伝えたかったこと
「おや?ケージ君、一体どうしたんだい?」
「コーディーさん。俺にもお手伝いさせてください」
コーディーの後を追いかけて療養所に入った恵二は、自分も神聖魔術を使えるので治療の手伝いをさせてくれと願い出た。それを聞いたコーディーは嬉しそうにその申し入れを受けた。
「コーディー、神聖魔術が使えるようになったというのは本当かい?」
すると、療養所の奥から一人の老婆が尋ねてきた。
「ああ、つい先程判明したんだよ。ケージ君、こちらは所長のマリー婆さん。この療養所の責任者だよ」
「ケイジ・ミツジです。宜しくお願いします」
恵二は所長であるマリーに簡単な自己紹介をした。
「おやぁ、お若いのに立派だねぇ。それなら早速手伝ってもらおうかね」
マリーは簡単に療養所の説明をしていった。
療養所とは要するに病院のことであった。現代日本ほどの医療技術は当然無かったが、簡単な治療法や薬学と魔術を融合させた独自の医療形態が確立されていた。
しかし何よりも医療の先を行くのが神聖魔術であった。なにせ適正持ちであれば、魔力量と信仰心さえ髙ければ難病すら治せるのだ。その為教会と療養所は親密な関係で切っても切れない縁がある。どんな人でも必ず病気や怪我くらいはする。その為この大陸に住む者は神聖魔術を扱える者を敬い、その彼らが崇めるアムルニス神を尊ぶのであった。
昨日までは<神堕とし>の影響で神聖魔術を扱えず、療養所を定期的に訪れていたコーディーは役に立てなかった。そんななか所長であるマリーがこの療養所を支えてきた。マリーは人体の構造や薬学に精通しており、神聖魔術が使えなくても多くの人々を救ってきたのだ。
そんなマリーでも治せる範囲には限界があるし、それに彼女は高齢だ。そんな彼女にとって神聖魔術が再び使えるようになったというのは朗報であった。
「それじゃあケージはあっちの奥から診ていってくれないかい?」
老婆が指差した場所には、患者が横になっているベッドの周りを大きい布のカーテンで囲んで作られた簡易的な部屋がいくつかあった。その辺りは比較的軽症者の患者が寝泊まりしているエリアだそうだ。軽傷とは言っても決して安くはない入院費を支払い続け寝泊まりをしている患者だらけで、重傷者から見れば少しだけマシと呼べるレベルだ。中には自力で起き上がれない患者もいるのだという。
恵二は一番奥の部屋から順に診ていこうと恐る恐るカーテンをめくる。
「すみません、診察にきた者ですが……」
「ん?なんだ、兄ちゃん?新しいお医者様……って雰囲気でもねえな?」
そこには両腕と左足を包帯でぐるぐる巻きにされていた大柄な男がベッドの上で横たわっていた。
「どこが痛むか教えてくれませんか?」
診察だといって訪れた少年を見た男は怪訝な表情を浮かべていたが、素直に傷む箇所を告げた。
「両腕と……左足だな。あと腰もいてぇ……」
男の話によると、どうやら彼は樵の仕事をしているようで、数日前も普段と同じ様に森へと木材を調達しに踏み込んだそうだ。しかしそこで運悪く狂暴な魔物と遭遇してしまい、命からがら逃げおおせたものの両腕と左足を負傷してしまったそうだ。
ちなみに腰痛は樵の仕事で数年前から痛めており昔から痛いのだそうだ。
「なるほど、両腕に左足、それと腰痛ですね……」
「ああ、早く治してえんだが、マリー婆さんの話では完治に三か月掛かるって言われちまってな……」
三か月経てばここらは大分寒くなり、雪が積もれば仕事も困難になる。このままでは今年の冬は家族にひもじい思いをさせてしまうと男は愚痴っていた。
「分かりました。それじゃあいきますね!」
そう告げると恵二は神聖魔術を発動させた。男の全身が温かい光に包まれていく。これは一体何の真似だろうかと男が疑問に思っていると、ふと自分の身体の変化に気が付いた。
「……あれ?痛くない……!治った!動かせるぞ!」
急に両腕の痛みが消え失せ、動かすことも困難であった左足が動くようになった。男は数日振りに立ち上がると、先程まで激痛が走った両腕をぶんぶんと振り回す。
「おおっ!やったぜ!これですぐに仕事を再開できる!おまけに腰痛まで治っちまった!ありがとな、兄ちゃん!」
男は恵二の両腕を握って激しい握手を交わすと、嬉しそうに療養所を後にした。
「よし!これくらいの傷なら簡単に治せるな!」
一人目の患者で自信を付けた恵二はその後も次々と神聖魔術を使い怪我人や病人を治していく。恵二のよく知らない病気などは治すのに魔力を多く取られるが、そこは強化スキル<超強化>でカバーすることが可能だ。
結局恵二が診た5人の患者は全て完治し終えて、全員が退院をした。その様子を見ていたコーディーやマリーは目を丸くして驚いていた。
「ケージ君、その神聖魔術は一体誰に教わったんだい?どこか他の教会関係者かね?」
コーディーの問いに恵二は慌てる。ほとんど独学なのだがそれを正直に言っても大丈夫なのか判断がつかなかったからだ。そんな恵二の態度にコーディーは眉をひそめるも、こう続けた。
「いや、変な事を詮索したね……。それよりも私は魔力が尽きてしまってね。申し訳ないが、余力があれば他の患者さんも診てあげてくれないかね?」
「ええ、勿論です!」
コーディーの追求を逃れた恵二は安堵し、早速他の重症患者たちも診ることとなった。
ここからはより容態の悪い患者ばかりであったが、恵二の神聖魔術と強化スキルを組み合わせれば治せない病気や怪我は今のところ存在しなかった。恵二は次々と奇跡を起こし、半ば完治を諦めていた患者たちを癒していく。
「ありがとう!ううっ、ありがとう……!」
「貴方は私の恩人です!」
「この恩は一生忘れません!本当にありがとうございます!」
完全復活を遂げた患者たちは皆が涙を流しながら恵二に感謝の言葉を伝えていった。魔力はすっかり底をついてしまったが、気怠さよりもやりきった充実感の方が勝っていた。
(俺にこんな才能があるだなんて……!これも亀神様のお蔭だな!)
恵二は遠い異世界の地で祭られている亀神様に感謝を捧げた。その信仰心がさらに少年の神聖魔術を強固なものへと変えていく。
所長のマリーにお礼を言われると恵二とコーディーは療養所を後にした。そういえばまだ食事をとっていなかったことを思い出したが、空腹や疲労を忘れさせるほどの達成感に満たされていた。孤児院へと向かう恵二の足取りも軽かった。
そんな浮かれていた少年をコーディー神父は背後から何とも言い難い視線で見つめていた。そのことを恵二は知らない。
孤児院に帰ってきた二人が食事をとり終えた後、恵二はコーディーに教会へと呼び出されていた。
(一体なんだろう?)
二人だけで話がしたいと告げたコーディーの表情はとても深刻そうであった。
(もしかして“うちの娘はやらん!”ってやつか?それとも……)
それは今日の出来事だろうか。
恵二の神聖魔術はこの大陸において異端だ。おそらく前代未聞の亀を信仰対象とした奇跡の結果なのだから。
病院で次々と患者を治していく恵二の姿をコーディーは神妙そうに見ていた。彼は何か気が付いたのだろうか。
教会に入るとそこには既にコーディーが待っていた。
「すまないね、ケージ君。急に呼び出したりなんかして」
「いえ、構いません。それでお話しというのは?」
恵二が尋ねるとコーディーの表情が曇り出す。少しだけ間を置いた後、コーディーはその重い口を開けた。
「実は君の使う神聖魔術についてなんだが……」
(やはりその話か……)
なんとなくそうでないかとは思っていた。恵二は黙ってコーディーの話に耳を傾ける。
「単刀直入に聞くよ。君はアムルニス教徒ではないね?」
「……はい。しかし、どうして分かったんですか?」
恵二の問いにコーディーは説明をしてくれた。
「君は魔術学校に通っているんだろう?ならば習ったかな?“魔術の優先権”について……」
「確か他人の魔術は制御を奪えない。それと同系統の魔術は稀に干渉し合い序列が生じる、でしたっけ?」
恵二の言葉にコーディーは頷く。
「流石に優秀だね。そこに答えがある」
コーディーはそうはぐらかす様にヒントを与えた。
<魔術の優先権>とは魔術法則のひとつで、先程恵二が言った通りに主に二つの意味合いを持つ。
他人の魔術制御を奪えない
例えば他人が放った火の魔術を、制御が得意な恵二が代わりにコントロールするといったことは基本出来ない。それは放った者に優先権があるからだ。ただしそれを術者自らが放棄することによって他人が肩代わりをする事はできるらしいのだが、とても手間な作業で行う者はまずいないらしい。
同系統の魔術は稀に干渉し合い序列が生じる
これは例えば水を操る魔術を扱う複数の術者が、お互いに同じバケツの水を操る場合に起こる現象だ。通常は初めに操った者に水を操作する優先権が生じる。だが、バケツの水の半分を操った場合、もしくは同時にバケツの水を全部操った場合はどうなるだろうか。
答えはより強力な魔力を持つ者に優先権が移り、魔力の低い者は近くで同系統の魔術を扱うことが出来なくなる。今回はバケツの水を例に出したが、他にも時空属性や土属性も種類によっては干渉し合う。
そこで恵二は思い出した。確か神聖魔術も干渉をし合う属性ではなかっただろうかということを。
「……そうか!俺の神聖魔術に優先権があるはずなのに干渉しなかったんだ!」
「正解だ。あれほど近くでお互いに神聖魔術を扱ったにも関わらず、私の貧弱な回復魔術は君に打ち消されずに使用できた。そこでピンときたんだよ」
もしかしたら少年の扱う神聖魔術は、自分のそれとは別種のものではないか、と。
「それに君とは何度か寝食を共にした仲だが、どうも君はアムルニスの敬虔な信徒には見えなかった。それでいてあの凄まじい神聖魔術の威力に疑問を持ったんだ」
言われてみればそうだ。ここの孤児院には何度か食事のお世話になっていて、先程も一緒に食事をとったばかりだ。教会横の孤児院ともあってかここの子供たちは皆が食べる前にお祈りを捧げる。しかし恵二はその祈りさえ未だにきちんと出来なかったのだ。
「つまりそれで俺が異教の信奉者だって分かったんですね?」
「ああ、そういうことだよ。でも私は何も君を異端者だと吊し上げるつもりは全くないんだ。ただ、君を見ていると……なんというか、危なっかしく思えてね……」
「すみません、気を遣って貰っちゃって……。確かに知られると厄介ですもんね」
コーディーは異教徒に寛大なのか、とくに気にした様子は見られなかった。だが、恵二の言葉に彼は首を横に振って答えた。
「いや、それもあるんだが……。君はどうして療養所の手伝いに来てくれたんだ?」
「え?それは、俺も神聖魔術を使えるから、手伝った方がいいかなって……」
「本当にそれだけかい?人を救って感謝されたい、もっと褒められたいと、そう思ったんじゃないのかい?」
コーディーの言葉に恵二はドキリとした。確かに少し前の恵二なら療養所の患者のことなんか気に掛けなかっただろう。怪我をしている者を見ても医療の心得がない自分にはどうしようもない。お気の毒にくらいしか思わなかった。
しかし神聖魔術が扱えると知った今なら、ちょっと魔力を消費するだけで怪我人をあっという間に治せるのだ。今まで自分とは関係ないと思っていた怪我人や病人たちを救ってやりたいという気持ちがあった。
その反面で人を救ったという達成感と、感謝の言葉を受けた事実が少年の心に言い知れぬ感情を満たしていった。そして更にもっと人を救いたいという衝動が沸き上がっていたのだ。
「……それじゃあ、いけないんですか?人を救って褒められたいって気持ちで他人を癒したら、駄目なんですか?」
自分の底に眠っている気持ちを言い当てられた恵二は、つい思った事を口にした。それを聞いたコーディー神父は優しく微笑むとこう答えた。
「勿論構わないさ。人の助けになって自分の為にもなるのなら、こんなに素晴らしいことはないと私は思う。アムルニス神も見返りを求むことをお許しになっておられる」
コーディーは恵二の言葉を肯定した。では、何故そんな意地の悪い言い方をしたのだろうか。コーディーは恵二に続けて優しく語りかけた。
「実は私も君と同じ様なことを昔にしてね。覚えたての神聖魔術で誰かを救いたくて療養所のマリー婆さんの所に押し掛けたのさ」
笑いながらコーディーは昔話を語った。
「まだ旦那様……アミーのお父上に仕える前の話だがね、青臭い私は英雄気取りで無償で患者さんたちを治療していったんだ。君ほどの実力はなかったから大変だったけどね。……だけどある日、私の師に当たる前任の司祭様にその件で叱られてね」
「え?怒られたんですか?タダで治療をしたのに?」
恵二の問いにコーディーは頷いた。
「アムルニス教や療養所は人を救う為の場所だがボランティアではない。無償で他人に施すなと説教を頂いたんだよ。それは他の教徒や医者の仕事を奪う行為に当たると言われてね」
コーディーの話に恵二は成程と頷いた。自分が次から次へと患者を治していけば、確かに町に不幸な者は減るのかもしれない。だが、医療を生業としているマリーや他の神聖魔術を扱う教徒たちはどうなるのだろうか。それはその者たちの生活の糧を奪う行為ではないだろうか。
マリーはそんなこと気にするような人柄ではなかったが、実際に患者たちから貰うはずだったその先の入院費を損失している。場合によっては医療現場維持の死活問題となるだろう。
「私程度の腕では大した問題にはならないのだろうが、君の神聖魔術は凄まじすぎる。それをむやみに扱えば、この町ならともかく他の町では必ず摩擦が生じる」
そう、つまりコーディーは恵二の身を案じていたのだ。その強大な力は要らぬやっかみを買う可能性があるのだと教えてくれたのだ。
「それと君には確か“冒険家になる”という夢があるのだろう?その素晴らしい力は君の大切な人々や夢に使いなさい。それでもし余力があれば、ちょっとだけ他人を助けてあげなさい。伝えたかったことはそれだけだよ。年寄りの説教につき合わせて済まなかったね」
「……いえ、とても勉強になりました。俺、少しだけ自分の力に酔っていたのかもしれません。コーディーさんの言葉、俺なりに受け止めたいと思います」
「それなら良かったよ。あ、それともう一つ……ユリィを救ってくれてありがとう。出来ればこの町にいる間はあの子と良くしてやってくれないか?これはあの子の父親としての言葉だよ」
「え!?あ……はい!」
いきなり話が変わって顔が赤くなった恵二は思わずそう返事をしてしまった。
(まぁ、もともとユリィとは色々話したいと思っていたし丁度いいか)
ユリィとは手紙でやりとりをしているものの、頻度はそんなに多くない。それに会って話したい事もお互いにあるだろう。
早速ユリィに会いたくなった恵二はコーディーと二人で孤児院へと引き返すのであった。




