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家族揃っての夕食

 鹿子の背中を見送った咲良は、手に残された自分のスマホを見た。「咲良は最後のページ見ないほうがいい」という鹿子の言葉が脳内にこだまする。淳に何かが起きるのだろうか?しかし、最後に読んだ段階では幸せに過ごしたと書いてあったはずだと、咲良は不吉な予感を即座に否定した。ただ単に日記を読み進めれば簡単に答えが出るのだと分かっている。わかっていてもグルグルと考えるのは、知ってしまった後では知らなかったことにできないからだった。読み進めたい気持ちと、鹿子の忠告した意味を知るのが怖いと思う気持ちとの間で咲良は揺れた。


「咲良?何かあったの?どうして玄関にぼーっと立ってるの?」

 いつまでもリビングに戻らない咲良を心配したのであろう母親の声がして、咲良は我に返る。

「ん。大丈夫」

 咲良は反射的にそう答えて、リビングにもどった。食卓に所せましと並ぶ料理を見て、それまで咲良の心を占めていた悩みが驚きにとって変わられる。


「えっ、すごい、なにこれ。私と、父さんと母さんの好物全部あるじゃん」

 思わず上がった咲良の歓声に母親が嬉しそうに笑った。咲良がつまみ食いしようと手を伸ばす。母親はそれを見逃さず軽く叩いて注意した。咲良が舌を出して目で謝って見せる。それを母親が小さくため息をついて笑い、許す。咲良と母親が時々やるなんてことない日常のやりとり。


「すごいでしょ?咲良も作りたかったら、このノート使うと良いわ。レシピまとめといたから」

 日常の延長みたいな声で母親が手の平サイズのノートを咲良に渡した。あまりに自然に手渡されたせいで咲良はうっかりこう言いかけた。今、物を整理している最中だからいらない。ついでにノートを押し返そうと手に力を込めた。だけど、言葉が咲良の舌先を離れる前に慌てて口を閉じた咲良。ある可能性に気づいたせいだった。

 今、地球上には二種類の人間がいる。つまり、宇宙船に乗る者と、地下で暮らす者。どちらも出発日は人に言えない決まりになっている。移動の際、余計な混乱や騒ぎを避けるためだ。

 記念日でもないのに、家族の好きなものがたくさん並ぶ豪勢な食卓、わざわざノートにまとめられたレシピ。咲良が旅立つのにはまだ四日あるが、どうやら母親はもっと早く、この家と別れるらしいことが分かってしまった。


「ありがとう」

 咲良はノートを受けとると自分の胸にギュッと押し当てた。かろうじて涙は目の奥に留まっている。母親に向かって上手に笑いかけられているだろう思い、それを咲良は内心で誇った。


「いいえ、どういたしまして」

 そう言ってにこりと微笑んだ母親はジッと咲良の顔を見つめた。マジマジと咲良を見つめる様に、咲良の中の懸念が確信に変わる。母親はまるで咲良の姿をその目にしっかりと焼き付けようとでもしているかのようだった。瞬きすらしない母親の気迫に圧されて咲良は見つめかえす。


「なに?なんかついてるの?」

 咲良はゆっくりと母親に問い掛けた。本当は、母親にもうこれでお別れなのかと問いただしたい気持ちだった。でも、直接言葉にして聞いてしまえば決まりを破ることになる。人に出発日を漏らしたところで罰則はないとはいえ、咲良も母親も決まりを破るのは好まない性格だった。咲良は母親の視線をあまりに長く受け止めすぎて居心地の悪さを感じ始めた。


 リビングの時計の針がやけに大きな音を立てて時を刻む。赤く差していた夕日はいつのまにかとっぷりと沈み、お互いの表情がよく見えなくなった頃。


「ただいまー」

 ガチャリと音を立てて玄関のドアが開いた。仕事から帰ってきた父親がのんきな声を家中に響かせる。


 母親が咲良のとなりをすり抜けて、父親のいる玄関へと一歩近づいた。

「咲良、元気でね」咲良とのすれ違い際に、あまりに小さな母親の声が咲良の耳に届く。

「うん」咲良は、ため息と深呼吸の間みたいな返事を返す。


「なんだ?二人ともそんなところにボーッと立って、どうしたんだ?」

 不思議そうに言う父親の声がして、パチン、とリビングの電気がつく。急に明るくなった視界に咲良は目を細めた。


「いいえ?なんでもないわ、今夜はご馳走よ」

 弾むような調子で母親が返事をし、食卓テーブルを差した。


「おぉ!!カラアゲ、ハンバーグ、刺身に、俺が飲みたかった日本酒まであるじゃないか」

 母親の指差した先を確認するなり、ウキウキと子供のようにはしゃいだ声を上げる父親。背広を脱いで母親に手渡しながらいそいそとネクタイを緩める。そのままカラアゲをつまみ食いしようと手を伸ばした。母親がその手をパチンと叩く。「まったく、お父さんも咲良もそういうところそっくりなんだから」とため息をつく母親。ペロリと舌を出した父親は、お小言から逃げるように寝室へ歩を進めた。その後ろを背広にブラシをかけながら母親は追いかけていく。その間も父親はずっとご機嫌で、どれから食べようかなどと母親に話しかけ続けている。母親は、焦らなくても料理は逃げないからね、などとまるで幼子に言い聞かせるみたいにして応えていた。


 二人の声があまりに楽しそうでいつまでも見ていたいと咲良は思った。思ってしまってから、咲良はこんな光景がもう見納めなのだと気付いて、そっと目を伏せる。咲良の鼻の奥に痛みが走り、それが目元まで上がる前に意識を食卓へと向けた。

 食べきれるのか心配になるほど所せましと多様な料理が少しずつ並んでいる。大樹と食べた夕食みたいにオシャレじゃないけれど、そのどれもが家族の誰かの好物で、うれしくなる光景だった。


「さて、皆揃ったし、食べましょうか。父さんたら、独り占めして食べるとか言い出したのよ」母親の声が背中に聞こえて、咲良は振り向いた。部屋着に着替えた父親が頭を掻いている。その後ろで、母親が呆れたように父親の顔を見上げていた。

「母さんの料理は美味しいからな」

 父親はそういうと素早く席に座った。

「早く食べよう」

 いただきますの挨拶をすっ飛ばして箸を持つ父親。それを見た母親がため息をついて注意する。

「ご挨拶は……って、あなたもう、いくつになるのよ……」炊飯器から白ご飯をよそいながら母親は遠慮なく大きなため息をついた。


「えっとな、四十八歳!シワ……が刻まれるにはまだ若いよな?」

 父親が自分の手の平を見ながら嬉しそうに言った。咲良は自分の席に座り、父親にツッコミを入れる。

「母さんが言ったのそういうことじゃないと思うんだけど」

「本当、会話だけ聞いたらどっちが子供かわからないわよねぇ」

 人数分の茶碗を持ってきた母親が、咲良の言葉に深く頷いた。


「いただきます」

 家族三人の声がリビングに広がる。終始ハイテンションな父親の話に母親と咲良が相づちを打つ形で、和やかに食事が進む。食べきれるのか心配になるほどあったのに、気付けばあっという間に三人のお腹の中へおさまっていた。


「っはー。食べた食べた」

 父親は満足げに言い、もともと丸いお腹をボールのように膨らませてぽんぽんと叩く。

「余るぐらい作ったつもりだったのに、すごい食欲ね」

 空になった皿を片付けながら母親が嬉しそうに言った。咲良は何となく母親の側にいたくて、普段はしないことを言った。


「お皿洗うの、手伝うよ」


 母親は目を丸くして「本当に!?」と声を上げ、嬉しそうに胸の前で手の平を合わせた。咲良を拝んでいるようなポーズで「助かるわぁ」と喜ぶその様子に、いつもならソファーの上でごろごろしているだけの父親も、提案してきた。


「じゃあ、食器棚にしまうのは俺がするよ」

 三人はそう広くないキッチンにすし詰めみたいにして立って、バケツリレーのように食器を洗い片付けていく。

 最後のお皿を父親が食器棚にしまうと、母親と咲良に向かってピースサインをした。父親の得意満面な笑顔に三人は顔を見合わせて笑いあう。お皿を家族で片付けただけなのに、温かな笑い声が台所に満ちた。協力して物事を成し遂げるとこんなに嬉しいのかと咲良は驚く。


「皆でやるとあっという間なのねぇ」

 ひとしきり笑い終えた母親が感動したような声を上げ、咲良と父親をまとめて抱きしめた。咲良の頬に水滴が一粒ついて、思わず咲良は母親を見上げる。母親の潤んだ瞳と目が合い、母親は恥ずかしそうに目をそらす。その時になってはじめて、咲良はもっと手伝いをしてくればよかったと後悔した。三人で一緒に片付けるのは楽しいのに、どうしてこんな時にならないとその楽しさを忘れてしまうんだろうかと悔しかった。


「ねぇ、母さん、今日は三人で一緒に寝ようか」

 もっと、ちゃんと一緒にいたくて、咲良は母親にそう提案した。

「いいな!」父親が目を輝かせて同意する。


 両親の寝室に咲良のマットレスだけを持ち込んで三人で寝転んだ。

「美味しい料理に、愛おしい妻と娘、俺は幸せものだなぁ」

 誰に言うでもなく、父親がつぶやいた。

「子供っぽいけどちゃんとやるべき時はやる父親と真面目に素直に育ってくれた娘は私の誇りだわ」

 返事をするように母親がつぶやいた。

 咲良は言いたい言葉が胸の中で渋滞を起こして、なかなか言葉がでなかった。

「私、お父さんとお母さんの子供で良かった」

 ようやくそれだけを咲良が言うと、沈黙が降りてきた。安心感のある静けさに包まれて咲良は目を閉じる。


 明け方、皆を起こさないようにソッと寝室をでていく足音を咲良は夢の中で聞いた。


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