俺の剣を返せ!
恵二がミグゥーズを殴り飛ばす少し前、リアネールたちの戦いも決着が着きそうであった。
「―――くそ!こんな手で……!」
「だべってないでとっとと逃げるがいいっすよ!」
リアネールはそう告げると自慢の双剣を振り回した。その余りの風圧に聖騎士ジランドは思わず後ずさった。
二人の状況はそれほど変化したわけではない。依然膠着状態なのは間違いがなかった。だがリアネールの方に気持ちの変化があった。
先程の彼女は一刻も早くジランドを倒さねばと気負っていた。それに対してジランドが任されたのは、あくまでもSランク冒険者であるリアネールの足止めだ。逃げに徹したジランドを焦っていたリアネールは仕留めきれずに追い回していたのが先程の展開だ。
だが、今は違う。
ミグゥーズの相手は恵二に任せた。その分リアネールの負担は気持ちはいくらか楽になったのだ。無理して追わずとも、ゆっくりと確実に足の速い敵を追い詰めればそれでいい。
そう気持ちを切り替えたリアネールが実践したのは、図らずとも敵の副団長ミグゥーズと同じ足場を崩す策であった。
リアネールは双剣を思いっきり振り回す。ただし先程のように当てずっぽうな攻撃ではなく、地面を抉っていた。双剣に彼女の膨大な魔力を籠めたその連撃は、さながら台風のようであった。その攻撃にさらされた地面のあちこちは抉られ、平らであった平地があっという間に凸凹の激しい足場へと変化をする。
それを嫌ったジランドはひたすら彼女の間合いから逃げていたのだ。如何に俊足の持ち主といえども、こう足場が悪くては足をとられかねないからだ。
「くだらない小細工を!そんなことでこの俺が捉まるとでも思ったか!?」
「逃げたければお好きにするといいっすよ。教会の犬らしく、尻尾を撒いて泣き喚きながらご主人の元へ帰るがいいっす」
あからさまな安い挑発であったが、ジランドはその言葉に激高した。聖騎士である自分がここまでコケにされた挙句、彼女の言うとおり逃げっぱなしでは聖騎士としての矜持が保てなかったのだ。
「―――貴様。くだらないその戯言、死を持って償わせてやる!」
聖騎士から放たれる殺気が凄味を増す。それを肌で感じつつもリアネールは“掛かった”と内心ほくそ笑む。
(ちょろいっすね。でも、油断はできないっすが)
性格はとても好きになれそうにはないが、この男のスピードだけは本物であった。多少足場を悪くしたとは言え、ミグゥーズの泥沼ほど効果は期待できない。この聖騎士は間違いなく足場をものともせずに踏みこんで来る。
そう確信したリアネールはある秘策を思いついたが、余り気の進まない手段でもあり思わず苦い表情を浮かべる。
そんな彼女の表情を向こうは己の意気に臆したと解釈でもしたのか、それまで逃げの一手であったジランドはリアネール目掛けて突っ込んでくる。
(?馬鹿正直に正面からっすか?)
今までと違った動きにリアネールは首を捻るも、ジランドは突如懐から何かを投げつけた。その丸い何かは地面に接触するとたちまち爆発を起こした。どうやら魔術を籠めたマジックアイテムのようだ。
それをリアネールは後ろに引いて悠々と躱すも、爆発で舞い上がった土煙の所為でジランドを見失う。
「―――っ!」
目を凝らして注視していたリアネールの視界の隅に、僅かな影を捉える。その影は瞬きをする間もなくこちらへ接近すると、純白の剣を彼女の首目掛けて振るった。
今までで快心の一撃にジランドは首を取ったと思った。だが彼女はギルド最高戦力の一人Sランク冒険者である。いくらマジックアイテムで気を逸らそうが、そう簡単に首を取れる様な存在ではなかった。神がかった勝負勘と超人的な反射神経でもってリアネールはジランドの剣を見きっていた。
しかし、仮にその一撃を剣で捌き、カウンターを返しても何時ものように避けられる。事前にそう結論付けていたリアネールは、聖騎士の剣を避けるのも、いなすことも始めから考えてはいなかった。
自身の象徴でもある<双剣>の片方をあっさり手放すと、彼女は徒手のまま相手の剣の刃の部分を掴み取ったのだ。
「―――なっ!」
その離れ業にジランドは目を見開いて驚いた。一歩間違えれば己の手ごとその首も飛んでいた。いや、そもそも自分の剣は素手で掴みとれるほど非力ではないはずだ。彼女の華奢な身体に一体どれほどの力が込められているのだろうかと聖騎士は慄いた。
だが驚いている場合ではなかった。片手で己の剣を掴まれたという事は、自分は今動けないということ。そして彼女の手がもう片方空いているという事実を思い出すとジランドは咄嗟に掴まれた剣を捨てて離脱をしようと試みた。
一方のリアネールは初めからこの状況を狙っていた為、すぐにもう片方の剣を振るった。狙うはその足。彼女は確実に勝利をもたらす為、まずは邪魔な相手の武器から崩す事にした。左手に持った剣を素早く振るうと、ジランドの右足を斬りつけた。
「―――ぐっ!」
聖騎士の誇りとも呼べる純白の剣を捨てた甲斐もあり、なんとか致命傷は避けたものの、右足に深手を負ってしまった。そこへさらにリアネールは攻撃を畳み掛ける。ジランドから奪った剣をそのまま右手に持つと、再び<双剣>の連撃が聖騎士を襲った。
「今日は厄日っす!運任せの攻撃を強いられるは、双剣の片方を投げ捨てさせられるは……!それに手が少し切れちゃったじゃないっすか!」
「―――くっ!知るか!?俺の剣を返せ!」
リアネールの愚痴にジランドは怒鳴り付けるも、自慢の足を負傷し剣を失った聖騎士に勝ち目はなかった。何度か攻撃を躱したものの遂には双剣に捉まり、ジランドは不満だらけな彼女の鬱憤晴らしで、その身をずたずたにされるのであった。
ジランドの悲鳴が辺りに木霊した。
「―――おお!お前ら、無事だったか!?」
聖騎士二人との戦闘を終えた恵二とリアネールの元に獣人族のダンが馬を連れてやって来た。どうやら聖騎士たちの馬を拝借してきたようだ。だが恵二たちは馬のことよりも、彼の着ていた鎧が全身血だらけであったことに目がいき思わずギョッとした。
「だ、大丈夫っすか?その血の量……」
「ん?ああ、これは神聖魔術で回復する前に流した血だな。お前達のお蔭で助かったぜ!すげえな、ケージの回復魔術」
どうやらダンも無事に【エンチャントナイフ】を使用できたようだ。不意を突く形で二人の聖騎士を倒したダンは、残り二人の聖騎士と戦闘になり、手こずったものの撃退に成功したのだそうだ。
これで追手の聖騎士6名は全て倒したことになる。今は全員気を失って縛ってはいるが、殺してはいなかった。まだ完全に冒険者ギルドと教会が対立していない状況で、相手を無暗に殺すのは拙いと判断した為だ。
「……つーか、ケージも相当に酷いぞ?血だらけに泥だらけじゃねえか」
「散々だったよ……。早くどこかの町に行ってシャワーを浴びたい……」
恵二やリアネールの傷に関しては、少しだけ回復した恵二の魔力とスキルを合わせることで完治していた。だが、服に付いた汚れだけはどうにもならなかった。三人ともボロボロで酷い有様だ。このまま町へ向かっても衛兵に引き止められてしまうだろう。
「幸い、連中が乗ってきた馬がある。これでパイルたちの後を追うぞ!なんてったって、ここはまだ敵地なんだからな!」
その言葉に二人は頷くと、ダンが持ってきた馬に跨る。すぐにこの場を離れようとした三人であったが、東の方角から迫りくる一団を恵二たちは察知する。
「……騎馬隊だな。次から次へと……どこの部隊だ?」
「……白い鎧?また聖騎士っすか?武装まではこっからじゃあ見えないっすよ」
純白の鎧を身に着けているということは、少なくとも聖騎士の名を冠する騎士団かその見習いである証であった。その武装の色でどこの所属か判断できるとミルトから聞いていたリアネールであったが、さすがにここからだと距離が遠すぎて、視力の良いSランクの二人でも判別ができなかった。
ただ一人、恵二だけは視力を強化することで相手の様子を見て取れた。
「……金色の武装と……白い武装持ちもいる」
恵二の言葉に他の二人はげんなりとする。どうやらまたしても聖騎士がいるようだ。しかも今度は黄金衣聖騎士団を連れての大所帯であった。
「逃げながら魔力を回復したいっす」
「……だな。少しでもノーグロースの国境に近づきたいしな」
流石にあの数相手に連戦は御免こうむると意見の纏まった三人はさっそく馬を出した。さすがは聖騎士団というべきか、なかなか良い馬を持っているようで、この足ならそう簡単に追い付かれそうにはなかった。その上恵二たちが倒したミグゥーズを始めとした聖騎士たちをそのまま置いてきた。連中も気を失って拘束されている仲間を無視して追っては来ないだろうと踏んで、三人は北へ全速力で馬を走らせた。
聖教国グランナガンと北西部にある隣国ノーグロースの間には広大な森が存在する。そこは魔物の領域であり、さすがにその中を馬で駆け抜けるのは無理であった。
だが西岸部は森も途切れており、街や村もいくつか点在する上にノーグロースへと続く街道も存在する。追手を撒くには森の中が最適ではあるのだが、如何せん道が分からない上に食料が心許ない。Sランクの二人であるダンとリアネールが所持するマジックポーチには大量の水や食料があったのだが、一人大食いが存在する為、計画の修正を余儀なくされた。
「お前、少しは遠慮しろよ……」
「……嫌っす。食べないと力出ないっす」
恵二の苦言にもリアネールは耳を貸さなかった。大量に持ってきていた筈の彼女の食糧はあっという間に底を尽き、今はダンが持ってきていた食糧で彼女は腹を満たしていた。
「言っておくが、これは貸しだからな?きちんと食べた分は払えよ?」
ダンがそう釘を刺すとリアネールは食べながら得意気に答えた。
「もぐもぐ……大丈夫っす!ノーグロースのカジノで、ちょちょいのちょいっすよ!」
どうやら商人の国ノーグロースにはカジノがあるようだ。賭け事を生業にできる店がある程、国力が安定しているということだろうかと恵二は思いを巡らせる。
(そういえば、千里の奴も確かノーグロースで執筆活動中だったか?)
大人気売れっ子作家、センリ・ヒルサイドこと山中千里は、夏休みの間にノーグロースでお世話になっていた商人の元へ里帰りしている筈だ。魔術学校へ通う条件として長期休暇中は戻ってきて顔を見せるように保護者に当たる人物から言いつかっているらしい。今のごたごたが解決できれば会ってみるのも面白いだろう。
「後どれくらいでノーグロースに着くっすか?」
追手の聖騎士団を撒くことに成功した恵二たちは、西岸部の街道を沿ってひたすら北上していた。この方法ならば、確実にノーグロースへ辿り着くことができるだろう。だが問題は相手にも見つかりやすいルートだということだ。
「……分かんねえ。俺もこの辺りは初めて来るからなぁ。地図を見る限り、二日もあれば着くと思うが……」
ダンもリアネールも飛行船で聖都に出向く事はあっても、グランナガンの地方までは出歩いた事が無かった。土地勘の無い者だけで魔物の棲む森へ入ることもリスクがあった為、三人は街道沿いに馬を走らせたが、この分では近いうちに教会の連中に位置を特定されてしまうだろう。
「ああ、折角海が近いってのに見に行けないなんて……」
恵二は思わずそうぼやいた。そう、ここは西岸部とあって少し先は中央大陸の最西端、つまり海が存在するのだ。だが街道からではまだ距離があり、逃亡している身としては寄り道をする余裕など皆無であった。
「きっとまた機会があるっすよ。よければノーグロースに良い海鮮料理のお店があるっす!今度一緒に食べに行くっすよ!」
「海の幸……食べたいなぁ……」
「お前ら、これ以上飯の話は止めろ!俺たちは逃亡者なんだぞ!?携帯食で我慢しとけ!」
ダンはのマジックポーチに入っていた食糧は全て携帯食であった。数こそそこそこあったものの、味の方はいまいちでリアネールには大変不評であった。
ダン曰く、彼のスキル<咆哮>は大軍を率いてこそ真価を発揮する。その為ダンは集団で行動することが多いのだそうだ。自然と彼が所持する食料も質より量を重視する形になる。質にも量にも拘るリアネールは文句を言いつつも、その質の分をカバーするべくダンの貴重な携帯食を大量に自棄食いしていたのだ。
「まぁ、もう暫くの辛抱だ。順調に行けばあと二日くらいで、イカれたこの国ともおさらばだ」
「……順調に行けば、っすよねぇ」
リアネールの言葉は三人に重くのしかかっていた。このまますんなりと国境越えを出来るわけがなかった。間違いなく明日か明後日にはもう一波乱あるのだろうと三人は予見していた。
その予感は正しく翌日、恵二たちの元には聖騎士団の混成部隊が追って来た。
聖教国騎士団と黄金衣聖騎士団の混成部隊であった。その先頭を突き進むのは、聖騎士団副団長の<白槍>ミグゥーズであった。彼女は不覚を取られた少年や冒険者たちをこのまま逃してなるものかと執念を燃やしていた。
一方の冒険者組も、この一戦さえ凌げばゴールは目と鼻の先であった。
恵二を中心に巻き起こった神の国の騒乱は、いよいよ佳境を迎えようとしていた。




