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03. 初対面

「それじゃあ、改めて乾杯!!」

 峰岸さんが乾杯の音頭をとってグラスを掲げると、皆が順番に橋本とグラスを合わせる。わたしも一番最後に軽くグラスを合わせると、三杯目のシャンディガフに口を付けた。

「いやあ、参った! 営業先の部長がすごい話好きでさ。じゃあそろそろって言っても、話戻して帰してくれないんだよ。最後は孫娘の自慢話になるしさ」

「それだけ話してくれるということは、気に入られてる証拠じゃん。もしかしたら孫娘を紹介してくれるかもよ」

「いや、牽制された。確かにうちの孫は可愛いが、君の相手には若すぎるだろうって」

「何だよおまえ、紹介して欲しいアピールしたのか。さすがに必死すぎるだろう」

「違うわ! スマホの待ち受け見せてきたから可愛いですねって褒めたら、そう言われたんだ。いくら彼女欲しいからって、五歳児はターゲットにしねえよ」

 そうオチをつけると、皆が吹き出した。先程までも会話は弾んでいたけれど、橋本の登場で場の雰囲気が明らかに変わった。男性陣の口数が急に増え、面白おかしく話すその口ぶりに皆が笑う。わたしは斜め向かいに座る男の様子を、こっそりと観察していた。

 橋本という男は、ドラマに登場するようなイケメンでは決してない。二重の目はくっきりとしているが、百八十センチを超える長身なわけでも髪がさらさらなわけでも白い歯がきらりと光っているわけでもなく、どこにでもいそうな普通のサラリーマンだ。だけど営業という職業柄か、遅れて来ても自然と会話の中心に居る不思議な存在感があった。そういう性格だから営業職を志したのかも知れないが、とにかく場を盛り上げる力があり、優花が前に評したムードメーカーという表現にわたしは心底納得していた。


「はっしー、お腹空いたでしょう? スペアリブ美味しかったから、早く食べなよ」

 男性陣が軽口を叩いていると、大石さんが肉や野菜を綺麗に盛りつけた取り皿を橋本に差し出した。

「さすが大石! 電車待ってる間にビールと肉の写真がどんどん送られてくるけど、俺が着くまでに森野に食べ尽くされているんじゃないかとやきもきしていたんだ」

「優しいでしょう? 惚れるなよ」

 大石さんは、今日も可愛いかった。涼しげなミントグリーンのワンピースを着て、きらきらのカラーストーンがついたバンスクリップで髪をすっきりひとつにまとめている。わたしたちとの会話を楽しみながらも遅刻の橋本の為にせっせと料理を取り分けていて、きっとモテるんだろうなと、気が利かないことでは筋金入りのわたしは感心しながら眺めていた。

「それにしても、森野は相変わらず良い食べっぷりだなあ」

 ビールを一気にグラスの半分くらい呷ると、ペペロンチーノをもりもり食べている優花に橋本は目を細めた。

「だって美味しいんだもん」

「そりゃあ仕方ない。俺は旨そうに飯を食う子が好きだぞ」

 橋本の言葉に、何を言っているんだと鼻白む。優花は馬鹿男の台詞を華麗にスルーして、グラスに残っていたカシスソーダを飲み干すと、近くを通った店員さんにおかわりを注文した。


「おい森野、ちょっと飲み過ぎじゃないか?」

 すると佐野さんが、小声で優花に尋ねた。管理部で開いてもらったわたしの歓迎会の時は乾杯のあとずっとソフトドリンクだったのに、今日は既に三杯飲んでいて、あの時は上司がいる席だから控えていただけなのかと思っていた。でも今の佐野さんの様子からすると、どうやらそうではないらしい。

「大丈夫だよー」

 ほんのり赤くなった顔に笑みを浮かべ、ご機嫌な様子で優花が答える。

「じゃあ、これでラストな」

「まだ飲めるよう」

 呂律はしっかりしているが少しふわふわしていて、佐野さんはそう釘を刺した。わたしは厨房に戻りかけた店員さんを呼び止めて、追加でチェイサーを一杯頼んでおいた。


 やがて全員のお腹が満たされた頃、席が二時間制だった為に退店を促され、同い年たちの宴はお開きになった。

 男性陣はまだ飲み足りないらしく二次会に行く気満々で、わたしも誘ってもらったが丁重にお断りした。飲み会自体は予想より遥かに楽しかったのだが、やはり初対面の人ばかりだと気が張るのも事実で。店の外に出た途端に気疲れしている自分に気づいて、今日はもう帰ろうと決めた。優花と大石さんはどうするのかと思ったが、ふたりともあっさり帰ると宣言し、男性陣も引き留める様子がないので、もしかしたらいつも二次会は男子会なのかも知れない。

「じゃあ、わたしはバスで帰るから。またねー」

 大通りまで出ると、少し舌足らずな調子で優花が言った。通勤は遅延が少なく所要時間の短い電車だが、駅よりもバス停の方が家に近いらしく、飲んだあとはいつもバスで帰るそうだ。

「大丈夫? 寝過ごしたら駄目だよ」

「ちゃんと起きてるもーん」

 大石さんの言葉にそう返すも、話すスピードが明らかにゆっくりになっていて、ひとりになれば寝てしまうのではないかと少し心配だ。他の男性陣も、口々に気をつけろと言っているので、優花がこんなに飲むことはきっと珍しいのだろう。

「バス降りてからも、気をつけろよ。森野の家の周りは人通り少ないんだろう?」

 優花がどこに住んでいるのかわたしは最寄り駅の名前しか知らないが、家の近所の様子を過去に話したことがあるのだろう。帰り道を案じて橋本がそう声をかけると、次の瞬間、優花は彼の気遣いをばっさりと切り捨てた。

「大丈夫。わたしは地味だから、そんな心配無用だよ!」


 優花は冗談ぽく言ったつもりだろうけど、わたしにはとても痛々しいものに聞こえた。突然優花がそんな自虐的なことを言い出して、皆きょとんとしていたけれど、橋本だけは刺されたような顔をしたのをわたしは見逃さなかった。何か弁解しようとして、でも言葉が見つからない。焦りを滲ませる彼の横顔を、わたしはひどく冷酷な気持ちで眺めていた。

「優花は地味じゃないし、人通りの少ない夜道は安全ではないから。だから気をつけて帰ってね」

 きっと優花も、あんな言葉を吐くつもりではなかったのだと思う。その証拠に言った本人が少し動揺していて、だからわたしは彼女を開放する為に口を開いた。今日はもう、早く帰ってシャワーを浴びて、眠った方が良い。

「新山さんの言うとおりだよ。だから気をつけて。あと、今日はカロリーオーバーだから帰りにコンビニでデザート買ったら駄目だよ」

「分かったよ、気をつけて帰る。だけど、コンビニでアイスは買ってしまうかも……」

 大石さんも何かを悟ったようで、わたしの言葉を後押ししてくれた。ついでに軽口を叩いてその場を和ませてくれるのだから、可愛いだけじゃなくて場の空気を読める聡い人なのだと思う。そんな大石さんの注意に優花は本気か冗談か分からない返事を返して、みんな思わず吹き出して、わたしも少しだけほっとして笑った。


 大通りを渡ってバス停に向かう優花の背中を見送ったあと、わたしも皆と別れて駅に向かうことにする。男性陣は駅前のどこか適当な店で二次会をし、大石さんは目の前のカフェで彼氏の迎えを待つと言う。そこではじめて大石さんに年上の彼がいることを知ったのだが、彼女に恋人がいない方が不思議なので、まったく驚きはしなかった。

「じゃあ、今日は誘ってくれてありがとう」

「また飲みに行こうね!」

 大石さんと手を振り合って、男性陣には軽く会釈をして、わたしは改札の方へと歩き出した。

「新山さん!」

 不意に、背後から呼び止められる。わたしは足を止めると、ゆっくりと振り返った。皆それぞれ歩き出していたけれど、橋本だけがこちらを向いて、何か物言いたげな表情で立っていた。

「何か?」

「いや、あの……。気をつけて」

 わたしの口から出た声は予想以上に冷たく尖っていたが、仕方がないことだと思う。それに怯んだわけではないだろうが、結局橋本は適当な気遣いの言葉だけをかけて、口を噤んでしまった。彼がわたしに聞きたい内容は百も承知だが、教えてあげる気などさらさらないので、わたしもありがとうとだけ言って会話を打ち切る。

「じゃあ、お疲れさまです」

 そしてわたしは渾身の愛想笑いで、橋本一哉に挨拶をした。

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