亀
恵二は幼少期神社で育った。
それは少し言い過ぎかも知れないが、昔通っていた幼稚園が神社の境内にあったのだ。
その為そこそこの広さがあったその神社は、幼い恵二にとっては格好の遊び場であった。よく入ってはいけない所に踏み込んでは神主に怒られたものだ。
毎年の初詣も必ずその神社だ。
スポーツの神様でもあったので、部活動の大会前には参拝することもあったし、必勝祈願のお守りも買った。
そこは亀を祀っている神社で池には沢山の亀が放たれていた。その為恵二の中で亀とは、どこか神聖な生き物だったのだ。
(俺の神様像って、亀……か?)
そう結論に至った恵二は心のなかで苦笑するも、そうと決めたら亀を神様と信じきることだ。強いイメージはそれだけ魔術を強くさせる。
今回はスキルを使う為、恵二は人目の付かない街の外へと出た。幸い今日は学校が休みなこともあり、朝早くから特訓を始められた。
(えーと、まずは亀を神様としてイメージする……)
亀を信仰して神聖魔術を使うなど、他人が知ったら頭がおかしいのではと思うだろう。もし狂信者にでも知れたら“アムルニス神と亀を同列視するとは何事か!”と背後から刺されかねない。
そこら辺ガエーシャも警告していた。他宗教を信仰して神聖魔術を使う際は絶対他人に漏らすな、と。
(そして今度は発動する魔術をイメージする)
まずは初級魔術である<聖光弾>を試してみるつもりだ。ダンジョン内でガエーシャがよく使っていた、<火弾>の神聖属性版だ。
(普通に出しても<神堕とし>の影響で多分発動しない。ここは全力全快で放つ!)
自身のスキル<超強化>で威力を目一杯に強化すれば、<神堕とし>の影響で威力を落とされても、とりあえず魔術は発動するはずだ。
(そこまでして使う意味があるのかは謎だけど、折角適性があるのだしね)
物は試しと恵二はありったけの魔力と強化スキルをフル活用して神聖魔術に挑んだ。
「聖光弾!」
すると凄まじい光が差したかと思ったら、自身の掌から放たれた巨大な光球が大地を抉りながら突き進んだ。あまりの光景に一瞬戸惑うも、すぐにコントロールしようと制御をする。
「──っ!?上がれえええ!」
咄嗟にその巨大な光球の軌道を上方へと変更させる。眩しい光を放つ光球は上昇すると、そのまま快晴の青空へと吸い込まれていった。まだ陽の明るい時間だというのに、その光球は遥か上空に達しても尚、視認できるほどの輝きを放っていた。
暫く経ってようやく光球が見えなくなり、安堵した恵二は自身の手のひらを見つめたまま呟いた。
「何なんだ、今の威力は……!?」
想定より桁外れの威力を発揮した魔術に恵二は驚愕していた。
先程の<聖光弾>は恵二の十八番<火弾>を全力で放ったのと同等の威力が出ていた。
(ここは<神堕とし>の影響下にあるんじゃなかったのか?全く効果が落ちてないみたいだぞ?)
もう一度試してみたかったが、先程の魔術は魔力を全て注ぎ込んだ為、回復するまでには時間が掛かる。恵二はもどかしい気持ちを押さえながらも、ひたすらに魔力が回復するのを待った。
「うーん。やっぱり効果は落ちてない……よな?」
あれから恵二は度々休憩を挟んで、魔力を回復させては神聖魔術を何度も試していた。初級魔術の<聖光弾>や<聖なる灯>、中級の防御魔術<天の加護>すら全く問題なく発動した。それもスキルに頼らず、効果も落とさずにだ。
(俺だけ<神堕とし>の影響を受けていない?もしくは<神堕とし>が治まったのか?)
自分だけ特別だと考えるのは都合がよすぎるだろうか。しかしこのタイミングで<神堕とし>が偶然治まったというのも考えにくかった。
(魔術のことで困ったら、まずはあの人だな)
そう考えた恵二は街へと戻ると、ミルワード校長のもとを訪ねた。
「ふむ、なるほどね……」
今日は休校だというのにミルワードはいつも通り学校の校長室にいた。自宅は別にちゃんとしたものがあるようなのだが、学校にでも住んでいるのか、かなりの高確率でこの部屋に彼はいるのだ。
恵二から神聖魔術が<神堕とし>の影響を受けずに普通に扱える。そう聞いたミルワードは自ら神聖魔術を発動させた。どうやら彼も適性を持っていたようだ。神聖属性で出現させた光を部屋に灯した。初級魔術<聖なる灯>だ。
「ちなみにこの光を出すのに、私はかなりの魔力を消費しているよ。ざっと通常の10倍の量ってところかな?」
確かにミルワードが籠めた魔力量は相当のものだった。それに対して彼の手の上で輝いている光の玉はお粗末なものであった。輝きも弱々しく、今にも消えてしまいそうだ。
「どうやら未だに<神堕とし>の影響は続いているようだね。となると、問題は君の方にある」
「俺に?」
「おそらくね。真っ先に思い浮かぶのは、君が異世界人であるってことなんだけど、その仮説だと君以外の異世界人も普通に神聖魔術を使えるんじゃないかな?いなかったの?勇者仲間に神聖魔術を扱える人」
ミルワードの問いに恵二は首を横に振って答えた。
「適性の有る無しは分からないけど、少なくとも俺が王城にいた頃には使える人は居なかったと思う」
「ううむ、異世界人だからってのは強引な仮説だったかな?明日辺りチトセ君にでもお願いして実験してみよう。確か彼女も少しだけど神聖魔術の適性があったからね」
実験という単語に何やら不穏な響きを感じないでもないが、もし異世界人は<神堕とし>の影響を受けないと確定したなら、これは大発見ではないだろうか。
「それで?他には気が付いたことはなかったかい?人とは違う方法で魔術を出したりとか……」
「人とは違う……」
恵二には心当たりがあった。それは神聖魔術を試みる際の信仰の対象だ。正確には魔術を発動する際のイメージ像が、他の人とは大きく異なっていた。
恵二は元の世界の神社にいた亀をイメージして魔術を放った事をミルワードに報告した。
「か、カメぇ?また、奇抜なものを信仰したねえ……」
話を聞いたミルワードは呆れ声で感想を述べた。
「いや、信仰ってのとはまた違って……とにかく神様っていうと自分の中では亀なんですよ」
「……それ、絶対にアムルニス教徒の前で言わない方が良いよ?異端狩りに暗殺されるレベルだからね?」
「そんなのいるんですか!?」
「性質の悪い噂って話だけどね。私個人の意見としては、それに準ずる部隊がいると思ってるけどね」
聞けば都市伝説の類でそのような暗殺部隊がいると噂されているそうで、アムルニス教を表立って批判すると消されてしまうと恐れられているのだそうだ。それが真実かは定かではない、それと似たような部隊の存在があるとミルワードは睨んでいるようだ。
「しかし亀か……。もしかして信仰の違いから<神堕とし>の影響を逃れたのかもしれない」
「それって、アムルニス神だけが<神堕とし>の影響を受けているって事ですか?」
「断定は出来ないけどね」
それが本当だとしたら、術者は信仰の対象さえ変えてしまえば神聖魔術を再び扱えるようになるのではないだろうか。それに元々他宗教の信徒は影響が無いという話にもなる。
「そんな簡単なことで影響から逃れられるんですか?第一それならもっと早く気付いている人がいるんじゃないですか?」
今回恵二は自分に適性があると知ってアムルニス神以外のものをシンボルとして神聖魔術を行使した。だが自分の他にもその事実に気付いた者が、もっといてもいいのではと恵二は疑問に思ったのだ。
「うーん、案外少ないと思うよ?なにせこの大陸のほとんどはアムルニス教徒だし、生活にも深く関わっているからね。この私でも神聖魔術を扱うとなると真っ先にイメージしてしまうのはアムルニス神だよ」
長年生きているエルフ族のミルワードすら、その概念が定着しているのだという。
「それに、もし異端者がいて仮に神聖魔術を、問題なく使えたとしても、それを世間に公表するかなあ?」
「というと?」
「寧ろ異端扱いされることを避けて黙っているかもしれないってことさ。ちなみに今回のこの結果、君は公にするのかい?」
「それは……」
ミルワードの問いに恵二は言葉に詰まる。まさか馬鹿正直に“亀を信仰したらあっさり神聖魔術が使えました。てへっ☆”と言うわけにもいくまい。アムルニス教徒から異端者として吊し上げられるのが目に浮かぶ。
「なんとかハーデアルト王国の仲間たちにだけでも知らせられないかなあ……」
「まだ信仰対象が原因とは決まってないんだ。とりあえずそこを検証してみないとね。もしそれで確定のようなら私からそっと彼らに伝えてみるよ。なにせナルジャニア君と私は友達だからね。連絡手段もある」
「い、いつの間に……」
よく考えて見れば、目の前のエルフとあの魔女っ娘勇者は同じ魔術収集家という面を持ち合わせていた。気が合うに決まっていたのだ。
ナルジャニアとグインは既にハーデアルト王国へと帰っていったが、彼女にはミルワード特製のマジックアイテムを渡しているそうで、そのアイテムで遠距離でも連絡が取れるようになっているのだという。もっともミルワードは偽名のコリンを名乗ったままだそうだが。
「丁度いいから魔術師コリンと魔術師Kは“異端の神聖魔術使い”という呈で捨石に使ってしまおう!」
「そうか!変装さえすれば神聖魔術を大っぴらに使っても問題ないのか!」
もし神聖魔術使う機会があるのなら、恵二も魔術師Kとして再び変装すれば問題ないのだ。要はバレなければいいだけなのだ。緊急時はどうしようもないだろうが、極力人前で神聖魔術の使用は避けた方が賢明だろう。
「やれやれ、またひとつ秘密が増えてしまったね」
今更だがミルワードの中での恵二は、既に問題児というレッテルを張られていた。
その後、同じ青の異人である千里の協力も得て検証したところ、アムルニス神以外の信仰で神聖魔術を扱うと、その効果は問題なく発揮されることが分かった。
これで<神堕とし>の特徴のひとつである“神聖魔術の低下”とは、正確には“アムルニス神の恩恵の低下”であるという新事実が確定した。
その検証結果はすぐに魔術師コリンから勇者ナルジャニアへと伝えられた。
“魔術師Kが<神堕とし>の真実をひとつ解き明かした”と。
「―――というわけです。さすがは魔術師Kさんです!」
ナルジャニアの報告に、他の勇者仲間たちは沸いた。やっとこの不可思議な現象の解明に一歩だけ近付くことができたのだ。詳しいことはまだ分からないが、<神堕とし>とアムルニス神が何かしら関係があるのではと分かっただけでも十分な収穫だ。
だがその反面、話を聞いていたルイス国王やランバルド魔術師長、それにキース騎士団長やオラウ宰相などは顔色が優れなかった。
「それは……また衝撃的な事実だな……」
「ちっ、アムルニス教絡みとなると厄介だぜ」
白の世界<ケレスセレス>の住人たちにとってアムルニス教とは、とても身近にある当たり前の日常とも呼べた。神聖魔術=アムルニス教という考え方が普通で、まさか他宗教の神聖魔術は影響を受けていなかったという新事実は寝耳に水であったのだ。
そして同時にこれは厄介な案件だと王国の首脳陣は感じていた。
「この件は早急に検証する必要がありそうですが、くれぐれも内密にお願い致しますぞ?」
「分かってるよ宰相殿。これが世間に知れたら絶対にグランナガンの連中が突っかかってくる」
オラウが慎重に事を進めるよう念を押すと、ランバルドはそれにしっかりと頷いた。
一方朗報だとばかり思っていた勇者たちは、国王たちの浮かない表情に疑問を持った。
「あのぉ、アムルニス神にだけ悪影響があると分かれば、困ってる教会の人たちも一緒になって原因を探ってくれるんじゃないんですか?」
そう発言したのは青の異人の勇者、水野茜であった。彼女はてっきり今回の報せで教会側も協力してくれる流れになるものだとばかり思っていたのだ。
茜だけでなく、この世界の事情に疎い勇者たちのほとんどが同じ思いを抱いていた。ただ、どうやら事はそんなに簡単ではなさそうだ。
「アカネ殿の言うとおり、多くの信徒も同じ意見でしょうな。現教皇様も恐らくは……。ただ、教会も一枚岩ではないのですよ」
オラウ宰相の説明に騎士団長であるキースが補足した。
「あそこの上層部は一国以上に混沌とした熾烈な政権争いの場だ。神に関して下手な事を風潮すれば、最悪聖騎士団も動きかねない。国を守る立場である私の意見としては、あまり迂闊なことをしたくないんだよ」
昔とある国が教会ごとアムルニス神を批判し、信徒たちを国から追い出した出来事があった。それが切っ掛けで戦争にまで発展したのは、この大陸では有名な話だそうだ。
その時グランナガンが戦場に送り込んだのが聖騎士団、正式名称“聖教国騎士団”グランナガン最強の部隊である。
少数精鋭ではあるが、彼らの全員が幼少の頃から日々鍛えられ選び抜かれた屈強の騎士であった。更に聖騎士には一人一人に特別な魔術武装が与えられており、その上全員が神聖魔術の使い手なのだそうだ。
聖騎士団は僅か50未満の数で一国を討ち滅ぼしたのだそうだ。
「以前私は何人かの聖騎士と同伴したことがある。彼ら一人一人が一騎当千の猛者だ。そんな騎士団は絶対敵に回したくはない」
キース騎士団長は彼らを高く評価していた。
「別に王国は敵対したい訳じゃないんだろう?どうしてそんなに警戒するんだ?それに、何でそんな強い連中が<神堕とし>を黙認しているんだ?」
グインはもっともな疑問を口にした。それに答えたのはランバルドであった。
「聖騎士団以外にも、色々な部隊があそこにはいるのさ。そんでもって、色んな派閥がありそれぞれが対立してやがる。全く暇人な連中だ。聖騎士団は現在、穏健派で有名な教皇直属の部隊となっているが、その反面周りを気にして迂闊に動けねえのさ。他の派閥は過激な奴らが多いらしいけどな」
「つまり、神の扱い方を間違えれば、その過激な連中の横やりが入る訳ですね?」
ルウラードの問いにルイス国王は頷いた。
「左様。アムルニス神はこの大陸に住む者の云わば光だ。神に盲目な者たちはその眩しすぎる光に陰りが入ることをひどく嫌う。“神が堕ちた”だの“その威光だけが弱まった”だの言っても耳を貸すどころか、寧ろ背信行為だとこちらが討たれかねない」
「それじゃあ、この事は公に出来ないってことですか!?」
「うむ、残念ながらな。だが、この情報を活かさない手はあるまい?」
ルイス国王はニヤリと笑みを浮かべると、オラウ宰相にこう指示を出した。
「Sランク冒険者≪背教者≫に依頼を頼むとしよう!すぐにギルドに依頼を出せ!」
それがルイス国王の作戦であった。




