滅ぼすぞ?
秋の<魔術学校選抜戦>最終日、エイルーン市内は朝から活気に満ち溢れていた。学生の大会とは言え、各校の代表である魔術師たちが繰り広げる魔術戦は、ある意味最高の娯楽とも言えた。大会を観に遠路はるばるやってくる観光客と、それを見越してひと儲けしようと目論多くの商人たちがここ魔術都市へと訪れる。
そんな何時もより賑やかな朝、恵二は普段通りに毎日行っている日課の鍛錬を行っていた。今は市内のランニング中である。
(今日の試合は午後からだからな。まだ時間は十分ある)
その間にやるべきことを済ませておこうかと恵二は考えていた。
(どうも今日は感覚が冴えている……昨日の試合以降からかな?妙な気分だ)
昨日の疲れは一晩寝たら完全に回復をした。少し疲労が残っているかとも思っていたが、それどころか今朝は何時もより早く目が覚めて、身体の方も寧ろ調子が良い。久しぶりに全力での魔術戦をした反動なのか、気持ちが高ぶっているというのもあるが、妙に五感も冴えわたっているのだ。
そしてその奇妙な感覚が先程から恵二に警笛を鳴らし続けていた。最初は気のせいかと思っていたが、鍛錬の為外へと出るとその感覚は徐々に大きくなり、やがて確信へと変わっていく。どうやら何者かが自分を尾けているようだ。始めはほんの僅かな違和感であったが、意識するとそれがはっきりと分かった。
(……どうする?ここで仕掛けるか?それとも……)
朝だというのに今日はやけに人が多く、大会前にあまり騒ぎを起こしたくはない。どうしたものかと考え事をしていた恵二の元へ、ふと見知った顔の少女が近づいてきた。
「ケージ君、ここにいましたか。探しましたよ」
「……エアリム」
少女の名前を恵二はぽつりと呟く。
「今日は大事な試合だというのに、朝から走って大丈夫ですか?」
「……ああ、問題ないよ」
今日は準決勝と決勝しかない為、大会開催時間も少し遅めなのだ。早朝鍛錬を行ってもそれまでには十分回復をする。体調管理にも抜かりはない。ないのだがその台詞とは反面、恵二の表情は優れない。
それを彼女も不思議に思ったのかエアリムは更に尋ねてくる。
「どうしました?それにしては顔色がすぐれないようですが……何か心配ごとでもございましたか?」
「別に……なんでも……ああ、いや。二つばかし問題があるな」
「二つ?」
何を言っているのだろうかと少女は首を傾げるも、それには答えず恵二は言葉を続けた。
「ちょっと一緒に来てくれないか?折り入って話があるんだ」
「え、ちょっと。け、ケージ君!?」
エアリムの手を強引に掴んだ恵二は、顔を赤くして慌てる彼女を無視してそのまま街の東門へと抜け出る。東門は現在、入場待ちで馬車の列が長く続いていたが、入る方とは反対に出る人の数は少なく、すんなりと通る事ができた。
「ど、どこまで行くんですか?」
「その先に岩場がある。あそこなら人目も着かずにゆっくりと話ができる」
「も、もう。本当に何なんですか?」
言葉とは裏腹に、満更でもない笑みを浮かべているエアリム。どうやら何か勘違いをしているようだが、彼女の期待に添えるような話しではないことだけは確かだろう。
恵二とエアリムはそのまま街の外を歩き続け、やがて人目を憚れそうな岩場へと辿り着いた。ここは偶に秘密の特訓をしたりする時に利用している恵二の穴場でもあった。ここならば邪魔者もこれ以上現れまい。
「それで一体どうしたんですか?こんな場所まで連れて来てお話しだなんて……。もしかして―――」
「―――それ以上黙れ」
頬を赤く染めて上目遣いで話しかけてくるエアリムを恵二は冷たい言葉で遮る。
「その姿で、彼女の声でそれ以上口を開くな!」
恵二の殺気に空気が一変する。突然の言葉に彼女も可愛らしい笑みを止め、真顔で恵二の目を見つめ返した。
「……へぇ。よく気が付いたね?変装にはかなり自信があるんだけど……何時気が付いたの?」
エアリムの姿をしたその少女は、声色だけを別の者へと変えて恵二へと語りかけた。思ったよりもあっさりと正体をばらした相手を怪訝に思いながらも、恵二は聞き覚えのない声の主である少女?を観察しながら淡々と答えた。
「さっき会った時。始めからだ」
「うーん、最初っからかぁ。これぞ愛が成せる業、てやつかな?それとも他に理由があるのかな?」
「自分で考えろ、間抜け」
普段の恵二にしては冷たい対応に、エアリム(偽)は気にした様子も無く肩をすくめた。
「それじゃあ仕方がない。種明かしをしようかと思うんだけど……その前に一つだけいいかい?」
「……何だ?遺言か?」
恵二は心底頭にきていた。テオラやベレッタを陥れ、自身を毒殺しようと目論んでいた変装を得意とする暗殺者。その暗殺者が今度は自分の大切な女性に姿を変えてノコノコと目の前に現れたことに苛立ちを募らせていた。
だがこれはまたとないチャンスでもあった。何とか相手を街の外へと誘導させて人気のない岩場まで連れてくることに成功した。ここでなら思いっきり暴れられる上、他人に変装して逃げられる心配もない。
まさか大会前に向こうからアプローチしてきてくれるとは、なんという幸運だろうか。
だが―――
「―――ちょ、ちょっと待って!遺言って……。確かに彼女に変装したのはやり過ぎたけど、殺す程!?」
何と相手は命乞いをしてきたのだ。向こうは二度も命を狙ってきたというのに、なんという身勝手なやつだろうか。恵二の怒りは既に頂点に達していた。
「―――そうか。それがお前の遺言だな!」
恵二は腰の後ろに手を回し、マジッククォーツ製のナイフを抜いた。即座に魔力を流し込み、身体能力を最大限強化させると一瞬で間合いを詰めた。その際エアリムそっくりの顔のまま驚いた彼女の表情が恵二の視界に映りこむ。
(―――っ!)
エアリムの姿をした相手を斬るのは心苦しいが、もうこれ以上我慢できそうになかった。恵二は目にも止まらぬ速さでナイフを相手の首元へと滑らせる。が―――
「―――なっ!?」
彼女の首が飛ぶ寸前、その攻撃は防がれた。恵二と同じマジッククォーツ製のナイフでもって。
「……俺と、同じナイフ?」
若干デザインは違うものの、彼女が手に持っていたナイフは自分の短剣と瓜二つであった。そしてそのナイフの刃の部分は、貴重な素材であるマジッククォーツでできていた。普段から身に着けている自分の愛剣と同類だ。見間違うはずがない。
驚いた恵二は咄嗟に距離を取るべく後ろへと跳躍をする。武器もそうだがスキルで強化した自分の攻撃速度に反応してきたのだ。恐るべき技量の持ち主だ。
一方で一息つけたことに安堵したエアリム(偽)はそのナイフをどこかへ仕舞うと、なんと両手を上げて降参のポーズをとった。
「少し話を聞いて欲しい。私の首を斬るのは、それからにしてくれないか?」
「……話、だと?」
ナイフもそうだが相手が予想以上に腕が立つようだと悟った恵二は少し冷静さを取り戻す。少年のその様子に満足をしたのか、エアリム(偽)は話を続けた。
「さて、どこから話したものか……。けど、その前に―――」
言葉を一旦区切ると、今度は彼女の方から凄まじい殺気が放たれた。先程の自分とは比べ物にならないレベルの濃密な殺気だ。否が応でも身体が震えだす。だが、それは自分に向けられてのものではないのだと即座に理解した。
「隠れてないで出てきたらどうかな?出てこないなら―――滅ぼすよ?」
彼女の冷酷な宣告は恵二の背後へと告げられていた。
「何!?<第二>の選手二人が街の外へ出て行った……だと!?」
「はい。門番の報告によりますと、つい先程ケージ・ミツジとエアリム・クーエンの両名が東門から外出したとのことです」
部下の報告にレウス・ブロンド元侯爵はニヤリと悪い笑みを浮かべる。
「ただちに四方の門番へと伝令を出せ!“その二人を足止めしろ”とな。大会が終わるまでの間でかまわん!私が指示したという決定的な証拠さえ残さなければ<銀狼の白牙>の傭兵どもを使ってもかまわん!よいな?」
「は!すぐに伝令を送ります!」
今日はもしもの時に備えて街の東西南北にある門番全てにレウスの手の者が入り込んでいた。そしていざという時の為に傭兵団<銀狼の白牙>もエイルーン近郊に待機をさせている。万が一大会で<第二>が優勝をしたならば、実力行使でエイルーンの実権を取りに行くつもりだったのだ。
だがここで思わぬ幸運が訪れた。<第二>の大将である恵二と主力であるエアリムが揃って外出をしたのだ。もし二人の足止めに成功をすれば、ただでさえ低い<第二>の勝算が完全に絶たれることであろう。
「ハワードの奴にはこれ以上任せておけん!特にあのケージとかいう小僧……!絶対に大会へ参加などさせるものか!」
昨日の壮絶な試合を見せつけられたレウスは恵二への警戒度を上方修正していた。その不安を掻き消そうと強引な手に打って出るのであった。
「出てこないなら―――滅ぼすよ」
突如豹変した少女の台詞にジョニーは心底震えていた。言葉と共に放たれている恐ろしいまでの殺気が、それが本気であることを物語っていた。
(何なんだ、あの女!?まさか俺の存在がばれたのか!?い、いや……それだけは絶対ない!)
自身のスキル<隠密>は完璧だ。音や匂い、それに魔力さえも完全に遮断をする。つまり自身を見つけ出す事など絶対に不可能なのだ。故にジョニーはあの少女がはったりをかましているのだという結論に至った。
だが少女の方はというと、なにか確信があるのかこちらを見たまま話を続けた。
「……そっか、残念。ケイジ君とはゆっくり話をしたいし、仕方が無いよね?邪魔者君には早々に消えてもらうとしようか」
ごくり、とジョニーは唾を飲み込む。まさか本当に自分は見つかってしまったのだろうか。そんな筈はないと思っていた気持ちが徐々に揺らぎ始める。何せ相手はこっちの方をしっかりと見ているのだ。
(このままだと……確実に殺される!)
すっかり弱腰になったジョニーが姿を現そうと観念した、その時であった。
自身の背後からすり抜ける何かをジョニーは感じとった。
(な、何だ!?)
慌ててスキル解除を取りやめ、そのまま潜伏を続けるジョニー。そのジョニーを追い越す形で走り抜けたものは、一言で表現すると“人型の風”のようなものであった。
それはまさしく疾風の如く駆け抜けると、恵二の元へと肉薄をする。一見透明な何かは非常に見え辛いが、恵二はそれが見えているのか、落ち着いた様子で迎撃態勢を取る。だが恵二とそれの間に少女が割って入った。
「あ、こいつは私に任せてくれない?大丈夫、ちゃんと話しを聞けるよう手加減するから」
先程まで放っていた殺気を引っ込めた少女であったが、容姿に似合わず物騒な事を口にすると、有言実行と言わんばかりにその人型の風に掴みかかりそのまま投げ飛ばした。
「ぐっ!」
呻き声を上げる人型の風。それは風を纏って目晦ましをしている暗殺者風な男であった。手にはナイフを持っていたが、少女は目にも止まらぬ速さで接近すると、あっさりと相手の武器を奪った。
いつの間にそんな物騒な男が自分の背後にいたのだろうか。
(全く気が付かなかった……)
どうやら先程少女が警告したのは自分ではなく、この男のことであるようだ。投げ飛ばされた男は少女に絞め技をされ、やがて気を失ったのかピクリとも動かなくなった。少女の台詞から察するに、恐らく殺してはいないだろう。尋問する為に手心を加えている筈だ。
(ふ、間抜けな野郎だぜ。にしても、やっぱ俺のスキルは完璧だぜ!)
さっきまで生きた心地がしなかったが、自分が安全だと分かるとジョニーは安堵した。
ジョニーがこの仕事を好んでしている理由の一つに“間近でスリルを味わいたい”という思いがある。だがあくまでもそれは自分が安全であるという保証があればこその話であり、厄介事に巻き込まれるのは御免であった。ジョニーはあくまでも絶対的優位の中で傍観者を気取りたかっただけなのだ。
結局自分は見つかってなどいなかった。そう考え緊張を解いたジョニーであったが、まだ終わりではなかった。
「あ、ケイジ君。私はこいつを絞め上げるから、君はそっちのをお願いね」
「……分かった。その後できちんと話を聞かせてもらうぞ?」
(ん?)
何やら不穏な会話を始める二人。そして少年はというと真っ直ぐジョニーの方に歩み寄ってきた。
(ん?んんー?)
慌てて自分の姿を確認するも、ちゃんと見えないままである。スキルを解除した覚えは一切ない。見えているはずが無いのだ。だが念の為、あくまでも念のためにと横に移動してみると、なんと少年の足は迷う事無くジョニーの方へと進んでいく。
「あー、そこのあんたも出てこないと……えーと、その、あれだ。滅ぼすぞ?」
すっかり毒気を抜かれてしまったのか、少年は何とも間抜けな降伏勧告をし始めた。だがその少年が指し示した先は、間違いなくジョニーのいる方向であった。
「すんません。降参しますので、殺すのだけは勘弁してください」
あっさりと降伏し姿を現すジョニー。自身が完璧だと信じて止まなかったスキル。それが初めて撃ち破れた瞬間であった。




