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Siam's mirror

作者: 白雪紅羽

−prologue−



「あたしを愛しているのなら殺して」



僕は、彼女の望む通りにしてあげた。



でも、僕は彼女を決して愛していた訳ではない。

それなら、何故僕が彼女の望みを叶えたのか………


それは、彼女が僕自身だったから。


彼女があまりにも孤独で、

あまりにも、憐れな生き物でしかなかったから…








彼女との思い出は、たった数カ月にしかならない。


たまたま出歩いた夜中に、

心細そうに鳴いていた子猫を拾ったくらいの、そんな出会い。


一晩限りの遊戯のつもり。

軽い軽い、薄っぺらい気持ちで、彼女を抱いた。


だけど、何故だか彼女はそのまま僕の部屋に居続けた。

僕も、追い出すこともせず、お互い名前すら聞かず、

何となく同じ空間に居続けるようになった。


用事がある時も、僕は彼女に何か言う訳でもなく、

彼女も黙って僕を見送った。




会話なんて、ほとんどしなかった。


排便するのと同じ感覚の、時々のセックス。

最中でさえ彼女の声なんて、ほとんど聞いたことはなかった。



一ヶ月もすると、さすがにフリーターの僕の給料だけでは

彼女の食費まで出すのが辛くなってきた。

そんな低俗な現実的な理由で、僕は彼女に話しかけた。


会話と言えば、それが初めての会話だったかもしれない。


「金が足りない…」


ぶっきらぼうな短い言葉。

でもその中に、彼女は僕の意図をちゃんと見出だした。


「…うん。わかった。」


返ってきたその声は、見た目の儚さよりは

少しだけ凜とした澄んだトーン。

鈴を鳴らしたような音色に、僕は思わず赤くなり、目をそらした。




彼女はその晩、


「お金、持ってくる。」


と、黒いダウンジャケットを羽織った。

昼間の自身の言葉の冷たさに、ちょっと後ろめたさを感じた僕は、

せめてものつぐないのような気持ちで、彼女を玄関まで見送った。


靴をはいて振り向いた彼女が、突然、言った。


「切ってくれない?」


相変わらず鈴の音のような声。

穏やかな瞳で僕を見上げて、そうして、羽織ったジャケットの袖を

わざわざまくりあげて、白くて細い右腕を僕へ伸ばした。


僕は言葉の意味がわからずに、彼女の腕を見下ろすと、

そこには無数の生々しい傷があった。



何度も彼女を抱いたのに、僕は異常なまでのそれらの傷には

今までちっとも気付いていなかった。

それだけ、僕は彼女に関心がなかったことにも、今更のように

冷酷な自分自身に驚いた。



しかし呆然としたままの僕のことは、まるで彼女は気にも留めず

左側のポケットから小さなカッターナイフを出して、再び囁いた。


「ねえ、切ってくれない?」




澄んだ声とまっすぐに見つめる瞳に、

まるで僕は魔法がかかったかのように、彼女に促されるがまま

カッターナイフを受け取り、細い腕の白い部分を探した。


その小さなカッターナイフの刃は、今まで幾度となく

彼女の白い陶器のような綺麗な肌を切り裂いたのが

見た目でわかる程、変に赤黒く錆び付いていて、それがまた、

付ける傷をさらに鈍く醜くさせているのを、僕は理解した。


そして、彼女自身が、

醜く鈍い傷の痛みを望んでいるのだということも。



僕は、数センチほどの新しい傷を彼女に与えた。

せめて一度で済むように、錆付いた刃がめり込むほどに

慎重に指先に力を込めた…




その日から、毎晩のように彼女は傷を求め、出かけていった。


短い時で数時間。長い時で翌朝まで。

戻る時には必ず数千円から数万円を手にしてきた。


僕はいつものように何も聞かずに、差し出す現金を毎日受け取った。

彼女も、出かけている時間の間のことは何も言わなかった。


それでも再び出かける時には


「切ってくれない?」


と、腕を出した。

僕もまた、言われるがまま、白い肌を探しては新しい傷を付けた。




そのうち、僕は彼女を抱くのをやめた。


そのかわりに、彼女の腕に、丁寧に傷を付け続けた。

それは、身体を重ねることなんかよりも、

二人の繋がる唯一のか細い糸の様で、繊細な儀式だった。




そんな日々が続いたある日、彼女の様子がおかしくなった。

顔色も呼吸も、明らかに彼女の身体の異常を訴えていた。


彼女の右腕は、その頃には何処にも白い肌の部分はなかった。

そればかりか、みるみるうちに右腕は赤黒く腫れ上がり、

人間の、女の腕とはとても思えないくらい、丸太のようになっていた。




「…そろそろ…限界…かなあ…」



苦しそうな表情をしながらも、相変わらず凜とした澄んだ音色の声。

それが僕にはかえって彼女を憐れな瀕死の生き物に見せた。


「もし…」


荒い息を繰り返しながら、彼女が言った。


「愛しているなら…殺して…」




そうして、僕は、

出会って初めて彼女の瞳から涙がこぼれるのを見た。




彼女は「愛しているなら」と、僕に言った。


僕は決して彼女を愛しているとは言いがたかった。

苦しむ彼女の姿にも、憐れみ以外の他の感情は湧かなかった。


それでも、彼女の姿は、まるで僕自身を見ているかのようで

僕の心は様々な思いが渦巻き始めていた。


卑下

嫌悪

怒り


彼女が苦しめば苦しむほどに、僕はその冷たい闇の感情が

心を占めていった。




僕は、気が付くと彼女の黒いダウンジャケットから、

赤黒く錆付いた、あの小さなカッターナイフを取り出していた。


無表情でカッターナイフを手にして傍に立つ僕を見上げて

彼女は、安堵したような表情をしてみせた。




いったいどのくらいの時間がかかったかはわからない。


僕はいつもと同じように、いつもの、あの、小さなカッターナイフで、

彼女の息が止まるまで、彼女を傷付けた。

今度は、彼女の細い首も、肩も、柔らかく膨らんだ胸も…

身体中のありとあらゆるところの白い肌を探しては、丁寧に丁寧に

傷を付けていった。


僕は、ずっと黙っていた。

彼女も、黙って受け続けた。



ただ、ひとつだけいつもと違ったのは、

彼女の瞳から、ずっと涙がこぼれていたこと…それだけだった。




ただ、それだけだった。





彼女の身体がゆっくりと生きることをやめた…

それを僕が感じ取った時…


ようやく、僕は、泣いた。




僕は彼女を愛していた訳じゃない。



彼女は僕自身だった。



僕は僕の為に、彼女を殺した。

ただ、それだけ。


彼女があまりにも孤独で、憐れで、僕と同じ憐れな生き物だったから。




僕は、彼女を決して愛してはいなかった………


それなのに、僕は、

赤い血の海に泳ぐ身体にすがり、いつまでもいつまでも泣き続けていた。




「…ごめん……ごめんな……


 ………愛してやれなくて…………」




僕の心からは、もう冷たい闇はなくなっていた。


そのかわり、

訳のわからない喪失感と、悲しみに僕は、いつまでも、泣き続けた…


それでも、




僕は、彼女を最後まで愛してはやれなかった。







−epilogue−



あなたがあたしのこと

愛してなんかいないって

ずっと前から

ううん

初めからわかっていたよ?


だって あたしは

あなたと おんなじだもの


それでも 


あなたはずうっと あたしの願い

叶えてくれていたから


それだけで あたししあわせだった


ありがとう


いままで いたかったよね

ごめんね


最期まで 一緒に 傍に いてくれて…


望みを叶えてくれて


本当に ありがとう




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― 新着の感想 ―
[一言] 評価を受けて増したノラネコです。 早速ですが、「心細そうに鳴いていた子猫を拾ったくらいの、そんな出会い。」という表現がありましたが、これを読んだとき、「彼女とは猫なのかな」と思ってしまいまし…
[一言] こんばんは。アルルです。先生の物語は読みやすい量なので、実はもう全て読みました。 この物語は先生の心を映した物でしょうか。全体としてやはり、ほの暗いですね。お金を受け取るというやり取りがある…
[一言] >「死」を扱った『詩』が続きますね。(ノ_<。) (立て続けに読んで「4作品目です」) >今回は「自殺幇助(ほうじょ)」の様に人を殺す若者……  リアル日本の社会背景……  空虚な関係の男…
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