おお、神よ
「テメエら起きやがれ!人質が逃げたぞ!」
部屋で倒れている仲間を発見した盗賊の男は大声を上げた。
外へ襲撃に出掛けて帰って来た者のほとんどは、戦闘の疲れと薬の副作用から眠気に襲われていた。仲間から大声でどやされ慌てて盗賊たちは起き上がると、縛った上に部屋に閉じ込めていたはずの人質がいつの間にか脱走をしていたことを告げられた。
「まだそう遠くには行ってねえはずだ!」
「外は暗いし魔物のいる森だぜ?連中が逃げれるとは思えねえ!」
「三人は外を、他は洞窟内を探せ!万が一逃がして兵に通報されたら面倒だぞ!?」
先程までの静寂とは打って変わって洞窟内は一気に騒がしくなる。盗賊たちは“例の薬”を懐に忍ばせると、4人は二組で洞窟内を、他の三人は外の様子を見に行った。
「連中、どうやって逃げたんだ?」
「さあ?ナイフでも服の中に忍ばせてたんじゃねえのか?」
「おいおい。身体検査もしなかったのかよ!?手を抜きやがって……」
この二人組の盗賊は知らなかった。縛っていた縄が焼き切れていて、部屋の扉も錠の部分だけ破壊されていたことに。つまり逃亡者たちの中に魔術を使える者がいたことを知らされていなかったのだ。第一発見者の盗賊は慌てていた所為か情報の共有をし損ねてしまったのだ。
「……ん?」
「おい、どうした?」
急に立ち止まった相棒に男は声を掛ける。
「いや、ここの道ってこんなんだっけ?」
「はあ?んな事いちいち覚えてねえよ!それより早く探そうぜ!」
そこは洞窟内の丁度中間地点辺りであった。ここから道は何度も枝分かれをしており、初見で入って来た者は確実に迷ってしまう天然の迷路だ。その分岐点の道が男の記憶より一本少なく思えるのだ。
「……気のせいか」
しかし正解の道以外あまりよく覚えていない盗賊たちは、それを特に気に留めなかった。まさか別れ道の一本が恵二の土盾によって塞がれていることなど全く想像もしなかったのだ。
「行ったか……」
「ふぅ、冷や汗掻いたわ……」
壁に耳を当てながらその様子を伺っていた恵二とアリサは、盗賊たちが去ると息を吐いた。
「しかし驚いたわね。まさか魔術で道を塞いで盗賊たちを誤魔化すなんて……」
「連中もろくに道を覚えてないようですね。ナイスアイデアです」
「ケージさん、凄いです!」
傷は治ったものの、体力までは完全回復していなかったカーヤが感嘆の声を上げると、アリサの付き添いで来ていた男性店員とユリィも恵二の策を褒めてくれた。
「これで暫くは時間を稼げる。この壁は一応頑丈に作ったけど、これで魔力もすっからかんだ。できれば回復するまではここで籠城したい」
恵二の提案に4人共頷いた。武器を失っていたカーヤも倒れていた盗賊から剣を拝借していたが、出来れば身体をもう少し休めておきたい。ユリィも逃走の過程で何度も魔術を放っていた為、魔力の残量が減っていた。戦闘能力が皆無なアリサと男性店員もやっと一息つけるとあってか、満場一致でこの案に乗ったのだ。
5人はこのまま暫く身を隠しながら休息を取った。
「くそおッ!やつら、どこに行ったんだ!?」
「やっぱ山を降りたんじゃねえか?」
「だから、その痕跡はねえって言ってんだろ!?第一あいつらだけで森の山中を歩き回れる訳が……」
依然逃亡した人質たちの行方が分からない盗賊たちは焦っていた。
「……仕方ねえ、山の中を探すぞ」
「はあ!?この山を歩き回るってことは、また薬を飲む羽目になるんだぞ!?」
「あれは短時間で何本も飲むと危険だってローブ野郎も言ってたじゃねえか!」
盗賊たちは少し前に出会った不気味なローブ男から薬を融通してもらっていた。それを飲むと不思議なことに身体能力や魔力が格段に上がるのだ。
そんな夢のような薬だが当然リスクもあった。効果はそれほど長くなく、時間が切れると逆に弱体化してしまうのだ。軽い眠気や怠さも生じる。更に短い期間に続けて飲む事は禁じられていた。どうやらこの薬は身体に相当の負荷がかかるらしく、時間を空けて飲むように勧められていた。
しかし、この魔物が蔓延る山を出歩くには薬の力に頼る他なかった。洞窟内に逃亡者が潜伏していない以上、外を探し回るにしても薬を飲むのは絶対条件であった。
話し合いの末、盗賊たちがその薬を飲もうとした時であった。
「―――へぇ、興味深い物を持っているな?それ、どこで手に入れた?」
聞き覚えのない者の声がした方向を振り向くと、そこには一人の少年が立っていた。
「―――なんだ!?このガキ?」
「どっから入った!?」
入口には現在見張りを立たせている。先程失態を犯して倒れていた盗賊たちを出入り口の見張りにつけさせていたのだ。その見張りからは侵入者の報せは来ていない。思いも寄らない来訪者に盗賊たちは眉をしかめた。
「ただの冒険者だ。大人しく武装解除してその薬を渡せ。そうしたらこの場で命を取る真似はしない」
恵二は盗賊達に淡々と降伏勧告をした。先程までの恵二ならば問答無用で首を刎ねていただろうが、ユリィの無事が確認された今は少しだけ冷静さを取り戻せていた。恵二は完全に回復をすると、盗賊達をこっそりと観察していた。そして目の前にいる賊たちが見逃せない会話をしていた。
(あの赤黒い薬……例の“新薬”ってやつか!)
おそらくゼノークが話していたレベル1とやらを流用した強化薬だろう。寿命を代償に身体に眠っている力を一時的に呼び起こす代物らしい。冒険者たちが手も足も出なかったのはあの新薬とやらの所為だろう。
盗賊はいきなり現れた恵二に初めは警戒をしていたものの、相手が少年一人であると分かると不敵な笑みを浮かべた。
「おいおい、命知らずのガキだなぁ?テメエが冒険者だぁ?最近のギルドは人材不足のようだな!」
盗賊の侮蔑に他の者たちも恵二を嘲笑う。
恵二はその反応は予想出来ていたのか、とくに表情を変えることなく再度用意していた言葉を告げる。
「これからお前達の腕を順に斬り飛ばす。両腕が斬り飛ばされて武装解除が出来なくなる前に大人しく降参するんだな」
「寝言は寝て言えボケがぁ!あのガキを黙らせろッ!」
その言葉と共に恵二に一番近かった三人の盗賊たちが同時に襲い掛かってくる。新薬はまだ飲んでいない。どうやらリスクのある薬を飲むまでも無く少年を倒せると考えたようだ。
恵二は腰の後ろからマジッククォーツ製の短剣を抜くと魔力を通す。いくら盗賊たちが武装していようが、魔力の籠ったこのナイフの威力と強化された腕力なら、相手の鎧ごと腕を切断できるだろう。
身体能力をスキルで強化させると恵二は有言実行をした。迫る三人のうちの一人に狙いを定めると、目にも止まらぬ速さでその男の脇を通過する。それと同時に恵二による高速の斬撃で男の右腕が飛んだ。
「!?ぎゃああああああッ!!」
「な、なんだ!?」
「あれ?あいつは何処に……?」
一人が腕を押さえながら崩れ落ちる。他の二人は何があったのか理解できないうちに少年の姿を完全に見失って困惑していた。
「馬鹿野郎!テメエらの後ろだ!」
「こいつ、素早いぞ!」
「舐めてかかるな!薬を使え!」
あっという間に一人を無力化した恵二の脅威度を一気に上方修正した盗賊たちは、各自が懐やポーチにしまっている薬を取り出そうとした。しかし、それを恵二は見逃す気がなかった。
「―――ぐあ!」
「―――ぎゃああッ!」
恵二は薬を取り出そうと手を伸ばす動作を行った者の腕を次々と切断していく。恵二は現在身体能力に五感の全てを全力強化していた。その強化された五感で賊の不穏な動きを捉えると、目にも止まらぬ速さで薬に手を伸ばした腕ごと斬り落としていったのだ。
しかし盗賊たちは諦めが悪く、結局全員が腕を斬り落とされるまで洞窟中に絶叫が響き渡った。
洞窟奥で集まっていた盗賊達を強制的に武装解除させた後、恵二は入口にいた4人の賊も同じ様に無力化していった。盗賊達にはこの後色々と聞き出すことも多く、出血死しないよう切断面だけ回復魔術を掛けておいた。それが終わると盗賊全員をユリィたちが閉じ込められていた部屋に入れて、土盾で蓋をした。
(このスキル、やっぱ便利だなぁ……)
最近何かと活躍の場が多い土盾に恵二はすっかり愛着を持ってしまった。
「ケージさん、この後どうします?」
「うーん、やっぱり夜の森は暗いし不測の事態も起こるかもしれないから、このまま調査隊が来るまで待とう。最悪、お昼まで待っても来なかったら俺が護衛するから山を降りよう」
「未熟者ですが、私もケージさんと一緒に護衛させてください!死んだ二人の名誉の為にも、今度こそ貴方たちを守ってみせます!」
そう気を吐いたのは冒険者で唯一の生き残りであるカーヤであった。彼女は恵二より二つ年上であったが恵二に敬語を使っていた。一生剣を握れないと思っていた彼女の腕を見事に治癒し、恵二はカーヤにすっかり尊敬されてしまっていたのだ。
彼女は未熟者だと謙遜するが、その歳でDランクというのはかなり有望の部類だ。恵二やサミ、それにセオッツたちが寧ろ異常なのだ。それに彼女の身体を張った頑張りがあったからこそユリィたちは無事だったとも言える。そんな彼女を未熟者だと思う者はこの場には本人以外誰もいなかった。
朝方になると武装した調査隊たちが森の麓まで来ているのを確認できた。魔術で合図を送った恵二たちは無事に彼らと合流を果たし、賊の身柄を任せることにする。兵士から“もし事件が無事に解決できたら話がしたい”というバアル伯爵からの伝言を貰っていたので一旦ヘタルスへと戻ることにした。
ヘタルスに帰るとセオッツやサミたちも到着していた。彼らのパーティは恵二たちとは別の角度から町の周辺を調査してくれていたようだ。ユリィと再会を果たしたサミは安心しきったのか、目に涙を溜め抱きつきながら喜んでいた。
その後は色々と忙しかった。バアル伯爵からあれこれと事情を聞かれ、“新薬”と“研究会”についての説明をする。ミルワードやアルバード市長の話しでは、他国やギルドにもその件は報告済みだと言っていたのだが、バアル伯爵は初耳であったようだ。どうやら貴族間の派閥が影響しているらしく、中立を謳っているバアルの元には上からその情報が下りて来なかったそうだ。その話を聞いたバアルは憤っていた。
他にもバアルとは簡単な情報交換を行っていった。恵二がバアルに情報提供した自転車や野球などは現在どれも好評で、最近商人の間では特に草野球が人気なのだそうだ。他にも何かいい案が無いか聞かれ、今度暇があったら野球の試合を覗いてて欲しいと約束を交わした。
バアルとの会話を終えた恵二は他の場所へも挨拶回りをしていく。ここの町には以前護衛依頼で知り合った雇い主であるブロード商会の会長ダーナ・ブロードの自宅もあった。その妻であるレイチェル・セン・ブロードと娘のレイナ・ブロードとも恵二たちは知り合いであった。
丁度ダーナを含めた三人ともが自宅におり、昔話に花を咲かせて会話を楽しんだ。あれからダーナは相変わらず国外を転々として商売をしているらしく、今日は偶々ヘタルスにいたのだそうだ。
レイチェルは親し名の由来でもある人気作家センリ・ヒルサイドの大ファンであったが、最近新作が出ていないと嘆いていた。そのセンリ・ヒルサイドの正体が実は同じ異世界人の山中千里であることを知っていた恵二はそれとなくレイチェルに、本人に偶然会って今は執筆活動を復活させていることを告げるととても喜んでいた。
そんな母親の趣味を好ましく思っていないレイナは“余計なことを……”と恵二をジト目で見るも、そんな彼女も久しぶりに会った同年代のサミやセオッツたちと仲良く会話をしていた。
そんなこんなでヘタルスに二日間滞在していた恵二たちは、兵士たちの長い事情聴衆を終えたユリィたちを連れてセレネトの町へと戻ることにした。
8月7日<火の日>、恵二たちの馬車はセレネトへと出発をした。襲われたアリサの馬車も賊が売り払うか使おうとしたのか、洞窟の近くで無事なまま発見できた。護衛であるカーヤと付き添いのユリィと男性店員はそちらの馬車で恵二たちと一緒に同行をした。
今回はとくに問題もなく無事にセレネトの町へと到着をした。事前に朗報を聞いていたとはいえ、ユリィが孤児院に元気な姿を見せるとウォール夫妻や子供たち全員が安堵の表情を浮かべていた。皆彼女の事をとても心配をしていたのだ。
「さあ、皆!とりあえず中に入って食事にしよう。ユリィも疲れただろう?」
コーディー神父がそう言ってみんなを中に入れると、突如騒がしい声が聞こえた。
「―――コーディー神父!?コーディー神父は居りませんか!?」
教会の方からコーディーを呼ぶ声が聞こえる。その声に恵二たちは聞き覚えがあった。確かこの町の冒険者ギルドに務めている職員の声のはずだ。
コーディーはすぐに隣の教会へと向かう。
「私はここにいるよ。一体どうしたのかね?」
恵二たちも気になりコーディーの後を付いていった。そこには恵二たちの予想通り、ギルド職員が汗だくで息を切らせながら立っていた。
「はぁはぁ……良かった!実はお願いしたいことがございまして……神聖魔術を使って見せて欲しいのです!」
「ん?神聖魔術をかね?しかし……」
その職員の頼みに神父は眉をひそめた。アムルニス神に仕える司祭の身であるコーディーは、神の恩恵とされる神聖魔術を披露してくれと云われ、その不躾な態度に嫌悪感を示した。神の奇跡は見世物なんかでは決してないのだ。それにこの町は現在<神堕とし>の影響下にあり、そこまで魔力量が多くないコーディーでは簡単な神聖魔術でさえ発現させる事が出来ないのだ。
それはギルド職員も当然熟知していたはずであった。一体どうして彼がそんなことを言うのかコーディーは首を捻った。しかし、その後とんでもないことを職員は口にした。
「治まったんです!どうやら<神堕とし>が治まったようなんですよ!」
「なんだと!?」
職員のその言葉にコーディーは驚きの声を上げた。
職員の話によると現在他の支部や他国から、<神堕とし>の影響が消えて神聖魔術が使えるようになったという報告が続々とギルドに入ってきているのだという。それを聞いたマドーが至急確認したいと、職員を神聖魔術の使い手であるコーディー神父の元に遣わせたのだ。
「ううむ、そういうことだったら神もお許しになるだろう」
ちゃんとした事情があるのならと、コーディー神父はその場で神聖魔術を披露することにした。コーディーは詠唱を唱えると、初級魔術の<聖なる灯>を発動させた。闇を照らす簡単な照明魔術だ。
するとコーディーの目の前には光の球体が現れた。
「───っ!?使える!神聖魔術を使えるようになったぞ!おお、神よ……!」
己が信奉する神の恩恵を取り戻したコーディーは感極まった。これで自分は再び役目を全うできると神に感謝することも忘れなかった。
「やった!本当に<神堕とし>は消えて無くなったんだ!」
確認をしにきた職員も思わずはしゃぐ。<神堕とし>による影響で頭を痛めていたのはギルドも同じであったからだ。
「こうしてはおられん!私はさっそく療養所に行ってくる!すまんが先に食事を取っていてくれ!」
「はい、いってらっしゃい。あなた」
「神父様、頑張ってね!」
アマスタやサミに見送られるとコーディーはすぐに町の療養所へと向かった。そこには神聖魔術が使えない影響で、病や怪我に苦しむ者達が大勢いるのだ。
「……俺も行って来るよ」
「え?ケージも?」
「お前、神聖魔術を使えたのか?」
神聖魔術を扱えるという情報はサミとセオッツも初耳だったようで驚いていた。適性があることはこの前話したばかりだが、<神堕とし>の影響で試した事がない恵二はてっきり使えないものだと思っていたのだ。
「ケージさんは凄いんだよお姉ちゃん!カーヤさんの腕もあっという間に治しちゃったんだから!」
「―――!?へぇ……」
サミはユリィの発言で何か引っかかるのか一瞬驚きながらもそう返事をした。それも無理はない。さっきの職員の説明を聞く限り、<神堕とし>の影響力が無くなったのは恐らく今日か昨日くらいからのようなのだ。だが、恵二がカーヤを治したのは三日前だ。これでは辻褄が合わない。ユリィはとくに気にしていないようだが鋭いサミは何かを察したのだろう。
(流石に亀を信仰していたから使えます。なんて、言えないよな……)
そこの辺りの事情を詳しく話せない恵二はサミの疑惑の目から逃げるかのようにそのままコーディーの後を追った。
(……しかし<神堕とし>が無くなったのなら、今後は俺も大手を振って神聖魔術を使える訳か!)
今までは異端扱いされるのを懸念して、人前で神聖魔術を使用するのは避けてきた。だが、三日前の事件ではろくに考えもせずカーヤを治療してしまった。
そのことについては恵二は一切後悔をしていない。それどころか同じことが起こったらまた人前で惜しみなく神聖魔術を使ってしまうのだろうなとも予測していた。
(だって、あんなに感謝されたんじゃあな。俺の方だって嬉しくなるじゃないか!)
腕が治ると思わなかったカーヤは泣きながら恵二に感謝の言葉を告げた。これでまた剣が振るえる、皆を守れる、と。
(良いことだらけじゃないか!神聖魔術が遠慮なく使えるのなら、俺はもっと誰かを助けたい!)
それは何とも言えない優越感であった。自分の力が誰かの為になり、その誰かが更に別の誰かを救う。数年前までただの中学生であった少年には、自分が救世主か英雄にでもなったように錯覚をした。
(もう俺は偽者の勇者なんかじゃない!俺だって多くの人を救えるんだ!)
恵二はなんともいえないその高揚感を再び欲して療養所へと向かった。




