頼りになるのですか?
国を救って欲しいと皇女から頭を下げられた恵二はどうしたものかと頭を悩ませた。
そもそも魔術学校の一生徒である自分が介入するような案件なのか甚だ疑問だ。確かに自分は元異世界の勇者という肩書があり、希少なスキル持ちでもある。だがシイーズ皇国という国が現状どうなっているのか不明な上、もっと言えば恵二には皇国に義理立てる理由など皆無であったのだ。
(それに今は他のことで忙し過ぎる。こっちが助けて欲しいくらいだ)
軽く頭の中で検討してみたが、やはり今現時点では皇女を手伝う気は更々無かった。
恵二の表情から答えが芳しくなさそうだと察したクリシア皇女は、少年が返事をする前に言葉を付け足した。
「どうかお話しだけでも聞いては頂けないでしょうか?今の時点では確約できる見返りは限られておりますが、元異世界の勇者様である貴方には決して無関係ではない事情があるのです」
「……事情?」
恵二がそう聞き返すと、少なくとも全く聞く耳持たずに断られることだけは回避できたとクリシアは胸を撫で下ろしながらも話しを続けた。
「このまま弟を放って置けば皇国はその刃を隣国であるハーデアルトを始め、大陸中の国々へと向けることでしょう」
何やら物騒な話の流れに、聞いていた恵二とエアリムは思わず姿勢を正した。
「えっと、その弟さんというのは?確か今の皇国は第二皇子が統治しているんでしたよね?」
恵二は以前新聞で見た知識を頼りにそう尋ねた。恵二の知る限りでは少し前、皇国のトップである皇帝が病に伏せ、継承権を持つ皇子皇女たちが次代の皇帝の椅子を狙って政権争いをしていた。そして最終的に勝ったのは下馬評を覆して当初誰もが予想をしていなかったセイドル第二皇子であった筈だ。
つまりクリシア皇女のいう弟とはセイドル皇子のことかと恵二は思ったが、彼女はその質問に首を横に振って答えた。
「いいえ。セイドルは私の腹違いの兄です。私が弟と呼べる存在は第三皇子であるオウエンだけです」
「その第三皇子様が皇国や周辺諸国に災いをもたらすということでしょうか?」
横からエアリムが質問を投げかけると、彼女は頷いて肯定した。
「下手をすれば大陸全土が弟の魔の手に堕ちるかもしれません」
「!?それは……失礼ですが些かオーバーでは?シイーズ皇国は確かに魔術に長けた強国ですが、大陸全土というのは……。あのレインベル帝国ですら大陸制覇を断念したのですから」
流石に話を盛り過ぎなのではという旨を、オブラートに包んでエアリムが申し上げると、皇女はそれを真っ向から否定した。
「決して誇張なんかじゃありません!弟は……オウエンは本当に恐ろしい計画を企てているのです!」
エアリムの発言にクリシアは席を立ち声を震わせながらそう主張した。その様子を見るに、彼女は本当に弟であるオウエン皇子を恐れているようだ。声だけでなくか細い身体も震わせていた。
「……ちなみにオウエン皇子も腹違いの弟さんなんですか?」
恵二の質問にクリシアの後ろで控えていたザイルが代わりに答えた。
「オウエン皇子もクリシア様と同じ母君であられる。つまりお二人は血の繋がったご姉弟ということだ」
「実弟、ですか……」
正真正銘血の繋がった弟のことを心底恐れているクリシア。一体そのオウエンというのはどのような人物なのか、恵二は気になり始めた。
その恵二の胸中を察したのか、クリシアがオウエンについて語り始めた。
クリシアとオウエンの母は二番目の側室という立場にある。第一皇子の母親が正妻で、第二皇子の母も別の側室だ。その為母親の権力も姉弟の立場も皇族の中では弱い方であった。故に現皇帝が倒れた際、立場の弱い二人が協力し合うのは当然の流れであった。
幼い頃のオウエンは素直で優しく、クリシアは弟が可愛くて仕方がなかったそうだ。第一皇子のような力もなく第二皇子ほどの知略の才もなかったが、それでも誰からも愛されていた。
だがある時突然、そう本当に前触れも無く唐突に最愛の弟であるオウエンの様子が変わり始めたのだ。クリシアを始め仲の良かった者と話す機会が減り、今まであまり熱心でなかった武術や魔術の訓練をするようになった。それに苦手であった勉強も進んで行うようになったのだ。
弟との会話が減ったクリシアは寂しかったが、メキメキと成長していくオウエンをその時は誇らしくも思っていた。それから数年後、自分が弟に裏切られるとは露知らず……。
次代の皇帝の座を巡って政権争いが繰り広げられる中、血縁関係にある姉弟は協力体制にあった。オウエンが姉であるクリシアを全面的にバックアップすると申し出たからだ。クリシア自身はそこまで皇帝の座に拘ってはいなかったが、弟に強く勧められあれよあれよという間に担ぎ上げられた。
更には以前から優秀だと聞いているオウエンの部下ルルカを護衛に寄越してくれたり、他にも色々と便宜を図ってくれたようだ。当時のクリシアは昔の優しい弟が戻ってきてくれたと喜んでいた。
そしてオウエンがある時提案を持ち掛けたのだ。
“ハーデアルトから一人の勇者がフリーになった。手駒にしてはどうか”と
異世界の勇者を連れてくるという大役にはザイルとルルカを使うといい。これもオウエンが持ち掛けた案だ。それをクリシアは二つ返事で了承し二人をフリーの勇者、即ち恵二の元へと派遣させたのだ。
その後の結果は恵二の知る通りだ。
第三皇子オウエンの元部下であるルルカの正体は、皇国の出入りを禁じられている筈の<赤の異人>であったのだ。彼女は理由こそ不明だが、迎え入れる筈の恵二を事もあろうか町の住人を巻き添えに襲ったのだ。
その後恵二と協力してなんとかルルカを撃退後、彼女の死を見届けたザイルはすぐさま皇国へと引き返した。主に事の顛末を告げるのと、ルルカを推薦したオウエン皇子の真意を問いただす為だ。
だが彼は戻るのが遅すぎた。
クリシアの懐刀<飼い狂犬>の二つ名で知られるザイルが不在なのをいい事に、セイドル第二皇子はクリシア陣営をその知略でもって次々と陥れていたのだ。第一皇子も既に政権争いに敗れ、国の舵取りは今後セイドル第二皇子が担うこととなった。
そして急ぎ皇国に戻ったザイルはというと、シイーズに戻った途端に拘束され牢屋に入れられた。罪状はクリシア皇女と共謀し国を混乱に陥れようと企てていた。つまりは国家反逆罪である。
クリシアも一応は元皇族という身分から軟禁という形でだが自室に閉じ込められていた。後で聞いた話だが、どうやらこれらの一件全てにオウエン第三皇子が絡んでいたようだ。彼はクリシアに協力をするフリをしながらその実、セイドル第二皇子をバックアップしていたのだ。
ここまでなら確かに酷い話ではあるものの、よくある政には付き物のドロドロとした物語だが、それより先が問題であった。
厳重に拘束されていたザイルであったが、守衛の僅かな隙に付け込みなんと牢屋から脱出することができたのだ。脱獄した彼が真っ先に向かったのはクリシアの軟禁されている自室であった。脱獄したばかりでまだ警戒も薄かったのか、多少手荒ではあったものの無事皇女を救出することができた。
そして皇国内で潜伏していたクリシア派の者とも合流する事が出来た。その筆頭が現在目の前にいる少女シルマーだ。彼女は隠密の魔術に秀でており、セイドル第二皇子の探索の目をすり抜けることができたのだ。そして合流したクリシアとザイルは、潜伏中に皇国を調べ回っていたシルマーからとんでもない情報を聞かされるのであった。
「オウエンは<赤の異人>と繋がっております。それだけではありません。不死生物とも接触しているようなのです」
「なんだって!?」
クリシアの言葉に恵二は驚きの声を上げ、エアリムも目を見開いていた。シイーズの皇族であるオウエンが皇国では入国禁止とされている赤の異人と関係を持ち、更には人類の敵とされている不死生物とも通じているのだという。これには流石の二人も驚きを禁じ得なかった。
「ちなみにこの件については第二皇子も知らない様子です。あくまでもオウエン第三皇子が独断で動かれているご様子でした」
その現場を見た張本人であるシルマーがそう証言をした。それが本当であるのだとしたら、もしかしたらオウエンは矢面に立たせている第二皇子すらも裏切る腹積もりなのかもしれない。それに秘密裏に接触している者たちがあまりにも物騒だ。赤の異人というだけで偏見を持つのは如何なものかと思わなくもないがルルカの一件もあり、オウエンが接触しているという赤の異人は間違いなく勇者たちと敵対している一派だろう。
「すみません。オウエン皇子と通じているというそのアンデッドは、やはりそれなりの知能を持っている上位種なのですか?」
横から手を上げて質問を投げかけたのはエアリムだ。彼女としては赤の異人よりも生者が不死生物と協力関係にある事の方が驚きのようだ。それに不死生物である程度の知能を持っているという事は、それだけで予想討伐難易度が跳ね上がる。元冒険者としても見過ごせない大変危険な存在だ。
「見たことの無いタイプのアンデッドでした。たどたどしい喋り方でしたが、会話をするだけの知恵はあるようです。距離を置いて盗み聞きをしていたもので詳細までは分かりませんが、“決行日が延びた”とか“<黒の同志>が”など、そのような話しをしておりました」
実際にその現場を見たシルマーがそう証言をする。
「決行日?黒の同志……?」
何やら不穏なワードだが、流石にこれだけの情報では何について話しているのかは不明だ。
(たどたどしい喋り方……連中じゃないのか?)
会話をするアンデッドと聞いて恵二が真っ先に思い浮かべたのは警告する者だ。リーダーだと思われる深淵の杖はアンデッドであるにも関わらず念話越しにコミュニケーションを取れるのだ。
だが深淵の杖は流暢に言葉を話していた。それに念話であれば第三者であるシルマーが盗み聞きできるとは思えない。恐らく彼女が目撃したアンデッドは別物だと考えた方がよさそうだ。
「私には……お恥ずかしながら実の弟が一体何を考えているのか全く解らないのです。でもこれだけは言えます。オウエンをこのまま野放しにしておけば、間違いなくこの大陸に住む人々に災いをもたらします」
「それは……」
確かに彼女の言うとおり捨て置けない状況のようだ。野心を持った一国の皇族が、赤の異人や不死生物たちと何やら企てているのだとしたら、それは大陸の東部だけでなく、最悪大陸全土まで拡がりかねない危機だと言えるだろう。
だが今の恵二は国営に関わる立場でもなければ勇者ですらない。ただの一学生に過ぎない自分が踏み込むべき問題なのだろうか。
「お話しは分かりましたが、それでも今のケージ君には関係ないのでは?既に勇者という立場も辞められ、今の彼は魔術学生に過ぎません。国を救って欲しいなんて要求はあまりにも無茶すぎます!」
恵二の気持ちを代弁してエアリムが横から口を出した。彼女としてはこれ以上恵二に負担を掛けさせたくはなかった。今は自分たちのことと学校のことで一杯一杯なのだから。
クリシア皇女のお願いを横から突っぱねたエアリムに対しシルマーは憤り言い返そうとするも、寸でのところでザイルに止められた。
「君の言うことも尤もだ。無茶も十分承知している。だがそれでも我々は、もう君たちにしか頼れないんだ。正確にはケージ君の伝手を使ってクリシア様の支援者を増やしたいんだ」
「ツテ?」
恵二が問い返すとザイルは頷きながらこう続けた。
「ああ。この街には高名な賢者様がいるのだろう?ここへ来る道中に情報収集もしてきたが、君とは師弟関係だそうじゃないか。それにここの市長とも仲が良いとか」
「師弟関係って……ただの教師と生徒の関係ですよ。ていうか、そんなことまで外部の情報屋に知れ渡っているんですか?」
別に彼らの関係を隠していた訳ではないが、ミルワード校長やアルバード市長ならいざ知らず、自分のことまで外部の情報通にまで知られているとは思わなかったのだ。
「それと元勇者という立場からハーデアルトの王族の方々や他の勇者様とコンタクトを取ることは可能でしょうか?隣国である王国にも決して無関係な事態とは思えないのです」
クリシア皇女がそう続けた。どうやら皇女たちは自分やその関係者の助力を頼ってエイルーンまでやってきたようだ。だがどうにも解せない。ハーデアルトに助力を頼むのならば、最初から隣国である王国に亡命すれば良かったのではないだろうか。
恵二がそう質問をするとザイルが答えてくれた。
「そうしたかったのも山々なのだが、皇国と王国の国境付近は警備が厳重で無理だったんだ。まずはラーズ国に潜入してからハーデアルトを目指そうとしたんだが、そこで追手に見つかってね。南部を完全に押さえられたので、予定を変更してグリズワードの北部を迂回してここまで来たんだ」
「ああ、なるほど……」
元々皇女たちはエイルーンまで来るつもりはなかったのだという。追手から逃れるように西へ西へと場所を移して、道中恵二の存在を思い出しエイルーンまでやって来たのだという。
そこまで説明を聞いた恵二は、ある考えに至った。
「ん?まてよ。東から来た大物とそれを付け狙う暗殺集団って……」
恵二は数日前にミルクス国の間者であるファングから仕入れた情報の一つを思い出していた。それはもしかして彼女達のことではないのだろうか。
「ああ、そうだな。多分我々の事だろうな」
ザイルたちも情報屋の間でそのような話が漏れている事を熟知しているのか恵二の言葉に頷いた。そこまではいい。国を逃げたした者が狙われるのは至極当然のことだ。
だがここで肝心なのは皇女を狙う暗殺集団の存在だ。彼らが皇女を追ってこの街に来ているのだとしたら、皇女を見つけるまでひたすら探し回っているだけであろうか。見つからなければ他の手を打って出るのではないだろうか。
「もしかしてケージ君を狙った毒殺未遂犯は、皇女様を追っていた者の仕業じゃないでしょうか?ケージ君と合流するのを防ぐために始末しようとしたのでは?」
エアリムも同じ考えに至ったのかそのようなことを呟いた。それを聞いたクリシアやザイル、シルマーは驚いていた。どうやら恵二が襲われたというのは初耳だったらしい。丁度良い機会なので、こちらの事情も簡単にだが説明をしておいた。
「既に君たちも狙われていたのか!?」
「まさか、後を尾けられているのでは?」
シルマーが不安そうにするも、恵二はその可能性を否定した。
「多分大丈夫だと思う。ここへ来る道中、用心深く周囲を探っていたが、尾行者はいなかったと思う」
「思うって……なんだかあやふやね。ザイル先輩、本当に彼は頼りになるのですか?」
シルマーの失礼な言い草に恵二とエアリムはムッとした。だが二人が反論するよりも早くザイルが彼女の言葉を戒めた。
「失礼だぞ!彼の戦闘能力は俺なんかよりずっと上だ。それにお前の隠密魔術も見破っていたではないか。そんな彼でも分からないのであれば、もう尾行者の方を褒めるしかないな」
ザイルの言葉にシルマーは反論できず言葉に詰まる。先ほどの話でも出てきたが、彼女の隠密魔術はとても優秀らしい。先刻その彼女の潜伏を見破った恵二の実力を疑うのかと言われてしまうとぐうの音も出なかった。
「身内が無礼な事を口走りました。申し訳ございません。ですが彼女も私の身を案じて少し過敏になっているのです。どうかお許しください」
「あ、いえ。それほど気にしてませんから。まぁこんななりですしね」
恵二のルックスは同年代の少年と比べるとやや小柄だ。これでも少し身長が伸びたのだが、童顔なのも加えるとどうしても年下に見られがちだ。だが毎日の訓練の成果もあってか、服の下はそれなりに筋肉も付いており、魔力量も大分増えた。見る者が見れば恵二の実力は、同年代の少年と比較しても群を抜いている。強力なスキル無しでもそこそこ戦えるくらいには成長したと自負してはいる。
(それでも上には上がいるだろうけどね)
例えば目の前にいるザイルなんかも、自分より相当強いだろう。スキル無しでは全く敵わないだろうが、彼はルルカ戦の時に強化された状態の恵二を見ている。だからこその先程の発言だ。ザイルは少年の伝手を頼りたいと言ってはいるが、できれば恵二自身にも協力してもらいたいのが本音だ。
「ケージ君。どうするんですか?」
エアリムに尋ねられ、恵二は暫く考えた後にこう答えた。
「……すみません。今はそこまでご協力できそうにありません」
その言葉に皇女は見るからに落胆した表情を見せたが、ザイルは少年の言葉を聞き逃さなかった。
「今は、というと?」
「ええ。当面は俺も市長も忙しく、ミルワード校長も留守なのでどうしようもありませんが、それらが片付けばある程度なら協力できるかと。ですがその見返りとして―――」
「―――分かっている。その毒殺未遂犯とやらをこちらでも探ってみるとしよう。あくまでも皇女様の護衛が最優先だが、そのついでで良ければだがな」
「ありがとうございます。ハーデアルト王国と勇者仲間には手紙を送ってみます。ミルワード校長がいればすぐに連絡できるんですけど……」
遠くの相手と会話のできるマジックアイテムは貴重で、ミルワードが北方大陸へ旅立つ際に持って行ってしまっている。現時点で王国との連絡手段は手紙くらいしかないのだ。
(魔術師K名義で書けば、少なくともグインさんなら読んでくれるだろう)
元勇者仲間で唯一グインだけが恵二の今現時点での実力と、魔術師Kの正体を知っている。別に本名で手紙を送ってもいいのだが、万が一他の者に読まれでもしたら、更に厄介事を招きかねない。極力八人目の勇者という存在は隠しておきたいのだ。
「ケージ様。この度はお話を聞いてくださりありがとうございます。私たちは当分ここに潜伏しております。今は無力ですが、絶対に立ち上がって見せます!このご恩は決して忘れません」
まだ何もしていないに等しい状態ではあるものの、皇女は終始低姿勢で恵二たちに接してくれていた。自分たちの状況が悪いことを思っての行動だろうが、元日本人としては腰の低い皇女様というのは好印象ではあった。
ひとまず今日の話し合いはこれで終わりだが、恵二は更に厄介事を抱え込むのであった。
 




