でも、凄くお高いんでしょう?
森林大国グリズワードと小国ハーデアルト。その2国を結ぶ境町イーストゲート。一昔前はただの国境沿いにそびえ立つ門であったが、通行者が多くなるにつれ町へと発展していった。
イーストゲートの町は東西2ヶ所に門がある。東部の国ハーデアルトから来た恵二たちは、当然東門から町へと入る。
(イーストゲートの東門って意味が被らないか?)
自然と異世界の言葉がわかる自分にだけ、おかしな自動翻訳がされているのであろうかと考える恵二。
そんな恵二の考えを他所に、商隊は宿泊先へと進んでいく。
イーストゲートの町はその成り立ちの性質上、主に宿泊施設の利益で潤っていた。その為宿屋の数も多く、大小様々な宿屋があった。
大所帯であるダーナ商隊一行は、奥にある町一番の大きさを誇る宿へと向かった。目的の宿に着きダーナが宿泊手続きをしている間に、護衛隊長のガルムは恵二たち冒険者に滞在中の説明をしていた。
「この町に滞在中は自由行動だ。ただし、あまり羽目を外しすぎるなよ」
どうやら明日の出発時間までは好きにしても良いらしい。ただし商隊の不利益になるような問題行動を起こした場合、最悪依頼破棄になるので注意しろと釘を刺された。
本人は余り自覚していないが、恵二は何かとトラブルを起こしたり巻き込まれたりすることが多い。それはまだこの世界での生き方、世の渡り方というのを理解していないのが理由でもある。
それを心配したレミが自重しろと昨日の別れ際に告げたのだ。にも関わらず、初めて訪れた町を探検するという好奇心によって恵二の心の中にあった“自重”の2文字はすっかり霞んでしまっていた。
護衛で疲れた身体を物ともせず歩き回る恵二。出掛ける前にセオッツも誘ったのだが、どうやら疲れて行きたくないらしい。逆に休んだ方がと勧められたが、恵二はじっとしていられなかったのだ。
結局半ば呆れた顔でセオッツに見送られるた恵二は、まず町の大通りへと出た。先程通った時に気になる店を見つけたのだ。
宿泊先から大通りに出て5分ほど東門に戻った所にその店はあった。店に客は全くいなかった。しかし全く繁盛していないというわけでもないらしい。というのも外装がとても綺麗でよく手入れをされているようだ。そして恵二が目を引くその店の看板には“ミリーズ書店”と書かれていた。
恵二はこの世界に来て初めて書店というのを見た。白の世界<ケレスセレス>では紙はある程度流通はしているが、粗悪なものが主流で良質な紙は大変高価なものだ。書物の類になると更に貴重になる。またこの世界の識字率も悪く、本屋なんて開いても一般人は見向きもしない。
そういった理由からハーデアルト国でも城に図書室はあったが本屋は王都のどこにもなかったのだ。そんな書店がこの宿泊町にはあったのだ。それに気になることもある。興味を持った恵二はその書店の中へと足を踏み入れた。
「いらっしゃいませ。ようこそ、ミリーズ書店へ」
お店の中に入ると、女性店員が笑顔で挨拶をした。その横には大柄の武装した男がムスッとした表情で立っていた。その余りにも場違いな男の姿に一瞬驚いてしまう恵二。すると女性店員はすかさず明るい口調で話しかけてきた。
「あー、彼は気にしないで下さい。このお店のガードをしていてくれています。どうぞごゆっくりと店内をご覧下さい」
そう言われて恵二は、なるほどと納得してしまう。何故彼のような本とは無縁そうな男がいるのか、その理由が分かった。この世界で本は大変貴重なもので当然高値で取引がされる。ここはそんな本がいっぱいあるお店なのだ。ガードの1人や2人雇わなければ安心して商売ができるはずもない。
1つ疑問が解消された恵二は、更に疑問に思っていたことを口にする。
「外に書いてあったミリーズ書店というのは・・・」
「はい、このお店の名前です」
「てことは、貴方はもしかしてミリーさん?」
「いいえ、私の名前はマリーと言います」
どうやら違ったようだ。ミリーズ商店というからにはミリーさんが店主なのかと思っていたからだ。だが本当に恵二が知りたかったことはその先にあった。
「あの、外の看板の字。貴方はあの字を書く事が出来るのですか?」
「・・・いいえ、私は書けません。質問を返すようで恐縮ですが、お客様は外の看板の字を書くことができるのですか?」
「・・・はい」
恵二は少し間を置いた後、出来ると答えた。恵二が返事に躊躇った理由、それは外の看板の字にあった。そこにはこう書かれていた。
――“Milly's book store”とローマ字で。
そうローマ字で書かれていた。この世界では本来あるはずの無い文字。それが恵二をこの本屋へと導いた最大の要因であった。
恵二の返答に少し目を見開く女性店員。年はレミよりかは少し年上であろうか。薄水色の髪をショートカットに切り揃えており、落ち着いた大人の女性といった感じだ。
マリーと名乗った女性店員は、恵二を少しの間観察した後こう口を開く。
「お客様。もし宜しければ、私の名前を同じ文字で書いてはくれませんか?」
「えっと、マリーさん。でしたっけ?」
その恵二の問いに頷いた後、マリーはスッと紙をカウンターの上に取り出した。その紙に書けという事だろうか。その紙はギルドの依頼票で使われているものよりも断然綺麗で、恐らくとっても高価なものなのであろう。少し躊躇った恵二だが、何をビビっているのだかと考え直しスラスラと書いて行く。小学生の頃ちり紙を忘れて鼻をかむのにノートを使っていたことを思い出す。こっちの世界の人が聞いたら卒倒するであろう。
“Mally”と書き終えた恵二は女性店員にどうだと目線を送る。すると彼女はその文字を指でそっと優しくなぞり、何か懐かしむような目でその文字を見つめたまま静かに呟く。
「・・・昔、祖母に書いて貰った私の名前。私には勿体ない綺麗な文字・・・。今でも私の宝物です」
そういってマリーは奥の部屋へと入り、何かガサゴソと物色している音をたてるとすぐに戻ってきた。どうやら探し物をしていたらしく、見つけたものを恵二に手渡す。
それは1枚の年老いた女性の写真と“Mally”と書かれた古い紙切れであった。
「亡くなった私の祖母の絵です。とても精巧にできた絵でしょう?なんでも不思議なマジックアイテムでその場の景色を完全に模写するのだとか」
どうやらカメラのようなものがあったようだ。
「祖母はとても優しく頭の良い方でした。私がまだ幼い時に、祖母の遠い祖国の文字だと言って私の名をその紙に書いてくれたのです」
「・・・もしかして、そのおばあさんがミリーさん?」
「左様です」
どうやらこの書店はマリーの祖母、ミリーが建てたもののようだ。それをメリーの娘、つまりマリーの母親に引き継ぎ今は孫のマリーが店主をしているようだ。
しかし話を聞くにつれ、ある思いが確信へと変わり始める。それは向こうも同じなのか、マリーは恵二にこう尋ねた。
「私の祖母は所謂<青の異人>と呼ばれる異世界人でした。もしやお客様ももしかして・・・」
「・・・ええ、そうです。俺も地球人・・・。いえ、その青の異人とやらです」
それを聞いたマリーはやっぱり、とさっきまでのしんみりとした口調とは180度変わって元の明るい口調で話しかけてきた。
「そうであれば、このミリーズ書店。青の異人であるお客様を全力でサポートさせて頂きます」
「さ、サポート!?」
突然の切り返しに目をパチパチとさせて答える恵二。それを全く気にせずマリーは話を続ける。
「祖母の遺言です。青の異人の方には最大限助力をしてあげて、と」
話を聞くとどうやらミリーは異世界からここ<ケレスセレス>に飛ばされ、当初は色々と大変であったらしい。その時この世界の住人に優しくしてもらい、恩を返そうとこの世界に骨を埋めたのだとか。
彼女は元地球人の知識をフル活用し、持っていた製紙技術を使って本を普及させようとした。ただこの世界の識字率はあまりにも低く、庶民には全く普及されなかったらしい。周囲からは奇異の目で見られた。
それでもミリーは病に侵されるまで、字を学びたいという人に読み書きを教え続けていたらしい。このお店にある本は、そんな彼女の教え子たちが残したものなのだとか。日記のような本から創作物、日常で使える豆知識から料理の本まである。
彼女は死の間際に遺言でこう言った。本と読み書きの普及を、それと同郷の者を見かけたらかつての自分のように親切にしてあげて欲しいと。
「そういうわけで、お客様。お探しの本がございましたら格安で提供いたしますよ?」
貴重な本が安く手に入るのなら願ったり叶ったりだ。しかし最初は興味本位で入った恵二だが、改めて欲しい本と言われるとパッと思い浮かばなかった。うーん、と唸る恵二にマリーはこう助言する。
「何か最近お困りのことはないですか?当店の本で手助けできるかもしれません」
「困ったこと・・・」
最近で困った事といえば、よく絡まれることだ。冒険者という荒くれ者の稼業で16才という年齢は舐められるのだろう。只でさえ日本人の恵二は幼く見えてしまうからだ。しかしこの悩みは本では解決できないだろう。
後はいまだに魔物の知識が乏しいことだろうか。魔物の種類は多く生態や特徴、素材の見分け方なども覚えきれない。そんな魔物の図鑑のようなものはないだろうか。
試しにマリーに聞いてみると、どうやらそれらしいものがあるようだ。マリーは窓際の棚にある一冊の本を恵二へと渡す。そこには“魔物大全集”と書かれた書物があった。早速中のページをパラパラとめくる。
「おお!こんなものが!!」
思わず興奮する恵二。その書物はまさにタイトルに偽り無しといった魔物の知識が凝縮された本であった。それにかなり高質な紙を使われており、しっかりと糸で縫ってほどけないよう丁寧に作られている。
(・・・流石にここれは高すぎるだろう)
この世界の物価がいまいち分からない恵二にも、この本の凄さは十分理解できた。周りにある本と比べると、その外装からしてレベルがかなり違う。恵二は恐る恐るマリーに聞いたみた。
「・・・でも、凄くお高いんでしょう?」
なんて日本のテレビショッピングでお馴染みのフレーズで問いただす。
「はい、当店で3本の指に入る程の品です」
“いえいえ、そんなことは”なんて返しを期待した恵二だが、予想通りというか見たままの通りに超高額品であると告げられた。当然恵二はそんな大金持っていない。正直にそう話すとマリーはこんな提案をしてくれた。
「どうでしょう、お客様。1つ私のお願いを聞いてはくれませんか?その代わりその本を無料でさせ上げます」
「無料!?」
まさかの提案に思わず食いつく。しかしどんなお願いをされるのかと戦々恐々とする恵二にマリーはこう提案する。
「実は私と夫には生まれたばかりの娘がいまして、その子に私と同じように祖母の祖国の文字で名前を書いて欲しいのです」
そう話し、隣にいるガードマンに微笑みかける彼女とポリポリと頬をかき照れる男。すっかり話に夢中で存在を忘れていたガードマンとマリーはなんと夫婦のようだ。男は奥の部屋へと入ると、すやすやと寝息をたてている赤ん坊を抱きかかえ戻ってくる。
「俺はマックス。この子はシェリーだ」
言葉少なに自己紹介をするガードマンのマックス。改めてマックスとマリー夫妻を見遣る恵二。
(全く似合わないカップルだ・・・)
そう正直に思いつつも、無料という響きに釣られて余計なことは言うまいと心の中に留めておく恵二。
「えー、お客様。宜しければこちらの紙に、この子の名前を書いていただけませんか?」
マリーに紙を渡され、そういえば自分はまだ名乗っていなかった事を今更ながら思い出す。
「ケイジ・ミツジと言います。恐らくマリーさんのおばあさんと同じ世界、地球から来ました」
自己紹介をしながら恵二は、大変高価そうな紙に“Shelly”と綺麗な字でゆっくり丁寧に書いていく。
「ケージさんですね。チキュー、と言うのが祖母の生まれた国なのですか?」
「えーと、地球は世界の名前で国は・・・アメリカ?すみません、おばあさんの祖国までは分からないですね。少なくとも同郷の方ではないです。あ、出来ましたよ」
我ながらうまく書けたと思う。記入した紙をマリーに渡す。
「ふふ、やっぱり私と似たような文字になるのですね。とっても優しそうな文字」
そう言って貰えると丁寧に書いた甲斐があるというものだ。
「ありがとうございます。お約束通りこの本は差し上げます。大事に使ってあげて下さい」
「はい。貴重な本をありがとうございます。大切に使います」
売ったら一体幾らになるのだろうかと少し思ったのはご愛嬌だ。同じ地球出身のミリーさんが遺言を残してくれたお蔭で貰ったこの本。大事に使おうと心に決める恵二であった。




