表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/26

敦の日記

 『それから俺は、葉物野菜を作ることに没頭した。俺の様子は、周囲にひどく不安定に映っていたらしい。俺の発する空気の変化に、周囲が気を使っているのは薄々感じていた。俺はそれを煩わしく思いながらも落ち込んでなどいないふりを続け、ただ目の前の作物を育てることに集中した。手をかけただけ葉物野菜は美味しそうに育つ。収穫したみずみずしいそれを料理作りが趣味だという人に渡した。「野菜のお礼です」と、俺に卵焼きみたいなものが返ってきた。差し出された皿をただ見つめるだけの俺に、卵焼きを作ったのであろうその人が俺の肩に優しく手を置いた。そうしてこう言ったのだ。「一人で抱えるのが辛ければ、すこし背負うの手伝いますよ」と。俺はその言葉を無視して卵焼きを指でつまむ。その様子を料理好きの人は微笑んで見ていた。俺は、口に含んだ卵焼きが予想外に甘くて驚いた。その衝撃は胸のうちに留まらず、「お菓子じゃないんだぞ」と調理した本人に投げかけてしまった。「しょっぱい卵焼き派でしたか」とその人は微笑んで、「教えてもらえたから次はしょっぱいのを作りますね」と笑う。その包み込まれるような声と笑顔に俺は意地を張っていたのがなんだか馬鹿らしくなった。別の宇宙船が壊れた事実は一生俺の中で秘めて行くつもりだが、甘すぎる卵焼きが心のわだかまりを溶かしたようだった。卵焼きを食べて感想を伝えた、なんてことのないやりとりだったけれど、その気遣いが俺には有り難かった。』


 咲良はスマホから視線を離し、淳の心を癒そうと行動してくれた料理の女性に感謝した。ただの物語とは思えなくなっている事を自覚するほど、淳の日記に感情移入している。同時に、この先に描かれているのであろう鹿子の様子を豹変させた内容が想像できなくて怖かった。咲良は同じ姿勢を取りつづけたせいで固まった体を軽く動かして気持ちを区切る。


 『俺が卵料理を食べ終えた頃、通信機器を作っていた人が頬を上気させて部屋に入ってきた。曰く、「地球とのコンタクトが取れるようになるかもしれない」とのこと。地球との通信は、地球に残してきた人々が地下生活をしていることで困難を極めていた。伝達物質のない宇宙船と宇宙船で通信できる技術力があるのに、なにを不思議なことを言っているのかと思うだろうか?しかし、今の地球は降り注ぐ核爆弾から地下空間を守るために、幾種類もの物質が地表を覆っている。それが通信の波を阻害するらしい。「せめて地上で生活してくれていたら、光の明滅による通信手段を使えたかもしれないけれどねぇ」と、地球と通信することを諦めてないその人は寂しげに微笑んだ。「ないものを嘆いたって仕方ないよね……」と。その後、気持ちを持ち直そうとするかのように、脇に連れていた一抱えほどある電子機器を撫でる。流れるように通信技術講座を開いてくれたのだが、専門的な用語が飛び交いすぎて、俺や料理人は半分も理解できてなかった。今回この記録を書くにあたり、当時の言葉を再現してもらった。全く工学に特化した人間というのは不思議なものだとつくづく思わされる。カンペもなにもないのに、まるで立て板に水を流すかの如く、理屈を喋りつづけるその様は圧巻の一言。ところで、私はわざと彼女たちの名前を書かずに来たのだが、そろそろ説明するのにも骨が折れるようになってきたので、便宜上、彼女たちの事をその趣味に紐づけて刺繍人、通信人、料理人、小説家、園芸人と呼ぶことにする。』


 咲良はリビングに移動し、ソファーにその身を横たえた。ソファーの肘かけに髪がはらりと流れ、咲良は煩わしそうに顔をしかめた。腕につけていたシュシュで左耳の下に髪をまとめると。仰向けに寝転がり、両手でスマホを持つ。


 『小説家が通信人の言葉を聞き付けてお祝いの言葉とともに飛び込んできた。そして、通信人の言った「地球とコンタクトが取れるようになる」というのが、実際は地球の位置をつねに示す方位磁針ができたというだけの話だと知って肩を落とした。小説家は、宇宙で書いた作品を地球に届けたかったらしい。「それができるようになるには、もう少し時間がかかるね。通信人は、なるべく急いで完成させるねと笑い、小説家の肩を元気づけるように叩いた。刺繍人と園芸人が仲良く連れたって部屋に入ってきて、俺達は食事を取ることにした。』


 淳の日記と連動するように咲良のお腹が鳴った。時計を見るとちょうど十二時を回ったところだった。咲良はなにか食べるものはないかと冷蔵庫を開ける。咲良は目の前に突如として表れた保存容器の大群に頬を緩ませた。容器一つ一つに母親のメモがそれぞれ貼られている。


「まったく、お母さんには敵わないなぁ」

 咲良は自分の頬を掻きながら呟いて、適当に選んで食べようとレンジで温めた。豚汁の入っていたそれとレトルトご飯を合わせて簡単に食事を終えると咲良はまた、淳の日記に戻る。数ページ分、淳と五人の和気あいあいとした描写が続いた。テンポ良く読み進めていた咲良は次が最後のページだと知って大きく息を吐いた。咲良が出発するまであと、三日。鹿子が受けた衝撃はその三日で解決できないものかもしれない。中途半端に関わって立ち去るぐらいなら、読まないほうがいいんじゃないかとの尻込みする気持ちが過ぎった。


 咲良は目を閉じた。「咲良は見ない方がいい」と、言った鹿子の声が蘇って来る。その気持ちは本心だっただろうし、仮にここで咲良が逃げてしまったとしても、鹿子は笑って許してくれるだろう。


「でも」咲良は目を開いて淳の日記、その最後のページを表示させるボタンをタップした。通信状態が良くないのか表示までに時間がかかる。咲良にはそれが最後の問い掛けのように思えた。「本当に、見るのか?」と。

「ここで逃げたら、私は私を許せない」

 咲良が宣言するのを待っていたかのように最後のページが表示された。


 『ここまで読んでくれた人ならば、これが自分の置かれている現状とあまりに似通っていると感じているんじゃないだろうか』

 淳の日記、その最後のページはこんな言葉で始まっていた。咲良はその言葉に、ゴクリと生唾を飲み込む。


 『いや、感じていてほしいというのは、俺の勝手な願望でもある。同時にこの日記がただのフィクションとして認識される事を願ってもいる。このページを書く為にキーボードを打つ指が重い。しかし、これから書くことを少し考えてみてほしい。

 俺がそれを知ったのは、宇宙船の外が、一瞬いやに明るくなったからだ。宇宙船の中で朝も夜もない生活を続けていた俺達は最初、その光を喜んだ。久しぶりに昼間を体験したような気持ちに胸が躍った。刺繍人はその光景を服の刺繍の図案にできないだろうかと考えはじめ、小説家は今感じた感動を文章に起こすのだと自室に走って行った。園芸人は刺繍人が嬉しそうに図案を引くのを見つめ、料理人は次のメニューをお祝い膳にしようと呟いた。

 俺は忘れかけていた地球での日常が鮮やかに蘇ってきて、「地球に残してきた皆は元気だろうか?」なんて話を軽い気持ちで通信人に聞く。俺の言葉を聞いた料理人が話に乗り「通信機の進捗はどう?」と尋ねた。「あぁ、もし地球のみんなとまた言葉を交わせるなら嬉しいなぁ」園芸人が空想するように天井を見つめて目を細める。俺達が喜び合っている中、通信人だけが、暗い顔をしていた。

 その表情に俺はミスを犯したのだと思った。別れの痛みが癒えるまでの時間は人によって違う。通信人はまだ地球での日々を思い出にできていないのだろう。俺は「その、すまん」と謝る。謝るしかできなかった。だけど、俺の言葉にハッとしたような顔をして、通信人は首を横に振る。「ちょっと時間をくれ」と言い、その人は自室にこもった。残された俺は、刺繍人と、園芸人、調理人の四人で顔を見合わせた。』


 いよいよだ、と咲良は思った。いよいよ鹿子が青い顔をしていた理由がわかる。



 『それからどれだけの時間が経っただろうか。通信人の自室が開いた。中から青白い顔をした通信人がふらりと出てきた。力無く、いつか作った地球の方位磁針を指差している。「何度も、計算したんだ」通信人が言う。「私が作ったこの地球方位磁針が示す場所が間違っていることはありえない」顔を両手で覆い、通信人が頭をぐしゃぐしゃと掻きむしった。「光が来た方角と規模……」通信人がつぶやく。刺繍人と園芸人が顔を見合わせて紙とペンを持ってきた。そこに数字とアルファベットを物凄いスピードで書き込んでいく。俺と料理人は起きていることに頭が追いつかずただその様子を見ていた。通信人は目尻から涙を流し、呆然としている。ペンが走る音だけが空間に満ちた。やがてその音もとまり、シンと静寂が下りてきた。その静寂を針で付くように刺繍人が呟く。「信じない」「私と刺繍人が同じ数字を導き出してる。そしてきっと、通信人も」力無く両腕をだらりと下げた園芸人が首を振る。

「つまりどういうことなんだ?」俺は聞きたくないと思いながら問い掛けた。小説家が伸びをしながら帰ってきて、お通夜みたいな空気に目を丸くした。

「地球が、爆発した」通信人が震える声で言った。信じたくないその言葉が俺達の間にこだました。』


 咲良は無意識のうちに次のページをタップしようとして、この記事が最後であったことを思い出した。

「……っふ」

 まさかこれを信じたというのか。鹿子は。咲良はいつのまにか詰めてた息を吐いて笑う。

「よく出来たお話だよ」

 最後のページだけ読むから、過剰に反応してしまったのだろう。咲良はゆっくりと首を回すと、鹿子が使っているSNSに接続する。淳の日記を見て素直に行動したのだとしたら。大樹が「変わった人だったよな」と言葉を濁したのもわかる。気がした。最初のミサイルが発射されるまでもう幾日もない。そのことについて騒ぎはじめていたのならどう考えても遅すぎる。咲良は小さくため息をついて鹿子をどう宥めるかを考えはじめていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ