あの青槍女―――!!
久しぶりの馬車に揺られグロッキー寸前の恵二は、なんとか胃の中の物をさらけ出す前に目的地へと到着した。そこは北西地区の富裕層の邸宅が立ち並ぶ区画の一つであった。
(やっぱりラングェン邸か……)
何となくそんな気はした。馬車で恵二を呼びつけて話し合いたいという人物は、市長辺りくらいしか覚えが無かったのだ。
馬車酔いと魔力を使い切った脱力感に苛まれながらも恵二はなんとか自分の足で客間まで辿り着いた。出迎えてくれた市長の一人息子アトリが心配そうな顔を浮かべていた。
「だ、大丈夫ですか!?お兄さん!」
「ああ……ちょっと魔力を使い過ぎただけだよ……」
「少し楽にしていれば時期に回復するだろう」
一緒にラングェン邸に訪れたミルワードはそう告げると、恵二に座って休むよう促す。お言葉に甘えて気持ちよさそうなソファーに身を投げるようにして座り込む。そのまま身体を預けると、深呼吸をしながら気分を整えようとした。
魔力切れは毎日の訓練でしょっちゅう起こしているが、乗り物酔いだけは克服する事が出来そうにない。電車くらいならある程度は平気だが、この世界で主流の交通機関である馬車はとにかく揺れる。なんとかならないものかと碌に回らない頭でぼんやりと考え込んでいた。
「アトリ、アルはまだ出かけたままかい?」
「はい、ミルワードおじさん。でも、そろそろ帰ってくるとは思いますよ」
どうやら二人は顔馴染みのようだ。エイルーンに住む賢者と市長とならば接点が無い方がおかしい。息子であるアトリとも顔見知りなのは当然の流れなのかもしれない。
「あ、噂をすれば帰って来たようですよ?」
アトリの言うとおり玄関の方が賑やかだ。どうやら執事であるダニールを連れて、ここの家の当主であるアルバード・ラングェンが帰宅したようだ。メイドたちが主人と挨拶を交わす。
「すまない。呼びつけたのにも関わらず待たせてしまって……」
「しょうがないさ。アルの立場ならね」
ミルワードは仕方がないと口にすると、軽く手を上げて挨拶を交わした。どうやら二人はかなり親密な仲のようだ。恵二もきちんと挨拶をするため席を立とうとするもアルバードに制止された。
「ああ、そのままで構わないよ。勇者のお二人から事情を聞いたけど君も大変だったそうじゃないか、魔術師K君。そのままどうか身を休めていてくれ。落ち着いたら話し合いをしよう」
アルバードの気遣いに恵二は甘える事にした。今の状態では碌に頭が回らなそうであったからだ。
恵二が身を休めている間に着替えを済ませたアルバードはミルワードと雑談を交わす。一息入れて恵二が回復し終えると、アルバードは恵二へと語り掛けた。
「まずは今回の事件は本当にお疲れ様だったね。君のお蔭で被害は最小限に抑える事ができたと勇者殿も言っておられたよ。本当にありがとう」
恵二に労いの言葉を掛けた市長は頭を深々と下げた。それを見た恵二は慌ててこう言い繕う。
「俺なんかより勇者の力あってこそですよ。やっぱりあの二人は凄かったです。俺はほんの少し手助けしただけですから……」
今回は改めて元勇者仲間の実力を思い知らされた。自分はコトとかいうあの女の攻撃を二度防いだだけでガス欠だ。それに比べてナルジャニアやグインは互角以上に渡り合えていたように思えた。
二人がそれを聞けば恵二の活躍あってこその結果だと反論するかもしれないが、スキルを得てから自分も仲間達と同じくらいに強くなれたと思っていた恵二は、その自信を見事に打ち砕かれていた。
「まぁ、どう受け止めるかは君次第だけど、私は謙遜し過ぎだと思うね。とにかく今回は非常に助かったよ。この借りは別な形で返させてもらうよ」
アルバードはそう纏めると、いよいよ本題に入った。
「実は学校の件なんだが……すまない。君のエイルーン魔術学校への入学は、やはり叶いそうにない」
やはりその件かと恵二は思った。だが想像していた結果と違って少し落ち込んだ。てっきり教頭であるミルワードの口添えで入れるのではと僅かにだが期待していたのだ。恵二の視線を感じたミルワードはそのことを察して口を挟む。
「悪いね。教頭とは言っても私は名ばかりのお飾りなんだよ。それに最高責任者である校長が不可としたのなら、教頭である私が君を勝手に合格させる訳にはいかない」
「まぁ、ですよね……」
少しだけ期待してしまったが仕方がない。魔術大会に負けた時点でその件については諦めていた。
「うん、だから私も学校を辞めることにした」
「そうですか………へ?」
ミルワードの言葉を聞いた恵二は思わず間抜けな声を上げてしまう。聞き間違いでなければ、教頭である彼は学校を辞めると宣言した。今の話の流れでどうしてそうなるのか、恵二には到底理解できなかった。
「私はハワードの爺さんの代から教頭をしていてね。当時はまだ小さかった学校を大きくして、多くの子供たちに魔術を教えたいと言われ誘われたんだよ。私も魔術の知識を広めるのには賛成だったのでそれに手を貸したんだ」
ハワードとは魔術学校の校長のことだ。彼は校長の祖父とは知己であったらしく、その息子や孫の代になっても手助けしてきたのだという。
(校長って結構爺さんだったよな?その更に爺さんの代からって……。この人一体いくつなんだ?)
エルフは見た目で歳が分からないとは聞いてはいたが、ここまで年配のエルフには初めてあった。勇者仲間のミイレシュやイザーはかなり若い方らしい。
「しかし奴の息子の代からおかしくなってきてね。ハワードが校長になってからは特に酷かった。今まで我慢していたけど、もうそろそろこの街を出ようかなというタイミングでアルから話が舞い込んできたんだ」
ミルワードはそこまで語るとアルバードに話を振った。
「実は新たに魔術学校を創ることにしたんだ。私が出資してミルワードさんに運営を任せることにした。君にもぜひ入って貰いたい」
「え?本当ですか!?」
これは何とも嬉しい誤算であった。既存の魔術学校に入ることは叶わなかったが、代わりに三賢者の一人であるミルワードの学校に入れるのなら願ったり叶ったりだ。
むしろこちらからお願いしたいくらいだ。
「スタインから話は聞いているよ。何でも実演、制御の試験は最高得点だったそうじゃないか。本来君の入学も試験官の満場一致で決まっていた筈なんだが……。ハワードの小僧は本当にろくでもないな」
ミルワードの話では、やはり恵二は合格水準を上回っていたようで、今回落とされたのは間違いなくアルバード市長に対する校長の嫌がらせだったようだ。
もっともハワードは恵二自身にも恨みがあるのだが、ここにいる者はそれを知る由もない。
「しかし勿体ないなぁ。大会ではミルワードさんとも渡り合ったと聞いている。ケージ君には出来れば教師として学校に就任して欲しいのだけどね……」
「うん。私もそう思っていたよ。どうだい?私と一緒に教える側に立ってみないかい?」
市長とミルワードは恵二を高く買ってくれているようで、何と教職を進めてくる。だが元々魔術を習う為にこの街までやって来た恵二は当然その話を断った。
「いやいや。無理ですって。俺、魔術をそこまで知らないですから」
「でも筆記の方も良かったって聞いているよ?」
「必死に勉強しただけで、身についている訳ではないですよ。それに俺より筆記良かった人なんて他にもいます。試験が良かったからって教師に慣れるわけじゃあないんでしょ?」
恵二の返答に苦笑いを浮かべながらミルワードは答える。
「まぁその通りなんだけどね。魔術に置いて君のその技術はやはり凄い才能だよ。私の同族にも君ほどの使い手はそうそう現れないだろう。ぜひとも欲しい逸材なんだけどねえ」
「すみません。教師は本当に無理です。それに俺、あまり長くはこの街にいないと思いますから……」
「え?そうなのかい?」
「ええ!?お兄さん、この街を出て行っちゃうんですか!?」
「それは残念だ……。君は冒険者としても優秀だし、ずっとこの街に居て欲しかったのだが……」
3人から驚かれ落胆されてしまう。どうやらすぐに出て行ってしまうと勘違いされているようなので、魔術をある程度修得するまでは何年か滞在することと、その目的が未知の領域を円滑に冒険できる為であることをちゃんと付け加えておいた。
「そうか、ケージ君は冒険家を目指しているのか。依頼として人類未踏の地を調査する冒険者はいるが、自ら進んで危険な地へと赴く者は殆どいない。大変な道のりだと思うが立派な夢だと私は思うよ」
アルバードは恵二の夢の話を聞かされると、手放しにそう褒めてくれた。
「うーん……。それならしょうがないか。すると教師の人員の件、もう少し補充が必要だね」
ミルワードもこれ以上恵二に教職を進める事はなかったが、新たな問題に頭を抱えた。
「私の方で当たってみるよ。ハワードは錬金術師ギルドの元トップでもあったからね。その反面魔術師ギルドとの関わりが減っているようなんだ。ギルドから人員を借りれないか聞いてみるよ」
「おお!それはいいね!それならぜひ欲しい人材がいるよ!それと私の方でも学校の現職教師を当たってみるよ。ハワードの小僧に嫌気が差している者は多いからね。スタインにも話を振ってやれば喜んでこちらに着く筈さ」
「それ、いいですね。どんどん声を掛けてみてください。給金については何とかしてみます。何よりまずは人材確保が急務ですからね」
「ハワードの奴、驚くだろうな。今から凄く楽しみだよ」
アルバード市長とミルワードは二人で楽しそうに大人の話を進めていく。どうやら既存の学校職員を何人か引っ張ってくるようだ。
「うわあ、二人とも楽しそうですね」
そういうアトリも、裏で色々と手回しを進めている二人を楽しそうに眺めていた。どうやらこの少年もこういう大人の裏工作というものに興味があるようだ。流石は市長の息子だ。
「しかし、いいのかなぁ?同じ街にもう一つ魔術学校を建てるなんて、色々と角が立たない?」
周囲の反対もあるのではと恵二は考える。魔術学校の校長であるハワードは勿論のこと、学校の利権で甘い汁を吸っている連中は猛反対するであろう。また、エイルーン魔術学校という冠に誇りを持っている生徒やOBからも風当たりは強いのではないかと恵二には思えた。
それを横で聞いていたアルバードはそれに返答した。
「勿論騒ぐだろうね。学校と癒着のある商会や議員、それに元貴族家なんかも大騒ぎだろう。けれど、事を始めてきたのは向こうからだからね。今回の件だけじゃなく、我々はずっと煮え湯を飲まされ続けていたんだよ」
「そうそう。いい機会だから魔術都市の名を汚す病巣どもを一気に駆除してやろう。魔術とは個の才覚と自然の恵みから与えられる尊い力だ。決して金や権力で売買するものではない!」
賢者でもあるエルフ族のミルワードは魔術に独特の価値観を抱いているのか、それを食い物にする連中に我慢がならないようだ。
アルバードも日頃の鬱憤が溜まっているのか攻撃的な笑みを浮かべると、引き続き二人であれこれと画策を始めた。今度は従来の学校側に不満を持つ商会や議員、有力者への根回しを計画し始めたのだ。先程お金や権力がどうのこうのと言っていた気がする二人だが、それらをフル活用させて悪巧みをする相談をしていた。
「黒い!黒すぎるよ!?大人の世界!」
「お兄さん。綺麗ごとだけでは世の中渡っては行けないのです」
年下のアトリに諭され、恵二は何とも言えない思いに駆られた。
「そういえば、アトリはいいのか?確か魔術学校の風向きを変えたくて俺に入学して欲しいって頼んだんじゃあ……」
恵二はアトリと初めて会った日のことを思い出す。確かあの時の少年が出した依頼は“魔術学校に入って校内に蔓延している身分差を取り払う”といったひどく抽象的な依頼だった筈だ。
だが今回新たな学校を立ち上げるということは、結局従来ある学校の意識改革は諦めて新たな学校にその風をもたらそうという話になる。それでは上層意識の高い者と一般市民、両者に増々隔たりができてしまうのではないだろうか。
恵二はそこまで考えて尋ねるとアトリは困った顔をして、なんとも答え辛そうにしていた。そこへまたまた横で聞いていたアルバードが口を挟んだ。
「あー、ケージ君。少なくともアトリの件に関しては大丈夫だよ。何せこの子の動機は好きな女の子の為だからね」
「―――っ!お父さん!?」
アトリが悲鳴を上げるも父であるアルバードは容赦なく息子の秘密を暴露していった。
市長の話では、何でもアトリには幼馴染の少女がいるそうだ。彼女とは家族ぐるみで付き合いがあるらしく、アルバードも頻繁に会っているそうだがとても可愛い女の子だそうだ。年頃の少年であるアトリは勿論その少女に恋をしたのだが、その先方の家族は元平民出身のようで、どうしても元公爵家であるラングェン家から自然と一歩引いてしまっているそうだ。
だがそんな事は子供たちには関係なく、二人は良好な関係を築いていった。そしてある時、その少女が将来魔術学校に入りたいとアトリに告白したそうだ。
その少女は努力家で魔術の才能も無い訳ではない。恐らく問題なく入れるだろうとアトリは確信している。だが、問題はその後であった。
校内では未だに身分差によって風当たりが強いらしく、元平民出身である少女は周りから虐められてしまうかもしれないとアトリは考えたのだ。現に今でもアトリと仲良くしている幼馴染の少女は、他の有力家の娘たちから嫉妬の対象となっていた。
父であるアルバードは身分差を気にしない人柄であったが、そんな大人たちの目の届かない学校ではどんな目に遭わされるか分かったものではない。アトリ少年はどうしてもそんな校内の悪しき風習を彼女が入学する前に変えたかったのだ。
「つまり惚れた女の子の為に俺に依頼を出した、と?」
「……はい。それだけでは無いのも事実ですが、それが一番の動機ですね……」
父親に全て暴露されたアトリ少年は顔を真っ赤にしながらも白状をした。年頃の少年には何とも哀れな仕打ちであった。
(うーん。この親子の印象が大分変わってきたなぁ……)
最初に出会った頃のラングェン親子は礼儀正しく、この街を良くしようとする立派な人だと思っていた。勿論その考え自体はあるのだろうが、思ったより個人的感情で動いていたのだと恵二は二人への印象を改めた。
(けど、こっちの性格も嫌いじゃないかな?)
少し腹黒いけど目的が判明した分馴染みやすい。それに好きな女の子の為というのがどうにも協力してやりたくなる。
「まぁ、確かにケージ君の指摘も分かるけどね。基本我々が仮想敵とするのは悪しき風習を押し付ける大人たちだけだよ。子供たちに被害が及ばないようになるべく配慮はするし、こちらの考えを無理やりねじ込むつもりもない。こういった人の感情とかは簡単には変わらないものだからね」
アルバードがそう弁明するとミルワードも続けて付け加えた。
「人はどうしても他の人とは違うものだからね。種族や地位、才能や容姿で比べてしまうものなのさ。それは180年前も今も変わらない。私は実際に見てきたからね。新しい学校ではただ順位を付けるのではなく、生徒達一人一人の個性を見つけて伸ばしてあげたいと思っているよ」
どうやらミルワードは少なくとも御年180歳以上のようだ。エルフ族の中には300歳以上生きている者もいると聞いてはいるが、地球での常識が身についていた恵二には驚愕な事実であった。日本で180年前となると1830年くらいだろうか。まだペリーさんが黒船で来ていない時代だ。
(この人、歴史の教科書に出てくるような偉人かよ!?)
実際に三賢者と言われているくらいなので、間違いなく凄い人なのだろう。ただ見かけ若く見える容姿や先程の市長とのやり取りを見ている限りでは、ただの腹黒エルフにしか見えなかったのだ。よほど変装状態のコリン氏の方が威厳がありそうだ。
「そういえば、学校は何時出来る予定なんですか?暫く掛かるようでしたら冒険者稼業を復活しようかとも考えているのですが……」
「あー、その件なんだがね……」
恵二が尋ねるとアルバードは厳しい表情に変えた。言葉を濁したアルバードに恵二だけでなくミルワードやアトリも首を捻った。どうやら二人もアルバードが何を困っているのか見当がつかない様子だ。
「建物自体は急ピッチで進めていたから殆ど出来ているんだ。後は内装を整えて、人員さえ確保してしまえば運営自体は今月中にでもできる」
「おお!」
「随分早いですね、お父様」
想像以上に早い対応に恵二は驚き、息子のアトリは何時の間にそこまで進めていたのかと少々呆れていた。それ程ハワードの対応に市長は頭にきていたのであろう。
「何か他に問題があるのかい?」
ミルワードが尋ねると、アルバードは困った顔のままこう告げた。
「実は先程の騒ぎで学校の塀と、近くにある街の外壁が破壊されてしまってね……。壁の穴には兵士を配備してはいるが、流石に魔物が入りこんで来るかもしれない状態で学校を始めるのは問題なんだよ」
「あの青槍女―――!!」
恵二は最後まで碌な事をしない赤の異人の槍使いに憤りをぶつけた。




