記憶はかさばらないからね」

 咲良が頷き笑うと、大樹が「じゃぁ百個ぐらい覚えてもらおうかな」と寂しそうに笑いかえした。

「千でも二千でも覚えて持っていきたいね」

 咲良がなんでもないような声のトーンでそれに返す。大樹はそんな咲良を見つめ、咲良はただただ小さく眼下に広がる町並みを見ていた。


「さて、お弁当にしようか」

 咲良はそう宣言し、大樹を見た。咲良は地面に直接腰を下ろすとリュックから弁当を取り出して、大樹に差し出す。咲良は、まるで体の内側にカイロでも仕込んだように体がぽかぽかと小さく弾けているのを感じた。吹き抜けていく風がそれを冷ましてゆくのが心地良い。


「げっ」

 隣で同じように弁当を出していた大樹が声を上げた。

「どうしたの?」

 咲良が大樹の手元にある弁当を覗き込んだ。大樹の弁当箱の三分の一程に空間が出来ている。

「弁当、めちゃめちゃこんなんなってる」

 大樹は自分の顔を挟むとむぎゅっとつぶして、咲良と顔を見合わせた。


「あーひっどいことになってるねぇ……」

 咲良は笑いをこらえて返した。

「え、なんでおんなじに走ったのに咲良のは偏ってないの?」

 お返しとばかりに咲良の弁当箱を覗き込んだ大樹が不思議がり、咲良を見る。

「詰め方、その腕の違いですな」

 咲良が胸を張って、どうだと言わんばかりの笑顔を返した。

「これが女子力って奴ですか」

 大樹が素直に感心する。

「刮目せよ!!」

 咲良は自分の弁当を掲げるようにして持つと演技がかった物言いをした。

「ははーーーー」

 大樹は大袈裟に仰ぐようなポーズを取って、そして二人で肩を震わせて笑った。


「食べよ」

 咲良は卵焼きを箸でつまむとそれを大樹の口元へ持っていく。

「あ、甘い」

 にっこりと大樹の目が溶けるように細められる。

「甘いの大好きだもんねぇ」

 狙い通りの表情を見ることが出来て咲良は喜びを隠さずに言った。

 食べ終わった大樹は自分の弁当からそぼろ状になった黄色い物体を器用に箸でつまんで咲良の口元に寄せる。

「俺の卵焼きもどうぞ」


「え?」

 咲良がどうみてもスクランブルエッグだろうと目で訴えるも、大樹は譲らない。

「卵を焼けば卵焼き!」

 咲良はそれ以上なにもいわずに口を開いて卵を受け入れた。

「……大樹、味付けは?」


「え?卵って焼けば味がつくもんじゃないの?」

 キョトンとして大樹が答える。


「今度さ……」

 今度、料理を教えてあげると言いかけて咲良は口をつぐんだ。残り五日。このままズルズルと会いつづけたらきっともう一歩も歩けなくなる。それは今行っている準備をすべて無意味にすることと同じだと思った。咲良はかろうじて言わずに済んだ言葉に安堵した。

「味付けの分量、メールするね」

 咲良が続けた言葉に大樹は「咲良の料理って、味良いもんな」と嬉しそうに頷いた。


 咲良は大樹の笑顔に内心で呟いた。良かった。私の迷いが伝わってなくて、と。

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