俺の誠意を返せ
「ハァ、ハァ・・・」
男は森の中を駆けていた。こんなに走ったのは何時ぶりであろう。まだ駆け出し冒険者であった頃、誤って赤銅蜂の巣を叩き落としてしまった時以来であろうか。
あの時は大慌てで町へと逃げ帰り、体中を刺され2.3日中ベッドでうなされていた。
しかし、今自分の後ろにいる追撃者はそんな生易しい魔物ではない。捕まったが最後、喰い殺されるであろう。男は一緒に逃げている後ろの仲間たち二人に発破をかける。
「おい!チンタラ走ってんじゃねえぞ・・・。ヤツがくる!!」
「ま、待って・・・。もう・・・限界よ・・・」
「ハァ、ハァ、ハァ・・・・・・」
後ろをついて走る女冒険者はそろそろ体力の限界のようだ。その更に後ろを走る太った男はとっくに限界を超えているのであろう。返事をする余裕もないようだ。
(――ちぃ!やるしかないのか・・・?)
逃げるのも限界だと悟り、迎撃することを考え始める男。自分はCランクの冒険者だ。仲間二人もDランクではあるがその腕は確かだ。
戦うことを考え始めた冒険者は、しかしすぐにその考えを改める。
(無理だ!ヤツには勝てない・・・!だから逃げてたんじゃねーか)
Cランク冒険者が絶対に勝てないと判断する追撃者。それは甲高い声を上げ空から襲ってきた。
「――っ!くるぞ!避けろ!!」
それは2メートルはある青白い怪鳥であった。只でさえ出鱈目な大きさの鳥だが、その両翼を広げると更に大きく感じる。しかし、その為か木々の密集する森では低く飛ぶことを嫌い、それが3人の冒険者たちの寿命を延ばしていた。
だが非情にもその怪鳥の周辺には、ピキピキッと音をたてて氷の槍が三本も出現する。
<凍てつく森の鳥>
水属性の魔術を操るBランクの魔物である。本来はもっと北の雪で覆われ閑散とした森林に棲息すると言われている。しかし冬は獲物の少なさからか、極稀に南の方まで行動範囲を広げることがあるのだという。
今回運悪く3人の冒険者がその獲物とされてしまったのだ。
木々が邪魔して直接攻撃ができない怪鳥が、代わりだと言わんばかりに氷の槍を吹き降ろす。その魔術は水属性の中級魔術<氷槍>であった。迫りくる氷の槍を冒険者3人は避けるなり、叩き落とすなりして凌ぐ。
しかし怪鳥の周りには更に4本の氷の槍が待機していた。それが一斉に体勢を崩しかけていた女冒険者に降り注ぐ。誰がどう見ても凌ぎきれるとは思えなかった。
まずは1匹仕留めたと怪鳥が考えていたその瞬間、突如銀の影が現れ、氷の槍を全て撃ち落とした。
突然の出来事に驚く1羽と3人。その視線の先には銀の毛色をなびかせた巨大な狼がいた。余りの出来事に思わず走るのをやめ、ボケッと立っていた3人の冒険者。それを尻目に3メートルはあろうかという銀狼は、その巨体には似合わぬ素早さで近くの大木に飛び込む。大木をその大きな後ろ足で蹴ると、三角飛びのような恰好で次々と近くの大木へと蹴り飛ぶ。あっという間に怪鳥と同じ高度に達した銀狼は、今度は鋭い前足のツメで怪鳥目掛けて襲い掛かる。
咄嗟の出来事に怪鳥は回避が間に合わず、一瞬で決着がつく。切り裂かれて絶命した怪鳥は枝にあちこちその巨体をぶつけ、そのまま地面へと音をたてて落下する。
<凍てつく森の鳥>と<銀色の狼>。同じBランクの魔物だがその決着はあっけないものであった。木の多い森林の分、軍配は銀狼にあがったのだ。
墜落した怪鳥の亡骸を追う形で、銀狼もスタッと地面に着地をした。その巨体からは考えられないほどの身のこなしである。そんなことをぼんやりと考えていたCランク冒険者は、もう逃げるのを諦めてただその美しい銀狼を眺めていた。他の二人も疲れたのか腰が抜けたのか、地面にへたり込んで銀狼を眺めている。
そんな3人の目の前で銀狼が次にとった行動は、とても信じられないものであった。いきなり仰向けになり腹を出して寝転がりはじめたのだ。
「「「・・・は?」」」
3人の声がハモる。それも無理は無い。さっきまで自分たちはBランクの魔物に追われていたのだ。それを瞬殺してみせた銀狼がまさかお腹を出して、いわゆる服従のポーズを取ろうとは考えもしなかったのだ。
そんな銀狼の奇異な行動に思考が止まる3人の冒険者。銀狼は何か不満なのか小さくクウンと鳴き声を上げる。一向に動きを起こさない冒険者にしびれをきらせたのか、巨大な銀狼は、怪鳥の亡骸を咥え森の奥へと消えて行った。
「・・・なんだったんだ、今の?」
「「・・・さぁ?」」
とある冬の、グリズワードの森での出来事であった。
この世界にも四季はある。地球とほぼ変わらないこの惑星、<ケレスセレス>では暦も地球のそれとほぼ一緒であった。ひと月30日、それが12回で1年。1月から3月が冬で、ここコマイラの町ではもう間もなく春の訪れを迎える頃であった。
今は3月の22日、雷の日である。雷の日とは地球でいう曜日にあたる。月の頭から順番に火・水・地・雷・光・闇の6種類でそれを1か月で5週する。曜日は代表的な魔術の属性を当てているのだとか。
しかし特に今日が雷の日だからといって、“今日は雷属性が冴えわたる”なんてことはない。ただの古い昔からの名称だそうだ。明日の光の日は、平和の日々に感謝を込めて祈る日。その次の日の闇の日は、不吉なので外出は控えましょうという休みの日。そう<アムルニス教>は広めているのだとか。
では今日の雷の日はどういった日なのだろうかと、恵二は朝食をとりながら考えていた。
コマイラの町に来てまだ1か月しか経っていない。それでも大分この町に馴染んできた。最初の頃は色々と周りも騒がしかったものの、しばらくたつと大人しいものとなった。ただそれは恵二が大人しくしていたのではなく、周りがケージだからしょうがないと一種の諦めにも似た感情から騒がなくなっただけなのだ。
恵二が町に慣れた以上に、町の住人が恵二に慣れたという事実には気づかず、今日も活発に行動をする少年冒険者。
何時もより好物の多かった宿泊先の朝食を食べ終わると、今日は何か良い事ありそうだと恵二は軽い足取りで冒険者ギルドへと向かった。
恵二にとっては曰くのあるギルドの扉を開け放つと、受付カウンターにいた女性職員はすぐに気が付きこちらに声を掛けてくる。
「ケージ君おはよう。今日はなんだか良い事あったのかな?」
「うん、ちょっとね」
朝食のおかずが好物の土熊コロッケでしたなんて恥ずかしくて言えない少年であった。
恵二はこっちの世界に来ていつの間にか16才になっていた。正確な日付は思い出せないが、自分が召喚されたのが地球時間で10月の秋。しかしこっちの世界では8月の夏であった。
つまりこの世界は地球より2ヶ月ほど遅れているのである。恵二の誕生日は3月31日。こっちはまだ3月21日だが2ヶ月ずれがあるので、恵二はいつの間にか誕生日を迎え、高校生になっていたのだ。
(いや、そもそもこの世界に31日は存在しない・・・。ま、俺の誕生日は1月30日ってことにしておこう)
こっちの世界での誕生日を勝手に決めた恵二は、受付カウンターにいるレミに新しい依頼はないか尋ねる。
「うーん。E、Dランクの依頼だと特に新しいものはないわね」
恵二はこの1か月間、様々な依頼をこなしてきた。討伐依頼を始め、薬草や素材の採取、町の住人からのお使いのような依頼まで。特に戦闘方面では失敗したことは無く、あっという間に冒険者ランクはEにあがっていたのだ。どうやらコマイラの町では最短記録だとか。
つまりDランクの依頼なら受けることができるのだが、今は丁度いい依頼がなさそうだ。
「ごめんね、Cランクの依頼なら今朝入ったばかりなんだけどね」
そう謝るレミに気にしないでと声をかけてから、依頼ボードに目を移す。確かに目新しい依頼はなさそうだ。難易度の低い雑用のような依頼と、自分ではまだ受けることのできないCランクの依頼ばかりだ。
以前ボードに張られていたこのギルド最高難易度のBランク依頼、銀狼の討伐は撤回されていた。恵二がギルド長に銀狼は無害だと訴えたのがきっかけであった。
またここ数日森で危ない目に会った冒険者たちから、銀狼に助けられたといった報告が相次いでいた。
(あいつらには冒険者をそれとなく助けろって言ってあるからなぁ)
そのうえ人間に絡まれそうなら服従のポーズをとるようにとも言ってある。ああすればそうそう危害を加える冒険者もいないだろう。
そういったことから銀狼のイメージは良くなり、ギルド長であるホーキンは討伐依頼を撤回させたのだ。
今では冒険者にとって銀狼は森の幸運の守り神的な扱いを受けている。
その為、今現時点での最高難易度依頼はCランクとなる。その中で1件目新しい依頼が目に入る。恐らく先程レミが言っていた依頼であろう。なんでもそれは商人たちの護衛依頼らしい。
ここ1か月で様々な依頼をこなしてきた恵二だが、護衛の経験は皆無であった。基本一人での行動の方が、都合が良かったからだ。ただ、その依頼で1つ気になる個所があった。それは・・・。
(護衛先はシキアノス・・・。確かハーデアルトより2つ3つ西の国・・・だったよな?)
ここコマイラの町からすぐ西には森林大国のグリズワードがある。その更に1つ西にある国が、商人たちの目的地シキアノス公国である。
<シキアノス公国>
その名の通り、王ではなく公爵が実権を握る国である。その為貴族の力がとても強く、首都ネオルスの宮殿では毎日ドロドロの権力闘争が頻発しているのだとか。
そんなトコには絶対に行きたくない恵二だったが、依頼票を確認すると目的地は首都ではなく、ヘタルスという町らしい。
さて、何故恵二がこの依頼を気にしているのかといえば、それは西の魔術都市エイルーンへと行く為である。
最初は乗合馬車で行こうと思っていた恵二だが、国を超えての乗合馬車は基本存在しなかった。自分の足で地道に行くか、自前で馬を用意するしか無い。
当然馬を持っていないうえ、馬に乗ることも出来ない恵二にはこの依頼が天啓のようにも思えた。どうやら依頼を出した商隊はここで護衛の人員を補充した後、3日後に出発するらしい。
現時点でEランクの恵二にはこの依頼を受ける事が出来ない。ランクも足りなければ、国境越えも許可が下りないからだ。依頼が前日で締め切られる可能性もある。出来れば今日、明日中にはDランクに上がりたい。そう思った恵二は再度、依頼ボードを血眼になって目を通したがDランクへのポイント稼ぎになりそうな依頼は見当たらない。
駄目かと諦めかけていた恵二に突然後ろから声が掛かった。
「おう、ケージ。お前暇か?」
「・・・ホーキンさんより暇じゃないよ」
気落ちしていた恵二に不躾な声を掛ける冒険者ギルドの長ホーキン。自然と恵二の返答も愛想の無いものとなる。
「あー、なんだ?随分不機嫌だな?」
(さっきまで今日は良い日かも、なんて思ってたんだけどね・・・)
さっきまでの浮かれた自分を思い出し、大きな溜息をつく。そんな恵二を見てホーキンは話すタイミングを間違えたかな、と呟いた後こう続けた。
「実はお前に任せたい仕事があってだな。それは――」
ホーキンから依頼の話が来た翌日、恵二はグリズワードの森の奥へと来ていた。ここへ足を運ぶのは何度目だろうか。最初に銀狼と出会ってから恵二は、何度もこの地へと足を運んでいた。
どうやらここの森の主はあらかじめ匂いで恵二の来訪が分かっていたのであろう。親銀狼であるポチと、その子供4匹が整列してお座りしていた。
「クウゥーーン」
「おー、ポチ。また冒険者を助けたんだって?偉いなぁ」
巨大な頭をグリグリと恵二に擦り付けてくる。おチビ4匹もあれから大分成長し、子犬とはもう呼べないくらいには大きくなっていた。
「ヒイ、フウ、ミイ、ヨオも元気そうだな」
4匹の子銀狼も恵二の足元をスリスリと擦り付けてくる。
恵二は銀狼と何度か会っているうちに呼び名を付けていた。最初はどうせ何時かはこの町を出るのだから名付ける気はなかったのだが、銀狼たちの余りにもの人懐っこさに負けてしまった。
最初のお手のインパクトが強くなってしまったのか、つい犬のような名前を付けてしまったポチ。それと相変わらず見分けが付かないヒイ・フウ・ミイ・ヨウの4匹に恵二は散々なでなでした後こう話した。
「・・・ポチ。ヒイ、フウ、ミイ、ヨウ。俺、明後日コマイラの町を出ることになった」
その言葉を聞いた瞬間、銀狼たちの動きがピタッと止まる。どうやらしっかりと意味が通じたらしい。胸にチクリときた恵二だがそのまま続けて話す。
「このまま隣の西の国に行って、そこから更に西へ西へと目指す。前に話したっけか?エイルーンに俺は行く・・・」
そう呟いた直後、銀狼たちは恵二に飛びついた。まるで行かないでと駄々を捏ねるみたいに。子銀狼にならまだしもポチにまで飛びつかれ短い悲鳴を上げる恵二。しかし怒る気にはなれない。自分の目に熱いものがこみ上げてくる。
「・・・だから名前を付けたくなかったんだよ」
そう呟いた後、強く銀狼たちを抱きしめた。この日は丸1日銀狼たちと一緒に時間を過ごした。
銀狼たちと別れを告げてから翌日、恵二は町の商店街に買い物に来ていた。明日からの護衛任務に向けて、買い出しをする為であった。なんでもこの任務は大勢の商人と品を輸送する為の護衛らしく、通常の乗合馬車よりも時間がかかるとのことである。
未だにこの世界の旅には慣れていない恵二にとっては、それでもこの話は有りがたかった。
さて、何故Eランクの恵二が今回のCランク依頼を受けることが出来たかというと、それは2日前のホーキンとの会話まで遡る。
「え?護衛任務ってもしかしてCランクの?」
「おお、もう知ってたか。そう、その依頼だ」
どうやら恵二が所望していたCランクの依頼の送り主はギルド長の友人であったらしい。さっきまでその友人と会っていたそうだ。
しかし、自分のランクはEランクで未だに依頼を受ける資格は無い。仮にギルド長の強権とやらでこの依頼を受ける事が出来ても、流石に越境の許可は下りないであろう。
真昼間から飲んで酔っ払ってるんじゃ、と恵二は心の中で思ったが、ホーキンはすかさず口にする。
「・・・酔ってねえ。仕事もあるし控えめにしたよ」
どうやら顔に出ていたらしい。いくら冒険者の経験を磨いても、こういった腹の探り合いは苦手なようだ。でもやはり飲んではいたようだ。
「ま、確かにお前まだEランクで受けられねえよなぁ」
「・・・わかってますよ」
分かりきったホーキンの言葉にぶっきらぼうに返事をする恵二。しかしそんな恵二にホーキンはこう話した。
「てなわけで、ケージ。お前は今日からDランクだ。おめでとう」
「・・・へ?」
いきなりなホーキンの言葉に思わず間抜けな声を返す恵二。それにかまわずホーキンは話を続ける。
「いやなに、おまえさん色々と依頼頑張ってるじゃん?その上厄介な銀狼を手懐けちまって。正直お前がEランクだと周りに示しがつかないのよ」
「いや、だからってそんな急に・・・いいんですか?」
どうやら只の酔っ払いだと思っていたおっさんは、救いの主だったようだ。それでも突然Dランクだなんて、周りから文句が出ないのかとオロオロし思わず受付のレミへと視線を向ける。
すると頼れるお姉さんはこう助け舟を出す。
「大丈夫よ。コマイラの冒険者みんながケージ君の実力を認めているわ。むしろCランクでもいいくらいよ」
そうともとギルド長も同意し頷いてくれる。恵二の中でギルド長の株が未だかつてないくらいに急上昇していた。今なら俺の誠意を全投資してもいいくらいだ。
しかし、そんな恵二の心情とは裏腹にレミは冷たくこう言い放った。
「でも、元々ケージ君のDランク昇格は決まっていたのよ。誰かさんが承認の判を押し忘れていなければね・・・」
ジロッとギルド長ホーキンに目を向けるレミ。まるでゴミ虫を見るかのような・・・。あれは上司に向ける類の目ではなかった。思わず恵二もホーキンを見遣る。
「・・・てへ☆」
「――っ!俺の誠意を返せーー!!」
今日もコマイラの町は平和であった。




