れんじでちん
「え?逃がしちゃったの!?」
「そうなんですよー。あいつら、あれ程気を付けろって言ったのに、居眠りしている間に逃げられちゃったんですって」
男にそう告げてきたのは、二十歳前後の女であった。彼女は捕まえていた魔族が逃走したことをまとめ役である男へと報告しにきたのだ。男の年齢は二十代くらいであろうか。顔が幼く見えるだけでもしかしたら実年齢はもっと上なのかもしれない。尤も自分を含め、赤の世界<デミフレア>から呼ばれた者の殆どが自分の誕生日や親の顔さえ知らない。あそこの世界ではよくある話であった。
流石に貴重な情報源になりそうな魔族を居眠りして逃がしてしまったとあっては、目の前の男は怒るだろうかと女は思ったが、返ってきた言葉は拍子抜けなほどに穏やかなものであった。
「まあ、いいや。彼、召喚術に詳しそうだし色々と聞きたかったけど……。それに、怪我人はいなかったんでしょう、キッシュ?」
男の問いにキッシュと呼ばれた女は頷いて答えた。
「そうですねー。そのまま戦闘せずに逃げちゃったので皆無事ですよ」
「それなら良かった。でも、魔族って本当にタフなんだなぁ。確か体に何本も杭を刺して縫いとめておいたんだろ?あれでよく逃げられたもんだ」
ジルという魔族はとんでもない強さであった。勇者たちを逃がした後も孤軍奮闘で抗って見せた。心臓の当たりを突き刺してもそのまま剣を振るってきたのには少しだけ度肝を冷やされた。もしかして不死のスキル持ちなのだろうかと考えてしまう。
「しかし、今回は完全に失敗だね。結果だけ見たら、こっちは一人やられて向こうには全員逃げられちゃったんだから」
「そうですか?ポイントに近づけさせるなって依頼は成功したじゃないですか」
キッシュはきちんと目的を果たしたと主張するが、それに男は首を横に振った。
「それは頼まれた依頼なだけで、僕らの目的とは違う。犠牲は付き物だが、ルルカといいライルといい、レアスキル持ちを二人も失ったのは痛手だな」
男はそう呟くと顎に手をつけて考える仕草をする。確かにまだ本番前だというのに貴重な戦力を、しかもレアスキル持ちを二人も失ったのは残念だ。ライルのスキルは空間を超えて攻撃をできるという暗殺向けのスキルだ。これから自分達が為すことを考えると彼のスキルは非常に惜しかった。
そして大分前に死んでしまったルルカのスキルも代えがたい貴重なものであった。見るもの全てを凍らせる魔眼のスキル。そのとんでもスキルを持っていた彼女は、八人目の勇者という眉唾な話を追って何者かに殺された。最初はその八人目に殺されたのかと思われたが、どうも暗黒魔術の使い手によって始末されたらしいとの情報を掴んだ。
そしてついさっきまで捕えていたジルという名の魔族。もしやあの者がルルカを殺した八人目なのかもしれないという疑いが浮上した。尤も逃げられた今となっては確認する術はない。
「……やっぱり、補充が必要かなぁ」
先程まで考えに没頭していた男は唐突にそう呟いた。
「補充、ですか?もしかして、また召喚するんですか?」
キッシュの問いに男は頷いた。男は例の<異世界強化召喚の儀>を再び使うつもりのようだ。
<異世界強化召喚の儀>とは、男が偶然殺した相手から奪った書物に書かれていた秘伝の召喚術であった。その召喚術は実に画期的で従来の異世界召喚とは一線を画す代物であった。
書物によるとこの召喚術は、呼び出される相手側がこの世界に来てもいいという潜在意識を持っている者のみを厳選するそうだ。それと魔力量も強化される。そして一番の魅力は高い確率でスキルの恩恵を授かるという点だ。
ただ難点もある。とてつもなくコストがかかるのだ。だが、それは協力者をつけることでなんとかなった。多額の資金を投じて魔力の籠った高価な魔石を集め、何度も召喚実験を繰り返した。
その実験の過程で予期せぬ問題が幾度も生じた。一度目の召喚は成功したものの、呼んだ異世界人は召喚者である男の志と反りが合わなかったのだ。結果争いとなってその異世界人を始末した。
二度目は完全に失敗であった。召喚した手ごたえは感じたのだが、目の前に現れなかったのだ。恐らくどこか遠くの地に呼び出してしまったのであろう。多分安物の魔石を使ったのが原因だ。
三度目は成功した。しかも運良く同郷の者であった。彼とはすぐに意気投合した。今度からは赤の異人に狙いを定めて呼び出すことにした。
それ以降は召喚術に改良を重ね、赤の異人を次々とこの世界に呼び出した。一人分かり合えない者もいたが、それ以外は全員男の目的に賛同するか協力してくれた。今後のことを考えると、もっと沢山の同胞を呼び出したかった。
「よし、さっそく魔石を集めよう。キッシュ、行ってくれるかい?」
「いいですよ。魔石を買うとなると、シイーズ皇国かな?」
この近くで魔石を大量に扱っていそうな場所となると、真っ先に思い浮かぶのは東の魔術大国、シイーズ皇国であった。だが、男は彼女の問いに首を振った。
「いや、あそこは赤の異人入国禁止だから、あんまりこれ以上目立ちたくない。時期が時期だしね。ちょっと遠いけどエイルーンまで行ってくれないかい?」
「エイルーン?確か西の国でしたっけ?」
「正確には自治都市だけどね。あそこならシイーズ並に魔石もあるだろうし、赤の異人も入国可だから安心だよ?」
主に東で活動をしてきたキッシュにとって大陸の西側に行くのは初めてであった。ちょっとした観光気分に気を良くしたキッシュは二つ返事で了承した。
「良かった。同伴者には最強の護衛を付けておくよ」
「え?私一人じゃないんですか?」
ゆっくり一人旅を味わえると考えていたキッシュは男の言葉に意表を突かれる。それに“最強の護衛”という言葉を聞いて彼女の脳裏に嫌な予感が過る。
「ああ、あの魔族のこともあるしね。コトに一緒に行って貰うよう頼んでみるよ」
男が告げた同伴者の名は、キッシュが苦手としていた青髪の無愛想な女であった。
「よーし、今日はこのくらいでいいか!」
一日のノルマを終えた恵二は両手を上げ伸びをすると、動かしていなかった身体をほぐした。だが受験勉強を終えた後には、今度は身体を動かす鍛錬が待っている。短剣の素振り、魔術の訓練、そしてスキルの特訓もこなさなくてはならない。
(最近忙しいなぁ。でも、これも明るい学生生活と冒険家の夢を叶えるために必要なことだしな)
その為にはまだまだ学びたい事や取り組みたい事がある。一度食事をとってから鍛錬をしようと考え、借りている自室から宿の1階へ降りると、いつの間にか帰ってきていたテオラが恵二へと話しかけてきた。
「あ、ケージさん、ただいま。さっきミリーズ書店寄ってたんだけど、リリーさんが今度来てくれないかって言ってたよ」
テオラはミリーズ書店でお手伝いをしている一人娘、狸族と人族のハーフであるルーニーとすっかり仲良くなっていた。年が近いというのもあるが、なんと彼女も魔術学校への入学を目指しているようで、偶に<若葉の宿>にやって来ては、今年いち早く入試を受けるエアリムに勉強を教えて貰っていた。
ちなみにテオラとルーニーの二人は、予定通りなら来年受験をするそうだ。
(そういえば、ルーニーのお父さんは魔術師ギルドの職員なんだっけ?)
ルーニーの父親でありミリーズ書店の店主であるリリーの旦那さんでもあるラントンは狸族の魔術師でギルド職員だという話を以前に聞いた。実はまだ一度も会った事がないのだ。ラントン氏は魔術学校の卒業生で優秀な成績を修めていた為、学校入学の推薦状を出せる立場なのだという。その伝手で娘のルーニーは勿論のこと、その友人のテオラも推薦状を貰えることになったのだと、ついこの間嬉しそうに話しているのを耳にした。
ちなみにテオラが来年受験するようならば、恵二は市長であるアルバード・ラングェンに直接頼み込むか、それが駄目なら自身の成績順位を推薦条件である5位以内に上げようと考えていたのだが、どうやら要らぬ心配であったようだ。
「分かった。明日のお昼前にでもリリーさんのところに伺ってみるよ。きっとまた本の翻訳とかだろうな」
リリーとは以前、とある本の翻訳を頼まれた件で何回か会っていた。その本とは恵二が元いた世界、つまり青の世界<アース>で幅広く使われている英語で書かれていた料理レシピの本であった。その他にも翻訳できない書物があるようで、また力を貸してくれないか頼まれていたのだ。
「ケージさん凄いね。異国言語の翻訳だなんて、頭良いんだね」
可愛い女の子に褒められると悪い気はしないものの、それは元居た世界で髙い教育を受けていたからであって、決して恵二の頭の出来が言い訳ではなかった。なんとなくズルしているような気分に襲われるも、いちいち正直に話す事でもないかと愛想笑いを浮かべて誤魔化した。
(ミリーズ書店へ行くついでに、ラントンさんに会ってみよう。卒業生なら試験勉強や学校生活のアドバイスを貰えるかもしれない)
そう考えた恵二は、明日の午前中の予定を変更し、その分今日は多めに試験勉強をこなすのであった。
「待っていたわ、ケージ君。さ、上がって上がって」
朝早くミリーズ書店へと赴いた恵二は店の中に入ると、店番をしていたリリーに促され奥の生活空間へと案内された。どうやら今は彼女一人だけのようで、恵二のお目当てであったラントン氏の姿は見当たらない。席に着くと、まどろっこしいことが苦手な彼女は早速本題に入った。
「さて、実はケージ君を呼んだのは、この料理についてなんだけど……」
そう言ってリリーがテーブルの上に広げたのは、以前恵二が翻訳した料理本であった。その本のページをめくり彼女はとある料理を指差してこう口にした。
「これを作りたいのよ!ぜひ協力してくれないかしら?」
「プリン、ですか?」
彼女が作りたいと指していた箇所にはプリンの作り方が英語で書かれていた。そのすぐ下には恵二が中央大陸で使われている標準語で翻訳し直した字が記載されていた。
「ええ、そうよ。プリンだなんて、とっても美味しそうなネーミングじゃない。それにお砂糖も使っているってことは、きっとお菓子か何かなんでしょう?旦那やルーニーがこれを食べたがっているのよ」
何でもリリーの話だと、恵二が翻訳し終えたレシピ本で作った料理はどれも画期的だったそうだ。リリーは旦那であるラントンや娘のルーニーにそれらを振る舞うと、とても喜ばれたそうだ。だが、このレシピに書かれている材料や機材はリリーが知らないものも多く、あまり料理のレパートリーが増えなかったようだ。
博識な夫であるラントンなら何か知っているのではと試しにレシピ本を見せてみると、余り成果はなかったのだが、この“プリン”というお菓子がどうも気になって仕方が無いようだ。リリーは愛妻家であり甘党である夫の為に、どうしてもこのお菓子を作ってみたいと思ったそうだ。
「えーと、なになに。卵に牛乳、砂糖にグラニュー糖、それに粉ゼラチンと水、か……」
「その、ぐらにゅーとー?というのがよく分からないのよ。それに“れんじでちん”って一体どういう調理法なのかしら?」
そう言われても恵二自身普段料理をしないので、あまり詳しくは分からなかった。“れんじでちん”というのは恐らく“レンジでチン”のことだろう。これはそのまま直訳してしまった恵二に落ち度があった。
「えーっと、グラニュー糖ってのは名前から察するに砂糖のお仲間、ですかね?レンジでチンっていうのは―――」
恵二は分かる範囲で想像を膨らませながら、材料や調理法、そしてプリンというのがどういう食べ物なのかを説明していった。
「ふむふむ。なんとなくだけど分かったわ。あんまり料理は得意じゃないけど、なんとか頑張ってみるわ」
どうやらリリー自身も料理が苦手なようだ。それでも愛する夫や娘の為に努力をする様はなんとも健気であった。
「それなら知り合いに料理が上手い人がいますから、協力してもらいます?」
恵二はいっその事、料理のプロに頼んでみてはと提案をしてみた。だが、それにリリーは難色を示した。
「それってベレッタのことかしら?あんまり気は進まないわねえ……」
リリーはテオラの母親にして<若葉の宿>の女亭主であるベレッタの名を口にすると、あからさまに嫌な顔をした。実は最近知った事実なのだが、彼女達二人は古い知り合いだったようだ。詳しくは知らないが、過去に何かがあったらしく、二人の仲はあまりよろしくない。
お互いの娘であるテオラやルーニー達には二人とも親切に接してはいるが、本人同士は顔を会わせると諍いが絶えなかった。ベレッタの旦那であるホルク曰く、二人が喧嘩を始めたらそっとしておくのが一番だと匙を投げている始末だ。
それを知っていた恵二は、ベレッタではなく、別の人を紹介するつもりであった。
買い物から帰ってきたルーニーに店番を任せると、恵二とリリーの二人は市内の北東地区にある一軒のお店を訪れた。最近出来たばかりの料理店であり、≪古鍵の迷宮≫が近いこともあってか冒険者の間では徐々に人気が出てきているお店であった。
二人はそのお店の扉を開けて中に入ると、テーブルを一生懸命綺麗に拭いていた女性店員が申し訳なさそうに出迎えてくれた。
「ごめんなさい。今はまだ準備中で―――って、ケージ君!いらっしゃい!」
「こんにちわ、カーラさん。ごめんね、お昼前の忙しい時間に……」
ここ<精霊の台所>は、冒険者を引退したロンとカーラが新たに一緒に始めた料理店であった。ダンジョンの裏ルートを攻略した際に得た魔物の素材や、超巨大ゴーレムの破片が高く売れロンの懐もだいぶ温まり、彼は遂に念願の店を構えることとなった。カーラもこのお店の従業員として共に働いている。恵二も何度か訪れたがなかなか雰囲気の良いお店で料理も美味しかった。
ちなみに<精霊の台所>というネーミングは、カーラとワッパの命を繋いだ【精霊仕込みの美味しいポーション】からきている。あの時は残念ながら二人ともポーションを傷口にかけただけだったが、あれだけ効果があるのだから、飲んだらさぞ美味しいのだろうと考えてこの店名に決めたようだ。
今はお昼前の時間帯で外の扉には準備中の札が吊るされていたが、恵二は敢えてお邪魔をさせて貰った。
「おお、ケージ君じゃないか!いらっしゃい!君なら何時でも歓迎だよ!おや?彼女はどちら様だい?」
奥から一仕事終えたのか、コックであるロンも出迎えてくれた。
「ああ、彼女はリリーさんと言いまして―――」
恵二はロンとカーラに、自分が異世界人である部分は伏せて事情を説明した。
「―――成程。そのレシピがこれか」
「どうです?作れそうですか?」
暫く考え込んでいたロンは頷くと、こう答えた。
「やってみよう。なんとかなるかもしれない。ケージ君、空いている時間でいいから今度試食をしてくれないかい?食べたことがある人がケージ君だけなら、まず君に認められないと話にならないからね」
「ええ、喜んで」
「それで完成しましたらリリーさんに作り方をお教えしますよ」
「ありがとう、助かるわ。完成できたら報酬としてそのレシピは貴方たちが好きに使って頂戴」
リリーはそう提案すると、ロンは驚いた顔でこう返した。
「え?本当に良いんですか?こんな珍しいお菓子、きっとこのレシピにはかなりの価値がありますよ?」
「いいのよ。私は旦那や娘を喜ばせたくて作るんだから。それじゃあよろしくね、ロンさん」
「分かりました。きっと美味しいプリンを作ってみせます!」
リリーとロンは固い握手を交わした。恵二も久しぶりにプリンの味を堪能できそうだと期待に胸を膨らませていた。
(もし完成したらプリンをシャムシャムにでも持って行ってやるか)
これであの精霊との約束も守れそうだなと恵二は一安心をした。
ラントンさんの出番は今回もありませんでした。その内登場させます。多分。




