異世界旅情TSもの(仮題ひなたBocco‼ 略して鉈矛)三話 魔王
東に輝く太陽が海に光の帯を作っている。
ひなたは漁港を後にし、ケト商会に向かった。
埠頭を回り込めばそこには大型の帆船があった。
どうやらこの世界に飛ばされたとき見た船は既に出港し、現在停泊している船は入港したばかりのようで、朝から積み荷を降ろす作業に追われているようだった。
「現地で精製された砂糖か、サトウキビかあれば……」
敷地には簡単に入れた。守衛はいたが、船員を迎えに来た家族とでも思われたのか、一瞥されただけで止められることはなかった。
(よし、情報収集……)
「こっちはもうダメだ! 全部降ろすっきゃねぇんだ、早く次の担架持ってこいー!!」
(叫ぶ船員の声。担架?)
「まだ息はあるが、助からんだろうな」
(死傷者がいる……?)
船員の死体、もしくは瀕死だというのならいくつか原因は想像がつく。
一つは戦闘によるもの。もうひとつは壊血病だった。
文明の程度から単純なビタミン不足である壊血病や脚気が克服されていないことは予想がついていた。
もし壊血病が原因で航路がネックになっているのであれば積み込む食材を変えるだけで解決する。
どうにかこのカードで収入と実績を得たいところだった。
しかし壊血病で船員が消耗している確認は必要だった。
その上正面から解決手段はイモやミカンですと伝えたところではいそうですかと追い出されて終わる。
情報というものは伝えた時点で握っている手札ではなくなるのだ。
しかも子供の戯言と受け止められてしまっては始まる前に詰んでしまう。
戦闘が原因なのなら相手は人間なのか、魔族なのか、それ以外の何かなのか。
何もかもが分からなかった。情報が欲しい。
もう少し…… と覗いていると不意に誰かに首根っこを掴まれた。
「クソガキが、こんなところにいやがったか。お前らはもう逃げられないんだ。諦めろ」
見上げるといかにも歴戦の戦士、という風貌の隻眼の大男だった。船員ではない。頬にある大きな傷のせいで表情が読みにくい。睨まれるだけでぞくっとした。命の奪い合いを重ねるとこんな目になるのか。そう納得させる有無を言わさぬ迫力があった。
「あ、あの、私はっ……」
「うるせぇ、こっちだ」
絞りだした声は届かず、片手でつまみあげられたまま男は歩く。
乱暴に放り投げられた先は荷馬車の中だった。
召喚されて運ばれた立派な馬車ではない。実用的な荷物を運ぶ馬車。
幌がかけられ、積み荷が見えないようになっていた。
「次逃げたら殺すからな」
馬車から降りたら本当に殺されるのだろう、ひとまず現況を確認する。
「君も、なのかい?」
馬車には先客がいた。こんな子供、と思ったがよく考えれば外見上自分の方が年下だった。
顔立ちは整っていたが上半身に着衣はなく、みすぼらしい男の子で、肩に刺青があり、浅黒い肌から南方から連れて来られたのだろうな、と思った。
「あなたは?」
「君も同じなんだろう?」
ははあ、そういうことか。ケト商会は奴隷も扱っているんだろう。
彼は不憫にも売られてきた少年。となれば誤解を解く必要があった。
いくらなんでも徽章を見せれば誤解は解けるだろう。落ち着いた後話を聞いたほうが有益な情報を得られるかもしれない。
「私は…… ごめん。君とは違うんだ」
今彼を救う力はない。変に深く関わるのは避けたい。
荷物を持っていたことも気づかれていなかった。というより興味もなかったのだろう。さて、今のうちに護身用の魔法のひとつくらい術式を書いて置こうかな。
魔導書には追い詰められて書いた水分を蒸発させる術式と、微量の水を代償に巨大な気圧をぶつける術式が申し訳程度に書かれているだけだった。
(まてよ?)
気圧のほうは手に負える力ではなかったが、水分蒸発魔法は応用ができるかもしれない。水を乾かす、というイメージを明確に水分子を拡散させる術式に書き換えた。ついでに乗数を3桁ほど増やしておいた。あまりに弱くても心配だし、強力過ぎても扱いに困る。この世界で魔法の威力を10倍にするのは凄まじい研鑽が必要だったが、ひなたにとってはゼロを書き足すだけだった。
理論上はこれで対象の含有する水分の全てを瞬時に気化できるはずだ。魔法を行使するのであれば気化熱を奪うことはないかもしれないが、肉体から水分を奪えるのであれば文字通り必殺技となるだろう。
おねしょナイナイ魔法が凶悪な攻撃魔法に化けた。
ガード魔法も欲しいな……
炎系も……
「何してるんだ?」
少年が覗き込んでいた。
「はひゃっ!?」
へんな声でた。ああ、俺の声かわいいなぁ。
って顔近っ!? え? 文化の違い?
男の子の体…… 二十年以上ともに時を過ごしたはずのそれは何かとても遠いものに感じた。
みすぼらしい、という第一印象だったが近くで見ると筋肉の輪郭がひどく艶めかしく映った。
肌のにおい、体温を感じる。顔が熱い、みぞおちがキュンと鳴いた。
(……じゃねーよ!!)
「あ、これはっ…… あはははは」
魔導書を畳んで背中に隠す。そのままごそごそと背負い袋に入れる。
(男の子に…… ときめいたのか……?)
動揺を確認している余裕を奪う大男の声。
「なんだぁ? 今日は二人か、仕方ねぇなぁ…… 出すぞ!!」
「へ? あのっ!?」
誤解をとく前に馬車は出てしまった。田舎の農場で軽トラックの荷台に乗ったことはあったが、板バネサスペンションとゴムタイヤの恩恵すらない荷馬車の床は容赦なくひなたの尾てい骨を打ち付けた。
「君は、間違われたのか」
少年も意識したのか、少し赤くなって距離をとられた。なんだ、かわいいなおい。
お兄ちゃんの立場なら応援してあげたくもなったが今はお嬢ちゃんの立場だった。
「うん…… 説明すれば解放されると思う…… 君は……?」
少年はうつ向いたまま話す。
「僕たちは船に乗ってきたんだ。村に突然軍隊が攻めてきて…… 船の中には仲間も居たんだけどみんな……」
「そうなんだ……」
気のオブザ毒、かわいそう過ぎる。人間イコール善とは言えないな、何が神の子孫だよ。
もしかすると魔族も交渉の余地がある相手かもしれないな。敵軍の民族を鬼畜だと教育した歴史をひなたはよく知っていた。追い打ちをかけるようでためらったが覚悟して口を開く。
「ひどいこと…… 訊いていいかな?」
「……なに?」
「船で亡くなった人たち…… どんなだった? 生き返らせることはできないけど、なにかできるかもしれない」
少年は逡巡したが、話してくれた。
「あざができたり、歯がぬけたり…… なんともなかったのにみんな段々弱っていって…… 船乗りの呪いだって……」
充分だった。壊血病で間違いない。アスコルビン酸すなわちビタミンC欠乏症だ。エナジードリンクでもあれば一発で補給できるビタミンも特定されたのは20世紀のことなのだ。
「ありがとう…… 無駄にはしない」
笑顔を向けようと思ったがどんな顔をしているのか自分でもわからなかった。
さて、どうしようか。
荷馬車から飛び降りたらすぐにバレて大男に捕まるだろう。
大男に蒸発魔法を行使すれば倒せるとは思う。いや、殺せるだろう。
二人で逃げることはできるかもしれないが、ケト商会とのコネは潰える。
一瞬名もなき小村で幸せな家庭を築くエンドを想像するが、首を振る。
まだ生贄の少女の名前も知らないんだ。この子を背負うことは最低限の義務だと思う。
「そういえば名前、まだだったね。私はひなた」
「僕はエリック。短い間かもしれないけど、よろしくな」
幌の綻びから差す日の中、少年のはにかんだ笑顔が悲しかった。
てっぺんまで登った太陽が正午を告げるより早く空腹がそれを示すころ、やっと馬車は止まった。
「降りろ」
大男の声。緊張した眼差しでエリックが降りる。それに続く。
気づかなかったが大男の他に御者がいて、馬車は大男から金貨袋を受け取るとそのまま走り去った。
え、ちょっと待って。
完全に誤解をとくタイミングを逃してしまったようだ。どこで選択を間違えた……?
あたりを見回すと小規模な集落のはずれにある修練場のような場所だった。
廃村のようにさびれている。
「いいかガキども。お前らはこれから三日で戦士になる。そして戦場へ行く」
大男のセリフから大体の事情は察しがついた。
単純な戦力不足か、あるいは兵役の身代わりか、どちらにせよこの男は攫ってきた子供を少年兵に仕立て、売り物にしていた。
「わ、私は……!」
聖職者のローブを取り出す。騎士相当の徽章もついている。
「ほう?」
大男がニヤっと笑ったと思った瞬間、左頬に衝撃を感じ、そのまま転がって大木の根本で止まった。
口の中に鉄の味が広がる。殴られたのか?
全身がこわばる。心臓がどくんと打った。アドレナリンが血圧を上げ、思考を奪う。
この野郎。
起きようとしたが叶わなかった。
次は左上腕に衝撃を感じ、再び地面を転がった。草っぱらがそれを受け止める。
土のにおい、イネ科の雑草スズメノテッポウ。
蹴とばされて尚つまらない草の種類を判定している自分に驚く。
「はっはっは、自分の立場が分かったか?」
「女の子に暴力を振るうな!!!」
果敢にもエリックが庇ってくれたが、同じように殴り飛ばされた。
反撃しようとするエリックを止める。
「誰だか知らないけど、こんなことして許されると思ってるんですか?」
「ここに衛視さんがいるってか? そんなモン燃やしてしまえば何も残らん。俺はガキ二人分の勘定が合えばいいんだ」
大男はもう一度ひなたを殴ろうとして、割って入ったエリックが代わりに殴られた。
殴られたとき手放してしまった荷物はついに簡単に大男に奪われていた。
訓練自体は単純だった。一本ずつ木剣が渡され、三日間大男に挑み続けるだけだった。
丸太相手に訓練してもいいし、食料さえ自給だった。大男も三日だけはここで寝起きするそぶりだった。
集落の小屋はそのための寝床になっていた。
一方、二人は屋外で日暮れを迎えていた。
「なんてやつだ……」
憎しげにエリックが言う。故郷を追われた思いも込められているんだろう。
「こういう世界なんだね……」
大男は滅茶苦茶な強さだった。二人がかりで飛び掛かっても難なく振り払われた。日中がむしゃらに男に挑んだが全て受け流されるか、カウンターを食らっていた。
流石に疲れた。
今どこにいるんだろう? 大男から荷物を奪還できるだろうか。王都に帰れるだろうか。
このままでは勇者としてではなく奴隷として魔族と対峙することになる。
色々考えているとエリックが枝を拾ってきて火を起こしてくれていた。
「へぇ。上手いもんだね」
火起こしは結構コツがいる。枝を必死にキリモミしても簡単に火は付かない。
エリックは乾いた木の枝に松脂を塗って、乾いた枯草を焚きつけにしていた。
「夜は獣も出るから……」
「そうだね…… ありがとう」
薪を投げ込むと炎はパチパチと優しい音を上げ、火の粉が舞った。
包まる毛布もない。その場に体を転がすと照りつけるぬくもりは殴られたあちこちにしみた。この世界の月ではウサギは餅つきしていないんだなあ。
涙がにじむのは煙のせいか、痛いからか。まるい月がぐにゃりと歪むとひなたの意識は途切れた。
遠くにコマドリのさえずりが聞こえる……
ああ、これぞキャンプの醍醐味。もう朝か。隣の研究室の友人に付き合って、ニホンカモシカの観察のため野営してたんだ。起きたら朝食にしよう。沢の水は沸かせば飲める。お湯を入れるだけで出来上がるフリーズドライ飯は味見の名分で沢山持ってきている。
寝ぼけまなこをこじ開けると、カモフラージュネットを被せたテントのかわりに青空が広がっていた。
意識がはっきりしてくる。そうか、夢か。あのまま寝てしまったのか。
はっとして自分の体を確認する。殴られ、蹴られ、荷物を奪われはしたがそれ以上の暴行を受けた形跡はなかった。エリックはまだ横になっている。そうだな、彼を疑うのは申し訳ない話だな。
エリックを起こさないよう起き出して村へ向かう。大男がいる小屋を避け、井戸を探した。水くらい汲んでおこうと思った。もう一つ一人で試したいことがあった。
井戸を見つけた。使えそうな桶もある。井戸に小石を落としたらかなり深くから水音が聞こえた。
井戸から少し離れ、地面に桶を置く。地面に枝で術式を書きつける。
自分が召喚された魔法は地面に生贄の血で術式を書いたと聞いた。
地面に書いても魔法は使えるはず。地面に書ける程度の術式は限られてはいたが、井戸の水を桶に移動させる魔法程度は難なく発動した。少しクラっとした。
そうか、魔法に必要なリソースは魔力もあったんだ。
”意思の力”をそう呼んでいた。尽きると死ぬとも言っていた。
記述が雑な程魔力を必要とし、記述が精緻なほど魔力は不要なのだろう。
地面に書く分は魔導書よりマイナスになりそうだ。
そういえば昨日の朝から何も食べてない。
予想以上重い桶を抱えて戻るとエリックは既に起きていた。
「うわ、それ君が汲んできたの?」
エリックは急いで立ち上がり支えてくれた。いい子だ。
とりあえず二人で顔を洗い、作戦を練ることになった。
食料を探すことも考えたが、三日過ぎると容赦なく戦場に連れていかれるだろう。
荷物さえ奪還できれば大男の命を絶つ覚悟はできていた。
「荷物さえあれば…… 私がなんとかする。信じて」
「……わかった」
頷くエリックの瞳はきれいだった。
緻密な作戦など立てていられない。エリックが大男を引きつけ魔導書を奪還する。それだけの作戦だった。エリックがどれだけ殴られても売り物である以上殺されることはない。多少のケガなら神聖魔法で回復できる。事情を知らないエリックは何も聞かず信じてくれた。失敗するわけにはいかない。
覚悟を決めて小屋に向かう。
静寂。何か違和感がある。あの大男にはまだ何かあるというのか?
エリックが正面に、ひなたは裏手に回り込む。窓か何かから入ろうと思っていたがその必要はなかった。
「う、うわ…… あああああああああああああ!?!??」
エリックの尋常でない叫び声が聞こえる。
「く、来るな……!!」
「ぐあっ!!!!」
不快な生臭いにおいがした。これは血?
作戦は中止だ。一旦退こう。
急いで小屋の正面に向かうと”そいつ”はいた。
「カモ…… シカ……?」
夢で見たキャンプで追い、見ることのできなかったニホンカモシカなら草食のはずだ。
カモシカより巨大なその体には複数の術式が刻まれ、不気味な光を放っていた。
小屋の中にはあの大男だったものが見えた。
「ひなた…… 逃げろ……」
脇腹を押さえるエリックは血を流していた。
「だいじょう……
駆け寄ろうとした。身代わりになってもいいとさえ思った。それなのに。
どうしようもない速さでカモシカの化け物はエリックに噛みついていた。
「!!!!ッ」
咄嗟に小屋に転がり込む。はぁ、はぁ、おちつけ俺、おちつけ私
幸い背負い袋は手の届くところにあった。怖い。なんだあれは?
壊れた棚の陰で身を竦める。カタカタ震えているのがわかった。
ごとん、と肩を叩き落ちてきたものはカモシカおばけの食べ残し、大男の左腕はひじから先がなかった。
みち、みち…… と肉の千切れる音とともに声にならないエリックの絶叫が響く
「エリック!!!!」
やるしかない。震えが止まった。
立ち上がり、対峙する。魔導書はこの手に。
H2O。水分子を振動させろ。カモシカおばけの体内の水全部持っていけ。
蒸散術式、起動……!!
ひなたの裾がめくれ上がる。膨大な魔力の渦が光を放ち、地面に文様を描く。
雲を消した時はこんな現象起きなかった。実験と実戦では込める魔力の量が違った。
どむっ、と低い音がこだました。
カモシカおばけはその一撃で跡形もなく爆散した。
その衝撃でエリックも吹き飛ばされ、地面を転がる。
流れる血が地面に筆で文字を書くように赤い線を引く。強い風を感じる。
水分が気化すれば体積は1000倍を超える。爆発するのは当たり前だった。
エリックにまで被害が及んだのは自分の落ち度だ。
聖職者のローブを羽織りながら、駆け寄る。
「エリック!!」
回復魔法を、と思った。
「ひなた…… 君はスゴいや…… 本当だったん…… だね……」
「エリック!!」
「……」
エリックの下半身は存在しなかった。かろうじて引きずった腸が、下半身との離別を惜しみ、ただただそこを中心に赤いしみを拡げるだけだった。
ほどなくして彼の目は光を失った。無意味なことは分かっていても、回復魔法を何度も行使した。
エリックの瞳孔は空を映したまま、二度と収縮することはなかった。
「うっ…… ぉえっあああああああ……」
自分は助かった。そんな身勝手な安堵と、疲れと、猛烈な吐き気が襲ってきた。
エリックの血の上に吐瀉物をこぼす。何も食べていない胃は黄色く苦い胃液を吐き出すだけだった。
ごめん、本当にごめんなさい。ごめん、ごめん……。
血と涙と吐瀉物を同時に拭う。
「こんな世界は…… 変えなきゃ……」
翌日。
エリックと一応埋めてやった大男の墓の前でこんな悲劇をひとつでも減らすため生きようと誓った。
それは確かに”勇者”の生き様だった。
廃村からは道が伸びていた。王都に帰るためには誰かヒトに尋ねる必要があった。一瞬でどこかへワープするような便利魔法はなかった。
その村が滅びていても、道は街道に繋がっているかもしれない。街道にたどり着けば旅人もいるかもしれない。集落にありつければまともな食事も期待できるかもしれない。
沢の水をすすり、食べられそうな野草は手あたり次第に食べて歩いた。
幸い春の野道はアク抜きも要らない山菜が豊富で、ひなたはその目利きに長じていた。
休みたくなかった。とりあえず何かを為したかった。それがエリックへの贖罪のように感じた。
小高い丘を抜けると視界が開けた。
農村があった。やった、これでなんとかなる。そう思ったが農村からは煙があがっていた。
火の手が見えた。
「襲撃されている!?」
ひなたは走った。助けられる命があるかもしれない。それこそ為すべきことだと思った。
それを遮るように小柄な影が舞い降りる。
「君、コレ、持ってる?」
ひなたと変わらないくらいの背丈の、燃えるような赤い髪と、耳の上に生えた角、皮膜の翼とムチのようにしなる尻尾を持つ少女だった。
そのかわいらしい姿とは裏腹に金色の瞳に見据えられると凍り付いたように体が動かなくなった。大男の眼光とは比較にならない。
と、同時に経験したこともない腹痛が襲ってきた。
え? おなかが整備不良の原付みたいな音出してる。
やばい。
手のひらを突き出す。
「ちょっと待ってて!!! おなか痛い!!!!」
ひなたは少し離れた繁みに駆け込み、下着を降ろす。間に合わない、間に合わない、顔出してる、アカン!
慣れない土地の生水が悪かったのか、種の判別を誤ったか。
ひなたのおしりからグリーンな食事を続けたことを物語るリキッドが大地に注がれた。
あああああああああ、どうしよう、あの推定魔族の女の子は敵なのか?
戦うならカモシカおばけのように爆散させるのか?
色々な想定が頭をよぎるが押し寄せるビッグウェーブにライドしきることに必死だった。
一方、ミリムは全軍停止の指令を出した。
人生において、対等にお願いされたことなど一度もなかったのだ。
それがたった今同年代の女の子から「ちょっと待ってて」と指示された。
それは経験したことのない、想定もしていなかった状況だった。
(おなか痛いなら仕方ないな…… あの子コレ持ってるかもしれないし)
ついでに襲撃したが、農村にはちみつがないのは既にわかっていた。ただのうさばらしだった。
待ってやるくらいの余裕があった。
気が抜けて腰を下ろすと、一人の部下が物凄い形相で駆けてくる。
「で、伝令っ!!」
「魔王グラゼアス様崩御っ……!!」
父が病に伏していることは知っていた。今までろくに顔を合わせたこともない父だった。
その訃報に大した感慨もなかった。
「そう…… そっか……」
ミリムの胸元が輝いた、いや、中心は漆黒。周囲の光を吸い込むため輝いて見えた。
発動した魔王グラゼアス最後の大魔法、魔力贈与の術式の効果だった。
もともと魔族最強個体のミリムだった。その上に前魔王の魔力を継承した。
刻まれた印は史上最強の魔王の証だった。
「ふぅん、試してみるか」
”はちみつ増殖”の魔法は発動しなかった。
ミリムは何度も試していたが、魔王と言えど質量を生み出す魔法は不可能だった。
気まぐれに”下痢治癒”魔法を組んでみる。さっき繁みに飛び込んだ見知らぬ人間の女の子に。
彼女にとって本当に、それほどまでにどうでもよかった。
”魔王”ミリムの初めての魔法だった。
文体についての意見を伺い、三人称視点で書くか登場人物(主にひなた)視点で書くか試行錯誤しています。内容はだいたい予定通りの推移です。エリック殺すかどうかは正直迷いました。