鹿子の本音
「ところでさ。……出発の準備は順調?」
鹿子は話題を仕切り直すように言った。そうして、ぐるりと咲良の部屋を見渡し、まぁ準備は万端って感じするよねと小さな声で続ける。
「まぁね、この部屋を見てまだ準備できてないと言っても信じないでしょ?」
咲良は答えつつ、鹿子の視線を追うようにしてベットとミニテーブル以外端に追いやられた荷物を見た。
「咲良はいつだって手際良いもんなぁ。真面目でなんでも卒なくこなせちゃう」
鹿子はパタリと寝転がって天井を見ながら言葉を続ける。
「夏休みの宿題とかだって七月中に終わらせちゃうじゃん?」
「そして、それを八月の終わりに鹿子が写すのよね」
からかうような調子で咲良が答え、鹿子は頬を膨らませる。
「九月になってから写すこともあったけどね。……その節はお世話になりました。あーぁ、なんでやんなきゃいけない事ってこうも面倒なことばかりなんだろう」
鹿子はごろりと寝返りを打つと鹿子のベットの下を覗き込んだ。
「ありゃ、残念。ここにも咲良の弱点は隠れてなかったのか。さすが咲良、ベットの下に隠してるようなモノさえも何にもない。弟ったら全然片付けようともしないもんだからね。家族みんなで片付けを手伝ってたらさ……」
ブツブツと愚痴る鹿子は、その内容に反してまるで悪戯をしかける前の子供のようにニヤニヤしていた。早くしゃべりたい気持ちが鹿子の足をパタパタと動かしているように見えた。
「思春期真っ只中です!って感じの本が出てきた?お姉さんがセクシーポーズとってるみたいな」
咲良が鹿子の言いたいことを先回りして伝え、同時にベッドの下を見ていた鹿子の視界を両手で奪う。大きな綿ぼこりでも発見されたらと思うと恥ずかしかった。
「まぁね、ざっくざく出てきたよ。弟、悲鳴みたいな声を上げて必死に隠してたけど。そうならないようにさっさと片付けてたらよかったのにね」
鹿子は思い出し笑いをするようにクククと喉の奥で笑った。つられて咲良も笑いながら、「予定を先送りする似たもの姉弟じゃん」と言う。
「まぁねぇ。やりたいことをやってたら時間がなくなるよね。咲良のきちんと時間を使えて準備するとこ、本気で尊敬してるわ」
鹿子は視界を覆っていた咲良の手を優しく握り、真剣な眼差しを向けた。
「鹿子、そうやってまっすぐ言葉を伝えるところ、私にはとても真似できないよ」
じっと目を見つめられながら発せられた口調に照れて咲良は目をそらした。照れながらも咲良は言葉を続ける。今伝えておかないと、もう伝えるタイミングがないことを、咲良も鹿子も口にこそしないがわかっていた。
「鹿子、周りがどんな空気でもちゃんと思ったことをまっすぐ表現してるもん」
「昔は……たしかに気をつけてたよ。まっすぐ表現する自分に誇りも持ってた。自分に嘘つくみたいな言葉を使うとさ、未来でその言葉に苦しむから。だけど、今は……」
鹿子が静かなトーンで、語る。照れた咲良の横顔を見ていた鹿子はスッと視線を咲良から逸らした。そのまま部屋の角を鹿子は睨むみたいな顔つきになる。不自然に開いた間を心配した咲良が鹿子を見ると、鹿子は薄く笑う。
「ただの半端モノだよ。その場の空気をきちんと読んで対応できる方が社会全体で見たときによい人間だと学んだからね。だから最近はちゃんと、心で感じてない言葉も使えてるし、大人になるって結局そういうことなんだと思う」
今度は咲良が鹿子をじっと見つめる番だった。鹿子は咲良の部屋の角にまるで何か倒すべきモノがいるかのように鋭く睨みつけている。
「ねぇ、咲良。私やっぱりさ……」
鹿子は上半身を起こして咲良を見た。咲良は鹿子が次になにを言うのか見当が付かずキョトンとして続きを待った。
「今の社会が、おかしいと思うんだ。どうしてみんな普通に受け入れているのかわからないよ。百万歩譲って地下生活になるのは仕方ないって分かるよ。自然現象に対抗するための知恵だと思う。地下で暮らすためにアスファルトを蓄光性にしたり、電線を地面埋めたりとかきちんと計画立てて準備する必要があるのもわかる。地上で暮らすのとなるべく差がないようにって急ピッチで体制を整えてるよね。そのことに、なにもしてない私が文句を言うのは違うと分かってる。わかってるけど、でも……」
咲良が、鹿子の言いたい言葉に気づいたときには手遅れだった。
「なんなの?今度降って来るミサイル。あれは阻止できないモノじゃないじゃん。国のお偉いさんのくだらない意地の張り合い。みんな地下で生活するのが決まってるからって。地上を焼き尽くすほどのミサイルが雨みたいに降るのを皆黙って見てるのっておかしいよ。相手は人間だよ。交渉不能な自然現象とはわけが違うんだよ。なに?自分たちは地下にいて安全だからってそれまで過ごしてきた地上が焼け野原になるのを黙って受け入れるのが大人ってことなの?」
早口にそう絶叫する鹿子。咲良は何と返事をするべきか迷って、ただ鹿子の気持ちを宥めるように背を撫でた。
「ごめん。咲良にすべき話じゃないのにね。家族や他の人の前では絶対に言わないでいられたのにな。なんか、咲良には……聞いてほしかったの、かもしれない」
鹿子は少し落ち着いた様子でそう言った。
「ううん。謝らなくて良いよ。私だって、すべてをきちんと受け止め切れてるわけじゃないから」
咲良は首を左右に振り、目立つところに置いてあるパスポートを見た。
「お偉い、権力のある自分たちは地上をめちゃくちゃにするのを止めないの。止められないの。言葉が通じる相手と話せば止められるかも知れない。その可能性はまだあるでしょ。それをしないのに……でも、若く元気な人には人類が過ごせる新惑星を探させるの。どちらの方が可能性が高いのかなんて……」
鹿子は咲良の視線を追い、パスポートを見つけるとそうまくし立て、最後の言葉を押し込めるように口元に手をやった。鹿子が飲み込んだ言葉はしかし、咲良の中にすでにあるものだった。発せられなかった言葉が咲良の頭を駆け巡る。咲良が地球に変わる惑星を見つけられる可能性なんて、数日後に発射されるミサイルがキャンセルされるぐらいありえない話だ。
「どのみち、今住んでる星じゃ、異常気象で一年の半分は外に出られないからね」
今度は咲良が無理に笑顔を作る番だった。あと四日後、咲良と鹿子の弟はそれぞれ決められた宇宙船に乗り込む。酸素と水がある惑星を見つけるために。確率は限りなくゼロに近いだろうと言われている。それでも万が一。万が一、見つけられたら地球上の皆がその惑星に移住し、今よりも質の高い生活が送れる。そんな重すぎる社会の期待を咲良と鹿子の弟は背負っていた。仮に見つけられなければ、宇宙のどこかで命を使い果たすだけ。咲良も、鹿子の弟も。出発の日まではあと四日。咲良は地面に永遠の別れを告げる覚悟をずっと準備している。
「妙な流行り病のおかげで、距離があってもデータや思想のやり取りはできる。かつては難しいと言われてた物流までが人の手じゃなくてロボットが管理しはじめたでしょ?じゃぁ、第二惑星なんて探さなくてもさ、なんとか方法考えられるんじゃないの?異常気象だけじゃなくて、ミサイルを降らせるとか、誰も望んでないでしょ?……だけど。みんな、喋る前に考えすぎて、勢いにまかせて言葉を出さなくなったよね。出せなくなったよね。それが正しいことでも、声を上げることのリスクばかりが気になってさ」
鹿子は寂しげに言い、俯いた。小さな声で「自分がまだまだ大人になり切れてないだけで、大人として正しいのは周囲だと分かってるよ」と付け足した。
咲良は鹿子にかける言葉を持っていなかった。これが他の友人なら、冗談の一つでも飛ばしてその場を誤魔化してしまっただろう。だけれど不器用な鹿子の魂から出てくるような思いを、自分の居心地の悪さのために冗談にしてしまってはダメだと考えた。
「鹿子」
咲良はようやくそれだけを言うと、鹿子の体を抱きしめた。鹿子が言っているのは咲良の心の奥底に閉じ込めた感情にとても近かった。ただ、それは幼子のように喚くのを止しとしない咲良の理性が、ずっと蓋をして、押し潰して来ているもの。世界中の期待を背負った咲良が口にしていい言葉じゃないと強く自分を戒めていた。
「咲良」
パッと体を離した鹿子は咲良の両頬を掴み、目をじっと見た。
「私、咲良の味方だから。たとえ咲良が、私の考えと真逆の考えを持ってても。咲良の味方だから。覚えていて」
咲良はただ頷くしかなかった。鹿子の詰めてた息が咲良の頬にかかる。
「なんか、愛の告白みたいになったね」
急に笑顔になって鹿子は言い、一気に空気が和らいだ。
「だね」
咲良はそう返して、ミニテーブルの上にあるうぐいすあんの団子に手を伸ばした。それを見た鹿子は、みたらし団子に手を伸ばす。
「なかなかおいしいね」
団子を頬張った二人の言葉が重なって、笑い声までもが重なる。
咲良と鹿子の二人は、他の誰にも言えない本音を言える、言っても大丈夫だと安心できるかけがえのない存在だと改めて確認しあった。




