びっくりしたよ
「ここがサンコートか……」
ノーグロース最大の港町と謳われるサンコートに恵二は足を運んでいた。大きい港町というだけあって町のあちこちに地元でとれる魚介類や見たこともない他の大陸からの名産物を取り扱っている露店が多かった。それに物だけでなく人種も多種多様であった。
(凄い人だかりだなぁ。それにエルフが少し多い気がする……)
中央大陸の西の玄関口と呼ばれるだけあってか、この町は人や物で溢れかえっていた。その中でも人族の次にエルフ族が往来を歩く姿がよく目に映る。
恵二はこれまでの道中、エルフ族というものをここまでの頻度で目にしたことが無い。今まで旅してきた国は何れも人族が大半の割合を占めていて、他の種族は1割にも満たなかった。その中でも楯人族やドワーフ、それに小人族はちらほらと見かけたが、エルフ族はかなり珍しかった。
(そういえば、西側の大陸はエルフ族の国もあるんだっけか?)
ここサンコートの海流は穏やかで、水害の少ない港町という性質上、中央大陸でも随一の規模となっている。その為、西方大陸から訪れる商人や旅人の数も非常に多い。このサンコートこそ商いの国で知られるノーグロース国の要でもあった。
(これだけ大きい港町なら、寿司とかも売ってないかなぁ)
恵二がこの町にやって来たのは単なる観光目的だ。本当は色々と近場の散策や沖合いにも出てみたい。叶うことならこのまま西方大陸にも足を延ばしてみたかったが、自分の今の立場は学生だ。長期休暇もそこまで残りはなく、帰る足のことを考えると精々見て回れる日数は後5日間といったところであろう。
エイルーンへは今のところ徒歩で帰ることを検討している。ギルドマスターであるフルーバーには魔導飛行船を勧められたがそれは丁重に、もとい必死に断った。乗り物全般が苦手な恵二は余程のことがない限り二度と飛行船には乗らないと心に誓ったのだ。
それに徒歩とはいえ、スキルによる全力強化で走り続ければ、恐らく3日くらいでエイルーンへ戻れるだろうと践んでいた。
ちなみに恵二がサンコートへ向かうと告げると、リアネールは自分も同伴すると主張していた。彼女曰く、恵二の身はまだ完全に安全とは言えないとのことだが、ギルドマスターの護衛から離れたがっているのが見え見えであった。あっさりフルーバーに見破られ、散々ごねていた彼女とはケールで別れた。
ダンたちも後少しの間はギルドマスターと行動を共にすることにしたようで、皆と別れた恵二は単身でここまでやって来ていた。
始めは特にこれといった明確な目的もなく、恵二は港付近の市場をフラフラとさまよっていた。それを見たゴロツキどもが恵二のことをいいカモだとでも思ったのか、ちょっかいを出してくる輩もいたが、そこはCランク冒険者、腕自慢が取り柄なだけのゴロツキというだけでは何の障害にならなかった。スキルを使う間でもなく恵二はそんな輩を適当にあしらっていく。
(日本で見たような魚や、風変わりなものまで……色々あるなぁ。お、あれは鯛かな?)
異世界人の多いこの白の世界<ケレスセレス>は日本食なんかも希に見かけることがある。だが衛生上な観点からなのか再現の難しい食品や料理も多い。恵二は寿司に刺身、それに海鮮丼といった海の幸の日本料理が恋しくなってきたのだ。折角なので探してみたのだが、なかなか見つからない。
(市場に行けば生魚が食べられると思ったんだけど……。この世界ではそういった風習はないのかな?)
気を落としながらも恵二は、市場では無く商店が立ち並ぶ町の中心部に向かえば生魚を取り扱ったお店があるのではと考え、行く先をそちらへと変えた。異文化の多い港町を物珍しそうに見ながら歩いていくと、突如恵二の嗅覚に衝撃が走った。
(―――こ、この匂いは……!)
この世界に来てから一度も嗅いだことのない、とても懐かしい匂いであった。さっきまで生魚で頭の中が一杯であった恵二だが、その匂いを嗅いだ途端、脳内は別の料理で一瞬に埋め尽くされた。
(あっちからだ!)
若干早足で匂いの元を辿る。もう海の幸など恵二はどうでもよかった。それよりも何としてでもこの匂いの元を辿り是非とも食したい。一瞬スキルで嗅覚を強化してやろうかと考えるが、そんなことをせずともこの強烈な香ばしい匂いは恵二をそこへ導いてくれる。
恵二と同じ様に他の者もその匂いに釣られていく。その反応は実に様々であった。初めてこの町を訪れた者は今まで嗅いだことの無いこの匂いに驚き、やがては引きつられながらふらふらとその元へと吸い寄せられる。この町に住む住人は最早サンコートの名物となりつつあるこの匂いを嗅ぐと、今日のお昼はあそこにしようとこれまた同じように吸い寄せられていく。結果その匂いの元である料亭は今日も行列ができていた。それを初めて見た者は興味津々にその店を探り、この匂いの原因を知る者は長蛇の列ができるのは致し方ないとばかりに大人しく列の最後尾に加わった。
(このお店だ!間違いない!)
一方初めてこの港町を訪れたにも関わらず、この匂いが何であるかを知っている恵二は、最早生魚の事などとうに忘れ、自らもその列に加わった。
(まさか、ここでカレーに出会えるなんて……!)
そう、先程から香ばしい匂いを発しているモノの正体、それは間違いなく日本で愛された料理の一つ、カレーであると思われる。驚いた事にサンコートにあるこの料亭ではカレーを取り扱っているようなのだ。中から漂ってくるカレー独特の匂いに次々と通行人が引き寄せられていく。
初めてその匂いを嗅いだものは、これは一体何の匂いだと町の住人であろう男に尋ねると、これはカレーという料理の匂いだと答えていた。
(名前もそのままカレーか。もしかしなくても、俺と同じ青の異人の仕業か?)
そう考えた恵二はとある人物の顔が脳裏に浮かぶ。恵二と同じ青の異人、しかも同じ日本人である少女の顔が。
(山中千里、彼女ならカレーの作り方を知っていても不思議じゃないかも……)
料理自体なら恵二も何となくだが知っている。だが野菜や肉は兎も角カレー粉はどうしたのだろう。まさか異世界にカレー粉やレトルトなど売っている筈もない。上手く開発したのか代用できたのか気にはなる。
(そういえば千里はノーグロース出身だったな。もしかして……)
恵二は荷袋から一つの水晶を取り出した。その水晶はハーデアルト国王から頂いた特注のマジックアイテムであった。何とこの水晶で異世界人がいるかどうかを探る事が出来るのだ。列で待っている間手持無沙汰であった恵二は早速<色世分け>をするべく水晶を発動させた。
すると水晶は白く輝き出す。この白色は<ケレスセレス>に元から住んでいる者がいることを示している。当然この周りにいる者の殆どがこの世界の住人で間違いないだろうからこの反応は頷ける。だがよく見ると白い輝きの他に小さな青色の反応も伺える。自分も青の異人なので青色が出てしまうのだが、勿論反応しないように対処を施している。つまりこの反応は、自分以外にも青の異人がこの近くにいる何よりの証拠でもあった。
(やっぱり千里か。確か夏休みの間は執筆活動に励んでいるって聞いていたが、このお店で手伝いでもしているのか?それともお昼をとっているだけか?)
そんな事を考えていたらあっという間に列は動いていき、いよいよ恵二もカレーにありつけられる番のようだ。どうやら店内はかなり広いらしく、待っているお客さんを次々と店内へと誘導をしていく。
(もし席が空いているなら千里に相席させてもらうか。きっと驚くだろうな)
恵二がノーグロースへ来ている事など彼女は知る由もないだろう。少し驚かしてやるかと少年のイタズラ心に火が着く。水晶の反応によるとまだ店内の、しかも客席にいるようだ。さっと肉眼で確認すると、丁度こちらに背を向ける形で座っている黒髪の少女に目が留まる。顔こそ確認できないが日本人特有の黒髪だ。それに身長からしても山中千里で間違いなさそうだ。
丁度隣の席が空きそうなので、客を案内している店員に“知り合いがいるから”と言ってその席を指定する。それを店員は嫌な顔一つせず快く受けてくれた。なかなか気が利く店員さんだ。
恵二は一直線にその席へと向かうと、彼女にはまだ声を掛けず、椅子に座ってから驚かせようと声を掛けようとした。そしていよいよ驚かせようとした、その時であった。
「―――け、恵二先輩!?」
「へ?」
隣の少女へ声を掛けようとした恵二は思わず間抜けな声を出してしまう。それも仕方が無かった。全く意識していなかった第三者からいきなり名前を呼ばれたからだ。しかも聞き覚えのある声だ。そちらへ振り向くと、恵二が驚かせようとした少女の丁度対面に座る形でいたのは、茶髪で愛嬌のある顔つきの背の低い少年であった。
「こ、コウキ!?石山コウキか!?ってことは、もしかして……」
「け、恵二君!?」
心底驚いた表情でこちらを見ていた隣の少女は山中千里ではなかった。同じ日本人である黒髪の少女、だが彼女の名前は―――
「茜先輩!?」
恵二と同じく異世界召喚された勇者の一人、水野茜であった。
「驚いたな。まさか二人がこの町に来ていたなんて……」
ハーデアルトの王城で別れた元勇者仲間、茜とコウキの二人に偶然再会した恵二はそう口にした。
「こっちこそびっくりしたよ。恵二君とまさかこんな所で再会するんだもん」
そう返した彼女の表情はとても嬉しそうであった。右も左も分からない異世界に勇者として飛ばされてきた数少ない同士の一人だ。しかも似た年齢の同じ日本人。勇者の使命で色々と忙しい毎日ではあったが、ふと空いた時間に元勇者仲間である少年のことを心配して思っていたこともあった。
久しぶりに再会した少年は少し背が伸びていた。それにとても頼もしくなったようにも思える。だが何よりも元気でいてくれたことに先輩でもある茜は安堵をしていた。
(まさか千里じゃなくて茜先輩だったとは……。逆に驚かされてしまったな)
イタズラなんてするものじゃないなと恵二は心の中で少しだけ反省をした。
「恵二先輩、随分と強くなったみたいだね。冒険者になってハーデアルトを出たとは聞いていたけれど、今はどこで何してるんですか?」
同じく日本人であり、恵二の後輩にあたる石山コウキが興味津々に尋ねてくる。先輩後輩と言っても三人は元々日本に住んでいた頃はお互いに面識がなかった。それもその筈、茜とは召喚された時代が凡そ二年ほど食い違っており、実際には自分が年上という奇妙な関係でもあった。そしてコウキに至っては二人より遙か未来から召喚された日本人だ。彼がいた時代には既に恵二や茜は存在してさえいない。
だが実際に現時点での年齢からすると一番年上は茜であり、その後に恵二、コウキと続く。この世界の人間からしたら僅かな年の差なのだが、年功序列を気にする日本人らしい性格が自然にお互い先輩・後輩と呼んでしまう。別に茜は先輩風を吹かしてる訳ではないし、コウキは目上への遠慮というものを知らないが二人の事を必ず先輩と呼ぶ。恵二はこの三人の関係が嫌いではなかった。
「今年からエイルーンにある魔術学校に通っているんだ。今は夏休み中でちょっと冒険者の依頼をこなしつつノーグロースに立ち寄ったんだよ」
流石に教会のトップ直々の依頼でダンジョンに潜り、色々とあって聖騎士とやり合いました、なんて言える筈もなく、恵二は当たり障りのない答え方をした。それに今回の一件は機密扱いらしく、他言しないようフル―バーに言われてもいる。
「へぇ、こっちの世界の学校にも夏休みがあるんだね。いいなぁ」
「エイルーンの魔術学校って結構レベル高いんじゃなかったでしたっけ?よく入れましたね」
二人はそれぞれ違った感想を述べた。そうこう話している内に恵二の前に店員がカレーを運んで来てくれた。
「おお!正真正銘、カレーライスだ!お米まである!」
「私達も驚いたよ。まさかこんな所でカレーライスを食べられるだなんて。お米もあるのは知っていたけど、ハーデアルトでは殆ど出回っていないからね」
ハーデアルトの王城で暮らしていた頃は、それはもう豪華な食事が三食付いてきた。中には同じ青の異人が伝えたのか、日本食に近いものもいくつか食べる機会があったが、お米はハーデアルトでは食べられなかったのだ。だがお米が存在する事は知っていた。どうもこの大陸では余り広まってはいないようだが、西方大陸ではお米が普及しているようだ。
恵二は早速何年振りかのカレーライスを口にした。
「―――美味い!」
辛口が好きな恵二には若干甘目ではあるものの、それでも十分な辛さの刺激が食欲を駆り立てる。久しぶりに再会を果たした二人とあれこれ話したい気持ちもあったが、何しろカレーはそれ以上に懐かしい再会だ。当分の間はお互いにカレーを食べるのに夢中であった。
「お腹一杯……もう駄目……」
「異世界のカレーもなかなかいけますね」
恵二だけでなく、茜やコウキも久方ぶりのカレーライスに夢中であった。どうやら400年先の未来にもカレーはあるらしく、コウキは普段少食な方だが何杯もおかわりをしていた。茜も少し羽目を外し過ぎたのか、今は食べ過ぎで気持ち悪そうにしていた。
「うーん、色々と話したい事もあるけど、忙しいお店にずっと居座るのもなぁ……」
「けど、茜先輩グロッキーですよ?移動するのも難しそうですし、どうします?」
ゆっくりと話し合いがしたかった恵二たちであったが、場所を移そうにも茜は直ぐに動けそうになかった。どうしようかと考えていたその時、突如後ろから何者かが声を掛けてきた。
「もし、失礼ですがお客様は具合が優れないご様子。宜しければ奥に別室がありますので、そちらで休まれては如何ですか?」
そう声を掛けてきたのは銀色の髪をした人族の女性であった。カレー屋の店員にしては身なりのいい服装であったが、言葉から察するにお店の関係者であることには間違いないようだ。どうやら具合の悪そうな少女を見てお店側が気を利かせてくれたのだろう。
「えっと、それは有り難いんですが……その、いいんですか?」
これだけ繁盛していて忙しいお店にも関わらず、身も知らない三人の為に別室まで用意してくれるとは親切にも程がある。いくら能天気な恵二でも少し疑ってしまうレベルであった。コウキに至っては胡散臭そうな視線を女性に向けていた。
そんな二人の反応を気にも留めず彼女はこう口にした。
「申し訳ございません。初対面にも関わらずいきなりそんな提案をしたら不審がられますよね。うーん、そうですねぇ……」
女性は芝居掛かった仕草で困ったように手を顎に添えると、何か思いついたのかこう続けた。
「ここだけの秘密ですが、私は貴方たちがどこの世界からやって来たのか見当がつく。これならどうです?少し奥で私とお話ししたい気分になりませんか?」
「―――なっ!?」
「……あんた何者?」
正体不明な彼女の言葉に恵二は驚き、コウキは一層警戒しながら尋ね返す。
「申し遅れました。私はこのお店のオーナーをしております商人のミヤと申します。宜しければ少しの間、奥の部屋で私とお話しでもしませんか?」
ミヤと名乗った女商人は笑みを浮かべたまま恵二たちを奥の部屋へと誘った。恵二とコウキはお互い顔を見合わせると、そのまま頷いた。どうやら二人とも同じ意見のようだ。恵二たちはこの女商人の話を聞いてみる事にした。先程の彼女の言葉は到底無視できない。だが、どうやらいきなり襲われるといった雰囲気でもなさそうだ。どちらにしろ今は彼女からの情報が欲しい。話し合いはこちらも望むところであった。
「うう、気持ち悪い……」
ただ一人、茜だけは現状を気にする余裕はなく、久方ぶりに口にした好物のカレーの匂いに今は苛まれているのであった。




