向き合う
寝室へと続くドアを開くか迷っていると咲良のスマホが震え、着信を知らせた。スマホに表示された大樹の名前を見て、すこし迷うように咲良は人差し指を唇につけた。目を閉じ、何度か呼吸して息を整え、目を開く。通話ボタンをその細い指が押した。
「レシピサンキューな。なぁ、咲良。落ち込んでないか?大丈夫か?……鹿子さんのSNS見たか?」
咲良がスマホを耳につける間もなく、大樹の声がスマホから響いた。興奮しているのか、大樹の声は咲良が聞き慣れた調子よりも、すこし高めだ。何かに追いかけられているかのような緊張感が大樹の声にはにじんでいた。
「いや。見てないよ」
咲良は短く答えて、大樹からの言葉を待つ。昨日、去り際に青い顔をしていた鹿子の顔が浮かび、不安が胸のうちに沸き起こった。咲良はその不安を振り払うように首を振る。
「そうか……良かった。それなら……その、うーん」
咲良の言葉を聞いた途端に歯切れの悪くなる大樹。その様子に、咲良の不安がどんどんと大きくなっていく。心に浮かんで来る不安の種を持て余した咲良は種を外に追い出すようにして言葉を紡いだ。
「なに?鹿子に何かあったの?怪我したとか?病気にかかったとか?」
事故とか事件に巻き込まれたとか……そう続けて聞きたいのを咲良は堪える。言葉にしてしまえばその悪いことが現実になりそうな気がしたから。胸のうちに広がっていただけの不安の種を現実世界に蒔くような感覚に支配される咲良。一刻も早く大樹に咲良の問い掛けを否定してほしい。大樹が返事をしてくれるほんのわずかな間にさえ、咲良の中で出しきれなかった不安の種が色鮮やかに育っていく。悪い方へ悪い方へ、まるで早送り映像を見ているかのように想像の中の鹿子がひどい目にあっていく。そのどれも起きていませんように……咲良は祈るような気持ちで大樹の言葉を待つ。
「いや。大丈夫だよ」
待ち望んだ大樹の言葉に咲良はほうっと息を吐いた。足から力が抜け、へたり込む咲良。
「本人は元気そう。むしろ、元気すぎておかしなことになってる感じがあると言うか……その、鹿子さんってさ、元々ちょっと変わったところが、あった人だよな」
大樹は鹿子が元気であることを強く断定して、咲良の不安をなだめた。その後、大樹の中で自己完結するように言葉を呟く。後半は咲良に聞かせるためと言うより、大樹自身に言い聞かせているみたいだった。
「その、うん。……やっぱなんでもない。咲良は鹿子さんのSNS見ないほうが良いぞ。それじゃ」
大樹は鹿子がどんな状態にあるのか伝えないばかりか、咲良がそれを探ることすらも制止して、一方的に通話を切った。
「ちょっと」
大樹の自分勝手な振る舞いに腹が立った咲良は折り返しの電話をかけようとして、その手を止めた。大樹が最後に口にした言葉と、鹿子が昨日の別れ際に言った言葉が頭の中で重なる。
大樹はわざわざ他人の悪口に時間を割くタイプの人間ではない。むしろ悪口の類が聞こえるのを嫌っている素振りすら見せていた。周囲が悪口を言い始めるとその空気を敏感にキャッチして変顔や、筋トレを始めて話題を変える。それにSNS自体にも疎かった。。これまでバスケ一筋でやってきた大樹は、SNSを見る時間があれば練習する、とも豪語していた。
そんな大樹がわざわざ咲良に電話してきたのだ。大樹がとても見過ごせないほど大きななにかがあるのだろう。そして、その理由を説明しないままに通話を切ったのは咲良を傷つけないため。そう咲良は考えを進めていく。
そして、鹿子が咲良に行動を禁止する場合もまた、咲良にとって嫌な物や傷付くことがその先にある時だ。思いがけず二人の共通点を見出だした咲良は口の端で笑うと、スマホを操作して、淳の日記を表示させた。
鹿子も大樹も無意味に咲良を不安にさせるようなことは言わない。鹿子の様子が変化したのは、淳の日記を読んだ後からだ。そのことと、大樹が見かけた鹿子の不振なSNSでの発信。無関係だとは思えなかった。
鹿子も大樹も、咲良に対して優しい。そんな二人が苦しんでいるのに咲良一人が目をそらしてぬくぬくと過ごすわけにはいかない。例え二人がそれを望んでいたって。二人が咲良を大事に思うように咲良だって、二人が好きだ。咲良は、大きく息を吐いてスマホ画面に意識を集中させた。
『宇宙船の中で俺達は暇だった。何度か同じメンバーでごはんを食べ、置いてきた人を恋しく思うのにも疲れきった頃。コールドスリープのグループ分けとシフトを組むことにした。コールドスリープとは肉体の新陳代謝を極端に落とす技術だ。その目的は肉体をいつまでも若々しく保存することにある。俺達は新惑星を見つけ、そこで子供を育てなくてはならない。晩婚化や初産年齢が年々上がっていく社会に生きた身としてこれを口にするのは憚られるのだが、誤解を恐れずに書いてしまおう。人が人を産める期間は短い。俺達の使命を達成するに必要だと推察されている歳月と比較すればそれは、瞬きをするようにも等しい時間だろう。寿命を終える前に新惑星を見つけだす事でさえ、その確立の低さを覚悟しているのに、子供をなせる内に見つけるのは不可能にさえ思えてしまう。先の生活を見越して男性一人、女性五人のチームに分かれることにした。宇宙船自体は自動運転だから乗組員全員がコールドスリープに入るのも可能ではある。むしろ、全員が今の肉体年齢のまま新惑星にたどり着くことがベストではあるだろう。コミュニケーションを深め、生きていくことは新惑星にたどり着いた後でもできる。乗組員全員そのことは分かっていたはずだ。それでも、グループに分かれ交互に起きることを反対する者はいなかった。もし。新惑星を見つけられなかったら?コールドスリープ状態で朽ちることなく、目覚めることもない。それは果たして、生きているのか、死んでいるのか。そんな状態へ喜んで飛び込む人は居ないだろう。少なくとも俺達が乗っている宇宙船の中には居なかった。こうして、小グループに別れた俺達は一定の時間を交代しながら宇宙船で過ごすことになった。』
咲良はさっさと最後のページを読んでしまいたい気持ちを必死に抑えていた。一刻も早く、理由を知りたい気持ちと、淳の残した情報をきちんと読み取りたい気持ちとでわずかに後者が勝っていた。
「コールドスリープのための、シフトかぁ……」
咲良は呟いて、目頭を揉んだ。宇宙船に乗り、地球を飛び出した時点でそれまでの価値観や配慮の感覚を見直す必要があるのかもしれない。と咲良は考えを自分の中に落とし込んでいく。
寝室のドアを背もたれにして座っていた咲良は首をぐるりと回した。覚悟を決めて淳の日記、その続きを読む。
『コールドスリープの最中は深く眠るせいで記憶がない。ここから先は、俺が宇宙船を維持している間に起きたことを書いていく。宇宙船の維持人数としての六人は少々多いように感じるかもしれない。元々はその先にある産めよ増えよを意識した割り振りだったが結果的にこれが良かった。誰と揉めても、誰かが仲裁し、他の人は素知らぬふりをすることができるからだ。多少の意見のぶつかり合いはあったものの、おおむね、仲良く過ごせた。宇宙船の維持といっても特に決まった手順がある訳じゃない。俺達は割り振られた時間を各自好きなことをして過ごすことにした。手芸が得意な人は洋服の裾に持ち主の名前を刺繍し、料理が趣味の人は宇宙でできる調理法とそのレシピを練り上げることに時間を割いていた。どうにか地球とコンタクトをとれないかと通信機の自作を試みる者、地球での思い出を次の惑星に語り継ぐのだと文章を書くものもいた。この記録はその人がメモした内容と俺の記憶で作ってある。俺ともう一人は特に趣味がないという一点で意気投合した。やることが思いつかずふらふらと宇宙船の中を散歩していると、料理を趣味にしている人が両手を合わせて頼んできた。「葉物野菜の食感だけはどうしてもフリーズドライのもので再現するのが難しいの。手伝ってください」と。そうして、俺ともう一人はペアを組んで葉物野菜のプチ園芸をして過ごすことに決めた。』
「趣味だけに生きられるのか……」
咲良は呟く。もし、大樹が宇宙船に乗ったならずっとバスケをしようとするだろうか。鹿子はきっと宇宙船の端から端まで探検して気になった事を片っ端から調べるんだろう。ーーそれは、ある意味でとても幸せな時間のように咲良は思った。多くのものを失うが、ごく一部の人とは生涯別れずに済み、自分らしさを追求できる世界。
『穏やかに過ごしていたある日。突如、宇宙船内の通信機が鳴った。ピロピローという、なんとも肩の力が抜けるような呼びだし音。通信機は園芸コーナーのすぐ側にあったので俺が出た。マヌケな音に油断して気の抜けた応答をした。……それを、すぐに後悔した。発信者は別の宇宙船にいる乗組員。
発信者の第一声は「助けてくれ」だった。宇宙船のエアー周りの設備に致命的な整備不良が見つかったらしい。宇宙に投げ出されるのは時間の問題だと、裏返った声が響いた。ひっぱくした声がスピーカーを通じて俺達のいる宇宙船内に響く。何事かと女性陣が集まって来る気配がして、俺は慌てて通信機のボリュームを落とした。俺にだけかろうじて聞こえる音量にし、耳を澄ませる。スピーカーからすすり泣く声が聞こえてきた。まるで隣にいるような明瞭さで届く声。だけれど、俺にはどうすることもできない。通信マイクを一度オフにして、集まってきた女性陣に心配はいらない。通信機のメンテナンスだと説明し、各々の持ち場に戻ってもらった。
この広い宇宙のどこにいるのかも分からない発信者を助けてやるには、距離が遠すぎる。宇宙船の整備技術も足りなかった。通信を聞く人間が増えたところでその現実は変わらない。そして、そのことは発信者も分かっている様子だった。助けを求めても、どうしようもないのだとまるで呪文のように繰り返し呟いている。嗚咽混じりの取り留めもない言葉が低く俺の耳を揺らした。俺はせめて聞いていることを伝えるために、通信のマイクを指先で叩いた。相槌の代わりだ。やがて、大きな音がして、通信が切れた。』
咲良は息をのんだ。次のページを開こうと動かしていた手が止まった。淳の言葉は淡々としていたが、それが逆に現実なのだと突きつけて来るようだった。
「違う。これはただの、お話。フィクション」
咲良が強く口にした言葉はからっぽの家に虚しく響く。ミシッと咲良の言葉に相槌を打つような家鳴りが響き、咲良は自分で自分を抱きしめる。いつのまにか浅くなっていた呼吸に気付いた咲良は、深く息を吐いた。目を閉じ、心を落ち着ける。
そうして再び淳の日記を見た。後すこしで、鹿子のみたページにたどり着くことに気付いた咲良は怖じけづく。鹿子が動揺するほどの内容、今見た話よりもひどい話である事は想像できた。




