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道を究める二刀流  作者: 沢村俊介
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トレーナーの吉原氏がアメリカにやって来てくれた

 寺坂は、アナハイム市からロサンゼルス空港に向かった。

 日本から吉原トレーナーが来てくれることになったのだ。球団事務所の松尾先輩のおかげだった。吉原氏は約二週間こちらに滞在し、宮本選手の臨時トレーナーにマッサージ指導を行うことになっている。

「久しぶりです」

 空港の出口で、吉原が笑顔を見せてくれた。

「遠いところ、すみません。感謝しています」

 寺坂はお礼を言った。昨年12月末に吉原とは札幌市の球団事務所で会っていた。約8カ月ぶりの再会となる。

 さっそく、車で、吉原氏を宮本選手のレジデンスに案内する。

「お久しぶりです。寺坂さんやあなたのご厚意に甘えることにしました。今回は本当にありがとうございます」

 と宮本選手は笑顔で、吉原氏と固い握手をしている。

 その様子を見ている寺坂は感慨深いものがある。自分が最初に松尾先輩に電話で相談してからわずか5日しか経ってない。吉原氏の決断も実に早かったと寺坂は思う。

「何しろ、寺坂さんがこのたびも強引で……」

 宮本が苦笑いしている。

「実は、うちの球団の松尾さんからは、スパイク・シューズのメーカーさんへの注文も寺坂さんは熱心だったと聞いています。寺坂さんは、外見に似合わず、芯が強い方かもしれません」 

 と吉原が宮本に話している。しかし、そばで二人の会話を聞いている寺坂は照れている。

「今、あの時のシューズも改良に改良を重ねてもらっていて、なかなかフィットしていて気持ちいいですよ」

「それはよかった。僕は、この四月初旬、宮本さんが外野の芝生のところでダッシュを繰り返しておられるビデオを見ていて、右足首の関節部の状態や、左足太腿裏の筋肉の状態がいいんだな、とうれしかったものです」

 寺坂は、宮本と吉原の会話をそばで頷きながら聞いていたが、内心のうれしさは隠しきれない。

 あのスパイク・シューズについても、足指の付け根、土踏まず、かかとの三点を主な支点としたアーチ型のソール(靴底)がぴったりと宮本選手の足裏に嵌ったときは、うれしかったが、今回無理をしてまでも吉原さんに来てもらえたのは、本当に感謝に耐えない気持ちだ。

 三人で、LA球団の本拠地である、アナハイムの球場に向かう。

 マッサージ・ルームに、トレーナーが待っていた。そして、トレーナーが現地のアメリカ人なので、通訳の三原さんにも来てもらった。三原さんは、寺坂と同じように日本の、前にいた球団から宮本選手の専属通訳として渡米されていた。通訳が専門で、若い頃はサッカーくらいしかやっていなかったらしいのだが、でも、今は宮本選手の軽いながら、キャッチボールの相手もされている。

 さっそく、宮本選手にはベッドにうつ伏せになってもらい、マッサージの実技研修がはじまる。

 寺坂がそばで見ていて、吉原氏のマッサージで特徴的だったのは、足裏マッサージの丁寧さだった。足指の裏(肉球)、足指の付け根、土踏まず、カカトと、ともかく足裏を丁寧に柔らかく揉まれていくのだ。

 吉原氏が新人トレーナーにレクチュア(指導)をしている。

「足裏のアーチというのは、ある種のクッションになります。ランニングだとか、一塁ベース盤を踏んだ時には、その衝撃が直接、足首関節に伝わりますが、このアーチの機能が働くと、うまい具合に、衝撃が和らぎ、足首関節への負担が軽くなります。あなたもご存じだとは思いますが、宮本選手は、2016年の秋、日本シリーズやWBC強化試合で一塁ベースに駆け込んだとき、右足かかとの上の足首に腫れと炎症を起こしました。むろん、この腫れと炎症は、直接的にはアキレス腱の下のところに、体の成長期に残った三角骨というのに、トゲが生れ、そのトゲが神経を刺激・圧迫して、炎症や痛みを招いたと考えられますが、僕は間接的には、足裏の付け根、土踏まず、カカトを結んだ、足裏のアーチが十分クッションの役割を果たさなかったせいだと思っています。ですから、このクッション機能が果たされるよう、付け根、土踏まず、カカトの筋肉を揉みほぐし、柔らかくしておかねばなりません」

 アメリカ人のトレーナーが、吉原氏の説明を感心したように聞きながら、首を縦に振り頷いている。

「足指の肉球も大切ですか?」

 と、トレーナーが質問する。

「ええ。日本には猫が多いですが。猫というのは、四つ足に、それぞれ爪と爪との間の肉球が発達していましてね。猫は高い塀から地面に飛び降りても、びくともしません。膝の関節の柔らかさも、むろんあるのですが、地面と直接当たる、これら肉球のおかげで、地面に飛び降りた時の衝撃がかなり薄められる、と言われています」

 吉原氏の説明にトレーナーも頷いている。

 寺坂も、下肢のあらゆるパーツ(部品)が意味を持っていて、その意義を発揮させるために、マッサージの果たす役割は馬鹿にできないのだ、と改めて感じ入っていた。

 吉原氏は、関節のマッサージは常に入念だった。寺坂は、吉原氏が書いた、宮本選手のマッサージ・マニュアルである大学ノートのことを思い出している。

 宮本には、アキレス腱の下、かかとの上の足首関節には、成長期に残った三角骨が存在するのだが、そのような現象は、体の関節のいたるところに見られる、とノートには書かれていた。

 むろん、宮本選手のからだの特徴として、成長期には、『骨端線』といって、骨の端にある軟骨が成長して骨になる部分が、関節部分にあって、それが身長を伸ばすメリットとなりつつも、場合によっては、それがうまく骨にならず残ってしまい、それが余分な骨となって、周辺部の神経を刺激して炎症を起こすというデメリットもある、とノートには付記されていた。

 そうなのであろう、吉原氏は、足首関節にしろ、膝関節にしろ、股関節にしろ、両手で温めるように丁寧なマッサージをされていた。

 それは、きっと骨と骨との間にあるクッション層を修復させ、そのクッションの潤滑油の浸透を促すものと、寺坂には思われた。

 一例を挙げるとするならば、宮本選手のピッチングにしろ、バッティングにしろ、彼の柔らかい膝の使い方は定評があるところだ。

 ひょっとしたら、疲労が重なった上に、マッサージ・セラピストが代わったことで、これまでのような膝の使い方ができないことが、今、成績不振のひとつの要因のようにも、寺坂には思える。

 宮本はうつ伏せになりながら、吉原のマッサージを受けていた。指先の優しさ、それはなつかしい感じがする。その手のひらの優しさというのは、昔自分が小学生だった頃、風邪で熱っぽい額に手を当ててくれた母のことを思い出させる。

 足首の関節、膝の関節、股関節、それらのマッサージは、手で揉み込むようなものではなかった。関節を両手で優しく包み込む、そんな感じだった。両方の手の平がずっと当てがわれているが、とても温かく心地良い。マッサージ師の手が肩に行き、肩関節が手で温まれた時、宮本は何だか眠気に誘われていくような気がした。

 10月なのに、ひどく寒い日だった。小学生の宮本は、ランドセルを背負ってうちに帰った。寒かった。でも母がランドセルを背中から取ってくれて。そして、その背中を制服の上から、撫でてくれた。そして、肩も、上腕部も、母は手のひらで撫でさすってくれた。

『あったかいな、おかあさんの手……』

 そう自分の心の中でつぶやいたとき、宮本は深い眠りに落ちて行った。(つづく) 

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