異世界旅情TSもの(仮題ひなたBocco‼ 略して鉈矛)四話 南海航路
ひなたは宿のそれより遥かに衛生的な青空トイレを堪能していた。
不思議とさっきまでの腹痛が収まった。
おしりはひりひりするが、冷静に考えるとあの子が襲ってくるかもしれない。
今の自分の姿は文字通り無防備そのものだった。
可憐なタンポポの葉を手折り、拭く。
隣にもっと拭きやすそうな葉があるが、あれはイラクサだ。
食べられるが葉全体にトゲがあり、あんなものでおしりを拭いたらたまったものではない。
タンポポありがとう、ごめんなさい。
ちなみにタンポポも食べられるぞ。いくつか食べたぞ。
気を取り直して推定魔族の少女と対峙する。
「ご、ごめん。待たせたね」
流石に恥ずかしい。
驚くべき事に推定魔族の軍勢は村を襲うことをやめ、村の外に整列していた。
「治った? キミ、コレ、持ってる?」
ミリムが傾けるのは粘り気を帯びた液体、ただのはちみつ。
余裕たっぷりの、上からの態度。
「え? はちみつ?」
「知ってるの!?」
「知らないの!?」
事情をきくとどうやらこの子はただのはちみつのために村を焼いていた。
あんまりだろう。
それでも貴重な情報源としてひとまず攻撃はされないか。
「うーん…… 砂糖がないのは分かってたけど……」
ひなたは腕を組んだ。
少女の足元にピンク色の小さな花弁がぴょこぴょこ飛び出す草花が見える。
かがんでそれを摘んだ。
「しょ…… っと。これ舐めてみ?」
1センチほどの、小さな花弁を渡す。
ホトケノザ。春の七草に含まれるのはコオニタビラコであってこれではない。
同属の茶色のグラデーションが美しいヒメオドリコソウとともによく見る雑草。
仏教があるかもわからないこの世界でそんなネーミングはないだろうが、この花は小さいながら蜜が吸えることは確かだった。
自らも一つ舐めてみせる。
ミリムは警戒しながらも口にする。
「へっ!? ……なにこれ!!?」
「蜂たちがこういう蜜を集めて作るんだよ、それ」
「人間が作ってるんじゃないの!?」
魔族にとってあらゆる物資は人間から奪い取るものだった。
人間もまた蜂から奪っているわけだが、この子には色々教える必要がありそうだ。
理科の教員免許なら持ってるぞ。
蜂さん殺せばはちみつはできない。
命のたいせつさも説けるだけ説いた。
「そっか、はちみつができるのはこれからなんだ」
あの眼力はなんだったんだろう。
ひなたの授業を興味津々に聴くミリムの姿は普通の少女に見えた。
「……だから、あんまり殺して奪ったりするのはよくないことなんだよ」
納得してくれたようだった。
それと同時に、目的を失い振り上げた手を降ろす場所を迷っている様子だった。
「そうだ、君、ここがどこだかわかる?」
この子に道を尋ねてみよう。
「ん? えっとね」
ミリムが立ち上がると周囲が光り、地図が浮かび上がる。
すごい。ホログラムだ。
「このへん」
王都から少し北を示していた。
地図は案の定、魔族側のもので”魔界”を中心に描かれていた。
「ありがとう! これで帰れるよ……」
「ん」
地図が消えると同時に光も消える。
そうか、光を複雑に屈折させてホログラムにしたのか。
ひらめいた。
光の屈折に干渉できるならまだ使いやすい魔法になるかもしれない。
ただ屈折させるだけ。
おひさまの力を借りるだけ。
魔力消費も少ないはずだ。
急いで魔導書に記入する。
ミリムが不思議そうに覗き込む。
「あ、ちょっと試したい魔法思いついて……」
地面の黒っぽい小石を対象にしてみる。
光学収束術式、起動。
空が暗くなった。
夕立に遭ったように、いきなり雲がたちこめるような。
あるいは皆既日食のような。
それと同時に小石が直視できないほど眩しく輝く。
ちゅん、と軽い音をたてて湯気となり、ガラス質の滓が残った。
「は?」
ミリムは戦慄した。
人生で初めて味わう恐怖という感情だった。
目の前の人間の女の子は今何をした?
小石を砕くのなら造作もない。
見たこともない輝きの中、小石はとろりと溶けて消えた。
その力を自分に向けられたとしたら。
炎を飛ばす魔法なら氷をぶつければいい。
避けてもいい。
敵の魔導士は近くに炎を生み出して飛ばしてきた。
それが今見たものは何だ?
まったく何の兆候もなかった。
避けられるわけがない。
絶対に敵に回してはいけない、そう思った。
「あ、あの…… 何したの……?」
とりあえず全軍撤退とジェスチャーで伝える。
整列した軍は速やかに退却を始める。
一方、あー、これも強すぎだよー、と頭を抱える少女はあっけらかんと答えた。
「ごめん、眩しかった?」
ひなたにしてみれば誤算だった。
一瞬とはいえ視界全部の太陽光を集められるとは思っていなかった。
どんな高級なカメラレンズもほんのわずかな歪みがある。
魔法の干渉は正確無比に一点に集めることができた。
ただただ屈折させるだけに代償は不要だった。
魔導書の三行目はこの世界のあらゆるものを瞬時に灼き尽くすレーザー兵器になった。
「いや…… えっと……」
まずい。
警戒されてしまった。
あとで一人で試したほうがよかった。
気まずい空気が流れる。
なにか、この子を落ち着かせるなにか。
「そうだ!!」
思いついた。
この子ははちみつを探していた。
甘味に飢えている。
冷静に考えれば、村を焼くだけの軍勢を率いる立場ならきっと強いんだろう。
巻き込んでしまうのはどうか。
「手を…… 組まない?」
お互いが「戦闘になれば死ぬかも」と認識した上での提案だった。
背中に冷や汗を感じながら身振り手振りを加えてミリムに説明する。
この世界にはたくさんの甘味が存在している。
南に行けばサトウキビもトロピカルなフルーツもあるだろう。
理由は明かせないが自分はそれを知っている。
他にも美味しいものがたっくさんある。
それを探しに行こうとしていたんだと。
扶養家族が仲間になった。
とりあえずさっきまで焼こうとしていた農村にごめんなさいしに行く。
幸いけが人もおらず、ボヤで済んでいた。
あつかましいお願いだったが、恐怖に震える村民たちはミリムの角や尻尾を隠すのに充分な布をわけてくれた。
二人ならんで王都に歩く。
たくさん話した。
ひなたの話す新天地はミリムにはとても刺激的で、蠱惑的な世界だった。
一方ひなたはミリムの立場を知ることになる。
ミリム・ターニア・グラゼアス。
え?
魔王?
いやいや、きっと魔王もたくさんいて群雄割拠なのかもしれない。
え?
ひとりしかいない?
魔族全てを統べる父親から継承したばかりだと。
マジで。
「お父さん、残念だったね……」
頭が追い付かない。自然とお悔やみ申し上げていた。
「ううん、パパとはろくに会ってなかったし! ひなたが気にすることじゃないよ!」
ミリムの表情は明るかった。
すっかり打ち解け合っていた。
うん。
魔族は悪じゃない。
分かり合える存在だ。
そう確信した。
王都。
いかにもお金かかってそうな服をまとい、細いヒゲが印象的なひょろっとしたおじさん、ケト商会当主、フォン・ヒュニック・ケトはひなたに土下座していた。
あの大男がやったことは想像した以上に重罪だった。
仮にひなたが王に訴えたとしたら。
このおじさんはよくて斬首。
そうでなければ裸で城壁に吊られ、死ぬまで貧民に石つぶてをぶつけられる。
そんな未来が待っていた。
おおう、死刑にもグレードがあるのか。エゲツねえ。
エリックの顔が脳裏をかすめるが、屈辱と苦しみマシマシトッピングのその処刑をこのおじさんに課す気にはなれなかった。
あの悲劇の原因はこのおじさんの悪意じゃない。
「ならさ、船と船員くれないかな?」
ケト商会の取り扱い品目録は既に手に入っていた。
目を背けたくなるような項目もあったが、薬品としての砂糖は明記されていた。
見本として並んでいた黒砂糖をミリムの口に放り込む。
「ふぁ……」
ミリムの顔が輝く。
かわいいなおい魔王。
秘めたる力は幾ばくか。
「も、もちろんご用意させていただきますぅううう」
はたしてひなたは船長となった。
用意された船は20mほど。
船室を有し、二本のマストには三角形のラテンセイルが張られていた。
排水量は20トンを超えるかもしれない。
自分の有する一級小型船舶操縦士の上限ぎりぎり。
もちろんこの世界でその免許を要求されることはなかった。
帆船を操った経験はない。
航行自体は船員に任せればいい。
ミリムは敵地潜入の背徳感なんて吹き飛んで食材の山に目を輝かせていた。
くいしんぼうさんめ。
さて、果物、野菜、ビタミンCが含まれるものはありったけ積もう。
こうなったらこの世界を変えてやる。
魔王討伐の勇者にはなれそうにないが、もっと大きな目標が見えた。
もやいが解かれる。
ロープが投げられると船体はゆっくりと離岸する。
帆がいっぱいに風を受ける。
さあ、翔けだそう、大海原へ。
勇者と魔王を乗せたその船は、人間と魔族が争うその戦線から離れ、遥か南方の新天地を目指し進み始めた。
「うぅ…… ぅえろぼぼぼぼぼ……」
青ざめたミリムのかわいらしい口からおぞましい音を立ててさっき食べたばかりの貴重な昼食は空より深い青に向けて放たれた。
「大丈夫かー?」
「だいじょば…… ない……」
ひなたには慣れた揺れだった。ミリムには初体験の揺れだった。
しぱっ! しぱぱぱぱぱっ! と音をたててトビウオが翔ぶ。
さきほどまで見えていた王都は水平線の向こうに沈んで消えた。
「なるったけ、遠くを見たほうがいいよ」
「なんにもないよぉ~」
海はどこまでもペンキをぶちまけたように青く、心臓とは違うビートのうねりが船を揺らす。
こればっかりは慣れだからなぁ……
苦笑いしながら水を渡す。
ミリムは受け取り、飲み干し、すぐ虹になった。
外洋では貴重な真水。
海水ならいくらでもある。
水とそれ以外に別けるだけなら魔法を使えばいい。
海水の成分はほとんど塩だ。
塩化ナトリウムに次いで塩化マグネシウム、硫酸マグネシウム、硫酸カルシウム、塩化カリウム。
豆腐を凝固させる「にがり」はこれだ。
純粋な水、H2Oは美味しくない。
微量ミネラルが残るように術式を筆記した。
魔導書ではない。
桶の底に刻み付けた。
その術式の行使に必要な知識はひなたにしかなかった。
通常大量に必要な真水のかわりに食材を載せた。
壊血病の心配は要らないな。
船員の”損耗”もゼロと計算し、最少人数に絞った。
正気なのか? と何度も確認されたが押し切った。
いける、問題ない。
ややしなびたミリムを前部甲板に残し、船体後部へ向かう。
ひなたにはやるべき事があった。
船尾には海に張り出すように個室がしつらえてあった。
ドアを開け、下着を降ろしてゆっくりと座る。
海面を駆け抜ける風が爽やかにその股間を撫でる。
ああ、なんという解放感。
船のトイレはただの穴だった。
出したものはそのまま海に吸い込まれた。
何も気にする必要はなかった。
海、最高。
それにイワシが群がり、刺身を逃れたカツオがそれを割る。
そうして海の生態系は回っていた。
ひなたは知っていた。
ミリムは知らなかった。
船内にはもう一つ注文した設備があった。
汲み上げられた海水で満たされた大きな桶に一抱えほどの大きさの金属箱が沈んでいた。
金属箱は煙突がついていて、中で火を焚けるようになっていた。
魔法で沸かしてもよかったが、使いすぎると死ぬ、と言われた謎のリソース、魔力の枯渇が怖かった。
船員の衛生管理も兼ねていた。
栄養失調以外の疾病リスクはいくらか低減できるだろう。
一番風呂の権利はもちろん船長のものだ。
船員どもはこの美少女のダシ汁に浸かれることを喜べ。
美少女はもうひとりいたな。
まだ甲板でしなびているんだろうか。
一番風呂は譲ってやろう。
「湯あみ? ひなたがしてくれるの?」
吐き気からは解放されたものの、まだ顔色は優れないミリムがしょんぼりと訊く。
そうか、身の回りすべてをお世話してもらっていたお姫様なのか。
仕方ない、背中を流してやるか。
仕方ない。しゃあなしやで。
脱がす。
脱がす。(二回言う)
脱ぐ。
なに、相手は子供だ。
そもそもこっちも女だ。
遠慮することはない。
二人してすっぽんぽんになった。
お湯をかき混ぜる。ちっと熱めかな。42℃。
裸の付き合いという文化はないらしい。
そもそも無防備な肢体を人間に晒すことも初めてだろう。
船酔いのことを差し引いてもミリムはやけにしおらしかった。
「塩水だけどね。いくよ?」
もじもじしているミリムにお湯をぶっかける。
体をこすると思ったより汚かった。
やわらかい体を伝いやや黒ずんだ水が流れていく。
排水口は船体の横っ腹から海に繋がっていた。
女の子とお風呂。
女の子同士キャッキャウフフ。
ちょっと考えなかったわけではない。
でも、もう拾った猫を洗っている気分になっていた。
ああ、こすってもこすっても垢が出てくる。
丸めてあった髪はほどくと背中まであった。
尻尾はお尻から皮膚の質感が変わり、きめ細かな鱗のような、トカゲのような、さらさらだった。
白く浮かびあがって強くこすりすぎたか? と心配したら脱皮するようにズルっと皮が剥けた。
なんだこれ、面白い。
羽は蝙蝠のように血管が透けて見えた。
骨格としては蝙蝠の羽は人間の腕に相当する。
それが背中から生えていた。
六本足の哺乳類は存在しない。
ミリムには二つの乳首と、ひとつのおへそがあった。
多肢症という奇形で六本足の牛が生まれた事例はある。
蛇なんて両手両足なくしてるんだ。
魔族とはそういう遺伝子を持った生き物なんだろう。
ああ、伸ばしっぱなしの爪の中が汚い。
ほじくる。
ちょっととがった耳の中も汚い。
ほじくる。
生物屋のさがだった。
尿道口、膣口、肛門が別々にあることも確認して全て清潔にしてやった。
嗅いでみた。うん、健康だな。
哺乳類でもハリモグラやカモノハシは総排泄孔といってあなは一つしかない。
ミリムの形態は間違いなくごく普通の哺乳類のメスだった。
ありとあらゆる部分をひなたにいじり倒されるミリムは終始ううううと唸るばかりだった。
「なんか、ベタベタする……」
「海水だからねー」
簡素なナイトウェアに着替え、二人して甲板に出る。
海水で洗った髪はややゴワゴワするものの、ひなたは馴染みのものだった。
この世界に来て初めての入浴だった。
ほっこほこだぁ。
ミリムの髪と同じ色の夕日が水平線に沈み、夜空の藍とのグラデーションが広がっていた。
海、最高。
もう外洋に出ているんだ。逃げ場なんてない。
それにいつまでも隠せるものでもない。
船員たちはミリムの姿に凍り付いていたが知ったことではなかった。
船室に戻ると食事ができていた。
無駄に小分けして洗い物を増やすこともない。
船員たちと一緒になって囲んだ。
大皿に豪快に盛りつけたパエリア風のなにか。
炒めたにんにくの香り、トマトと大きなクルマエビが躍る。
そういえば目録にコメを見つけていっぱい積んだっけ。
海の上でも漁をするわけじゃない。
豪華な食卓はすぐに貧相な保存食にかわるのは分かっていた。
今のうちに楽しんでおくのが船乗りの流儀だった。
エビの頭を折るとぶりん、と新鮮な身がはぜる。
ミリムに与える。
奪い、食らう魔族は料理もしない。
その味覚は甘味とはまた異なる快楽だった。
「ふぁ、うあああああああ!!!」
ああ、言語中枢壊れたか。
かわいらしい鳴き声をあげながら貪るようにかきこむ。
その姿に船員の緊張もいつしかとけていった。
この滋味。海鮮のイノシン酸とトマトのグルタミン酸が奏でる旨味のデュオ。
適度な酸味と塩味。
海、最高。
満足そうに転がるミリムを愛でつつ、航海士と相談する。
GPSなんてない。
星空を見て航行するしかなかったが、ひなたの知る星座はひとつもなかった。
「せめて正確な時間がわかればいいんですけどねぇ」
羅針盤と頼りない方位磁石と不確かな海図を前に航海士は考える。
「時間?」
そうだ。時計なら正確なのを持っている。
久しぶりにスマホを取り出し電源を入れる。
手が小さくなった分、少し大きく感じたが表示されるフルHD解像度は変わらない。
大きく20:44と表示されている。
まだ21時前だったのか。
「なんですか? それ……」
「気にしないで……」
いい加減な砂時計で管理されていた時鐘は船長が校正することで正確になった。
船はモブ船員たちがシフトを組んで24時間休まず航走した。
雨が降れば帆をたたみ、風が吹けば帆を張り、日が暮れ、明けた。
カカーン、カカーン、カカーン
鐘の音が朝を告げる。
予定通り食卓がすっかり貧相なものにかわり、ミリムは暇を持て余していた。
「退屈! 退アンド屈だよひなた!!!」
「そうだなぁ……」
ミリムが抱きついてくる。
やわらかい。あったかい。
この子、性根はこっちなんだろうな。
初めて甘えられる相手を見つけたお姫様は甘えたいだけ甘えてきた。
船員には仕事があったが、彼女には仕事はなかった。
船長に仕事があったのか、というと実は大して変わらなかった。
船員から奪ったすり切れたトランプのようなもので遊べそうなルールは全部やった。
「そういえば……」
訊くべきことがあった。なんで今まで忘れていたんだろう。
楽しかったからかな。
ちょっとはしゃいでいたかもな。
「ミリムに会う前にさ、こんなヤツに襲われたんだけど何か知らない?」
カモシカおばけ。
体には術式が刻まれていた。
「ああ、それなら魔獣だよー」
退屈は変わらない、残念そうなそっけない返事だった。
「魔獣?」
「うん。獣捕まえて強化魔法と命令魔法かけるんだよ。ただ暴れろって命令して前線に放すこともあるよ? 魔法かけた主人なら処分できるし」
なるほど。そうやって敵軍の戦力をあらかじめ削ぐのか。
上陸作戦前に海岸に艦砲射撃するようなものだ。
「じゃあ、あのカモシカはミリムが?」
否定してほしかった。今やすっかり友達になったミリムがエリックを無惨に殺したあいつの主人であってほしくなかった。
「アタシじゃないよ。魔獣使ったらはちみつ割っちゃうかもだし」
心底安心した。
疑ってごめん。
ミリムの頭を抱きしめる。
こりっと角が胸にあたるけど痛くはない。
あ、おひさまのかおりだ。
「んん、なぁにー?」
お姫様はイヤイヤしてひなたの腕から抜け出す。
意図せず長い爪が頬を掻いた。
「いたっ」
「えっ? ごめん!!」
ミリムにとって他人はどうでもいい存在だった。
相手を思いやる、という経験自体がなかった。
それなのに、それなのに。
今は目の前の女の子がはちみつより大事に思えた。
アタシの物だ。
得体の知れない敵性種族の女の子は何よりも大切な友達になっていた。
「その爪ぇ……」
そうだ。
お風呂に入ったときに考えていたんだ。
食材として積んでいたサメの皮を干しておいた。
サメは文字通りサメ肌で、楯鱗と呼ばれる歯と同様なエナメル質の棘で覆われている。
大型のものは高級おろし金に使われる。
そのモース硬度は7。
人間の爪は2~3といったところ。
たとえ魔族の爪が硬くても流石に削れるだろう。
サメ肉は尿素を含み、すぐに臭くなったが腐ることがない。
そのため山陰地方の山間部でワニ料理が発達している。
優秀なヤツなのだ。
揺れる船上で刃物での爪切りは怖い。
根気よく削ろう。
笑い暴れるミリムの爪を20本削りきった時、見張り員からの声が飛んだ。
「陸が見えたぞー!!」
おお、意外と早かったな。
そういえば随分薄着で過ごすようになっていた。
船員たちも浮ついているのがわかる。
ひなたの腕から逃れて、先に甲板に飛び出していたミリムの横に立つ。
ふなべりに腕をかけて背伸びする。
ちょっとこういうとき身長低いの不便かな。
遥か前方、海の青はエメラルドグリーンに変わり、真っ白な砂浜が見えた。
ヤシの木が揺れる。
近づくとヤシの森がある。
あはは、すげえ。ヤシ、ヤシ、ヤシ。
船は青い魚が遊ぶラグーンを迂回し、南海の漁村に入港した。
「ひなた! 見て見て!」
宝石のように輝く海を背に、逆光の陰の中ミリムの瞳が金色に輝いている。
思わず目を細めた。
高床式の建物にケト商会の看板がかけられている。
一応交易してるんだからそりゃ拠点はあるか。
小舟で上陸して探検、なんて想像していたひなたは少し拍子抜けだった。
小さな村ではあったが、頑丈に組まれた桟橋があり、思ったよりは拓けていた。
数週間の航海で死者ゼロ。
ひなたの――厳密にはひなたのスマホの厳密な時間管理と計算によって最短記録を更新していた。
出迎えてくれたのは猫耳の青年。
片眼鏡をひっかけ、ちょっと緊張しているようだ。
王都では差別されていた獣人種族だが、こちらでは仲良く暮らしているようだった。
見慣れないミリムの姿に興味は示すものの、怯える様子はない。
ここには魔族がいないのか?
魔族と戦争している話は伝わっていているだろう。
それでも、まさかこの少女がそんな恐ろしい存在だというのは説得力がない姿だった。
ミリムの方も心配そうな顔でひなたの背中に隠れていたが、安心したようだった。
蜜蝋で封された書簡を渡す。
船上での改ざんを防ぐもの。
乗船前に書かせていたもの。
書かせた瞬間も、封をする瞬間も同席して確認した。
そこには二人の待遇が明記されていた。
ケト商会のものはおれのもの、おれのものはおれのもの。
次世代へのシュガーロードを敷こう。
ココナッツは確実にある。
他に資源は?
石油とまでは言わない。茶、天然ゴム……
早速市場を見て回る。
魚もドギツい色のものが並び、屋台から香ばしいにおいがする。
お、あれは。
頭くらいもあるトゲトゲのくだもの。
「ミ・リ・ム~……」
早速それを購入して割ってもらう。
自分が悪い顔をしているのがわかる。
それまでにっこにこだったミリムの表情が一変する。
「いや…… それ……」
「えへへ…… 美味しいよ?」
「食べれるの!?」
顔に近づけてやる。どうだ?
「ふぁ!? うんこ! うんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこ!!!!」
「女の子がうんこ連呼するんじゃあないっ!!」
ミリムの頭の出っ張りを捕まえてその口にねじ込んでやる。
「うんkっ!!!! んんん!! へ? えええええええ!?」
口に入れるまでくそのような悪臭を放っていたその果実は、ねっとりとした食感で魔王の舌の上にとろけた。
全ての果物を混ぜて、牛乳を足したような。
フルーツ牛乳のような、大阪のミックスジュースのような。
「美味しい!!!」
果物の王様、ドリアンはどうやら魔王様のお気に召したようだ。
さて、絶海の岩窟。
熱帯雨林、マングローブ。
さらに南下すれば地図にない大陸があると思う。
まだ先の話かな?
ひとまずこの航路を太くしなければ。
まずは砂糖の確保だ。
冒険をはじめよう。
ひなたの小さな胸はこの世界に来て初めて”期待”の二文字に満たされていた。
航海中にいくつか書こうと思っていた新しい術式はついに書き足されずに終わった。
なんか有名作品と名前かぶりしてると聞きました。
ひなたは昔ゲームで使った自キャラ、ミリムは中学の頃のらくがきの焼き直しで全くの偶然です。
気になるという声があればミリムの名前変えようかなぁ……