王都へ
魔女は産まれた時から魔女なのだろうか。少なくともこの国では違う。他と違わぬ赤ん坊として産まれ、他と違わぬ少女時代を過ごす。そして迎えた15の誕生日に、月夜の女神に祝福された者だけがその身に魔法を宿すのだーーー。
馬車の窓から射し込む夕陽を受けて耳元の昏い紫水晶が光る。ヴェレーノを乗せた小さな馬車はごとごとと音を響かせながら王都への道を進んでいた。
「そろそろ宿へ向かう時間かしら。それにしても、やはり茨の森は王都から一番遠いだけあって時間がかかるものね…。」
旅の合間に、と持ち込んだ薬学書も全て読み終えてしまい、やることをなくしていたヴェレーノは鞄から杖を取り出した。柄の先端に耳元と同じ昏い紫水晶が埋め込まれた、30センチほどの黒い杖。
「パーティーは明日よね。日が落ちる前に宿を取るとして、この位置だと明日の出立は夜明け前かしら。…嫌だわ、朝早いのなんて。」
ヴェレーノはそう言いながら杖でくるくると円を描く。
「ねぇ、テンペスト。いるんでしょ?」
描いた円の中央部分から風が吹く。紫紺色のローブからのぞく漆黒の髪をなびかせる風からヴェレーノにしか聞こえない声が響く。
「ちぇッ。こっそり付いてきたのにわかってたのかァ。ヴェレーノは相変わらず意地悪だねェ。」
「別に意地悪で黙ってた訳じゃないわ。過保護なあなたなら付いてきてくれるって信じてただけよ。それに、普段は名前を呼ばないと姿を見せてくれないでしょ?」
「…これだよォ。こんな可愛い事言われて過保護にならない訳にいかないじゃないさァ、全くゥ!」
ぼんやりと姿を見せた風の精霊は片手で自身の胸元をぎゅっと握りしめ、もう片手で額を押さえてのけぞった。ヴェレーノはそれを生暖かい目で見ながら、ぎこちない笑顔を作った。
「アタシに頼みたいことがあるんだろォ、ヴェレーノォ。何でもきいてやるよォ!ただしィ、対価は貰うからねェ?」
「いいわ、テンペスト。今日の対価は私の髪の毛。この馬車を王宮の玄関まで飛ばして欲しいの。長いのならそうね…十本ってところかしら。」
「十本とはァ…奮発するねェ、ヴェレーノォ!イイわァ、飛ばしてあげるわァ!それもこんな馬車なんかよりずうっと速く、ずうっと快適にねェ!契約成立よォ!」
契約成立を宣言すると、ぼんやりしていた一帯が淡い水色に輝き、テンペストの姿がはっきり視認できるようになった。蜂のような羽を持つ小さな人形の精霊。妖精の姿によく似たそれは、しかし妖精よりもはるかに力の強い風の精霊。
ヴェレーノがテンペストに髪の毛を渡すと、テンペストは髪の毛に顔を埋め、深く息を吸い込んだ。
「はあああああン…これ…これよォ…こ「やめて」
奇行に走ろうとする風の精霊をピシャリと制止し、ヴェレーノは契約の履行を促す。
「それはあなたにあげたものだから、何をしてもあなたの勝手よ。でもそれは私に見えないところでしてちょうだい。見てて気持ち悪いわ。それより早く。宿に着いてしまうわ。」
「ンもうゥ!人間は面倒くさいわねェ…。まあイイわン♪さァ、飛ばすわよォ!」
次の瞬間、馬車を引く馬の蹄の音が消え、浮遊感が体を包む。御者の声が混乱から悲鳴に変わる。
「御者の人も落としちゃだめよ、テンペスト」
「任せて頂戴ィ!」
薄闇に包まれ始めた空に一台の馬車が浮かび、夜空を駆けた。