003 朕、プシ王へと即位。まずは炬燵を移設せんとす。
朕は7歳を前に、夭折してしまった先王の後を継ぎ、プシチャク極東の小国プシを統べることになった。
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先王は、もちろん、朕のおとうさま。とうさまは、線が細いきれいめ男子だった。朕は嫡子にして、まぁそこそこ可愛い少女というところかしら。
寒さに弱い父は震えながらも治世に励み、しばしは私を優しく抱き上げてくれた。私はこの父のことが、とても好きだった。この先王が亡くなったのは、玉座の奥に備え付けられた炬燵にくるまって眠る明け方の冷え込みが、脂肪少なく高貴にお生まれになった身体にはこたえたのでしょう、と済まなげに治医は告げた。主たる治医といっても、幼女の朕でも底が見えちゃうくらいに、効かなそうな呪いを唱えるだけなんだけれども。
もちろん、この国プシは、父の先王が愛してやまない地。国の民を導く姿は、いつもちょっと寒そうだったのだけれども。そんなこの国を、朕は盛り立てていこうと思うのだった。父から遺伝したらしく、朕も体脂肪少なめだから、日々かなり寒くて自室のオコタに引きこもりたい思いもあるところなのだけれども。
そして、即位の前日に、予想通りに事件は起きる。大老と侍医に、明日からは夜を玉座の炬燵にて過ごすように朕に勧めてきたのだ。朕は即座に(ムリムリ!ムリムリ!)と思う。この玉座、天井が高すぎて、夜はめっちゃくっちゃ底冷えするんだから。
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朕は、玉座の間の思い出を浮かべた。
今よりももっと若かった朕は、広々とした玉座の間を駆け回りながら、先王と后と、お使えしてくれているメイドたちと夕方まで楽しく過ごすことがいつものことであった。6年半を超えたこの国プシでの我が朕生の楽しい思い出は、だいたい玉座の間にあるといって良い。
滅多に取れることがないという紅玉が地井戸から朝に掘り出された時の、午後の一時などは楽しかった。紅玉の赤熱を利用してとき卵を熱し、メイド随一の料理人シズカがホットケーキを作ってきてくれて、玉座に持ってきてくれるのだ。先王と后は、余熱を発する紅玉の赤き煌めきの上に盛り上げられたホットケーキを、いつも朕が一番に食べるよう勧めてくれた。沢山のホットケーキをほうばる朕。でも、とてもその次は后。そして、はにかみながら、先王がホットケーキをほうばるのだった。とてもとても、おやさしい方だった。朕がこの地に生まれて一番幸せだったことは、先王の娘として産まれたこと。そして二番目が、これまた心やさしい后の子として産まれたこと。
その後に、先王がお命じになられ、後ろに従っていたメイドたちもホットケーキをほうばる。メイドたちが楽しそうにほうばる中、私も再び、すこしずつホットケーキをほうばるのだった。幼女だけに、はむはむと、はむはむと。朕がこの地に生まれて3番目に幸せだったことは、彼女たちが朕に仕えてくれていることだった。
そんな風に楽しい一時を夕方まで過ごした後、私は先王を自室のオコタで夜を過ごすようしばしば誘ったのだっだ。だって夕方になると、この玉座の間は、ガクブルなくらいに冷え込んでくるのだ。朕はとても我慢できない。そして、愛する先王が、この間の端っこにある玉座の炬燵にもぐりこんて、震えながら眠りにつくというのはもっと我慢ができなかったのだった。
この国プシの神器のひとつに数えられる、神聖な玉座の炬燵。先王の他は、次期王となる、朕だけがその炬燵にもぐり込むことが許されていた。昼の玉座の炬燵はとても温かい。朕は、炬燵に潜り込んだまま、横に侍るメイド長で博学なユリコに絵本を読んでもらったり、いつもけらけらと笑う陽気なメイドのミカコに楽しいお歌を歌ってもらった。そして、しばしは、そこでうたた寝をした。夕方が始まり、少し冷えこんだ頃に、一番レイセイチンチャクなメイドだというカンマに夕刻を告げる『黄昏の唄』をお歌を歌ってもらうのだった。どこか哀しい気になるお歌だったけど、カンマの低く澄んだ声は綺麗でその顔は美しかった。
その後、先王と別れるのがさみしい朕はしばしグズるのが常だった。そんな時には、カンマが二度目の『黄昏の唄』をお歌を歌う。二度目のお歌の声はより低く、でも澄んでいた。そして、今度のカンマの顔はやっぱり綺麗だったけれども、どこか凄みがあるのだった。朕はカンマの顔を正面から見るのは怖かったので、くしゃくしゃ紫髪が素敵なメイドのリサの後ろに隠れながら、カンマの横顔を覗き見るのだった。横顔からもカンマから凄みが漏れ出してきていて、朕はリサの後ろにいてもまだ怖かっだ。だけれと、カンマのその横顔は本当に綺麗だった。たぶん、朕がこの地に生まれて4番目に幸せだったことは、カンマの二度目のお歌の時の横顔を見る時だったのだと思う。その横顔は、幼い朕に何か切ない想いを伝えてきた。切ないけれども、とても、朕にとって大切な何かの想いを。
朕が、カンマの三度目のお歌をお願いすることは一度たりともなかった。なぜなら、カンマが怖かったから。カンマは先王のもっとも忠実なしもべなのだった。冷え込む玉座の間に居座り続けることで朕が風邪をひかないかと、先王が少しオロオロしているのを見て取り、二度目の『黄昏の唄』にたぶん退室の念か何かを込めて歌っているのだった。これから王となる今の朕には分かる。たぶん、ほんとうのところ、カンマにとって先王以外の全ての存在は羽虫なのだった。たとえ、次期王たる、朕であっても。そう、カンマの力を超えるその日までカンマに本気で逆らってはいけない。そんな事すれば、羽虫確定である。もうすぐ7歳になるのにまだ幼女気分が抜けない朕だったが、そのことだけは分かっでいた。そして、後に、プシ王として朕が戦場に出た時に、もっとも功を上げてくれるのがカンマであろうことも。
玉座の間にある、石でできた重々しい玉座の扉を開けるのは、しっとりとした雰囲気のメイドのイープの役割。今の朕が押してみてもビクともしない玉座の扉をしおらしくも軽々と開けてみせるイープは、たぶんとても力持ちだ。そして、朕は后の後ろに次いて、メイドのリサに横抱きに『だっこ~』されながら、玉座の間を出るのだった。朕よりだいぶお姉さんなのに、リサが両の手を上げ、『だっこ~』と朕に言ってきてくれる声はとても可愛らしかった。
朕とリサと、后の後ろには、残る5人のメイドが次いて出て、玉座の間には、先王がただ一人、お残りになられるのだった。
もちろん、玉座の扉が開くのを膝をつき待っている執事隊が、その後の先王のお世話をするのだが。
その後、小さめの后の間で、后と軽いお食事をして、少しお話した後は、早めに姫の間のオコタに入るのだった。だって、后の間もどんどん冷えてくるのだから。いずれは先王の後を継ぎ玉座の炬燵で夜を一人で過ごすことになっている朕はたぶん3歳の時から姫の間のオコタで一人眠ることになっていたのだ。はじめは后と一緒に寝るのとダダをこねていた朕だったが、メイド長のユリコをはじめメイドたちに代わる代わる夜伽をしてもらい、いつしかオコタで一人眠ることに抵抗はなくなっていった。
そして、ある日の昼下り、玉座の炬燵に入っていた朕は、一緒に炬燵に入ってもらった先王に聞いた。
「ねぇ、おとうさま。このオコタで夜眠っている時はどんな感じなの?」
先王は、少し悲しそうな顔をして答えた。
「がくぶるとするくらい寒いんだよ。
でも、これは定めだから。」
後半部分は言い聞かせるように優しく言った先王は、申し訳そうな顔を朕に向けた。
そう、玉座の炬燵に一人眠るのは、プシ国の王の務めなのだった。
幼き日の朕は、その日の夕方、リサに『だっこ~』されながら、玉座の間を出る時に、
(玉座に隅っこ暮らしして、毎晩眠るのだけは、ゼッタイにイヤ!)
と固く固く決意したのだった。
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ということで、残り1日半のうちに、朕の目の前に侍る大老と侍医をはじめ、重臣たち全員に、玉座の炬燵を、朕の自室に移設させることが、王となる、朕の一大目標となるのだった。
夜にあんなに冷える玉座の間で王はひとり眠る、などという、バカげた風習が出来上がってしまった理由は、だいたいのところを分かっていた。玉座の上の方に掲げられ、ホコリをかぶっている先々代の御姿絵を見やと、デッぷりと太っていた。その先々代のとうさまもじいさまも、そのまた昔の王たちの御姿絵も、みんなみんなホコリをかぶりまくりつつ、デップリと太っていた。もっともっと昔の王の御姿絵なんかは、ほこりをかぶりすぎてうっすらとした見えなかったが、上半身素っ裸でデッぷりとしたおなかを自慢げにさらしていた。ちなみに、王たちの御姿絵がみんなホコリをかぶりまくりなのは、一度かかけられた王の御姿絵は神聖にして触れざらるべき神聖画となるがために、掃除ができないためだとのこと。たぶん、プシ国だけの迷信だろう。
私は、ジト目という奴でそれらの御姿絵を見やりながらも、大老と侍医の方をびしっと指差し、宣託した。
「朕は、玉座の炬燵を我が間へと遷都するっ!」
ポカンとなる、大老と侍医。メイド長のユリコのオコタ話に出てきた「遷都」という言葉が専門的過ぎたのたろう。
朕は、ううんっと咳払いし、今度は大老と侍医をじっと見やった後、びしっと指差し、宣託した。
「朕は、玉座の炬燵を我が間へと移設せんとすっ!」
6歳と10ヶ月とは思えないくらいにびしっと滑舌してそう言い、得意げにしている朕に対し、畏れ多くも大老は口答えをした。
「玉座の炬燵と移設と申しますと、まさか、姫様の間に炬燵を移そうとお考えられておられるのでしょうか? それは古の我らが精霊さまの言いつけに背くこととなります。」
横では、精霊さまのありがたいお言葉を繰り返すことが唯一の趣味の侍医が、
「おそろしや、おそろしや。」
とブツブツ言っていた。
朕は、ジト目となり、
「何であろうと、玉座の炬燵を我が間へと移設するっ!」
と言い放った。朕は、言う時は言うのである。
なおもアアだコウだ言おうとする大老と侍医に対し、朕は、歴代の王たちに比べ、先王と朕の体脂肪率が低いことから始まる正論を述べた。だいたい、先王が凍死っぽく、ぽっくり死してしまったのは、大老と侍医がそのことを知っていながら、先王に迷信を押し付け続けたからでしょうに、といったあたりで、大老と侍医は、なみだ目となり、炬燵の移設に同意した。二人はなんだかんだいって、先王に心からお仕えしていた善人なのだった。
二人に向かって、朕は、笑顔となって言った。
「朕は、先王に可愛がっていただき大変幸せでした。
これからは、先王がこの身に与えくださったご寵愛を、朕が臣下の者たちに分け与えてまいりますわ。」
大老と侍医は、目を見開き、真っ赤になると、
「ははーっ。」
と、朕に向かって、頭をこすりつけて、土下座をした。
朕の斜め後ろには、そっと総婦長が立っていた。やり取りをただ一人見ていた総婦長は、移設の件のただ一人の味方だった。大老と侍医があれこれ言い続けた場合、最後は彼女がビシッと体脂肪のことを二人に言い聞かせる段取りとなっていた。
その任を果たす必要がなくなったと知った総婦長は、不敬と知りながらもつぶやきたかったであろうこと。それは、やはり、「朕、おそろしい子。」 ... 朕のはじめての頑張りを途中から見ていた私は、そう思っていた。
☆
翌日の昼下り、厳かな即位の儀を終え、朕はプシ王となった。
午前中の御前会議において、唯一、家臣たちの間で意見が割れたのが、玉座の炬燵の移設を誰がするのかということだった。大老は、かような大事は、当然に執事隊が行うべきと主張した。対して、侍医は、王の健康をお支えする医務隊が行うべきと主張した。共にプシ国の重臣たちである。プシチャクの地の身分高きものによくある通り、皆、小太りかデップりとしていた。
前例がない、玉座の炬燵の移設という大事を前に、長々と意見を述べ合う両派閥。その言い争いがグダグダとなりかけた時、今日は総婦長が場を収めたのだった。
「姫王が即位なされた場合、メイド隊が姫王の御身をお支えするのが、古からの我らが精霊さまのお言いつけ。」
双方の間に立ち、そうぴしゃりと言い放った総婦長に、両派閥はなおも意見を述べようとしたが、総婦長の後ろに従う6名の親衛メイド隊の冷たい視線に動きを止めた。朕は、6名の親衛メイド隊の凛とした立ち姿を頼もしいと思った。ただ、両派閥に最も冷たい視線を送っているカンマだけは、少し恐ろしかった。それはまるで、異国の地井戸の奥底に潜む怪異という蛆虫とやらを見下ろしてでもいるかような眼差しだった。
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玉座の炬燵を持ち上げて移設したのは、メイド長のユリコと、玉座の石扉担当メイドのイープだった。軽々と炬燵を運ぶ二人の様子を見て、朕は、メイド長のユリコがイープと同じくらいの力持ちであることを悟った。
朕は今宵より、姫の間、改め、姫王の間に置かれていた朕愛用のおコタの使用をメイドたちに許した。
その日から、玉座の炬燵に朕は夜更けまでメイドたちをおコタに引き止め、これまでよりも長くオコタ話をせがむのがしばしばとなった。
初日のメイド長のユリコの会の時だけは、朕は、引き止めるのをちゅうちょしてしまったのだが。