嫌だね
「うん、じゃあ覚悟ができたらこっちにおいでよ」
「・・・・・・」
女の戯言に耳を貸さず、恵二は冷静に相手のスキルを分析する。
(そう、確かにあの男はスキルと言っていた。あの女が見たもの全てを凍らせるスキルだと・・・)
そんなスキルが存在していいのだろうか。その余りにも凶悪なスキルは一見無敵にも思えた。
(だが、俺のスキルも負けてはいないはず・・・。問題は間合いと残り使用時間だ)
頭が痛い事にこの女が現れる前に、フード男たちと灰色の髪の青年の襲撃騒ぎで大分スキルを使った。消費を極力抑えてはいたが、余裕は殆ど無い。
(超加速で斬り込むってのは却下だ。残り使用時間が微妙だし、何より“視た”だけで発動ってのが非情に厄介だ)
まるで周りの時間が止まったかのような超加速の動きなら、もしかしたら相手が視認する前に首を落とす事ができるかもしれない。しかしそれを行うにはかなりのパワーを使う。一瞬だけならともかく、もうそこまでの強化は使えないのだ。
それにいくら目にも止まらぬ速さで動けても、光の速さで動けるのかと考えると微妙でなところであった。相手は恵二の姿を視界に捉えただけで凍らせることができるのだ。そんな危険な博打は打てない。
(すると、次に考えるのは遠距離攻撃か)
恵二は火弾を無詠唱、ノータイムで放つ。威力は完全に捨て速度重視だ。しかし火の弾は彼女の範囲に入った途端、あっという間に氷の弾へと化す。その時点で恵二のコントロールを離れ氷の弾は重力に引き寄せられ地面へと堕ちていく。
「あははあ。可愛いですねえ。いくらでも抵抗していいですよお。ではこっちもそろそろ動きましょうかね」
そう話すと彼女は再び恵二たちの方へと歩み始めた。その動きに連動し、ゆっくりと氷の世界が恵二たちへと迫ってくる。
「下がるわよ、二人とも・・・」
サミの声に頷き十分距離を取りつつ後退していく。どうやら氷結化の効果範囲は凡そ30メートルといったところだろうか。捕まらないように下がっていくと、隣でぶつぶつと詠唱が聞こえる。どうやらサミが何か仕掛けるようだ。その詠唱の長さからよほど威力の高いものなのだろう。しかしそれを見ているはずのルルカは全く怯むことなく3人に語り掛けて来た。
「ところで私、こんな二つ名があるんですよ?」
一歩一歩ゆっくりと彼女は近づいてくる。恵二は間違っても彼女の範囲に入らないよう距離を取りながら再度魔術を放つ。今度は火弾を4発放った。それぞれ軌道を上下左右と距離を取ってルルカへと放つ。しかし、どうしても彼女の視界に入ってしまい途中で凍ってしまう。
「その名も青い殺し屋。青い髪と目からそう呼ばれてます」
「――焼き尽くせ、炎の柱!」
彼女の話しには全く耳を貸さず、今度はサミが炎の魔術を放つ。それは先程、灰色の髪の青年が放った中級魔術であった。視界の外の足元から発動するこの魔術ならいけるのでは。そう思ったのだが炎が足元で出かかったところ、すぐに凍りついてしまう。ルルカはそれをニヤリと嘲笑い、サミは思わず地団駄を踏む。
「ケージ君は<青の異人>だそうですね。貴方を殺せば、まさしく私は青い殺し屋ですねえ。あ、実はこの名前、今思いついたんですけどねえ」
(自分でつけたのかよ!)
思わず心の中でツッコミをしてしまう。
元来そういう性格なのか、ぺちゃくちゃ喋りながら少しずつ歩くスピードを早めて近づいてくる。恵二たちもそれに合わせて後退するスピードを上げる。町の住人達も人伝に聞いたのであろう。大慌てでルルカから逃げていく。
(こうなったらどこかの建物に隠れて不意打ちでもするか?)
要は見えなければどうってことの無いスキルなのだから、一旦横道か屋内にでも入って姿を眩ませれば。そう考えたがすぐに危険だと悟る。
(むしろ奴を見失いたくない。こっちは見られただけでお終いなんだ。ここでアイツを見失って雲隠れでもされたら堪ったもんじゃないぞ!)
むしろ正面きって襲って来てくれたこと自体が幸運だったのだ。ここで必ず仕留めなければ恵二は一生彼女のスキルに怯えながら暮らす羽目になるだろう。
ルルカがまた一歩、スピードを速めて近づいてくる。
「そういえば、青の世界<アース>は聞くところによると、とっても住み心地のいい世界のようですねえ」
(やはりここは正面から打って出るか?アイツの視線さえ潜り抜ければ、たかが30メートルくらい・・・)
「くっそお、俺じゃあ何も手を出せないぜケージ。近づけないんじゃあ、手の打ちようが無い」
「考えなさい。きっと活路はあるわよ!」
遠距離攻撃の術がないセオッツの泣き言に、諦めるなとサミが声を荒げる。
「羨ましいですねえ。私の居た世界、デミフレアって言うんですけどねえ。それはもうこの世界と比べると本当に地獄でしたよ?」
(さっきからやかましい!集中できねえ!)
ルルカのお喋りに集中力を欠く恵二。どうにか心を落ち着かせ、アイツを倒す算段をつける。
(・・・やはり、あの手しかないか・・・。ならば少しでも距離を―――)
そう決意を決め、ルルカの方を見た時にふと違和感を感じる。
(あれ?こんなに近かったっけ?)
奴のスキルの効果範囲は凡そ30メートル。念のため距離を取って40メートルくらいは空けていたはずだ。足元を見ると確かに凍土と化している地面からは10メートルくらいの距離が離れている。だが、彼女から凍土の境界線までの距離は30メートルより遙かに短く感じた。
(――――嵌められた!)
ポーカーフェイスの苦手な恵二はすぐに表情に出す。恵二は気づいてしまったのだ。あの女の罠に。お喋りで気を紛らわせるのも、歩くスピードを変えたのも全部が罠だった。
――――彼女はワザと凍結化の範囲を狭めて3人との距離を縮めていたのだ。
(――すぐに実行だ!)
恵二も行動に出た。急いで魔術を発動させようとする。あちらも恵二の表情から己の罠が看破されたことを読み取り、突如猛ダッシュで前進しながらこう呪いの言葉を放った。
「――――だから憎い!お前たちが!この世界が!青の世界も何もかもが!全て、凍ってしまえええええ!!」
(――っ!間に合ええええええ!!)
氷の世界が恵二たちに到達したのと、恵二の土盾が発動したのはほぼ同時であった。
「え?」
「しまった!?」
ルルカの巧妙な間合い誤認を見抜けなかったセオッツとサミが思わず声を上げるが、寸でのところで二人を守るかのように土の壁が迫り上がる。
「――――くっ!」
それに舌を打ったのはルルカであった。もう少しで凍らせたものを土の壁に邪魔されたからである。恵二の前にも土盾は発動しており一先ず難を逃れる。しかしこれでは一時凌ぎにしか過ぎない。
(勝負を賭けるならここだ!)
そう今こそ尤も彼女に近づいている瞬間なのである。その距離30メートル未満。すかさず恵二は前方に土盾を複数設置し、彼女の視界に入らないよう細心の注意を払いながら猛ダッシュで距離を詰め始めた。
「――っこの、ゴキブリ野郎があ――!!」
「――っ!?誰がゴキブリだあ!!」
汚い言葉で罵られ、思わず反論する恵二。さっきとは立場が逆転し、ルルカは土盾から距離を置くように後退し、恵二は土盾を増やしながら前進し距離を詰めて行く。
ルルカはなんとかして恵二を視界に入れようと後退しつつも右に左にと身体を動かすが、なかなか恵二の姿を捉える事ができないでいた。
「ち、ちくしょおおおおお!」
彼女の狼狽する声が土壁越しに聞こえる。
(行ける!もう少し近づけば確実にアイツを仕留める事ができる!)
後は接近し視界に入らないよう慎重に彼女を斬るだけである。そう考えていた恵二は、ふと視界に入ったある輝きに目を奪われた。
(あれは・・・、手鏡?)
何故そんなものが壁に立てかけられているのか――――
(――――まさか!それってアリなのか!?)
恵二の脳裏にある恐ろしい考えが過った。彼女の能力は一定範囲の視界に入った物全てを凍らせる。ではその視界の定義とやらはなんであろうか。例えば反射した姿を捉えてもそれは視界に入ったと言えるのではないだろうか。そんな反則技、許される訳が無い。
――しかし、それでは何故あんなあからさまな所に鏡が置いてあるのか?誰が置いた?その意図は?
手鏡には既に何かが反射して映っているのが見えた。そう、あれは女の青い髪だ。もう少し、後ほんの少し横にずれれば奴の眼が――――
(――まずっ!)
咄嗟に身体能力を全力強化するも隠れる場所など無く、土盾を発動する時間も無い。強化された時間も残り僅かで完全に詰んだ。そう諦めかけた瞬間――――
――――手鏡が突然何かに弾き飛ばされた。
「――ど、どうしてえええええ!!」
それは彼女の心からの叫びであった。さっきまでのルルカの罵声も手鏡で嵌める為のブラフ、全て演技であった。彼女は己の能力を知り尽くしていた。当然、相手が取るであろう対策も想定していた。恵二が取った土盾戦法も、既に何人も試していたのだ。
その全員を残らず凍らせてやった切り札の手鏡が突然何者かに弾き飛ばされた。その者はルルカのスキルに対抗し策を弄したのでは無く、あえてシンプルに真正面から立ち向かったのだ。
「ざ、ザイル――!?」
「・・・名前を呼ぶなと言っただろう、この裏切り者が!」
己の切り離された頭部を片手に持った奇怪な男はあろうことか真正面から手鏡を蹴飛ばしたのだ。当然ルルカの視界に収まっているザイルは既に命を握られたも当然だ。しかし、余りにも絶妙なタイミングで飛び出して来た為、蹴飛ばされる瞬間まで気づけなかったのだ。そう、まるで事前に手鏡の存在を知って狙っていたかのように。
「俺は勉強熱心だからな。当然お前の戦法も予習済みだ」
「――っ!凍っちまえええ!!」
邪魔された鬱憤を晴らすかのように大声を上げ自らのスキルで男を瞬時に凍結させる。しかし、その一時の感情が仇となった。
――ザシュッ!
「――ッ!ギ、ギャアアアアアアアアァァ!!」
突如彼女の視界が暗くなり、同時に激痛が両目から走る。堪らず両手で顔を押さえると、そこにはヌメッとしたなにかが手に粘りつく。
「流石に心眼で凍らせる、なんてのは無いよな?」
近くで少年の声が聞こえる。ここで初めてルルカは少年に両目を斬られた事を把握する。
「く、くそお。殺せェ!私を殺せェ!」
「・・・嫌だね」
なんとかやり遂げた恵二はそう呟くと冷たい地面の上に倒れる。今回もギリギリだったらしく、気を抜いた瞬間体が崩れ落ちる。
「地面・・・、冷てえ・・・」
早く誰か運んでくれないかなと意識を手放す寸前にそんなことを考えていた。
「ハァ、ハァ、ハァ・・・」
まだ日が昇ってそんなに間もない時間、青年は街道から外れた平野を走っていた。魔力は底を尽きかけ体力はとっくに限界を迎えていたが、それでも走り続けた。時たま背後を気にするが誰もいない。それでも男は走り続けた。
なんだか町を出る際、町中が騒がしかったようだが却って好都合であった。今のところ追っての様子は無い。
「チクショウ、なんで・・・。ハァ、ハァ、この、俺が・・・っ!」
青年は生まれつきの天才であった。幼少の頃からどの大人たちよりも魔力量が高く、またその扱いも長けていた。努力らしいことはした記憶が無い。それでも周りは敵無しであった。
腕が立つと評判の魔術師の情報を耳に入れると、すぐに向かってみたがどいつもこいつも足元にも及ばなかった。なんでもハーデアルトには優秀な魔術師がいるとの噂も聞いたが、どうせそいつも今まで青年が相手をしてきたような凡夫の1人であろう。
今回もあくまで暇つぶしであった。偶々暇していたところを雇われ、誰かがヘマした尻拭いを頼まれ、断ろうとしたがAランクの魔物を倒したらしい冒険者が相手だと聞いて暇つぶしになるならと出向いただけであった。
そこで青年が出会ったのは1人の少年であった。こともあろうにその年下の少年は、自らと同じかそれ以上の魔術制御を身に着けており、恐るべき身体能力でもって反撃を一切許さず青年を一撃で地に沈めたのだ。
「ケージといったな!・・・ハァ、ハァ。覚えていろ!」
灰色の髪をした青年、ゼノークはどこへ向かっているのかももはや分からず、ただひたすらに平野を走り続けるのであった。




