茶帽子の使者
「すみません、お断りさせて頂きます」
神聖魔術を制限なく使える理由を知りたいとエルトランに尋ねられた恵二ではあったが、事前に断ることを決めていた。
恵二のその返事は予想通りだったのか、はたまた表情に出さないだけなのか、エルトランは顔色を変えずに口を開いた。
「どうしてだい?良ければ理由を聞かせてはくれないかい?」
教会側としても、そうですかと済ませられる問題ではない。神聖魔術は聖騎士の持つ切り札でもあり、神の教えを普及する神官たちの武器でもある。それに教会の大きな収入源となっている神聖魔術による治療への見返りの“寄付金”にも大打撃を与えている。もっとも寄付金とは名ばかりで単なる治療代なのだが、神聖魔術が使えない教会に誰が好き好んで寄付などするものだろうか。
「俺のやり方を教えても、結局意味がないからです」
恐らくそう簡単には引き下がらないだろうと考えていた恵二は、予め用意していた言葉を口にした。だがこの返答だけでも少し弱い気がする。ここですんなりと引いてくれれば楽なのだが、どうやらそうは問屋が卸さなかったようだ。
「成程、やはり何か仕掛けはあるんだね?出来ればそのやり方とやらを教えて頂けないかい?もしかしたら我々にも何かのヒントにはなるかもしれないからね」
やはり諦めさせるには足りなかったようだ。それどころか逆に興味を持たれてしまった。だがまだここまでは恵二の想定内ではあった。再び前もって考えていた言葉を選んで返答をした。
「すみません。正確には俺自身も原因を確信しているわけではないんですよ。それに俺のやり方はあなた方教会の逆鱗に触れかねない。……これ以上は言いたくありません」
少し突き放すように拒絶の言葉を告げる。これでも更に食いついてくるようなら、後は拒み続けるしかない。別に恵二としても神聖魔術を独占したい訳ではないのだが、やり方がやり方なだけに教会側に伝えるのは躊躇われた。それに教会の頭の固い連中がそれを実行できるとは到底思えなかったからだ。
(まさか信仰する対象を変えろだなんて……言えないよな?)
神聖魔術を制限なく扱える原因を確信していないという言葉は真実であった。一応自分以外にも同じ異世界人である山中千里にも協力をしてもらい、アムルニス神以外の信仰を対象にし神聖魔術を試したところ、制限なく扱うことができることは知っていた。だがサンプルはたった二人だけ、しかも二人とも異世界人という特質上、これで確実とは言えなかったのだ。だから嘘は言っていない。
恵二の返答を聞いたエルトランは顎に指を当てると考える仕草を行っていた。何か思うところがあるのだろうか、かなり長い間考え込んでいるようだ。
(さあ、どう出る?どっちにしろ、これ以上は教える気はないぞ?)
亀を信仰の対象として神聖魔術を使っているなどと告白すれば、信心深い狂信者どもは自分を目の敵にするかもしれない。その危険性がある以上恵二としては馬鹿正直に教えることが出来ないでいた。
「……君の気持は分かった。だが、後少しだけ質問を良いかな?」
「……なんでしょう?」
ここからは出たところ勝負だ。どんなにしつこく聞かれても、答えたくない、知らないで通すつもりだ。
だが、エルトランの質問は恵二の予想を超えていた。
「つまり君は他宗教の神を信仰しているから神聖魔術を扱える。だから我々には言いにくい、そういうことかな?」
核心を突いたエルトランの質問に恵二はひどく動揺をした。見当外れな問いならば即対応できたのだろうが、彼の予想はドンピシャであった。根が正直者な恵二は咄嗟に嘘がつけなかったのだ。つい狼狽えてしまった自分に恵二は軽い苛立ちを覚えた。
一方質問をした側のエルトランは少年の慌てた様子を見て笑みを浮かべていた。少年のその態度は自分の問いに答えてくれたようなものであったからだ。隣ではギルドマスターとしてその場に同席していたフル―バーが“やっちまったな”と呆れた表情を恵二に向けていた。
「ふふ、成程。君は分かり易い性格だね。個人的には嫌いじゃないけれど、交渉事は向かなそうだ」
「……ホントそう思います」
もう恵二は半ば自棄になっていた。ここまできたら何だか隠すのが馬鹿みたいに思えてきたからだ。
「ええ、そうです。俺のやり方とは、アムルニス神以外を信仰対象として神聖魔術を扱う、たったこれだけです」
恵二の告白に真っ先に反応をしたのは、問いただしたエルトランでも同席をしていたフル―バーでもなく、護衛として室内に残っていたミルトであった。
「な、なんて罰当たりな!?アムルニス神以外を崇めて神の奇跡を使っていたのですか!?」
幼い頃から敬虔な信徒であったミルトからすると、他宗教論者という時点で変人扱いであり、さらに神の奇跡とも呼べる神聖魔術を扱おうものなら罰当たり者と罵られても当然の行いであった。
「……ミルト。君は私の護衛だ。分を弁えなさい」
急に口を挟んで来た彼女をエルトランは厳しく戒めた。
「も、申し訳ありません……」
彼女も一瞬頭に血が上ってしまったのだが、エルトランの言葉で自分の失態に気が付くと、すぐに口を噤んだ。
「すまないね。だが、君の判断は概ね正しい。普段は柔軟な彼女でさえ、神に関する話だとこれだ。それほど我々教会の人間は他宗教を敬遠している」
先程失態を晒したミルトへのフォローとも取れる言葉に彼女は申し訳なさそうに縮こまってしまう。だがこれがこの大陸では正常なのだ。幼い頃から死ぬ時までアムルニス神は傍にある。そんな生活を送って来た者に“お宅の神様が魔術を使えない原因です”なんて言えるはずがなかったのだ。
「それにしても、よく俺が他宗教を信仰しているなんて分かりましたね?」
確かに恵二はアムルニス教には何の思い入れも無い。だがそれは他の者にも同じ事が言えるのではと思えてしまう。その証拠にリアネールやダンは思いっきり教会側へ刃を向けていた。
「確かにアムルニス様の教えはこの大陸全土へと広がってはいるが、中には神の存在を疑う者や興味のない者もいる。だが、疑うにしろ敬うにしろ、真っ先に思い浮かべるその対象はいずれにしろアムルニス様だ。この大陸に住んでいる者ならば、ね」
エルトランの言葉に恵二はドキリとする。
(まさかこの人、俺が異世界人だって知っているのか?)
知っている訳がない。そう思う反面、そういえばミルトは諜報員の疑いがあるとリアネールが話していたことを思い出した。それが事実だとするのならば、彼女の上司であるエルトランは諜報部隊の長ということになる。それならばあるいは、恵二がハーデアルト王国に召喚された元勇者だという事実を知っていても不思議ではなかった。
「だが何事にもイレギュラーは存在する。他の大陸からやってきた者然り。生まれてこの方、神の教えを知る機会がなかった者然り、ね」
恵二が異世界人であるという話はここではしないのか、それともそもそも知らないのか、エルトランはそのまま話を続けた。
「もう気付いているかもしれないが、私は大聖書物堂の管理者以外にも肩書を持っていてね。<茶帽子の使者>と呼ばれる特殊部隊の長でもある」
「茶帽子の使者……ですか?」
「いわゆる諜報部隊だね。アムルニス様は生前、釣りが大好きなようでね。よく茶色の帽子をかぶられ人目を避けてはお忍びでセントレイクに出掛けられていたと伝えられている。部隊名はそこから拝借をしたんだ」
エルトランはご丁寧に諜報部隊の名前の由来まで解説をしてくれた。しかし一介の冒険者にしか過ぎない自分にこんなことをペラペラと喋ってもいいのだろうか。
恵二と同じことを思ったのか、同席していたフル―バーが口を挟んだ。
「エルトラン殿、彼はCランクの冒険者にすぎません。そんな重要な事を教えてもよろしいのですかな?」
「構いませんよ。それに彼がただのCランク冒険者だなんて、貴方も思ってはいないんでしょう?それに、正直者である彼とは隠し事無しで話し合った方が効率的だということが分かりましたから」
「余計な勘繰りでしたな。失礼、続けてください」
それ以上はフル―バーも横槍を入れてこなかった。再びエルトランとの話し合いが続いていく。
「話しを戻すけど、我々もただ手をこまねいていたわけではない。ミルトを始めとした諜報員を使って神聖魔術復活への手がかりを探ってはいたんだよ。そこである時気が付いた。神聖魔術にかかる効果低下の多寡が人によって違うということがね」
エルトランの説明だとこうだ。
ある時諜報部隊である<茶帽子の使者>の調査で、同じ魔力量、同じ力量の神官でも神聖魔術の効果が違うことに気が付いたというのだ。
勘違いされがちだが<神堕とし>は決して神聖魔術が使えなくなるわけではない。正確には“神聖魔術の効果が著しく低下をする”現象だ。つまり地力の高い者であれば効果が激減こそするものの、一応扱えることは可能なのだ。その扱える範囲での魔術の効果が、本来同等の力量であった筈の術者同士に差が生じていることをエルトラン率いる<茶帽子の使者>は目聡くも発見をしたのだ。
ならば何故その術者に違いが出ているのだろうか。そこからの調査は非常に難航をした。それもその筈、調査結果を聞いてエルトランは驚いたのだ。それと同時に得心もした。神聖魔術の効果低下が比較的緩い者は総じてアムルニス神へ熱心な信仰を捧げていなかった者たちばかりであったのだから。
如何に神に心血を捧げているか、それは教会内部でのし上がる為の最低条件とも言えた。例え心から神を敬っていなくともだ。そしてそのパフォーマンスは、私欲に満ちた者ほど激しい傾向にある。“自分は敬虔な信者だ”“神の為にこの命を捧げる”と声高に叫ぶのだ。心の中では神の存在を疑っているにも関わらず。
それ故に、本当に心の底からアムルニス神を信じている者は<神堕とし>の影響を大きく受け、逆に疑いを持つ者ほどその影響は少ないという事実に行きつくまでは本当に苦労したのだという。人間の本心など、いくら腕利きの諜報部隊でもそう簡単に分かるわけではない。
それでも<茶帽子の使者>がその結論に辿り着けたのには理由があった。それは神聖魔術の低下を余り受けていない者ほど私利私欲が強く、横領、詐欺、恐喝まがいな行いをする者が多かったからだ。そういった素行不良な術者ほど<神堕とし>の影響を受けなかったとは皮肉な話でもあった。
「つまり<神堕とし>という現象は、正確にはアムルニス様を信仰とする魔術に影響を及ぼしていると考えられる。それで先程の君の答えだ。信じたくはなかったが、これで納得がいったよ」
どうやらエルトランも薄々と勘付いてはいたようだが、恵二の言葉で確信をしたようだ。
「……そこまで調べられているんでしたら、隠す必要もなかったですね」
自分は何をそんなに怯えていたのだろうかと恵二は深い溜息をついた。だが、それにエルトランは異議を唱えた。
「いや、君の行いは決して間違いではない。そんなことを風潮すれば君の身が危ない。それに我々はこの事実をまだ教会に報告をしてはいないんだ。そして今のところ、それを伝えるつもりもない」
「え?」
何か話が不穏な方へと流れつつある。そんな思いを抱いた恵二を余所にエルトランは話を続けた。
「考えてもみたまえ。アムルニス様を信仰しているから神聖魔術が使えない。そんな事を口走っても信者たちは納得をすまい。それどころか我々は反逆者扱いされるのがオチだよ」
「……あ」
それはさっきまで恵二が考えていた事と同じであった。自分がそれを教えたところで異端者扱いされて火あぶりにされるだけだ。その考えは使徒という特殊な立場にいるエルトランでも同じことのようで、そもそも根本的な解決にならない以上、わざわざそれを話して混乱を招くといった事態だけは避けたい考えのようだ。
「だからお願いがある。最終的には我々から教会へと伝えるから、君はなるべくこの事は他言無用でいて欲しいんだ。極力神聖魔術も使わないでくれるとありがたいんだが……」
エルトランはチラリとフル―バーの方を見るも、彼の表情から何かを読み取ったのか、軽く溜息をつくとこう話を続けた。
「いや、それは我々が言うべきことではないね。時にフル―バー殿、≪背教者≫殿はご壮健ですか?最近話題を聞かないようですが……」
急に話が変わり恵二は頭に疑問符を浮かべていた。一方尋ねられたフル―バーはムスッとした顔のまま、こう答えた。
「これは異な事を。茶帽子の使者を束ねるエルトラン殿でしたらご存知でしょう?彼女は現在ハーデアルトで大活躍ですよ」
そこまで聞いて恵二にもピンときた。≪背教者≫の二つ名で知られるSランク冒険者の彼女は他宗教の神を信仰しているので有名だ。彼女であれば、恐らく<神堕とし>の影響を受けていないに違いない。そしてその彼女は現在ハーデアルト王国で活動中だという。
(……そうか。≪背教者≫をアンデッド対策に招き入れたのか)
それが魔術師Kもとい恵二による神聖魔術の裏ワザ情報の提供により国王が発案したものだとは、当の本人は知る由もない。
「成程、これでケージ君の話の裏も取れましたな。やはり<神堕とし>はアムルニス様に悪影響を及ぼしていて、他宗教には影響がない。ううむ……」
エルトランは再び考える仕草をとる。やがてその考えは纏まったのか、顔を上げて恵二に微笑みかけた。
「ありがとうケージ君。お蔭で色々と知る事が出来たよ。お礼と言ってはなんだけど、これを受け取ってはくれないかい」
エルトランがミルトに目配せをすると、彼女は銀の魚をモチーフとした小さい彫り物を手渡した。銀製のルアーだ。
「もし私や<茶帽子の使者>に用がある時は、その銀のルアーをなるべく大きな教会へと持っていくといい。末端の諜報員には君のことを伝えておこう」
どうやらこの銀のルアーを使えばエルトランとアポイントメントを取り付けることができるようだ。向こうとしても、貴重な情報提供者である恵二との縁を繋いでおきたいのであろう。使う機会があるかどうかは分からないが、貰っておいて損はなさそうなので快く受け取った。
「それでは長々と時間をとらせてしまって申し訳なかったね。フル―バー殿もこの度は本当に御足労を頂いて……」
「いや、こちらとしても貴重な情報を得ましたからな。<神堕とし>の件については、こちらでも何か分かれば情報提供を致しましょう」
エルトランとの話し合いは以上であったが、フル―バーはまだシリウス団長との話し合いにけりがついていない。そちらの方はシリウスが一度聖都へ戻って教会の意向を纏めてから取引が再開される予定だ。
「ケージさん。この度は本当にお世話になりました。それと……色々と、そのぉ……申し訳ございません」
ミルトは先程のやり取りを気にしているのか、少し気まずそうにしてはいた。だが彼女自身は特に恵二に対して思うところはない。寧ろ知己である教皇の娘シンドリーを救出してくれた恩すらある。例え他宗教論者と言えども、礼には礼を返すのが彼女には当たり前であった。
「気にしないでください。それにミルトさんの助言で色々と助かりましたから。この件が落ち着いたら、何時か観光で聖都を訪れたいので、その時はよろしくお願いします。それと、ミエリスにも宜しくと伝えて置いてくれませんか?心配していると思いますので……」
久しぶりに再会したものの、ろくに話も出来ずドタバタしたまま別れてしまった見習い聖騎士の少女宛てに恵二は伝言を頼んだ。
「はい。必ず伝えます。それではお達者で」
ミルトとエルトランは軽く頭を下げると退出していった。広い室内に残されたのは恵二とギルドマスターであるフル―バーの二人だけだ。
「……やれやれ。やっと一息つけそうだな。時にケージ君、まだ少し時間は大丈夫か?」
「え?ええ、大丈夫ですけど……」
恵二としても、やっと気を緩められると思ってはいたのだが、どうやらフル―バーの方からも話しがあるようだ。
「使徒殿に見習ってこちらも単刀直入に伺おう。ケージ君、Sランク冒険者になる気はないか?」
「……はい?」
それはまさに衝撃的な誘いであった。




