表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/14

006 マーマ

 版図はんとを広げたプシ国で、事件が起きた。先王后マーマが病に伏したのだ。


 姫王閣下となりしちんが、先王后マーマと合うことは、この最近、少なくなっていた。王たるもの政事まつりごとが忙しい、ということはある。ただ、精霊の掟とか定めとかいうものについては、大老じいやをはじめやたらと詳しいものが臣下には多くいたので、数多ある政事まつりごとにおいて、ちんの役割は、基本的には、満足気にうなずくことだけ。むろん、よく分からぬ時や納得ができぬ時はうなずかないのだが、その時は臣下の者がオロオロして、よきにはからってくれる。なので、ちんが、先王后マーマと過ごす時間を作ることは、そう思えばできることなのだ。

 ちんはその時間を作らなかった。大老じいや総婦長ばあやなどは、そのことをちんが王らしくなった、すなわち、母離れしたものと受け取り、ご立派な姫王閣下などと囃していたが、それは当たっていなかった。

 【大抱おおだっこ】様に抱かれ、プシチャクの地を見据えたちんは、やがて、この地を救う決意をするようになった。それは、あの玉座の間におられた先王とうさまとの温もりを原父げんぷとして供養くようしてしまうことでもあった。今のちんには、かつての温もりの思い出を先王后マーマと心から懐かしむことは、もうできない。

 

 もちろん、先王后マーマのことは、気になっていた。2年以上お会いしていない先王后マーマは、その間どう暮らしていたのか? 今の病のご様子は? そして、こうした当然の思いに加えて、ちんは、ここのところ、もう一つのことが気になっていた。なぜ、ちんは、先王とうさまのお后を『マーマ』と呼ぶのか。

 

 先王后マーマは、ちんの産みの母ではない。先王とうさまと同じく体の線が細かったという先大王后かおさまは、ちんが物心がつく前に亡くなられていた。先王とうさまもその事実を知る配下の者たちも、先大王后かおさまではない先王后を、ちんがマーマと呼ぶことを、幼心には辛かろう、そのことに結びつけ、受け止めていた。

 

 それは違うのだ。ちんは確かに先大王后かおさまを知らない。けれども、それと関わりはなく、ちんは、先王后をマーマと呼んできた。先王后をそう呼ぶ時、ちんは、かすかに切なかった。

 

 ☆

 

 そして、ついに、ちんは、ちんの成人の儀を前に、姫王閣下として先王后マーマを見舞うこととした。大老じいやたちは、政事まつりごとの一つとして、それを大事にした。幸福の季節の、毎年の決戦で望外の勝利を続けたことで家臣たちは、ちんを精霊のご加護の現前者あらひととして、あがめるようになっていた。それにともない、何やら、政事まつりごともいちいちが大仰になっていった。ちん大老じいやの後ろを、侍医じいと大医務隊の呪師まじないしたちがぞろぞろと続く。ちんが、高台に寝かされた先王后マーマのもとへと向かいはじめると、100名ほどの呪師まじないしたちによる大合唱が始まった。【大抱おおだっこ】様に抱かれてから先、精霊の加護というものに一切の興味を失っているちんは、その大合唱に何らの感情を抱くことなく、ただ前のみを見て階段を登っていく。

 

 先王后マーマの枕元にちんはひざまずいた。王たるちんがひざまずくことを許されるのは、王より年配の王族のみ。この数代、夭折ようせつが続くプシ王家では、ちんがひざまずくことができる存在は、王后マーマしかいなかった。

 

 枕元のマーマは、先王后とは別の人になっていた。かつてあった何かを聞き取りにくい声色でつぶやいている。ちんはひざまずいたまま耳をそばだてた。そのつぶやきの中には、ちんが知らぬ言葉や言い回しが数多あまたあった。ちんは、それらの言葉を理解することはかなわぬと思いつつも、マーマのつぶやきを聞き続ける。

 かくして、後ろから流れる呪師まじないしの合唱を下に、ちんは、マーマのつぶやきをながく聞き続けた。そして、ちんおのずと、ある事実を思い出した。かつて、ちんも、プシの言葉とは別の言葉を話し生きてきたのだ、ということを。そして、その言葉とは、成人になる前の王族のみが聞かされることになっているという夜伽よとぎに記された神聖語のことなのだった。夜伽よとぎとして、ちんがメイドたちに聞かされていた、炬燵こたつでの御伽噺オコタばなしの数々は、ちんがかつて生きていた世界で話していた言葉なのだった。

 

 それからもちんは、先王后マーマのつぶやきを聞き続けた。マーマのつぶやきはやはり大多数が理解できない。マーマはかつて、ちんとは別の世界にいて、別の言葉を話していたのかもしれない。ちんは、なぜちんが、原父げんぷの后をマーマと呼びだしたのかを思いだろうとし続けた。それから呪師まじないしたちの大合唱がなおも続く中、かなり長い時間は、ちんはそうして過ごしたが、『マーマ』という語がどこから来たのかは分からなかった。


 階段を降りるちんは、しかし、ひとつ分かったことがある。あの御伽噺オコタばなしで使われている言葉を、ちんは話して良いのだ、と。それはちんに、自由、というものをもたらすのだ、と。


 大老じいや侍医じいと、身分高き呪師まじないしたちを前に、ちんは、宣言した。

 「ご苦労。先王后はこれより、ここでこのまま過ごさせよ。これは大切な儀である。

 そして、ちんは、これより成人の儀の準備をなす。

 大老じいや、明日朝に、ちんが親衛メイド6名を玉座の間に呼べ。」

 晴れ晴れとした顔で、しかし、厳かにちんは告げた。

 

 「「「ははーっ!」」」

 

 ちんが告げた、ひとつひとつは当たり前のこと。しかし、既に精霊のご加護の現前者あらひととして崇められているちんが、全身全霊を込め呪いを唱じ続けた呪師まじないしたちの声が枯れるまでの長い時を、先王后の前でひざまずき続けた後になしたそのお告げを、皆、重く受け止めていた。

 

 ☆

 

 すでに近隣の国々からは大国と目され始めているプシ国は、ちんの成人の儀を機に大きく動き出すことになるのだろう。ちんには、その儀の前にいくつか確かめておくべきことがあった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ