鹿子と思い出話
咲良は、ごみ箱の底に転がった団子の串を見ながら四日後に迫った引っ越しの話から逃げられる話題を探した。しかし、何も思いつかなくて、焦りから部屋のあちこちに視線を走らせ始める。なにか良いきっかけになる話題はないかと考えを巡らせ、整理された荷物が山程に積まれたコーナーに目を止めた。その中にあるアルバムに目を付ける。咲良はそれを引っ張り出して、鹿子と自分の間に広げた。
咲良は無言のままアルバムの1ページ目を開いて、鹿子へ見せた。そこに写る両親と咲良の姿に鹿子が驚きの声を上げる。
「わ、咲良いいなぁ。産まれた時に宇宙旅行してるの!!」
「全然記憶にないんだけどね」
咲良は表情を変えずに答え、パラパラとページをめくる。鹿子と出会った小学校時代の写真が見えたところでその手を止めた。そこにはぴかぴかのランドセルを背負って小学校門隣にある桜の前でポーズを取る咲良と鹿子が写っている。
「たまたま二人とも入学式の開始時間より早く来ちゃったんだよねぇ」
鹿子がその写真を見て懐かしそうに口を開いた。
鹿子の声に咲良は記憶を呼び覚ます。
小学校入学式の日、万が一にも遅刻してはいけないと母親の手を引っ張るようにして小学校に向かった咲良。たどり着いた小学校は静かで誰もいなかった。そのことに不安を覚えた咲良は母親の顔を見あげた。母親は腕時計を見て、首を傾げ、鞄から入学案内を取り出して時間を確認した。
「一時間間違えて来ちゃったみたい」母親はコツンと自らの頭を小突いて、咲良に説明した。入学式を楽しみにしていた咲良は母親の言葉にショックを受ける。あと1時間も先だなんてとても待てないと思った。咲良がショックのあまり声を失っていると、咲良の背中から「えぇーーー!!」と辺りに響く大きな声がした。その声に驚いて咲良が振り向いた先にいたのが鹿子だった。
「あと一時間も待てないよねぇ」初対面の鹿子は自己紹介よりも先に咲良へ共感を求めて話しかける。鹿子の側にいた鹿子の母親が、「コラ、まずは、ご挨拶」と叱ったのが昨日のことのように思い出されて咲良はふっと笑った。
「あ、今なんか失礼なこと思い出してたでしょ?」
咲良の笑いを見咎めて鹿子が口を尖らせた。
「出会った時のこと思い出してただけだよ」
咲良は首を振って白状した。
「あー、覚えてる。早く来すぎて、二人で学校周辺で写真撮影会したよね」
鹿子がうんうんと頷いた。鹿子の言葉を補強するように、咲良と鹿子が小学校の至るところでポーズを取っている写真がアルバムページに貼られている。
「懐かしいね」
鹿子はそう言いながらアルバムのページをめくっていく。数枚めくったところで開かれたページに貼付けられ一枚の写真をそっと撫でる。そこには運動会で一位のゴールテープを切っている咲良が写っていた。満面の笑顔で万歳した瞬間を切り取られた様子は、競争に勝った喜びを全身で叫んでいるようだった。
「これは小学校三年の時だっけ?」
思い出すような表情で鹿子は言い、「四年生の時だよ」と咲良が訂正した。
「四年かぁ。障害物競争がある最後の年で、運動の苦手な咲良がなぜか、一位を取るって言い出したんだよね」
鹿子は懐かしそうな表情で言い、写真に写る咲良の頭を人差し指でいい子、いい子とつぶやきながら撫でた。良く頑張ったと小声で労い、その目はまるで保護者のように優しく光っていた。
「何故か、じゃないよ。鹿子が言ったの。”咲良、勉強は出来るけど、私に運動では一度も勝ててないね”って」
咲良は首を緩やかにふりながら思い出をすり合わせていく。
「ありゃ?私そんなこと言ったんだ?」
目を丸くして鹿子は咲良を見た。咲良も鹿子を見つめかえし、ゆっくりと頷いて見せた。
「そう。それが悔しくってたまらなかったの。私。絶対鹿子に勝ってやろうと思って。だけど普通のかけっこじゃ敵う気がしなかったから。運の要素も絡んで来る障害物競争なら勝てる気がして。それに賭けたんだよ」
「あぁ、咲良が毎日放課後に障害物競争の練習してたのは覚えてる。その姿があんまりに楽しそうだったから、練習に混ぜてもらったっけ」
鹿子は首を何度も縦に振りながら言う。その目は過去の光景を見ているかのようにどこか遠くを見つめていた。
「そうそう。私、鹿子と一緒に練習してたけど。内心では、鹿子に勝ちたくて練習してるのに、って思ってた。鹿子まで練習しだしたから、勝ち目ないじゃん!って。今だから言えるけどね」
きっと同じ光景を思い出しているのだと手応えを感じた咲良が当時の心境を語った。
「えー、だけどさ。咲良が、”今日も練習一緒にする?”って誘いに来てくれたの覚えてるよ」
鹿子は驚きながらも反論した。ふと出されたお茶が冷めかけているのに気づいたのか、鹿子はコップに手を伸ばし、お茶を一口飲んだ。鹿子はため息混じりにおいしいと感想を漏らした。
「だって、準備万端の鹿子に勝てた方がもっと気持ちが良いだろうって。そう、すぐに考え直したからね」
咲良は腕を組んでどうだと言わんばかりの顔をして見せ、鹿子に続いてお茶を啜った。人肌ぐらいに冷めた緑茶が口の中をさっぱりさせながら喉を通っていく。
「咲良って、本当真面目だし、負けず嫌いだよね」
鹿子はそういって口角を上げた。二人の間にあの日のような楽しさが満ちていく。アルバムをめくる度に思い出が次々とあふれ出て、咲良は改めて鹿子が、鹿子と過ごした時間が好きだと思った。
「咲良、本当良い親友だわ。大好き」
咲良の心を読んだかのように鹿子が言葉をこぼした。まっすぐ伝えられた好意に照れてしまった咲良は胸を張って見せるだけで言葉を返せない。
「私が一時期周囲に馴染めなかった時があったでしょ?」
そういってアルバムのページを鹿子がめくる。そこには高校時代の写真がところせましと並んでいた。
「うんっと……」
咲良は何と答えるべきか迷い、中途半端な言葉を返す。鹿子の口調は平坦で落ち込んでいるようには聞こえなかったけれど、自分が周囲に馴染めなかった記憶は思い出して嬉しいものじゃないだろうと考えたからだった。それに、馴染めなかったといっても高校生に上がった春のほんの短い間だったはず。夏休みが終わる頃には、鹿子のキャラが受け入れられ、咲良の憧れる「自然体で振る舞える地位」を鹿子は築けていたように記憶している。
「大丈夫だよ。空気を読むのが下手なせいだったって今は分かってるから」
鹿子は咲良の心配を察したように微笑んだ。
「でも、私は。自分の気持ちをまっすぐ表現できる鹿子を尊敬してるし、鹿子は魅力的だと思うよ」
咲良は鹿子が落ち込んでいるのだと思って言葉を紡いだ。嘘偽りなく、咲良の中にある鹿子の評価をそのまま言葉に乗せた。そこに嘘はない。
「……まっすぐ、表現できる私、か」
鹿子は咲良の言葉を聞いて表情を曇らせた。
「昔の私は、できてたのにね」
ふぅーっと鹿子が長い息を吐いた。元気づけるつもりだった言葉に真逆の反応が帰ってきて咲良は戸惑った。恐る恐る鹿子の名前を呼んでその先の気持ちを聞き出す咲良。
「……ある程度さ、社会で生きるってことは、周囲に合わせる必要もあるじゃない?自分に嘘つくって訳じゃないけど。周囲に合わせて好みじゃないモノでも好みだと言っちゃう必要がさ。当たり障りのない言動が、高校生のころよりは上手くなったよ、私」
鹿子はアルバムに写る自分の姿を撫でて小声で問い掛けた。
「この頃の私が、今の私を見たら、何て言うかな……大人になるって、自分を上手く押し殺すことだっけ。それなら、私、大人になんてなりたくなかったのかもね」
咲良は何とも答えられずにただ鹿子の様子を見る。鹿子はアルバムから顔を上げると、ぱっと笑顔を作り、咲良に向けた。
「なんてね!びっくりした?私らしくもないこと急に言いだしてゴメンね」
妙に明るく、鹿子が言う。咲良には鹿子が無理して笑っているのがわかったが、それが分かったところで鹿子にかける言葉を見つけることはできなかった。




