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こっちの台詞だよ

「……お腹すいた」


「人を散々心配させて、第一声がそれですか?」


 ふと目を覚ますと激しい空腹感に苛まれ、恵二は本能の赴くままに口を開いた。すると頭のすぐ上からご立腹なエアリムの声が聞こえてきた。少しだけ視線を上にずらすと恵二の目に飛び込んできたのは、エアリムの顔ではなく彼女のふくよかな胸であった。


「?どうしました?まだどこか痛みますか?」


「い、いや……なんでもありません!」


 思わず敬語で返してしまう恵二の顔は真っ赤であった。どうやら自分はエアリムに膝枕をされているのだと漸く気が付く。可愛らしい顔となかなか育っている彼女の胸部がすぐ真上にある上、後頭部には柔らかい感触まで感じられる。思春期の少年が動揺するには十分すぎる要因であったが、慌てている恵二の様子を見たエアリムは、まだ調子が悪いのではと勘違いをする。


 流石にこのままでは気恥ずかしいと思った恵二は飛び起きると状況を確認し始めた。


「俺はどのくらい眠ってたんだ?」


「そんな急に立ったら駄目ですよ。まだ30分くらいしか寝てないんですから、安静にしていてください!」


 質問には答えてくれたものの、恵二の無茶にエアリムは大変ご立腹だ。尤も幼い顔つきの彼女が怒ってもむしろ可愛らしいだけで、そのことは恵二の心の中にだけ秘めていおいた。彼女の顔をよく見ると目元が赤い。そういえば眠ってしまう前に彼女が泣いていた事を恵二は思い出した。


(あの時以来か……。心配……かけちゃったな)


 以前≪古鍵の迷宮≫の転移トラップに陥り、沢山の魔物に囲まれ死を覚悟したエアリムは恐怖で涙を流していたが、それ以降ではどんな辛い状況でも決して涙を見せなかった。自分はそんな彼女を泣かせるほど心配させたのだと思うと胸がチクリとする。


「……ごめん」


 たった一言であったが気持ちの籠った謝罪にエアリムは満足したのか、不機嫌そうな顔を止めてやっと笑ってみせた。


「ケージ君は休んでいてください。片付けは私がしますから」


 辺りを見ると食堂は酷い有様だ。恵二が倒れ込んだ際に料理を皿ごとぶちまけてしまい、更に床には自分が吐いた血だまりもできていた。


(あれだけ吐いて、よく無事だな、俺……)


 自分のことながら関心をするも、段々と状況を理解し始めると今度は何故こんなことになったのかを考え始めてしまう。


(やっぱりあの痛みの原因は毒なのか?それとも変な病気でも発病したとか?)


 エアリムが黙々と後片付けをしている中、恵二は考え事に没頭する。色々と強烈な出来事ではあったが、事が起こる前の様子を必死に思い出そうとする。


(たしか宿に帰って、腹が減ってすぐにご飯を食べて……)


 恵二が帰ってから口にしたのは土熊のコロッケだけだ。もしかしたらその肉が腐っていて腹に当たったのではと考えが過るも、ただの食あたりであれほどの惨事に、しかもすぐに吐血するほどになるかと考えると疑問符である。


(だってコロッケだぞ?加熱してるんだぞ?……まてよ?そういえば食べた時、変な味がしたような……)


 土熊コロッケを食べた時の感触を思い出す。確かに普段と違い、少しだけ辛さを感じた気がした。もしかしてソースか何かが問題だったのであろうか。恵二は先程まで自分が座っていた席を眺める。手をつけた好物の土熊コロッケは皿ごと床にぶちまけてしまっていたが、エアリムの分は手つかずのまま無事に残されていた。その皿を片付けていたエアリムがそっと別のテーブルへとコロッケを運んでいき、蠅帳を被せて置いておく。まるで鑑識が証拠品を大事に保管するかのような光景だ。


(あれ?そういえばテオラはどこだ?)


 一人で片づけているエアリムに違和感を感じていた恵二であったが、その原因はテオラであった。自分が眠る前までは確かにこの場にいた筈だ。それに普段であればこんな状況なら真っ先に彼女が率先して片付けるのではと恵二は疑問に思えた。


 キョロキョロと辺りを見渡すと、果たしてそこには彼女の姿があった。ただ普段の明るい彼女らしくなく、食堂の隅の方で縮こまっていた。椅子も使わず床で膝を抱えながら座っていたのだ。


「……テオラ?」


 恵二が声を掛けるとテオラはビクッと身体を震わせる。顔は俯いたままで彼女の様子を伺うことができない。何だかモヤモヤとしたものを感じながらも恵二はエアリムの方へと視線を送って無言で尋ねた。


 エアリムも今のやり取りだけで恵二が説明を欲しているのを察したのか、片付けの作業を一旦止めて口を開いた。その表情はどこか硬い。


「……ケージ君。ひとつお聞きします。先程ケージ君が使った魔術は清浄の光(メディケーション)ですよね?」


 エアリムの問いにテオラはまたしても身体を震わせた。その様子を怪訝に思いながらも恵二は頷く。


「……ああ、間違いないよ」


 本当はあまり神聖魔術を使えることを風潮したくはない。だがこの場にはある程度の事情を知っているエアリムと、後はテオラの二人しかいない。彼女達が自分の情報を他人に売るとは思えないと考えた恵二はあっさりと白状をした。


 だがエアリムが気にしているのは、その魔術が神聖魔術だからという点ではなかったようだ。


清浄の光(メディケーション)は解毒の魔術ですよね?どうして使おうと思ったんですか?」


「それは……」


 ここに来て恵二は言葉に詰まる。そしてエアリムが何を思って尋ねているのか、何故テオラは沈み込んでいるのかを恵二は理解し始めた。


 言い淀む恵二を見たエアリムは軽く息を吐くと、ゆっくりと静かに語り出した。


「嫌な質問をして申し訳ありません。本当はもう分かっていたんです。ケージ君は毒を盛られたんですよね?それでケージ君は清浄の光(メディケーション)を使ったんですよね?」


「い、いや。待ってくれ、エアリム。それはだな……」


 それはつまり料理に毒が盛られていたことを示唆しており、犯人は土熊コロッケに毒を盛れる人物ということになる。だが、その考えだけは許容できなかった。


「ケージ君。私は“もう分かっていた”と言いました。ケージ君が寝ている間にテオラさんから色々とお話を伺いました」


 エアリムがそう告げるとテオラは益々震えだす。一体これはどういった状況なのだろうか。恵二の困惑を余所にエアリムは話をどんどん進めていく。


「今日、土熊のコロッケを作ったのはテオラさんです。ケージさんの大好物ということもあり、彼女は張り切って作ったそうです」


(やめろ)


「そんな彼女の横で見守っていたベレッタさんが、“今日はこのソースを使ってみては?”と助言したそうです。それがこれ(・・)です。台所に置いてありました」


 彼女が取り出したのは一本の小さな小瓶であった。そこにはまだ少しだけだが赤茶色の液体が残っている。その液体は恵二やエアリムのコロッケに添えられていたそれと酷似していた。


「流石に鑑定をする時間はありませんでしたが、このソースに毒を盛られていた可能性が非常に高いです」


「そ―――!」


(そんなの証拠にもならない!)


 大声でそう叫びたかったが、喉元で止まってしまう。


「またテオラさんはこうも証言しています。ベレッタさんが“薬のストックを確認したい。場所はどこだったか”と彼女に尋ねてきた、と……。少し前の話だそうです」


(もうやめてくれ!)


「その時テオラさんは救急箱にポーションも高級解毒剤もきちんと保管されていたのを見たそうです。これもほんの少し前の話です。つまり―――」


「―――頼む!これ以上はやめてくれ!」


 ついに大声を出した恵二はエアリムの言葉を遮った。テオラは俯いたままだ。自分の母親が犯人扱いされているというのに反論ひとつ返さなかった。そのことが更に恵二の胸を締めつける。だが彼女が何も言い返せないのも仕方が無かった。何しろ今日のベレッタの不審な行動の数々が、彼女が犯人であることを示唆しているからだ。


「……申し訳ありません。でも、このまま有耶無耶にする訳にはいきません。ですからケージ君にはきちんと状況を理解しておいて欲しかったんです。……ごめんなさい」


 それは一体誰に対する謝罪なのか。エアリムは涙こそ流していないものの、かなり酷い顔をしていた。エアリムは宿泊客とはいえ部屋数の関係上マージ家の空き部屋に居候をしている身だ。そんな彼女だからこそテオラやマージ一家とも親しく、母娘が仲睦まじいのも一番よく理解している。


 その彼女にここまで言わせてしまったのはある意味自分の所為でもあった。嫌な事に目を背けて何も言えないであろう自分を代弁して彼女は嫌な役を買って出たのだ。恵二は自分の事なかれ主義な考えに情けなくなり軽い自己嫌悪に陥りながらも、何とか言葉を選んで話を続けようとした。


「ベレッタさんを探そう。ここで話していても埒が明かない」


 すると、ずっと黙ったままのテオラがようやく動いた。


「ケージさん!お母さんを……お母さんを助けてください!」


 先程までずっと座り込んでいたテオラであったが、流石に母親の名が出ると居ても立ってもいられなかったのか、立ち上がり恵二へと詰め寄った。


「私も行きます!お母さん、きっと悪い人たちに無理やり従わされているんです!だからあんなことを……。ですから、どうか、お母さんを……うう」


 その後は言葉が続かなかった。テオラも頭の中が一杯であったのだ。突然恵二が死にかけて、その元凶が自分の母親かもしれないとなれば、それも無理ないことであろう。


 テオラはそのまま泣き崩れながらも恵二の服だけはしっかりと掴んだままであった。それが今の彼女に出来る精一杯の訴えでもあった。


 恵二は自分の服を掴んでいる少女の手を握って優しく声を掛けた。


「大丈夫。ベレッタさんにも何か理由があるんだよ。悪いようにはしないから、探すのは俺に任せてくれないか?」


 もう外はすっかり暗くなっていた。こんな時間にテオラを出させる訳にはいかないと思った恵二は彼女に家に留まるよう説得をした。最初は渋ったテオラであったが、留守番の人員も必要なのは確かであり、そこは何とか了承してもらった。


「エアリム。テオラと一緒に居てやってくれないか?」


「ええ、お任せください。それとケージ君は病み上がりなんですから、くれぐれも無茶だけはしないでくださいね。引き留めはしませんが、危ないと思ったら絶対に引き返してください」


 まだ確定ではないが、何者かが恵二たちの料理に毒を持って暗殺を企てたと見るべきだ。そんな中、標的を仕留め損ねたと知った何者かが再度襲撃してくる可能性も否めないのだ。戦えないテオラを犯行現場である<若葉の宿>に一人にさせておく訳にはいかない。現時点ではこれが最善な人員の振り分けなのだ。


「分かった。二人とも用心してくれ。俺もベレッタさんを探しながら誰か助けてくれそうな人に当たってみるよ」


 最初は衛兵に報告した方が良いのではと考えたが、もし万が一ベレッタが何かしらの事情で犯行の手助けをしていた場合、彼女も罪に問われてしまうのではとの考えが過り、この件を公にするのを躊躇った。


(一番良いのはジェイやキュトルたちを頼ることなんだけど、みんな今ダンジョンの中だしなぁ……)


 同じ<若葉の宿>に泊まっているジェイサムや<白雪の彩華>のメンバーに手伝ってもらうのが最善だと思うも、今はタイミングが悪すぎた。これからダンジョン内に潜って彼らと連絡を取るのはあまりにも時間が掛かり過ぎる。


 次点でミルワード校長やアルバード市長を頼ることだが、二人はベレッタとは面識がない。それでもミルワードの魔術は人探しや暗殺者からの防衛という観点からも便利で、市長の権力はとても頼りになる。ベレッタを探しながら二人の所へ足を運んだ方がよさそうだと考えた恵二は大まかな捜索ルートを組み立てていく。


「よし、それじゃあ―――」

「―――ただいま!」


 行ってくる、と続けようとした恵二の言葉を、帰宅を告げる大きな声がそれを遮った。その声は日頃よく耳にする明るく元気な彼女の声と完全に一致していた。その声の持ち主は慣れた手つきで扉を閉めると、呆気にとられている三人を余所に食堂へと進んで行く。そしてテーブルに置かれた蝿帳の中にある土熊コロッケを見て感想を呟いた。


「へえ、テオラ一人でちゃんと作れたんだね。偉い偉い。でも早く食べちゃわないと冷めちゃうわよ?」


 その余りにも普段通りの彼女の仕草に恵二とエアリムは呆気にとられたままであったが、ずっと気を張り続けていたテオラはついに限界を超えた。


「―――お母さああああんッ!」


 大声を上げ涙を流しながらテオラは、母親であるベレッタへと駆け寄り抱き着いた。


「―――ちょっと!?何なの一体!?」


「うわああああん!こっちの台詞だよおおぉ!」


 訳が分からないまま娘に大泣きされ抱き着かれているベレッタは狼狽していた。その様子を傍から見ていた恵二とエアリムは更に困惑をする。


 何せこれから探そうとしていたベレッタ本人が帰って来たのだ。しかも彼女はあまりにも自然体であった。今は娘に泣きつかれ困惑しているものの、その仕草やリアクションは普段通りのベレッタそのものであった。とても演技をしているようには思えない。


「……どういうことだろう?」


「私にも何が何だか……。でも……良かったです」


 抱き合う母娘の様子に当てられたのか、エアリムの目は涙ぐんでいた。同じく恵二も目頭が熱くなるのを感じる。何しろ先程まで二人は色々と覚悟をしていたからだ。


 何者かに唆されベレッタが恵二を暗殺しようと企んだのでは。


 その何者かによってベレッタは口封じに既に殺されてしまったのでは、など。


 そんな最悪な想像をしていた矢先のベレッタの帰還だ。恵二とエアリムもすっかり肩の力が抜け、ひとまず今はベレッタの無事を心の底から喜びあうのであった。

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