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引っ越し

 咲良は汗が頬を伝うのを手の甲で拭きながら、荷物を仕分けている。咲良のお腹が情けない声を上げた。朝起きて母親の用意していたみそ汁を飲んでからは、何も食べていない。昼飯時を過ぎても終わらない作業が、滴るほどの汗を咲良に促していた。外では桜が舞い、換気のために開けてある自室の窓からは時折強い風が吹き込んで咲良の脇を通りすぎていく。その風がまとめた紙類を散らし、咲良は大きなため息をつく。


 咲良の引っ越しは一週間後に迫っている。引越先は今暮らしている場所よりも、ぐっと狭い場所になる予定だ。その中で暮らすために咲良はほとんどの所有物を手放す必要があった。DVDやCD、お気に入りの洋服、コレクション、小説や漫画や友人達からの手紙……咲良はそれら自由時間の化身を無表情でゴミ袋に入れていく。スマートフォンの要不要を考える段階になってふと、手を止めた。そのまま検索サイトを表示させ、『共同生活 心得』と打ち込む。

 咲良をインターネット検索に駆り立てたのは一週間後から始まる生活への不安だった。


 咲良は自分の心を軽くするような情報を見付けられないだろうかと、つまらなさそうな表情で検索結果に指を滑らせる。何度か検索結果のページをめくった先に『宇宙で共同生活のススメ』という文言が表示された。咲良は二、三目をしばたかせてから、人差し指でそこをタップする。


『我々は今日、地球を旅立つ。』

 黒い背景に白地で書かれた言葉が咲良の目に飛び込んできた。ざっとそのウェブページを見て回る咲良。どうやら個人の日記らしいことが分かった。更新日は二千年となっている。ちょうど千年前だ、と咲良は思った。


「二千年……って宇宙旅行できる技術あったっけ?」

 咲良は呟き、義務教育で習った歴史を思い出そうと目を閉じた。

「いや……確か、まだまだITの発達に加速が付くか付かないかの時期だったはず。あれ?月に初めて人が立ったのがこの頃だっけ……」

 ぶつぶつと言葉を続けながら、咲良は手のひらを口にあて、眉間にしわを寄せた。


「あぁ、そういえば。一般市民の宇宙旅行が実現したのが、私の産まれ年だっけ」

 咲良は少し前に紙ゴミとしてまとめたアルバムに目をやり、思い出したように言った。そこには咲良が産まれた時から今日に至るまでの日々が納められている。そのトップページを飾っている写真が頭に浮かんだ。ロケットの入口を背景に両親と咲良の三人が写っている写真だ。二十年ほど前の写真で、その頃一気に社会のあり方が変わったと、咲良の周囲にいる年上の人は口々に言う。

 両親が何度も自慢げに「産まれてすぐに宇宙に行った子供なんてそう多くはないぞ」と言っていたのを咲良は思い出した。咲良の記憶にはないが、両親の言葉と写真がそれを事実だと裏付けている。


「……ってことは、これはただの妄想話なのか」

 咲良はがっかりしたような気持ちで地球を飛び立つと書かれたウェブページの先を読み進めた。


『記録者、名前はあつし。ちょうど三十歳になったばかりの特筆することない男だ。正直なところ、こういう文章は書き慣れていなくて、どんな記録を残しておけば後世に役立つのか検討もつかない。ただ、この記録を後の世に残すことで、俺の生きた時間が少しでも意味のあるものになる、なってほしいのかもしれない。』


 文章を書き慣れてない人か……と咲良は呟いた。書き慣れてないと自称するぐらいだ、読んでも大して面白くないのかもしれない。スマートフォンから顔を上げ、ゴミ袋に詰め込んだ大切だったものを咲良は見やる。山のように積まれたそれらに鼻の奥が痛み、鼻をさすった。本当は今すぐにでも仕分け作業に戻るべきだ。そう、頭で自分を励ますような言葉を唱えてみたが、体が動かない。仕方ないことだと理解しているとは言え、まだ心の整理が追いついてない。好きな物をゴミ袋に詰め込む作業。大切な物をそこに詰め込む度にちくちくと胸のあたりが痛むのを咲良は感じていた。無視できないほどの痛みではないが、決して痛くないわけではない。でも、痛がってばかりもいられない。するべきことから目をそらして、咲良はスマートフォンに視線を戻した。読みにくい文章で、たとえ面白くなかったとしても、現実逃避にはちょうど良いだろうと思ったから。


『まずは、地球を離れることになった経緯から書くことにする。端的に言えば、Z国のお偉いさんが、ゲームのスイッチと核爆弾発射のスイッチを押し間違えたせいだ。Z国から発射された核爆弾は、A国に着弾するらしい。それをレーダーで確認したA国から次の核爆弾が発射される。着弾予定地はZ国と親交の深いB国。B国に着弾すると、政治的に今、最も関係性の悪いC国にむけて発射される。そう、まるでドミノ倒しのようだろう?地球全面を一年かけて核爆弾の雨が降り続くことになった。これを読んだ読者は、さっさと解除のボタンを押せばいいと思っただろうか?だが、一度失われた信頼はそんな簡単な行動も難しくさせる。自国が核爆弾の発射を取り下げたとして、他国がそれに続く保障がどこにあるだろうか?いや、ない。……そうお偉いさん方は考えるらしい。だけどまあしかし、愉快なこともあった。いつも国民を見下げるように踏ん反り返っていたお偉いさん方。今やテレビを付ける度に見られるのはいけ好かない作った笑顔ではない。薄くなった頭頂部だ。謝罪の映像がテレビ映る度に、何とも言えない爽快感というか、まるで頭を下げられている私たちの方が偉くなったかのような感覚が味わえた。想像してみてほしい。お偉いさんが真面目くさって「ゲームのボタンと間違って申し訳ありません」と謝る姿を。いっそのこと笑えてくるだろう?語られる内容が余りにお粗末過ぎて市民の誰も、Z国に文句を付けなかった。俺は三十年生きてきたが、あまりにくだらないと文句の一つさえでないことを初めて知った。』


 咲良は読みながら小さく笑う。千年も前の話なのに市民から見たお偉いさんの心証はあまり変わらないんだなとおかしくなった。


『俺達はその発表があってから半月で宇宙船を作り、選ばれた民が三十人ずつ宇宙へ脱出することになった。どうやって選ばれたのかは後の差別の種になりえるので割愛する。ただ、選ばれた民の目的は地球に変わる第二の惑星を発見し、そこで発展することだと明言だけしておく。そのために必要な人材が選ばれた。地球上での金持ちだとか権力だとか、発言力だとかそういうものは一切度外視された。Z国の核爆弾発射まで、あまり時間は残されていない。地球に住む全人類ができる限りそれまでの経済活動を停止して、脱出用の宇宙船や、宇宙へ脱出できない人のための地下シェルターを作ることに注力した。人類が一致団結して一つの目的に向かって汗を流したんだ。不謹慎だとわかっているが、文化祭の準備のような感覚があった。青春を再び取り戻したような充足感に心が躍った。周囲を見渡しても生き生きした顔ばかりだったように思う。その時、地球上にいた誰にも実感なんて湧いてなかったせいだろうな。』


 咲良はスマートフォンから顔を上げて小さく息を吐く。実感が湧かない、その言葉が咲良の現状と重なった。実感など湧かなくとも、きちんとやるべきことをやっている淳の言葉に背中を押されるように荷物の仕分け作業を再開した。

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