可愛い生徒の頼み
まず恵二が真っ先に向かったのはアルバード市長の住まいであるラングェン邸であった。だがそこで恵二は意外な人物と再会を果たす。
「え?アドガルさん?」
「む、ケージか。久しいな」
ラングェン邸の玄関には執事であるダニールの他に≪強欲≫の二つ名で知られるアドガルがそこにいた。クラン<到達する者>がエイルーンに戻ってきているという話は聞いていたが、まさかリーダーであるアドガルがこの家にいるとは恵二は思いもしなかったのだ。
「不思議そうな顔をしているな。まぁ無理もない。色々と説明してやりたいところだが、クライアントの秘匿情報に抵触するかもしれんのでな。俺がいる理由について聞きたければ市長に訊ねるとよい」
「は、はぁ……」
よく見るとアドガルだけではなかった。同じ<到達する者>に所属する冒険者たちも何名か邸宅内にいた。しかもその表情は何れも険しい。
何故彼らがこの屋敷にいるのか気にはなるものの、恵二も用件があって市長邸を訪れたのだ。まずはそちらを済ませようと恵二はダニールに案内されて奥の客間へと進んだ。客間には既に恵二の来訪を聞いていたアルバードがソファーに座って待ち構えていた。
「おはようケージ君。こんな時間に一体どうしたんだい?」
「おはようございます市長。朝早くにお訪ねして申し訳ありません。ですが是非耳に入れてもらいたいことがありまして……」
市長が忙しいことは恵二も十二分に理解をしていた。その為挨拶もそこそこに恵二は早速昨夜の出来事を説明する。恵二の話を黙って聞いていたアルバードだが、恵二が殺されかけたことを知ると顔色を曇らせた。
「それは大変だったね。しかし、よりによって拙い時期に重なるものだな……」
「……ですね。大会の件もあって市長も忙しいとは思いますけど……。出来れば市長や校長の力を貸して欲しいんです」
これが自分だけの問題であれば極力一人で何とかするつもりだ。だが既にエアリムやマージ家が巻き込まれてしまっている。市長や校長が忙しいのは承知だが、ここは何としてでも事件解決に力を貸して欲しかったのだ。
だが恵二の期待とは裏腹にアルバードの顔色は優れない。
「ケージ君、落ち着いて聞いて欲しい。君たちのことを決して軽視する訳ではない。助力もできる限りしてあげたいと思う。だが、実は私の方も色々と抱えてしまっていてね。アドガル氏とはもう会ったね?」
「……はい。市長はもしかして<到達する者>に何か依頼を出されたんですか?」
何の依頼を出したか、と尋ねるのは野暮だろうか。だが恵二たちの件を聞いても色よい返事を貰えない程の案件というのが気になって思わず聞いてしまう。しかし返ってきた言葉はあやふやなものであった。
「そうとも言えるし違うとも言える。だが私も彼らも大事な使命があるんだ。それと……ミルワードさんも恐らく頼れない」
「―――どうして!?校長もその使命とやらで忙しいからですか!?」
市長は愚かミルワードも手が空いていないであろうとアルバードは説明をする。その言葉に恵二は思わず声を上げてしまう。
「ミルワードさんの方は別件だ。実は昨日彼に招集命令が下ってね……。ミルワード校長は暫くエイルーンから離れることになるだろう」
アルバードの言葉に恵二は今度こそ頭を殴られたような衝撃を受けた。まさか大事な大会を控え、更にはこんな状況でミルワードがエイルーンを離れることになるとは思いもしなかったのだ。
「招集って……だって秋の選抜も控えているんですよ!?負けたら廃校でしょう!?なのに校長が学校を離れるって……断るべきでしょう!」
恵二の意見は全うなものであったのだが、アルバードの表情は依然優れないままだ。
「いや……それは無理なんだ……」
「どうして!?」
一体どこの誰がミルワードを呼びつけているのかは知らないが、この時期に彼がこの街を離れるなどあり得ない。若干頭に血が昇っていた恵二はそう声を荒げ主張するも、少し冷静に考えれば分かることだ。あの聡明で市民思いなアルバードが、それでも無理だと言っているのには何か大事な理由があるからだ。
アルバードは重い口調のまま言葉を続けた。
「……連盟からのお達しなんだよ。ケージ君は<連盟騎士団>を知っているかい?」
「連盟……騎士団?」
何度か耳にした事がある。伝説級の魔物の出現や、野心を持った国が暴走した時などの脅威に対抗して立ち上げられる中央大陸の臨時騎士団のことだったかと記憶している。一番最近では確か魔族が攻めこんだ時に招集された筈だ。地球でいうところの多国籍軍とやらと同じだろうかと恵二は認識していた。
「その連盟騎士団とやらに招集されたから、校長は行かなければならないんですか?」
「そういうことだよ。連盟加盟国は指名を受けた者か事前に登録している人材を派遣しなければならない。ここエイルーン自治領も加盟していてね。その義務が課せられているんだよ」
「ちなみに代理を立てるとかは?」
「そうしたいのも山々なんだが、ミルワードさんは古い盟約に縛られていて、有事の際は行かなければならない決まりなんだ。創設者として学校も勿論大事だけど、それ以上に私は市長だ。私情を挟んでエイルーンの立場を悪くする様な真似は出来ない」
アルバードの説明では招集命令が下された者は、それこそ祖国の危機でもなければ人材を派遣する義務があるのだそうだ。自治領のそれも新設されたばかりの学校の為にその義務を放棄する事は不可能だと説明をする。アルバード市長としても辛い決断なのだろう。何しろミルワード抜きで学校の命運を懸けた選抜戦で優勝をしなければならないのだから。
「ちなみに連盟騎士団が招集された理由を伺ってもいいですか?」
もしかしたら近場の揉め事か、もしくはすぐに片付く案件かもしれない。その僅かな期待に賭けた恵二であったが、その目論見は脆くも崩れ去った。
「北方大陸だよ。魔族たちがいよいよ動き出しそうなんだ。奴らが本格的に行動を移す前に連盟騎士団を発足させて叩き潰したいというのが連盟の総意なのだよ」
北方大陸までの距離はかなりある。更に魔族案件ともなればすぐに収束するとはとても思えなかった。今度の選抜戦、そして暗殺事件の犯人探しはミルワード抜きで当たる他なさそうだ。
「もしミルワードさんに会うつもりなら急いだ方がいい。今日のお昼には発つと言っていたからね」
「本当ですか!?ありがとうございます!」
これからどうするか恵二が考えを巡らせていると、アルバードがそう助言をくれた。せめてミルワードと話だけでもしたかった恵二は礼を述べると急いで学校へと向かった。慌てて走り去っていく少年の背を見送りながらアルバードは一人愚痴をこぼした。
「やれやれ、次々と厄介事が舞い込んでくるな……」
「……ほう?儂もその厄介事の一人かね?」
突如背後から老齢の男に声を掛けられ、アルバードは心臓を跳ね上がらせる。まさか自分の独り言が聞かれていたとは思わず、不覚を取ったアルバードは振り返り慌てて弁明をした。
「い、いえ滅相もない!言葉の綾というやつです。もし不快にさせたのでしたら深くお詫びを致します」
普段落ち着き払っている若き市長の慌て様を見た老人はそれで満足したのか、豪快に笑い飛ばしながらこう述べた。
「ふははははは!よい、よい。ちと悪ふざけが過ぎたの。そなたに迷惑を掛けておることなぞ十分に承知しておる。気が晴れるのならば愚痴くらい幾らでも零すがよいぞ」
「……は、恐縮です」
かんらかんらと笑いこける老人を恨めしそうに見つめながらもアルバードは返事をした。この目の前の老人には少年がいる間、与えた部屋から一歩も出ないよう頼んでいたのだが、好奇心を打ち消せなかったのか隣の部屋から聞き耳を立てていたようだ。困った居候にアルバードは愛想笑いを浮かべながらも、内心は頭を抱えたくなる状況であった。
(ケージ君を信用していない訳ではないが……これ以上彼に負担を掛けさせたくないからな)
この老人と先程出て行った少年を会わせなかったのはアルバードの独断だ。アルバードは老人の性格を、面白い若人を見るとからかう悪癖を持っていることを知っていた。そんな老人があの少年を放って置く筈がない。それ故の判断だった。だが人とは見るなと言われれば覗きたくなるし、部屋を出るなと言われればこの老人は意気揚々と表へと出て行くだろう。
今回は突然の恵二の来訪で手回しができなかったアルバードの落ち度であった。この老人には恵二だけでなく、外部の者とは極力関わって欲しくなかったのだ。
「にしても彼奴がお前の話していた件の少年か。少しイメージと違ったかのう。なんかこう年相応で、いまいち落ち着きのない様子であったが……」
「彼も色々と忙しい身なんですよ。ですからこれ以上問題を起こさないでください」
「―――んぐ。別に儂は誰彼構わずちょっかいを出しているわけではないわ!ちゃんと相手と時期を選んでおるぞ?」
老人はすぐさま反論をするも、アルバードは胡散臭そうな眼差しを向けた。
「……本当にそうでしょうか。秋の選抜戦に連盟騎士団の招集。そんな時期に重なって貴方までエイルーンに来られるとは……些か賑やか過ぎやしませんか?」
「ううむ。ミルワードめの呼び出しは儂もちと想定外であった。恐らくレウス辺りの手回しであろう。儂すらも忘れておった古い盟約なぞ持ち出しおって……」
「どうするんです?ミルワードさん抜きで計画を進めるんですか?」
「……ふん。あやつの手を借りんでも、まあなんとかなるじゃろ。何せこちらにはエイルーン最大クラン<到達する者>がおる。更にはお前さんが雇った切り札のおまけつきだ。仮にレウスが反乱を企てたとしても、奴の私兵くらいならあっさりと返り討ちであろう?」
ここ最近のエイルーンはやけに騒がしかった。表向きは日常の魔術都市であったが、裏では色々と胡散臭い動きを見せる者もいる。その怪しい者たち全てが関わっているわけではないようたが、どうも今回の騒動はレウス・ブロンド元侯爵が元凶のようなのだ。彼はアルバードと対立しているエイルーン最大勢力のトップであり、目の前の老人とも浅からぬ因縁のある相手でもあった。
「過信はしない方が宜しいかと……。あちらもこちらの動きはある程度察しているでしょう。それでも動き続けているということは何か自信があるのです。極秘裏に彼女を雇ったのはその保険です」
「お前さんは心配性だのぉ。連中も儂がここにいることは流石に気付いておらんじゃろう。かなりの情報統制を敷いたからの。退屈じゃがお前さんの家から出なければ、まず露見はすまい。そこでじゃ―――」
老人は悪戯が浮かんだ子供のような笑顔を向けながら口を開いた。
「儂に付けている彼女をあの少年の元に送り込んでみてはどうかのう?毒殺とは何やら穏やかではないことを口にしていたではないか。彼女ならば助けになるじゃろうて」
「やっぱりちょっかいをかけるんじゃないですか。まぁ……私としても彼の事は心配ですので異論はないですが、彼女を差し向けている間は一歩も外を出られませんよ?貴方に何かがあれば目も当てられませんからね。あとは彼女がその話を受け入れるかどうか……」
それが一番の問題であった。今回臨時で護衛として雇った彼女だが、その腕は恐ろしいほど立つ。しかし一方でコミュニケーション能力に問題もあったのだ。何とか目の前の老人の護衛依頼を受けてはくれたものの、それ以外の余計な仕事を果たして彼女が受け入れてくれるかが問題であった。
アルバードはどう説得すれば彼女が少年の護衛に興味を持ってもらえるのか真剣に悩むのであった。
ラングェン邸を出た恵二は全速力で第二エイルーン魔術学校へと向かった。もたもたしていれば、それだけミルワードと話し合う時間が減り、最悪話せず終いで彼がエイルーンを発ってしまうからだ。ミルワードがいる筈である仮の校長室へと向かうと、幸いにも身支度をしている最中の彼と会うことができた。
「おや?こんな朝早くにどうしたんだい?」
今日何度目かの似たようなやり取りに若干うんざりしながらも恵二は走って乱れた息を整えながら口を開いた。
「実は……」
そこからは先程アルバードと説明したのとほとんど同じ内容を話して聞かせた。それに加えて市長からミルワード校長が連盟騎士団に招集命令を受けている事も話した。そしてその上で改めて手を貸して欲しいと恵二は頭を下げるのであった。
恵二が一通り説明をし終わるとミルワードは開口一番にこう告げた。
「分かったよ。出発を少し送らそう。最悪明日の朝にでも出れば後れを取り戻せるだろうからね」
「―――本当ですか!?」
「ああ、可愛い生徒の頼みだからね。一日しか時間がないのが心苦しいけど」
「いえ、それだけでもありがたいです!暗殺者相手なんて初めてで、一体どうしたらいいのやら……」
たった一日とはいえ三賢者の一人とも謳われるミルワード・オールエンが手を貸してくれるのだ。これ程心強い味方はいないだろう。
「そうと決まれば一旦現場に行こうか。エアリム君もそこにいるのだろう?それにその盛られた毒とやらも気になるしね」
「はい!」
普段は魔術に没頭してばかりで周りの迷惑も顧みない男ではあったが、流石に教え子の命が関わるとなると態度を改めたのか、今日のミルワードはとても頼りに見えた。
旅支度も途中で投げ出しミルワードは恵二と共に<若葉の宿>へと訪れた。
「あ、ケージ君、とミルワード校長!おはようございます」
「おはようエアリム君。事情は全部聞いたよ。今日は二人とも学校の方はいいから暗殺者対策をするとしよう。えーと、君がここの娘さんかな?暫くどこか話し合える場所を借りたいのだけど……」
「あ、はい。今日は臨時休業でこの宿は貸しきり状態にしておきますので、食堂を好きに使ってください」
高名な魔術師であるミルワードに声を掛けられたテオラはしどろもどろとしながらも、広い食堂を勧めた。<若葉の宿>は現在全ての部屋が埋まっており、フリーな場所と言えば食堂くらいしかなかったのだ。
「ありがとう。ふむ、一応防音はしておこうかな」
テオラに礼を告げたミルワードは無詠唱で瞬時に魔術を発動させた。風属性の防音効果のある魔術だ。それほど難易度の高い魔術ではないものの、まるで息をするかのような気軽さで防音障壁を展開し、それを遠巻きに見ていたベレッタとテオラは尊敬の眼差しを向ける。これほどの腕前を持つ魔術師が自分たちの身を守ってくれるのだと思うと安心したのか、二人はやっと笑顔を見せ始めた。
だが次にミルワードが口にした言葉に一同は表情を引き締めた。
「先に断っておくけど、私は今日一日しか時間が残されていないんだ。詳しくはケージ君に説明をしたので後で彼から聞いて欲しい」
「そ、そうですか……」
連盟騎士団からの招集といった事情を知らないエアリムは心底落胆した様子であったが、今は落ち込んでいる彼女を慰めるのも説明をする時間も勿体ない。ミルワードは早速本題に入った。
「話を聞く限り、相手はそこそこと腕が立つようだ。毒殺も失敗したとなるとより慎重になるだろうし暫く姿を見せない可能性もある。そんな輩を今日一日で追跡するのは難しい。そこで今日は私が犯人を追跡するのではなく、君たち二人にその技術や暗殺防止のテクニックを授けようと思う」
「俺たちが……ですか?」
「それは一日で覚えられるような代物なのでしょうか?」
不安そうな表情でエアリムが尋ねると、ミルワードは包み隠さずはっきりと告げた。
「無理だろうね。たった一日手解きをしただけで暗殺を防げたら、今頃闇の業界は閑古鳥が鳴いているだろうからね。君らも必死だろうがあちらも必死なんだ。当然相手も命懸けだし失敗でもしたら高額な依頼料がパアになるし信用にも傷がつく。だからこそ彼らは暗殺術を何年も研ぎ澄ませて、あの手この手で情け容赦なく襲い掛かってくる」
ミルワードの半ば脅しめいた話に端で聞いていたテオラは涙目だ。他の者も寝込みを襲われる想像でもしたのか、その表情は真っ青だ。
「ちょっと脅かし過ぎたかな?でも、そんな相手に挑むくらいの覚悟でなければ後れを取る。守る側はね……いつだって厳しいものなんだよ……」
そう呟いたミルワードは普段は決して見せない悲しい表情を浮かべていた。過去に暗殺者絡みで何かあったのだろうか。だが今はそこに触れている時間がない。
「だから今日は暗殺者対策の魔術と、その特訓方法を君たちに伝授する。私の方でも一応対策魔術を施しておくけど、永続効果ではないし絶対ではない。そこを踏まえて二人はしっかりと訓練に挑んでくれたまえ」
「「はい!」」
普段は良く言えば親しみのある、悪く言えばだらしないミルワード校長であったが、二人の目の前には誰よりも魔術を愛し真摯に向き合ってきた魔術師の姿がそこにはあった。
恵二とエアリムの二人は、そんな偉大な賢者から付きっきりで魔術のレクチャーを受けるのであった。
そして翌日の早朝、ミルワードは二人に後を任せてエイルーンを発った。




